第20.5話 美章園正知子のグルーミーデイズ#10
有村梓が東京のアイドルイベントに出演し、それがごきげんビデオで生中継されると聞いた時に「皆で一緒に見て応援しようよ」と言い出したのは高鷺宇美だった。
クラスメイトの反応は大きく二つに分かれた。すぐに賛成の意を表した者と、その日は用事があるなどと欠席を申し出たりそれを匂わせたりした者だ。
十二月二十三日という日にちを考えれば、後者は彼氏とクリスマスデートである可能性が十分に高い。
逆に言えば前者はその可能性がないということである。彼女達の名誉のために付け加えれば、少なくとも二十三日にはデートの予定が入っていないということだ。
だから高鷺宇美に「正知子は来るわよね」と予定がないのが当たり前のような誘われ方をされたのは少し釈然としなかった。しかし予想された通り予定が入っていなかった私は「確認するからちょっと待ってくれる?」などという見栄を張ることもなく、「良いわよ」と応じた。
亡くなった姉はイベントが好きだった。クリスマスになれば一人ではしゃいで、準備をして、家族を盛り上げてくれた。
いつもは姉のことなど忘れているように見える両親も、イベントが近づくとその時のことを思い出すようで、家の中が辛気臭く、いたたまれなくなるのだ。
残念ながら私にはその空気を明るく変える力はない。そうであれば、クラスメイト達と一緒に過ごした方が気が楽だと思えた。
*
当日はカラオケボックスのパーティールームを借りた。集まったのは十六人、クラスの二分の一弱であった。彼氏とデートがなくても、家族と用事があったり、クラブ活動があったり、そもそも有村梓に興味がなかったりする者もいるだろうから、けっこう集まったのだと思う。
食べ物は持ち込み自由なので、部屋に入るなり買い込んできたお菓子やチキンをテーブルの上に並べる。高鷺宇美は持ってきたノートパソコンをカラオケのモニターと繋ぎ、ごきげんビデオのライブ配信を流し始めた。
会場の様子が映ると一斉に「いえーい」と盛り上がったが、画面に映ったのは全く知らない女の子だった。
有村梓が参加しているイベントは全部で六時間もあり、彼女の出演は約二時間後の予定だった。しばらくはそのままライブ配信画像を見ていたのだが、ほとんど見たことがないアイドルや歌い手達ばかり出てくることに不満の声が上がり、出番になるまではカラオケをすることになった。
カラオケ大会は大いに盛り上がった。誰か一人が歌っているのをおとなしく聞くなどということは全くなかった。皆で歌い、踊り、叫んだ。いっぱい買ってきたはずの食べ物はあっという間になくなってしまい、じゃんけんで負けた食料調達隊が二度派遣された。
「シークワーサージュース頼んだの誰?」
「はーい」
私は普段あまり大きな声を出したりもしないし、はしゃいだりもしない。でも今日は自分でも信じられないぐらい楽しく騒ぎまくって非常に喉が渇いていた。だから、渡されたシークワーサージュースを勢いよく飲んだ。味が少し違うことにはすぐに気が付いたが、その時には結構な量を飲んでしまっていた。
「なんか、変な味がする」呟いてべーと舌を出していると、隣に座っていた長居悠理にグラスを取られた。長居悠理は一口飲むと口の周りをぺろりと舐めて頷いた。
「お酒が入ってるね」
「え?お酒?」
真面目ぶるわけではないが、私は今までお酒を飲んだことがなかった。あんまり美味しくなかった、というのが最初の感想だった。大人はこんなものを好き好んで飲んでいるのか。なんだか熱っぽくなってきた気がするけど、これはお酒のせいじゃなくて、騒ぎすぎたせいだよね?
「皆さん。美章園さんがお酒を飲んでしまいました」
長居悠理がニコニコ笑いながら皆に恐ろしいことを広めている。
「なにー、お酒ですって!けしからーん!」高鷺宇美が叫んでいる。
「未成年のくせにお酒を飲むような奴には罰ゲームだ!」
「じゃあ、罰として飲み干してもらいましょう」長居悠理がニコニコと笑いながら提案すると、全会一致で賛成される。以前から思っていたが、外見とは裏腹に怖い女だ。
頭の片隅ではそう思いつつも、周りの雰囲気に呑み込まれた私は長居悠理からグラスを奪い返し、残っていた中身を一気に飲み干した。
一気飲みに盛り上がったのもつかの間、誰かが有村梓の出演時間が迫っていることに気が付いたため、皆の興味はそちらに移ってしまった。
「飲み損?」
呟きながら椅子に倒れ込む。長居悠理も笑いながら前方に行ってしまい、私の周りには人がいなくなってしまった。
「姫様到着~」
高鷺宇美の言葉にどよめきが起こる。ぼんやりとドアの方に目を向けると奥多佳美が息せき切って入ってきたところだった。彼女がクラスメイトの集まりに出てくることは珍しい。知る限りは初めてだ。思わぬ来客に、歓声と拍手が贈られている。
「梓は?」
「進行が遅れてて、後十五分ぐらいみたいだよ」
「そう、間に合って良かったわ。コーラをお願い。それから、遅れてきたお詫びに皆に一杯ずつご馳走するわ」
嫌味になりそうなセリフだが、奥多佳美はごく当然のように言って見せ、皆もそれを自然に受け入れて何を注文するかを口々に囀っている。さすがは裏で「姫様」と呼ばれているだけのことはある。
奥多佳美はクラスメイト達の間を起用にすり抜けて空白地帯となっている私の近くに寄ってくる。白のトレンチコートを脱ぐと、中は緑が輝く膝下までの長さのワンピースドレスだった。
優雅に隣に腰を下ろすと、クンクンと匂いを嗅いで怪訝な顔をする。
「お酒を飲んでいるの?」
「間違って持ってこられらのよ」自分でも驚いたがなんと呂律が回っていない。
「そう。皆で飲んでいるってわけじゃないのね」
ほっとした表情を見せた後、視線をモニターに移しながら結い上げていた髪を下ろす。
その美しい横顔の持ち主は謎が多い。同じ中学校出身の子の話では中学二年終わり頃に東京から転校してきたらしいが、学校にはほとんど来ず、誰もその詳しい素性を知らないそうだ。高校にも最初の一ヶ月は登校してこなかった。それがゴールデンウィークの前日に突然有村梓と共に現れ、ゴールデンウィーク後も通ってくるようになったのだ。
通うようになったとは言っても、授業をさぼることは多いし、出席しても寝て過ごしていることが多い。送り迎えは大きなリムジンである。有村梓とその仲間達には話しているようだが、相変わらずその素性を知る者はいない。
「一緒に行かなかったの?」
素朴な疑問をぶつけてみる。今度はきちんと呂律が回った。
「ええ。どうしても外せない用事があって」
奥多佳美は細い指で髪を梳きながら答えた。
「有村さんより大事な用事があるのんだね?」
怒られるかと思ったが、ちらりとこちらを見られただけだった。
「大好きな有村さんでしょ」酔っているせいだろうか。しつこく続けてしまう。
「どう思われていても良いけど、」
その口調には棘があった。奥多佳美は少し言葉を飲み込んだ後、いつもの淡々とした口調に戻して続けた。
「梓が私にとって大事な人であることは間違いないわ。でも、いつも一緒にいることがそれを表すわけではないし、離れていても、離れているからこそできることもあるわ。……それに、梓が私をどう思っているかは別の話だしね」
それは私に話しているというより、自分に言い聞かせているように聞こえた。
「梓はもう私の助けなんか必要としていないだろうし」
私は落ち着いて見せている奥多佳美の横顔をじっと見る。
私は有村梓と野上わこの間に何かがあることを他の人よりは少し多く知っている。勿論そのレベルのことは奥多佳美だって知っているだろう。いつまで経っても、いつまで待っても、自分が野上わこがいた場所に辿りつけないのをわかっているだろう。それ以上の存在になれないことは気が付いているだろう。
「でも、奥さんにはまだ必要なんでしょ」
奥多佳美は首を回して私を見た。初めて彼女が私を見たような気がした。
「だったらそれでいいじゃない」
綺麗なピンク色の唇で彩られた形の良い唇が何かを発しようとした時、高鷺宇美の賑やかな声が届いてきた。
「梓ちゃんが出るよー」
クラスメイト達は一層の盛り上がりを見せ、奥多佳美は私のことなど忘れたかのように飛び出していった。
モニターの前には人だかりができていて何にも見えない。
しかし立ち上がる気力が沸いてこなかったので、せいぜい一生懸命拍手をした。
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