第21話 新しい世界

 元旦は空を雲が覆い初日の出を見ることは叶わなかったが、昼頃には北風が雲を四散させ、太陽が姿を見せていた。

 街の中心部から郊外へ向かって走る寿司詰めの路面電車が、阿倍野市で一番大きく有名な神社の鳥居の前の駅で止まると大勢の乗客が降りてきて、辺りを埋め尽くしている参拝客と混ざり合っていく。

 同じように駅に降り立った梓、聡子、和の三人は人波にもまれながら周囲を見回す。

「こっちこっち」

 声が呼ぶ方を見ると、手を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねている花月の姿があった。

「花月ちゃん。明けましておめでと。今年もよろしくね」

「おめでとう。今年もよろしく。お姉ちゃんも、委員長もおめでとう」

 無事の合流を喜び、挨拶を交わし合ったが、梓は花月を見ながら渋い顔をする。

「なに?なんか変?」

「変っていうか、小学生男子っぷりに加速がついているけど大丈夫?」

 花月の恰好は、青いダウンジャケットに黒のデニムパンツにスニーカー、頭にはニットの帽子を被っている。小柄で平坦な身体に化粧気のない幼い顔つきにショートカット、一見するととても女子高生には見えない。

「良いでしょ。好きなんだから。お姉ちゃんも似たような感じじゃない」

「お姉ちゃんは出るとこ出てるから良いんだよ」

 聡子はコメントに困って、苦笑を見せた。


 馬鹿なことを言い合っていると、渋滞している車の列をすり抜けるように走ってきた黒塗りのリムジンが梓達の前で静かに止まった。運転手が回ってくるのを待たずに自分でドアを開けて出てきた人物に、周囲を行き交う人々の目が集まった。

 現れたのは十頭身美女だった。無数の牡丹に彩られた振袖は、遠目からでも高価なものであることが分かる。長い黒髪は優雅に結い上げられ、豪奢な簪が幾本も刺さっている。切れ長の瞳が、自らへと向けられる視線を強く跳ね返す。しかし、威嚇ともいえるその眼力に動じない者もいた。

「たっかみー、明けましておめでとう。振袖、とっても綺麗だね。とっても似合ってるよ」

 梓は朗らかに褒める。

「あ……りがとう。明けましておめでとう、今年もよろしく。……みんなも」

 顔を赤らめてどぎまぎと答える多佳美に、一同はにやにやと笑いながら挨拶を返した。

「それでは後ほどお迎えに参ります」

 運転手はそう言い残すと素早く運転席に戻り、渋滞している車列の中をすり抜けていった。

「それじゃあ行こうか」

 梓の合図で五人は神社へと向かった。


 石造りの大きな鳥居をくぐり、両側に屋台が並ぶ参道を歩くと、目の前には池を渡る朱塗りの太鼓橋が見えてくる。

「これはちょっと、たっかみーは無理じゃないですか?」と聡子が気遣う。

 太鼓橋は傾斜がかなりきつく、上るのも大変だが、下りる時は普通の恰好をしていてもかなり怖い。着慣れない着物に草履では、非常に危険だ。

「皆で支えれば大丈夫なんじゃない?それともあっちの橋を渡る?」

 太鼓橋を渡らなくても良いように、池には低い橋も架けられている。多佳美は少し考えた後で、決断した。

「梓が橋を渡るところを撮影したいから、私はあっちの橋を渡るわ」

 そう言ってバッグからカメラを取り出す。

「いつものと違うね」

 梓は珍しそうにそのカメラを見る。

 レンズの後ろには四角形の本体が付き、その下には持ち手があり、トリガーもついている。

「八ミリカメラってやつよ。先日部屋を片づけていたら出てきたの。アナログ時代のカメラで、デジタルとは少し違った画が撮れて面白いの」

「そうなんだ。分かった。それじゃ撮影よろしくね」

 お互いに無事に橋を渡り終えると、手水舎で再び合流して手を清め、本殿へ向かう。


 人の列に並んで小さ目の鳥居をくぐるとすぐ目の前にお宮がある。この神社には本宮が四つあり、ここには第三本宮と第四本宮が並んでいる。ここでもお参りをしている人がいるが、五人は多くの人と同じようにお宮の左側に回り、さらに奥を目指す。第二本宮があり、さらにその奥に第一本宮がある。第一本宮の前にはかなり多くの人が並んでいる。しかし、五人で楽しく話していたら待ち時間を感じる前に最前列に辿りついた。

 五人並んで悠長に拝んでいる余裕はない。賽銭箱に小銭を放り投げると、頭を下げ、柏手を打ち、手を合わせて拝む。

「何をお願いした?」

 参拝を終え、苦労しながら人波の脇に逃れた後、花月が皆に訊いた。

「私は今度のライブの成功をお願いしたわ」

 多佳美が少し照れた顔で答えると、和と聡子が同じだと首を縦に振る。

「やっぱりみんな同じだね」

「私は違うよ」

 花月の笑顔を凍らせたのはライブの主役である梓だった。

「梓ちゃんは何をお願いしたの?」

 固まっている花月に代わって和が訊ねる。

「お姉ちゃんが社会復帰できますようにってお願いしたよ」

 当たり前でしょ、という感じで大きな目をくりくりさせながら梓は答えた。

「わ、私もお願いしてくる」

「私も行きます」

「仕方がないわね」

 花月と和と多佳美の三人は慌てて本宮の方に戻っていき、少し横手から手を合わせてお願いをする。

「わりと復帰していると思うんだけどな」

 聡子はその様子を見ながら、複雑な表情でつぶやいた。


「すっごい!大きなおみくじ」

 おみくじ売り場に来ると、巨大な木製の筒を振っている人達がいた。この神社名物の大御籤である。形は通常の六角形のみくじ筒と同じなのだが、長さが一メートル以上ある。

「私はこれにする」

 梓は嬉々として大御籤の列に並ぶ。

 順番が回ってくると、みくじ筒の胴体部分に取り付けられた二つの取っ手を持ち、ぐっと力を入れて持ち上げる。

「重い!」

 思わず叫んでしまう。更に力を入れるが、台から一センチ浮かべたところで止まってしまい、プルプルと震える。

「頑張って」

 多佳美が八ミリカメラを回しながら応援するが、それ以上は全く上がらない。そのままプルプル震えている間に、その振動でみくじ筒から木製のみくじ棒がするりと出てきた。

「ふう」梓は満足気におみくじを台に戻すと、みくじ棒に書かれた番号を確認して係の人に告げに行った。

「凶だったよ」

 みくじ箋を見せながら帰って来た梓は、悪い結果だったにも関わらず嬉しそうだった。


「私は普通のおみくじを引いてくる」

「着物でなければ大御籤に挑戦したんだけど」

 和と多佳美はそう言って、通常の大きさのおみくじの列に並びに行った。

「私は挑戦しようかな」

 聡子は気合いを入れながら、大御籤の列に並ぶ。

 その様子を見ながら動こうとしない花月の肩を、梓は軽く叩いた。

「あれは小学生には無理だよ」

「小学生じゃない!」

 花月はきりっと怒ってから、和と多佳美の後を追った。


 普通のおみくじを引いた三人の結果は中吉と小吉と吉だった。どれが一番良いくじなのかを言い合っていると、聡子が浮かぬ顔で帰ってきた。

「お姉ちゃんも凶?もしかして大凶?」

「なんで嬉しそうなのよ。でも、その方がいっそすっきりして良かったのかもしれないわね」

「なんだったのよ」

 多佳美に促されて聡子はみくじ箋を皆に見せる。

 皆のくじでは「吉」や「凶」と書かれていた箇所には、「吉凶相交」という文字が記されていた。

「きっきょうそうこう?こんなの初めて見たよ!」

「こんなのがあるのね」

「レアアイテムですね。ラッキーじゃないですか」

「レアだからラッキーって発想はどうかな。うーん、吉と凶が相い交わるんだから、良いことも悪いことも起こるって意味かな?」と花月が推理する。

「そんなの当たり前じゃない」

 梓が身も蓋もないことを言う。

「つまりは現状維持ってことかな?」

「現状維持なら良いか」

 納得がいったように頷く聡子に、花月が「良いんですか?」とつっこみを入れた。


「そうだ、ウサギさんを撫でて行かなきゃ?」と、人だかりを見つけた梓がそちらに走っていく。

「ウサギ?」

 追いかけようとしたが、着物であることを思い出して断念した多佳美が花月に訊く。

「この神社の神使はウサギなの。それで、ヒスイでできたウサギの像があって、それを撫でると良いことがあるって言われてるの」

「そう。ありがとう」

「もしかして、たっかみーはここ初めてなの?」

 多佳美は東京出身で、この町に住み始めたのは二年前からであることを花月は思い出した。

「何かの式典で催事場に行ったことはあるけど、こんな風にちゃんとお参りをするのは初めてね」

「そっか。空いているときに来たらもう少しゆっくり見られるから、また今度みんなで来ようよ」

「そうね。さっきの太鼓橋でも満足な画は撮れなかったし」

「そればっかりなんだから」

 花月は笑い、ウサギを撫でながら手招いている梓の方へ駆けた。


「レイチェルにお守りを買って行かなきゃ」

 そう言って梓は社務所前の人だかりの中に入っていく。陳列台には、様々なお守りが並べられている。

「合格守の他に、合格祈願消しゴムや鉛筆まであるよ」

「そういえば私ももらったな」

「効果はあった?」

「合格してるじゃない。でも鉛筆は使わなかったかな」

「シャーペンだもんね」

「レイチェルちゃんは受かりそうなの?」

「頑張ってはいるけどね……」

 花月の問いに梓は曖昧な答えを返す。

「今日は一緒に来なかったの?」

「親と一緒に近所の神社に行ってる」

 そこで梓は振り返ってちらりと多佳美を見た。

「ちなみにお兄ちゃんは、健太郎さんと出かけて行ったよ」

「なんですって!」

 大きな声に、ただでさえ目立っている多佳美に更に注目が集まった。多佳美は顔を真っ赤にさせたまま、声のトーンを落として梓に訊ねる。

「どこに行ったの?」

「知らない。突然連絡があって、私が家を出る少し前に車で迎えに来たよ」

「いなくなったと思ったら、何しているのよ」

 怒りが収まらない多佳美を尻目に、梓は「これ下さい」とお守りと消しゴムを係の人に差し出した。


 神社の外に出てきたが、そこはまだ大勢の人で賑わっていた。

「喫茶店やファミレスは並ぶだろうね」

 見える範囲にある店の前には行列ができている。

「ここで並んでも良いけど、街まで戻っても良いよ」

「私は次の用事があるから、あまり時間がないのよ」

 多佳美が申し訳なさそうに告げる。

「街まで戻っても、店が開いてるとは限らないでしょ。だったらうちに行く?車はすぐに来るんでしょ」

 聡子が提案すると、どこに待機していたのか、黒塗りのリムジンが目の前に静かに止まった。

「そうしましょうか。私は着物だから、前に座らせてもらうわ」

 多佳美はそう言って、運転手を待たずに自分で助手席のドアを開けて乗り込んだ。

 四人が後部座席に乗り込むと、車は正月渋滞の道を鮮やかにすり抜けていき、驚くほど短い時間で聡子の家に到着した。

「新しい運転手さんは凄いね」梓が感嘆の声を上げる。

「恐縮です。ところでお嬢様。このまま直接向かいませんと、次の行事にはギリギリになってしまいます」

「気は利かないのね。お茶の一杯ぐらい飲ませてよ」

 多佳美は運転手の制止を聞かずに車から降りる。こうなった多佳美を心変わりさせられるのは梓ぐらいしかいないが、梓にはもちろんそんな気はない。

 聡子は運転手を気の毒に思いながらも、家のドアを開けた。

「なに、これは?」

 家へ上がろうとした多佳美の足が止まった。美しい眉毛がひくひくと動き、目が細められる。

「なんでクリスマスパーティーの時のゴミがまだあるんですか!」

 後ろから覗き込んだ花月も非難の声を上げる。

「いやー、年末ってゴミ出しの日が普段と違うじゃない。出しそびれちゃって」

 聡子は頭をかきながら弁解するが、問題はそれだけではなかった。

 クリスマスパーティーの後、皆で片づけをし、掃除をして帰ったはずなのに、部屋は散らかりまくっていた。

「はぁ……」

 多佳美は深い溜息をついて回れ右をする。

「着物が汚れると困るし、帰るわ」

「お仕事頑張ってね」

 多佳美は梓の声に振袖の袖を振って応え、帰っていった。

「聡子さん!」

 花月がきっときつい視線を向ける。

「いくら私だって、お正月から人の部屋の掃除なんかしたくないんだけど」

「そ、そうだよね……」

 本気で腹を立てている花月に聡子はたじろいだ。

「私もこれはひどいと思います」

 聡子は三人から散々なじられ、最後には「今年は真面目に掃除をします」という書初めをさせられた。


 皆で協力して部屋を片付けた。なんだかんだいって一番働いたのは花月だった。

 綺麗になった部屋で、三人は炬燵に足をもぐらせたが、和だけはデスクでスケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。

「委員長もこっちにおいでよ」

「ごめん。あんまり寝てなくて、手を動かしていないと寝てしまいそうなんです。炬燵なんて入ったら一発で寝てしまうわ」

「そういえば昨日までコミケだったんだっけ」

 花月が思い出すと和は頷く。

「昨日の夕方には帰って来たんだけど、買ってきた新刊読むのにはまっちゃって。読んでたら新しいのが書きたくなるし、そのうえテレビではアニソン紅白とか華影劇場版の放送とかやってて、全然寝る暇がなかったの」

「凄いなー。コミケはどうだった?」

「おかげさまで完売しました」

「すごい、おめでとう」

 頭を下げる和に、三人から拍手が送られる。

「そういえば、ARIAの動画に使っている画の、イラスト集を出して欲しいって言われたの。たっかみーに出して良いか聞こうと思ってたんだけど、時間がなかったな」

「出したら良いじゃない。委員長の画なんだから」

 聡子の気楽な考えに、和は困った顔を見せる。

「でも、たっかみーに頼まれて描いたARIAの為の画だから。たっかみー、そういうとここだわりそうだし」

「そうだねー」

 花月は苦笑しながら同意した。

「紅白といえばさ、紅白のわこちゃん観た?すっごい良かったよねっ!」

「短い時間だけど目立ってたよね」

 花月が考えながら答えると「だよね」と梓は声を弾ませた。

 大晦日定番の長寿番組「紅白歌合戦」に「A Girl in Opera Grasses「が、そしてその歌い手であるリングが出演した。正式な出演者としてではなく、「ネットから生まれた歌たち」というミニコーナーの中での歌い手代表としての出演であり、歌った時間は一分にも満たなかったが、同じネット発信の歌い手としては快挙であり、先日まで同じ学校に通っていた知人がそんな場所に出演しているのは驚きである。

 わこの親友である梓は単純に喜んでいるが、リングをARIAのライバルとして見ている花月としては、手放しで喜べる話ではない。だから、少し話題を変える。

「野上さんは正月はこっちに帰ってこないの?」

「連絡取ってないから分からないよ」

 梓は笑って答える。

「東京で待ってるって言われたから、東京で会うまでは、私からは連絡はしないの」

「そっか……、もうすぐ会いに行くしね」

「うん」

 梓は力強く返事をする。

 そのためのチケットはすでに手の中にある。


 どうしても眠気が収まらない和が帰ると言うと、梓と花月もそれに続き、部屋は一気に静かになった。

 手持ち無沙汰になった聡子はしばらくネットの海をさまよってみたが気が乗らず、久しぶりにネットゲームにアクセスした。

『シュリンカー』という名のゲームは、中世ヨーロッパ風の世界でその住人をプレイするという、よくあるMMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)である。サービス開始から十年が経っており、この手のゲームとしては長い歴史がある。過去にはかなりの人気があったが、最近は少しプレイヤー人口が減ってきていた。

 聡子はニートを始めた最初の二年間はこのゲームの世界に入り浸っていた。昨年の四月、梓達が部屋を訪れるようになってから徐々にアクセスする回数が減り、この二ヶ月はほとんどアクセスしていなかった。

 ゲーム内では家や畑、店などを持つことができるが、一週間アクセスしていないと家は散らかり、畑は荒れ、店には人が寄り付かなくなる。短時間でも毎日アクセスすることが求められるのだ。

 二週間前にも一度アクセスしたのだが、自分の畑のあまりの荒れっぷりに何もする気が無くなり、すぐにログアウトした。

 しかし今日はいつもとは様子が違った。自分の畑が荒れているのは前回通りだが、町全体が寂れ、歩いているキャラクターの姿もほとんど見えない。

「何かあったの?」

 自分のキャラクター、黒髪の女剣士に町中を走らせていると、しばらくして知り合いのキャラクターを見つけた。鬼の面をつけた大柄な男は鬼面童子と名乗っており、このゲームが始まった時からプレイしているという古株であり、この町のギルドマスターでもある。

『ザーマさんお久しぶり。明けましておめでとう』

 ギルドマスターらしく、聡子のキャラクター、ザーマを見つけるとすぐに声をかけてきた。

『おめでとう』聡子はキーボードを叩いて返事をし、不思議に思っていたことを訊く。

『なんでこんなに人が少ないの?何かあった?』

『もしかして知らないのかい?このゲームは閉鎖されるんだよ』

「閉鎖って……」聡子は軽くショックを受ける。

『急な話だったし、色々と憶測は飛び交っているけど、公式な理由は明らかになっていない。今日から新しいゲームが開始されて、移住キャンペーンが開催されているから、みんなそっちに行ってるんだろうね』

 鬼の面が無表情に語る。

 その無表情ぶりに腹が立ってくる。引きこもっている時はそれが良かった。ゲーム内キャラクターの無表情な、もしくは作られた表情でのやり取りが心地よかった。しかし今、生の感情のぶつけあいをしている日常からゲームの世界に来ると、それが非常に物足りなく、もどかしく思えた。

『十五日が最終日だから、その時には皆アクセスすると思うよ』

『鬼面童子さんは』聡子はキーボードを叩く。『新しいゲームに移らないんですか?』

『僕はこの町のギルドマスターだからね。最後まで役目を果たさなくてはならない』

 しばらく間が開いた後、続きが表示される。

『それに、新しい場所の居心地がどうなるかも分からないし、そろそろ引き際かとも思っているんだ』

 新しいゲームに移っても、今までと同じプレイヤー達と一緒に行動すればある程度同じコミュニティーを作ることはできるだろう。しかしそれは全く同じではない。新しいゲームで始めるということは、十年続けていたプレイヤーもまだ一年しか経っていないプレイヤーも、同じスタートラインに立たされてしまうのだ。そうなればどうしても力関係は変わってしまう。

 ギルドマスターとして畏怖され、慕われてきた立場は失われてしまうだろう。

『ゲームを止めるんですか?』

 去年、聡子が一番はまっていた時は、寝る以外の時間はほぼアクセスしっぱなしであったが、鬼面童子もまた常にログイン状態であった。彼は聡子以上の廃ゲーマーのはずだった。聡子以上にゲームの世界に依存していたはずだ。

『最近ご無沙汰だったってことは、ザーマさんは止められたんだろ』

『止められたっていうか、忙しくて』

『理由はともあれ止められたんだ。なら、僕も止められる』

 その根拠が何も感じられないセリフに、聡子は胸が苦しくなった。それと同時に、自分がすでにゲームの世界を必要としていないことに気が付いた。

『そうですね』

 そう返事をするが、今はもう、鬼面童子との会話を一刻も早く辞めたい気分でいっぱいだった。

『じゃあ、今日はもう落ちます。十五日までにはまた来ますね』

『待ってるよ』

 鬼面童子はそう言って、大きな手を振る。

 聡子はログオフすると、衝動のままにアカウントを抹消した。

『本当に削除しますか?』という問いの下の『はい』を選択した後、リターンキーの上の指を、しばらくそのままキーの上に置いたままにした。天井を見上げると、ゆっくりと涙が頬を伝っていった。

 自分が一番辛かった時に支えてくれた、自分を守ってくれていた世界の終焉に、一人、涙を流した。

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