第22話 スプロケット
一月の半ば、授業が終わった後、聡子の部屋には、梓、花月、多佳美、和のいつものメンバーが集まり、コタツの上のパソコンの画面を見ていた。動画配信サイトごきげんビデオを通じた生放送「ごきビデライブ」にて記者会見の中継が始まるところであった。
画面の真ん中に設置された巨大モニターには「ごきげん大図鑑 闘ってみた!十番勝負!」と表示されており、それを挟むように左右に一つずつ長机が置かれている。
いつもの動画と同じように、右から左へ視聴者がつけたコメントが流れていく。
特に賑やかなドラムロールなどはなく、画面上を「会見が開始されます」という公式コメントが流れるだけで、会見が開始された。
『それではごきげん大図鑑 闘ってみた!十番勝負!音楽部門の対戦カードに関する発表、および会見を開始します。議事進行は私、二河が務めさせていただきます』
落ち着いた声の二河は若く、どこにでもいるプログラマーといった風体だが、ごきげんビデオを運営している会社の社長で、メディア露出もかなり多い、今注目されている若手のメディアクリエイターだ。
『すでに発表済みですが、ごきげんビデオの代表は瘡乃刃さんです』
サングラスをかけた黒づくめの瘡乃刃が登壇すると、開場にいる取材陣からの拍手はまばらであったが、画面上を流れるコメント数は一気に増えた。賞賛するもの、期待を込めるもの、応援するものが多く、瘡乃刃がごきげんビデオで人気があり、支持されていることが改めて分かる。
瘡乃刃は一礼した後に席につく。
『そして瘡乃刃さんと闘っていただくリアルワールドからの刺客はこの方になります。吉本修二さん』
今度は会場内で驚きの声が上がり拍手が沸き上がる。コメントも先ほどより多くつけられる。しかしその内容には「まさかの大物」「よく出てくれるな」「昔好きだった」とポジティブな内容がある一方、「だれ?」「懐かしい」「時代遅れ」「アイドルと不倫した人だっけ?」とネガティブな内容も多い。
ラフな格好の修二はカメラに向かってにこやかに手を振った後、席に座った。いつも通り、前髪に隠れて目は見えず、その本当の表情は読めない。
ネットの世界で人気を拡大させている動画配信サイト、ごきげんビデオであるが、普段そこで動画を配信している歌い手や作り手と、ネットの世界だけではなく実際に交流したいという視聴者の要望はサービスを開始した初期からあった。それを大々的に実現させた公式イベントが、『ごきげん大図鑑』である。年に一回開催されており、第三回が今度の三月に開催されることになっている。
その中で今年開催されるイベントの一つが「闘ってみた!十番勝負!」である。普段主にごきげんビデオで活動している発信者と、主にネット以外の世界(今回はリアルワールドと呼んでいる)で活躍している者が、同じジャンルで対決して優劣を競うという趣向である。
普段からごきげんビデオを楽しんでいる視聴者はどうしてもごきビデ贔屓であり、既存メディアを時代遅れとかコネまみれ、情報操作と馬鹿にする傾向がある。よって、倒されるべき相手となるリアルワールドの代表者はネームバリューが大きければ大きいほどイベントとしては盛り上がる。
その意味で、一時の絶頂期ほどの勢いはないが、今でも一線の音楽プロデューサーとして活躍しており、一般に広く名の知れた吉本修二は恰好の相手と言えた。
今回はお互いがプロデュースした歌い手がライブ演奏を行った後、ライブ会場の客と、視聴者からの投票数で決着をつけるというルールが二河から説明される。
『それでは早速、プロデュースする歌い手を発表していただきたいと思います。まずは瘡乃刃さんからよろしくお願いいたします』
画面上には一斉に「A Girl in Opera Glasses」、「AgOg」、「アグオグ」という語が大量に流れる。
視聴者の多くは、瘡乃刃自身も参加し、昨年はごきビデのランキング記録を次々と塗り替え、CDを発売し、紅白歌合戦にまで出場した人気急上昇中のユニットを予想していた。
瘡乃刃が手元のタブレットを操作すると、その内容が中央のモニターに表示される。
『A Girl in Opera Glasses』
予想通りの名前を二河が改めて紹介すると、メンバーが壇上に登場する。
「わこちゃん!」梓が弾んだ声で画面に向かって手を振る。
AgOgのボーカルであるリングこと、野上わこは、お辞儀をすると硬い表情のまま腰を下ろした。
画面上を流れるコメントには、AgOgの出場を喜び祝うものが目立つが、その数は多くはない。AgOgの出演は予想通りだったからだ。すでに視聴者の興味は吉本修二が誰を指名するかに移っていた。絶頂期時代のアイドル、アイドルグループ、地下アイドル、お笑い芸人、果ては演歌歌手まで、手がけている歌手が多い分、候補も多い。
『それでは吉本さん。「A Girl in Opera Glasses」と対戦する方をご紹介下さい』
『はい、分かりました』
修二は馬鹿丁寧な口調で答えて軽くお辞儀をすると、目の前のタブレットに向かう。人差し指をその上でしばらく迷わせた後、ポンと軽く叩いた。
モニターに「A」と表示される。
会場がざわめき、コメント欄にも疑念の声が流れる。誰も修二がプロデュースした歌手の中で「A」から始まる名をすぐには思い出せなかったからだ。
再び人差し指を泳がせている父親を見て、花月がちっと小さく舌打ちをする。
「吉本さんて、パソコンとか苦手だったっけ?」
「めちゃくちゃ得意です」聡子の問いに花月が苦々しく答える。
「わざとやってるんです」
修二は更に「R」を表示させた。
予想外の事態にコメント欄が荒れる中、修二は続けて、「I」と「A」を表示させると顔を上げ『運営の方も驚かせたかったので、今日は彼女を連れてきていません』としれっと言い、口元に笑みを浮かべた。
『ルール違反だ!』
司会より先に反応したのは瘡乃刃だった。立ち上がって修二を指さして抗議している。
『ARIAをプロデュースしたのはあんたじゃないだろう』
「まぁそうなるよね」
この展開は予想していたため、梓達は落ち着いて状況を見守る。
「なんて言うのかな?」
「きっとくだらないことだよ」
梓の問いに、花月はうんざりした表情でモニターの中の父親を見る。
『まず確認ですけど、ARIAというのは、ごきげんビデオで動画を配信して下さっているARIAさんですか?あやパー姉さんの歌を歌った』
落ち着いた二河の質問に修二は頷く。
『そうです。そして瘡乃刃君の指摘通り、確かに僕は彼女を直接はプロデュースしていません』
修二は堂々と瘡乃刃の主張を認める。しかし、困っているどころか、嬉しそうな楽しそうな表情を見せる。
『しかしARIAの全楽曲を作詞作曲している作り手、つまりはARIAをプロデュースしているともいえるフラワームーン。あれは私の実の子供なんです』
「それ言っちゃうのー」実の子供が頭を抱える。
『私は子供を大事に育てています。それはプロデューサーが歌い手を大事に育てるのと同じです。つまり、ある意味私は子供をプロデュースしたと言えるでしょう。その子供がプロデュースした歌い手は、すなわち間接的に私がプロデュースしたと言っても過言ではないと思っています』
「過言でしょ」娘はうんざりとつっこむ。
『詐欺だ、欺瞞だ、茶番だ、こんなことが認められて良いはずがない』
当然の権利として瘡乃刃が怒鳴り散らすが、修二は悠然とした態度を崩さない。
『君がそう言いたい気持ちは分かる。でも僕も勉強してきたんだ。それを決めるのは君でも僕でも、運営の方でもない。そうですよね?』
話を振られた二河は『うーん、どうしますかねー』と一旦は話を濁したが、すぐに『じゃあ、視聴者の皆さんに決めてもらいましょう』と決断した。
アンケートの実施を求めるコメントが画面を埋め尽くしたのだ。
視聴者は理にかなっているかどうかより、面白い方を選ぶ。修二はごきビデ視聴者の特性を見抜いていた。
『それではこれからアンケートを取ります。吉本修二さんがプロデュースする歌い手として、ARIAさんの参加を認めるか認めないか!YESかNO!よろしくお願いします』
パソコンの画面上に「YES」「NO」二つの文字が表示される。
「どうする?」
聡子は当事者が投票して良いものかどうかを聞いたのだが、梓はそんなことを気にしたりはしない。あっけらかんと答える。
「もちろんYESだよ!」
*
『こんにちはARIAです。皆さんのおかげでごきげん大図鑑に参加できることになりました。本当にありがとうございます。対決とかは良く分からないですけど、AgOgの皆さんと同じステージに立てるのはとても楽しみです。頑張りますので、ぜひ応援してください』
*
梓の突発的な思い付きでのLIVE放送を終えると、一同は撮影場所の庭先から部屋に戻った。
「みんなごめんね。バカ親父で」
改めて花月が頭を下げて謝る。本当にうんざりした、疲れた顔をしている。
「気にしないで花月ちゃん。そもそもはお姉ちゃんがパパさんに助けてもらったんだから」
「私っ?」
梓に言われて聡子は不満を訴える。そもそもは梓のために頑張っている中で困難にぶち当たり、修二に助けられたのだ。
「それに、これはビッグチャンスだよ!こんなに大きなステージに立てるんだから、感謝感謝だよ」
しかし梓は聡子の訴えはスルーして、大げさな身振り手振りを交えながら花月に感謝の気持ちを伝える。
「私はね、このステージに立ちたい!だから、またみんなにお願いします。私を、あのステージに立たせて」
「それは……」
全員が「もちろん」と頷く前に水を差したのは多佳美だった。
「野上さんがいるから?」
「それが全くないとは言わないよ」
少し思いつめた表情の多佳美とは裏腹に、梓は爛漫とした表情できっぱりと答える。
「でもね。それだけじゃないよ。私は、あのステージが凄いところだと思うの。とても高いところにある到達点だと思うの。私はそこに、みんなと一緒に辿り着きたい、そう思ってる」
多佳美は梓をじっと見据え、頷いた。
「分かったわ、一緒に行きましょう」
それを合図に、皆も一緒に行く気持ちを示した。
「じゃあプロデューサーさん、後はよろしく」
すっきりとした表情の多佳美が進行を振ると、花月はイヤそうな顔で頭の後ろをかきながらも引き受けた。
「プロデューサーになんかなった覚えはないんだけど。えーと、前にも言ったけど、パパは、お金もスタッフも好きに使ってくれて良いって言ってたんだけど、なにか使いたい人はいる?」
「まずは曲が決まらないと、何も決められないでしょう」
今までプロデューサー的役割を担ってきた多佳美が右手を小さく上げて指摘する。
「そうよねー。とりあえず一曲は、昨日録音が終わった新曲で良いと思うんだけど、もう一曲ぐらい作った方が良いかな」
「新しい曲よりも、みんなが知っている曲を使った方が良いんじゃないかな」と聡子が提案する。
「だったらあやパー姉さん?」
「はい!」
勢いよく手を上げた梓に皆の視線が集まる。
「やりたいことがあるの」
やる気満々の梓に、花月と多佳美は顔を見合わせる。これまで梓は何をやるかに関しては二人に任せきりだった。最近は少し口を出すようにもなってきていたが、このように積極的に自分の意見を出してくるのは珍しい。
「やりたいこと?」
少々の不安を抱きながら問い返す。
「うん」
*
一月の終わり、聡子と多佳美は東京へ向かう新幹線に乗りこんだ。聡子はごきげん大図鑑の運営と様々な契約関係を結ぶため、多佳美はステージを確認するためだった。
平日の昼間ではあるが、多香美は学校をさぼることに抵抗はなかった。座席に座ってすぐにノートパソコンを開いて、てきぱきと作業を開始しようとしている。
その様子を聡子がほほえましく見ていると、その視線に気が付いた多佳美が「何?」と訊いた。
「元気になったみたいね?」
言われて多佳美は美しい眉根をひそめる。
「最近、暗いっていうか、疲れているように見えたから」
「あぁ」
生返事をした後、聡子の方は見ずに続ける。
「ちょっとね、悩んでいたんだけど。昨日、委員長と話して、少し気が楽になったの」
多佳美はそう言って、少し遠い目をした。
*
昨日、聡子の部屋には多佳美と和の二人がいた。梓と花月は花月の家に楽曲の打ち合わせに行っており、聡子は二人に留守番を頼んで買い物に出かけていた。
デスクで落書きに励んでいた和は手を動かしたまま、コタツの前で固まっている多佳美に声をかける。
「休憩したら?」
多佳美はゆっくりと和の方を見る。
「できない時はできないって言うべきだっていうのがのが私の経験です」
「そうね」人気同人作家にそう返しながらも、多香美は休もうとはしない。
「手伝おうか?」再び和が訊ねる。
「ごめんなさい。まだ手伝ってもらうところまでできてないの」
和は手を止め、身体ごと多香美の方を向いた。
「たっかみーが気弱だと変な気分」
「気弱?」
多佳美はむっとした声を返す。
「いつもは自信満々じゃないですか」和は不機嫌そうな声には臆せずに言った。
「そう見せているだけよ」
「そうだと思ってた」
「なによっ!」
「敵は弱っている時に叩くのが常道です」
和の言葉に、多香美はきょとんとした顔を見せた後、苦笑する。
「……そうね」
多佳美は大きな溜息をついた後、両手を背中の後ろについて、天井を見上げた。長い黒髪がさらさらと流れる。上を向いて生え揃ったまつ毛で飾られたまぶたを一度閉じた後、ふっくらとした唇を動かす。
「プロのスタッフを好きに使って良いとか、業者にどんどん発注をかけて良いとか、ただの女子高生にはハードルが高いわ。私はお兄様を撮影するのが趣味だっただけで、動画編集も、ステージの演出もやったことがなかった、ただの素人なんだから」
「誰がただの女子高生なの」と和は笑った。
「ただの女子高生よ。父親が特別だってだけで」
多佳美がイヤそうに答えると、和は笑いながら違う違うと手を振る。
「ただの女子高生が、こんなに美しいわけないじゃない」
「で、でも、今の私はそれで何かをしているわけじゃないから。花月には歌を作る才能があるし、委員長には画を描く才能があるけど、その意味では私はただの女子高生よ。動画も頑張って勉強しているけど、あなた達みたいに才能があるわけじゃないわ」
「そうだね」
顔を紅潮させる多佳美に、和は微笑む。
「でもね、梓ちゃんが言ってるじゃない。好きにすれば良いって。プロのスタッフに任せればいいのよ。プロなんだから、望みどおりのステージを作ってくれるよ」
「勝つためならそれが正しいのかもしれない。でもそれは、梓が望むことなのかしら」
「梓ちゃんはやりたいことをやってるよ。私も人のことは言えないけど、梓ちゃんは別格だよね。だから、たっかみーも好きなことをやれば良いんだよ」
「私のやりたいこと……」
多佳美は少し考えて、問い返す。
「あなたの将来は漫画家?」
「いきなり未来の話?うーん、今のところそのつもりはないです」
和は椅子に腰かけたまま、パタパタと両足を動かす。
「アニメーターやイラストレーター?」
「画は仕事にしないつもりです。同人活動は続けると思うけど」
和のきっぱりとした答えに、多香美は意外そうな顔をする。
「他にやりたいことがあるの?」
「うーん、やりたいことじゃないんだけど……」
和はパタパタと動かしている自分の足を見る。
「やっぱり秘密」
多佳美は座りなおして、髪をかきあげる。
「あなたって、自分のことはあまり話さないわよね」
それは不快感を示しているのではなく、確認だった。
「言葉じゃなくて、画で語るタイプだから」
メガネの奥で隠れて笑いながら答える。
「そういうところが嫌いだわ」
「そうはっきり言ってくれるたっかみーは嫌いじゃないよ」
和はスケッチブックに向かい、手を動かし始めた。
しばらくすると、キーボードを叩く音が聞こえ始めた。
*
「委員長に、好きにすれば良いって言われたの」
そう説明された聡子が軽い気持ちで言い返す。
「いつも好きにやってるじゃない」
多香美は心底がっかりしたという表情を向けてくる。
「本気で言っているの?委員長はちゃんと見抜いてくれていたのに。そんなことも分からないからいつまでもニートやっているのね」
「ぐぬぬぬぬ」
最近元気がなかったのを少し気にしてあげていたというのに、元気を取り戻したと思ったらすぐに人の痛いところを平気でついてくる。聡子が本気で悔しがっていると、多香美は仕方ないな、という表情で明るい感じで口を開いた。
「私が愛人の娘だっていうのは知っているわよね?愛人の娘が本家で生きていくっていうのは、ある程度好き勝手やって見せなきゃいけないってことなの」
「ん、ああ……」
返事に困りながらも、ああそうだ、と聡子は思い出す。
「あなた、お母さんを亡くしているのよね」
今までずっと聞きたいと思っていたこと、でもずっと聞けなかったこと。それが今なら聞ける気がした。今を逃せばずっと聞けない気がした。だから意を決して続ける。
「聞きたいことがあるんだけど。答えたくないならそう言って」
多佳美が眼だけで先を促してきたので、聡子は覚悟を決めて訊ねる。
「お母さんを亡くして、大事な人を失って、どうやって立ち直ったの?」
「……机の上の写真立ての女の人のことかしら」
多佳美はさらりと質問を返してきた。
「……知ってたの?」
「亡くなっているのは知らなかったけど、あんなあからさまに伏せて置かれていたら、誰だって気になるわ」
聡子のデスクの上には伏せて置かれた写真立てがある。そこには、聡子と弥生が並んで映った写真が飾られている。多香美の口ぶりから、あの部屋に出入りしている女子高生達は皆、すでにあの写真を見ているであろうことが分かった。そして見たうえで、誰も何も訊ねてこなかったのだ。
「……大事な人だったの。二年前に交通事故で、ね」
亡くなった、とは口にできなかった。
「なるほど。それからニート生活が始まり、未だに抜け出せないということね」
多佳美はすらすらと推理をする。
「ええ……。彼女を亡くしてから、何もやる気が無くなったの。何もかもが空虚になった。なんで自分が生きているのか分からなくなった。だからと言って自殺する気にもなれない。あっという間に二年が経っていた。梓やあなた達に会ってからは少し変わったけど、私は二年、三年経った今も、立ち直れていないの」
「立ち直るも何も、私には落ち込んでいる余裕がなかっただけよ」
多佳美は聡子の気持ちを受け止めたりはせず、自分の話を始める。
「私は母さんの親類縁者と会ったことはないわ。絶縁していたのか、そもそもいないのか。父さんに囲われてからは人にもあまり会っていなかったみたい。お葬式に来てくれた人はほとんどいなくて、寂しいものだったわ。つまり、私は母さんが亡くなって天涯孤独の身になったの」
多佳美は両手を握り合わせて斜め上を見上げ、かわいそうな少女の演技をする。
「というのは大げさ。もちろん、父さんが色々と手を回そうとしてくれていたからあまり心配はしていなかった。でも、その父さんよりも先手を打った人がいたの。それが正妻の早苗さん。早苗さんが私を引き取ると申し出たの。もちろん、誰も反対できなかったわ」
多佳美は盛大な苦笑を見せる。
「分かる?正妻に育てられる愛人の娘の気持ちが」
答えられない聡子に、いつもよりテンション高めに多佳美は続ける。
「とか言ってみたりして。早苗さんが何を考えているのか分からないけど、ちゃんと育ててくれているわ。離れに住むって我儘も許してくれているし。もちろん面倒ごとは色々とあるけど、それは母さんと二人で暮らしている時も一緒だったし。それでも最初は自分が置かれている状況についていけなかったから、落ち込んでいる余裕なんかなかったの。今のその状況で生きるのに必死だった。学校にも行けていなかったし、義兄を追いかけまわして撮影するなんて奇行にも走った」
「奇行だって自覚はあったのね」
「今になって思えば、よ」
「そう。でも、私とは状況が違いすぎるわね」
「そんなことない」
多佳美はぴしゃりと否定する。
「大切な人を亡くしたという意味では同じよ」
多佳美は聡子にそのことをはっきりと思い出させてくれた。その上で、自分も同じ立場に立っているのだということを言ってくれた。
「聡子が本当に立ち直る必要があるのかどうかも分からないから、私はそれを手伝ったりはしないわ。一つ言えることがあるとすれば、好きなことをやれば良いのよ」
「委員長に言われたから?」
多佳美は嬉しそうに首を振った。
「そもそもは梓の言葉よ」
「梓か。あの子は凄いわね」
聡子は従妹の顔を思い浮かべる。いつも能天気な笑顔を見せ、何を考えているのかよく分からないが、こうして友達を救って見せている。バラバラだった友達の力を結集して、驚くほどの早さで歌い手としての人気を高めていった。
先日公開した新曲は、デイリーランキングで三日連続首位の座にいる。
そして聡子も、閉じこもっていた時間から追い出され、今も梓のために東京へ向かっている。
「スプロケットって知ってる?」
想いを馳せていた聡子に、多香美が不意にそんな単語をぶつけてきた。
「知らないわ」
不思議な響きのする言葉だと思った。
「八ミリカメラについて調べていて知ったんだけど、昔はフィルムを使っていたでしょう。撮影したフィルムを見る時は、フィルムを回転させて、そのフィルムに光を当てて映し出すんだけど、映写機のモーターの軸の先についていて、フィルムを回転させる役割をしている部品を、スプロケットって言うらしいの」
「ふーん」
「それを知って、私達はスプロケットだなって思ったの。梓っていう凄い情熱を持った強力なモーターが回っていて、私達はそれをフィルムに伝えて、作品にしてみんなに見てもらう。梓の気持ちをみんなに伝えていく部品。それが今の花月や、委員長や、私」
多佳美は真面目な顔を聡子に向ける
「そして、今はそれが、私のやりたいことなの」
ああそうか、と聡子は気が付く。
多佳美は自分の進む道を見つけたのだ。悩まずに進むことができる道を。だからこんなに晴れやかな顔をし、強い心が持てるのだ。
私の道はどこかにあるのだろうか?
そんな気持ちを乗せながら、新幹線は東京への線路を走った。
*
三月最初の土曜日の早朝。
まだ始発の新幹線も来ていない時間。暗い空を、身を切るような寒風が吹いている。
駅前に梓が腕組みをして仁王立ちしていた。腰までの長さの厚手のコート、ミニスカートから伸びる足は機能性タイツでばっちりと保護してショートブーツでしめる。長いマフラーを風にはためかせながら、じっとロータリーを見つめている。
なお、車で送ってくれた父親は、駅の中で暖を取りながらそんな娘を遠くから見つめている。
黒塗りのリムジンが止まり、風で暴れる黒髪を面倒くさそうに押さえながら多香美が降りてくる。
「おはようたっかみー」
「おはよう梓」
「おはようございます」
「わっ」梓はいつの間にか横に立っていた父親にびっくりした。
「奥多佳美さんですよね。いつも娘がお世話になっています。梓の父です」
「そんな、私の方こそお世話になってばかりです。初めまして、お会いできて嬉しいです」
腰の低い梓の父親に多佳美は慌てることなく、営業用の声で対応する。
「梓は変わっているところがあるのでご迷惑をおかけしていないかと心配で心配で」
大財閥の娘に小市民っぷりを発揮している父親に梓が呆れているところに、銀色の大型SUVが止まり、花月と和と桐子が降りてきた。
父親がそちらに向かったため、空いた多佳美に梓がすっと近寄る。
「なんかごめんね」
「いいえ。お父様にはいつかご挨拶に行きたいと思っていたから、ちょうど良かったわ」
「だったら良かった」
言いながらちらりと駅の時計に目を向ける。新幹線の出発まで後一五分、そろそろ移動しなくてはならない。
「おい、まだ行かないのか?」
一通りの挨拶を終えた父親が声をかけてくる。
「お姉ちゃんがまだ来てないよ」
「聡子か。あいかわらず仕方ない奴だな。中で待てば良いだろう、皆さんを風邪ひかせてもいけないし」
「ううん。ここで待ってる」
梓はきっぱりと言う。
他のメンバーも同じ気持ちであることを察して、居心地の悪くなった父親は「じゃあ、俺は中に行ってるから」と退散していった。
ほどなくして、ライトをつけたタクシーがロータリーに入ってくる。止まると、聡子が転がり出てきた。
「お姉ちゃん、遅い!」
梓は笑いながら一喝する。
「ごめんごめん。出がけにスマホの電池が切れちゃって。充電バッテリーもからっからで焦ったよ」
聡子らしい言い訳に、花月達は苦笑し、からかいの声を浴びせる。
本当はもう一人、この二ヶ月、今まで以上に激しいダンスレッスンに付き合ってくれた蘭華も一緒に行きたかったのだが、、別のダンスの大会があるために今回は不参加になった。
梓がくるっと振り返った。
駅の方をじっと見、そして一言告げた。
「行こう」
まだ暗い空の下、先頭の梓に従って、少女達は駅に向かって走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます