第18.5話 美章園正知子のグルーミーデイズ#9

 放課後、校舎の屋上で高い空を見ていた私は秋風に身体を振るわせた。

 暑い夏は去り、寒い冬がやってくる。明日からはマフラーが必要かもしれない。でも、最近はそう思ってマフラーを付けてくると急に暑くなったりするから注意が必要だ。帰ったら天気予報の気温を注意深く確認しなければならない。

 屋上へ通じる扉の鍵を閉め、階段を下りる。

 廊下を歩いていると、前方から美少女が歩いてきた。整った白い顔立ちに気の強そうな双眸、長い黒髪はポニーテールにしている。すらっとした長身だが胸とお尻はしっかりと大きい。

 完璧な風貌に加えて、最近は歌も上手になってきた。

 うらやましいものだ。

 動画投稿サイト「ごきげんビデオ」で人気ナンバーワンの歌い手、リングこと野上わこが、なんと私に声をかけてきた。

「ごめんなさい。あなた、一年A組よね?」

 以前名乗ったこともあるのだが忘れられているらしい。しかしそれも仕方がない。華々しい人生を送る彼女とは違い、私はこれと言った特徴のない風貌で、平々凡々とした人生を送っている生徒Aに過ぎないのだから。

 名前を覚えてもらっていないことを嘆くよりも、クラスを覚えてもらっていることを僥倖と受け止めた方が良いだろう。やったー!

「ええ、そうだけど」

 喜びを感じさせないように、落ち着いて答える。

「急にこんなことをお願いして申し訳ないんだけど、伝言をお願いしたいの」

「伝言?」

 なにやら古風なことを頼まれた。

「そんなの、スマホで連絡すればいいじゃない」

「そうなんだけど、電波が悪いみたいで繋がらないのよ」

 美少女が首を傾げる。

「そうなんだ」と言いつつ、ポケットの中のスマホを取り出そうとした手を止めた。

 もし、電波の状態が戻っていれば、野上わこは自分のスマホで連絡してしまうだろう。そうなったら、私は伝言の内容を知ることができなくなってしまう。

「多分、今日中には伝えられないけどそれで良いの?」

 しかも今日は金曜日。土日を挟むから、伝えられるのは月曜日になってしまう。その間ずっと電波が悪いなんてことはないだろう。

「相手が誰だか分かっているの?」

 苦笑してみせるが、そんなこと分かっているのは当たり前だ。私が一年A組だと覚えていたのも、彼女が一年A組にいるからだと最初から承知している。

「有村さんでしょ。それで、なんて伝えるの?」

 中学時代は親友だった二人が、高校入学後に疎遠になったことは風の噂で聞いていた。有村梓はそれをきっかけに歌い手を目指したらしいことも。そして、文化祭をきっかけに仲を取り戻し始めたのも知っている。そんな二人の青春ごっこにちんたら付き合う気はない。しかしそんな二人の伝言の内容は聞いてみたい。

 野上わこは一度ぎゅっと口を閉じた後、こう告げた。

「私、転校するの」

「えっ?」

 思わず聞き返してしまった。しまったと思ったが、興味が打ち勝った。

「どうして?」

「CDデビューをすることが決まったの。それで、本格的に音楽活動をするなら、やっぱり東京にいる方が便利だってことになって」

「そうなんだ……」

 ドラマや小説の中で聞くようなお話だ。

「それで、今から帰ってすぐに出発するの」

「……急なのね」

「そうね、私も戸惑っているところ」

 少し困っている顔を見せる。しかしその目には強い光があり、迷ってはいないと思えた。その表情を見られただけでも役得と考えて良いだろう。

「分かった。会ったら伝えておくわ」

 他にも色々と聞いてみたいことはあったが、そこは我慢をした。

「ありがとう。お願いするわね、ええっと……」

「美章園正知子よ。頑張ってね」

「ありがとう美章園さん」

 野上わこは微笑んでから、去って行った。



 ほどなくして有村梓に出会ってしまった事実には、運命よりも、二人の関係の面倒くささを感じてしまった。



 有村梓が走り去り、少し疲れを感じているところに今度は高鷺宇美が走ってきた。

「梓ちゃんを見なかった?」

 また有村梓か!

「さっき帰ったわ」

「連絡がついたのかな?良かった」

 高鷺宇美はぜいぜいと息を切らしながら説明する。

「花月ちゃん達が待ってるって言ってたって伝えたんだけど、その伝言を頼まれたのは昨日で、今日はもう帰っちゃってることに気が付いたの。梓ちゃんは三人を探しに行っちゃったから、間違いだったって教えなきゃいけないと思って。あーん、許してくれるかな」

「大丈夫でしょ」

 有村梓は良い意味でも悪い意味でも、そんなことに固執したりはしない。それに今、彼女の頭の中は野上わこでいっぱいのはずだ。

「うう、だと良いけど……。っていうか正知子ちゃん。良いところで会った!」

 落ち込んでいたところから一転、顔を上げると笑いながら腕を絡ませて来る。こういう切り替えの早いところが有村梓に似ていて、少しイラっとする。

「演劇部に頼まれて新しい脚本を書いているんだけど、ちょっと読んでみて」

「なんで私が……」

 言っている間にもぐいぐいと腕を引っ張られる。

「だって正知子ちゃんの指摘は適格だし、言葉選びとかもセンスあるんだもん。戯曲を読んでいるだけのことはあるよね。ね、お願い」

 なんだか最近トラブルに巻き込まれる体質になってきた気がする。と思いつつも逆らわなかったのは、先ほどの野上わこの強い意思を見たからかもしれない。

「分かったから引っ張らないで。でも私、最近はもう戯曲は読んでないわよ」

「そうなの。何読んでるの?」

「詩集」

「おお、ポエマー」

「読んでいるだけです」

 引っ張られながら窓の外の赤い空を見る。

 きっとあの二人は今頃ちゃんと会っているんだろうな、と思った。

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