第24話 ステージ
AgOgのステージは、ネット世界の歌い手から、立派なプロの歌手となったことを証明する、レベルの高いものだった。楽曲の完成度のレベルは勿論だが、セットもプロにふさわしい立派なものであった。
それらがあっという間に片づけられた後、ガランとしたステージには何もない。バックの壁に、最初から取り付けられている大きなスクリーンがかかっているだけだった。
先ほどのステージの熱気が冷めやらない観客は、新たなセットがくみ上げられるのを待っていたが、そんなものはいつまでたっても出てこなかった。
「それではリアル音楽会の重鎮、吉本修二氏がプロデュースした……と言い張っている」
唐突に始まったアナウンスの意味ありげな間に、笑いがさざ波のように起こる。
「誰がプロデュースしたかはともかく、その実力は疑うところがありません。昨年、AgOgと共に彗星のように現れた実力派歌い手、ARIAさんのパフォーマンスです」
調子の良いアナウンスが終わると、ステージの左側にピンライトが当たり、ARIAが姿を現した。派手な演出を期待していた観客は拍子抜けをしてしまい、歓声と拍手はまばらなものだった。
しかし、その姿がスクリーンに映し出されると、会場の雰囲気が変わる。
ARIAの姿はいつもと違っていた。毛先の荒れた茶髪のショートボブで着物をアレンジした衣装。それは誰もがどこかで見たことがある姿だった。
「森山(もりやま)美月(みづき)?」
その誰かの呟きで会場内の意識が統一される。それは二十年前に大人気だった女性歌手の名前だった。CD全盛時代に代表曲「Temptation ~衝動~」ではトリプルミリオンを達成した、当時は知らぬ者がいない曲であり、誰もが知っている歌手だった。最近は本人がテレビ番組で歌うことはほとんどないが、懐かしソングコーナーなどでは必ず使われる曲であり、若い人にも広く知られている。
そして音楽プロデューサー吉本修二の出世作でもあった。この曲のヒットをきっかけに、修二は日本音楽界のスターダムにのし上がっていったのだ。
観客の多くが、着物をアレンジした衣装がTemptationを歌う時の定番の衣装だったことを思い出した頃、ARIAはステージの真ん中に到着し、背後のプロジェクターに文字が映し出された。
Temptation 【歌ってみた by ARIA】
同時に耳に馴染んだ前奏が始まり、観客は沸き上がる。
誰もがAgOgと同様に自分の持ち歌を歌うのだと思い込んでいた。しかしごきビデ的には、オリジナル曲を歌うよりも、プロの曲をカバーする「歌ってみた」こそが本流である。ARIAはそれに合わせると共に、吉本修二プロデュースの曲を歌うという、この勝負の趣旨にもちゃんと合わせてきたのだ。
更にARIAの熱心なファンはもう一つのことに気が付いていた。ARIAがこれまでごきビデで公開してきた曲は基本的にオリジナル曲だけだった。数曲ある「歌ってみた」動画は全て、花月ことフラワームーンがボカドルに歌わせていたものをカバーしたものだ。つまりこれから見られるのは、ARIAがフラワームーン以外が作った曲を歌う初めてのステージなのだ。
様々な期待を込めて、観客は盛り上がっていく。
日本の舞を取り入れた特徴的なダンス、緋色に黒の炎が這う袖がくるくると宙を舞う。この一ヶ月、梓はダンスの特訓を行った。放課後は修二のスタッフからレッスンを受け、学校でも休み時間に蘭華に練習に付き合ってもらった。その努力が結実した、見事なダンスだった。
歌いだしで驚嘆の声が上がる。森山美月の抑え気味なのにしっかりと響いてくるハスキーな歌声そっくりだったからだ。明るく伸びやかで朗らかないつものARIAとは違う歌声。レベルの高い物まねと聞き慣れた楽曲に観客は身体を揺らして一体感を感じるが、一方で疑念も生まれる。
口パクではないのか?流れているのは森山美月の歌なのではないか?
しかしARIAはその疑念を待っていたかのように自ら打ち砕く。
観客は少しずつ、曲調が変わっていくのに気が付いた。そしてそれは、ARIAが歌い方を変え、森山美月のコピーから、自分の歌い方に戻していっているのだと気がつく。
ただの『歌ってみた』ではない芸当に観客は沸き、ARIAのファンも、AgOgのファンも、そのどちらでもない者も関係なく、サビの部分では合掌し、決めポーズを取る。
間奏に入り、二番を歌い始める前にサプライズが発生した。舞台の袖から、ARIAと同じ姿をした人物が現れたのだ。テレビの物まね番組では使い古された演出であるが、それでも「まさか」と思ってしまう。
プロジェクターに映された映像は、「まさか」が現実であることを証明し、大きな歓声と拍手が大御所の登場に送られた。
ARIAと森山美月は並んで立ち、歌い踊る。森山美月の歌声とダンスは、歳を感じさせない素晴らしいパフォーマンスだった。
新しい力と衰えを見せないベテランの力が融合した素晴らしいステージは、終わりを迎えてしまった。会場と一体になって最後の決めポーズを決めたところで、プロジェクターに『本物と歌ってみた 【Temptation by ARIA with 森山美月】』と映し出され、更に大きな拍手が送られた。
「ありがとうございました」
森山美月は頭を下げるARIAに近づくと、柔らかくハグをした。
「盛大な拍手を」
梓に促されるまでもなく、ステージを降りていく森山美月には惜しみない盛大な拍手が送られた。
「皆さん、こんにちは。ARIAです」
拍手が鳴りやむのを待って、空気を変えるように、いつものARIAの声で呼びかけた。
「もう一曲、歌ってみたをやります」
ピンと人差し指を天に向かってあげると、プロジェクターに新たな文字が映し出される。
歌ってみた 【マジカル・ジュゲム by ARIA】
マジカル・ジュゲムはボカドルのウィーン七音の歌としてごきビデで公開されたオリジナル曲であり、ウィーン七音の定番曲の一つとしてよく知られている、人気も高い曲だ。その最大の特徴は早口であることだ。音楽ソフトであるウィーン七音は、プログラミングによっていくらでも早口にすることができる。そのため、初期から様々な早口曲が作られてきたが、その中でもメロディ、歌詞、早口の三拍子が揃った最高峰と言われるのがこの曲である。それを歌うのは一見無謀とも思えるが、ギリギリ人間でも歌えそうな速度のバランスが素晴らしいとの評価がある。事実、この曲を「歌ってみた」動画は多数アップされており、その結果は様々である。
その難関曲に、ライブでARIAが挑もうというのだ。観客席からは期待と冷やかしの歓声が上がる。
三つカウントが鳴った後、ARIAの口から膨大な言葉が機関銃のように打ち出される。さすがにダンスはできず、棒立ち状態だ。
その代わり、プロジェクターに映る映像が目まぐるしく変わる。それは、ウィーン七音とARIAが魔法の世界を旅するといった内容のアニメーションであった。和と多佳美の力作である。和はこの一ヶ月、自分の同人活動は封印して、このアニメーション制作に打ち込んできた。漫画は得意だがアニメーションの経験はない和を、多佳美が様々な面でフォローし、動画作品として仕上げた。二人の合作と言える作品だった。
ARIAの必死な早口歌と、二人のアニメーションに、観客は自然に引き込まれていく。
「怖いな、あの子は」
話しかけられた花月は、ちらりと横に立った父親を見る。
「怖い?」
「ああ、怖い怖い」
花月はおどける修二から目を離し、ステージを映しているモニターを見ながら訊ねる。
「美月さんは?」
「けっこうご機嫌で帰ってったよ」
「良かった。ありがとう」
「これぐらいしかできることないからな」
「……本当にね」
今回のステージに関しては、素材作りは梓達、実際のステージ進行は修二のスタッフという分業体制で進められている。実際にはそんなに綺麗な線引きはされておらず、様々なことを協力して進めてきたのだが、修二はスタッフに任せるだけで、自分は何もしなかった。唯一の仕事が、森山美月のブッキングだった。しかしそれが、修二でなければできない仕事なのは確かだった。
そんな父親を尊敬するべきかどうか決めかねて、別のことを訊く。
「最後まで見ていけば良かったのに」
「そこはほら、彼女もプライドが高い人だから。でも久しぶりに、新曲作ってってお願いされましたよ」
「良かったね」
ARIAは歌い終えるとマイクを天に突き上げた。息をつめて見守っていた観客は、解き放たれたかのように一斉に歓声を上げた。生で難曲をノーミスで歌い切るという偉業を達成した歌い手に、賞賛の拍手が惜しみなく贈られる。
マイクを下ろしたARIAは両手を膝の上に置き、ぜえぜえと息をつく。そこに、袖から二人の黒子がすすっと滑るように出てきた。黒子の一人はARIAの背後に回り、帯を持ち、袖に向かって走った。
「あ~~れ~~~」
帯がどんどんほどけていき、ARIAはその場でくるくると回転する。帯がほどけ切ったところで、隣に控えていたもう一人の黒子が着物っぽい衣装をはぎ取った。
ARIAは桃陰高校の制服を着ていた。それと同時にスクリーンに『生着替えをやってみた&お代官様ごっこをやってみた』と映し出され、拍手と笑い声が起こる。
黒子に髪をツーテールに結わえてもらいながら、ARIAは観客に笑顔で手を振る。桃陰高校の制服をこの場で着ることの許可を求めた時、学校は難色を示した。学校に口添えをして、許可を出すようにしてくれたのは、前生徒会長である光陣はるかだった。
黒子が下がると、ARIAは右へ左へゆっくりと頭を振る。それに合わせて髪の毛が軽く揺れる。
「それじゃ、歌います」
右手の人差し指で天を指す。
「Sky sign」
ここまで封印されていたオリジナル曲の登場に、待っていた観客はこれまで以上に沸き立つ。
「やっぱり怖いよな~」
修二はモニターから目を離し、煌めくステージの中にいるARIAを見る。それに合わせて花月も目を動かす。モニターの中のARIAよりも、実際に見るARIAはより輝いて見えた。
「花月。森山美月の曲を作ってみないか?」
「なんで私が!」
突然の提案に、花月は思わず、いつもと同じように言い返してしまう。
「美月は今日のステージを見て、曲を依頼してきた。つまり今までの俺の曲を望んでいるわけじゃないんだよ。お前の方が上手に作れるだろう」
「それは……、そうかもしれないけど、パパが頼まれた仕事でしょ」
「だから、一番使用できる相手に頼んでいるんだ。音楽プロデューサーなんて自分で作詞作曲全部をするわけじゃない。信用できる相手に仕事を頼み、それをどう組み合わせていくか、だ。もっとも、その能力すらもあの子に自信を奪われかけているけどな」と言って、視線を再びARIAに戻す。
曲は間奏に入っていた。間奏に入ると同時に、ステージ全体にある映像が映し出されていた。プロジェクションマッピングで映し出されたそれは、ごきビデの画面と、そこを流れる多くのコメントだった。
それがリアルタイムの画面であることに、この会場にはいない、モニターの前でコメントをつけていた視聴者がまず気が付いた。自分がつけたコメントが会場のスクリーン上を流れているのだ。
次々とそのことを示すコメントが付けられ、会場にいる観客も、目の前のコメントが今現実につけられているものだと理解する。
「スマホを見たらダメだよ」
自分もコメントをつけようとスマートフォンに手を伸ばした観客を、ARIAが素早く注意する。
「ここにいる人は私と一緒に盛り上がって!来られなかった人はいっぱいコメントをつけて!」
二番を歌い始めたARIAの身体の上を、たくさんのコメントが流れていく。コメント数はどんどん増え、身体がコメントで埋め尽くされていく。
さっと左腕を振る。するとコメントはそちらの方向にすっと流れていった。両腕を頭の上で開くと、噴水のようにコメントが噴き出していく。右へと走り出すと、コメントはその後を追いかけていった。
初めて見る演出に観客は感嘆の声を上げ、コメントは益々増えていく。
「この演出もあの子が考えたんだろ」
修二の問いを花月は頷いて肯定する。
「コメントを、私の動きに合わせて動かして欲しいの」
その梓のアイデアを実現するために、多佳美と修二のスタッフ、ごきビデのスタッフまで巻き込んで試行錯誤が繰り返され、何とか今日の本番に間に合った。
「でも、そんなの関係ないよ」
花月は笑顔で言う。
「誰が出したアイデアだろうと、梓ちゃんが受け入れるかどうかだけだもん。もっとも、梓ちゃんは絶対否定しないけど。どんなアイデアにでも、良いねって言ってくれて、凄いよって褒めてくれる。だから、私達の方が、本当にこれで良いのかって考えて、工夫して、みんなで意見を出し合って、相談して、梓ちゃんに褒めてもらった時に、自信を持ってそれを受け入れられるようになるまで頑張るの」
「それを友達にやらせちゃうところが怖いんだよな」と修二はぼやく。
「フラワームーンは楽曲を提供しているだけでプロデュースしているわけじゃない。一見、お嬢様が仕切っているようにも見えるけど、絶えずあの子のことを気にしていて、自分を表すってことができていない。つまりARIAは、お前達に頼むことも含めて、何でもかんでも自分でプロデュースしているんだ。とんでもないセルフプロデュース力だよ。あれは意識してやっているのかな?」
「分かんないよ」
「そうか……」
娘の笑顔に、修二は肩をすくめた後、軽い口調で言う。
「森山美月の話、お前がやらないなら瘡乃刃君に持っていくからな」
「なんでよ!」
「だって、こんな感じの曲ができる知り合いいないもん」
「いないもんじゃない!分かった、私がやる」
修二はニヤリと笑いながらその場を立ち去りつつ、指示を残す。
「じゃ、今月中に四曲よろしく」
「四曲も?」
「春休みがあるんだし楽勝だろ」
「そんなわけないじゃない!もー、やっと休めると思ったのに」
花月の不満は修二の背中には届いていなかった。
コメントが雪のように降ってきてステージを埋め尽くし、狂歌乱舞なステージは幕を閉じた。
眩しいステージの上では、歌い終わった梓が息を弾ませながら満面の笑みを観客に向け、手を振っていた。
「ありがとう」
感謝の言葉が響き、歓声と万雷の拍手がそれに応えた。
沸き上がってくる感動で胸を熱くさせながら、花月は力いっぱい拍手をした。
修二が手を振りながらステージ上に現れると、大きな拍手が起こった。逆側の袖からは、瘡乃刃とリングが歩いてくる。ARIAが歌い終わると同時にネット投票が開始された。会場の観客も先ほどスマートフォンなどから投票を行った。その結果がこれからすぐに発表されるのだ。
真ん中まで来たところで、修二がにこやかに右手を差し出すと、敵意満々だった瘡乃刃は一瞬躊躇った後で大物っぽく振舞いながら右手を差し出し、力強く握手を交わした。
観客に手を振っていた梓が横を向くと、わこがすぐそこまで来ていた。
口を一文字に結んでいたわこは、やり切った笑顔を見せる梓の顔を見て、ふっと口元を和らげた。
梓は衝動を抑えきれず飛び込み、わこはそれを受け止めた。
ステージの上で二人はしっかりと抱き合った。
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