第16話 いっしょ

「会長、聞きましたか?」

 生徒会室に慌ただしく入ってきた東村流星に、窓の外を見ていた光陣はるかは椅子ごと振り返った。

『さきほど連絡をもらったわ』

「そうですか。残念ですね。野上さんが文化祭で歌う許可をプロデューサーの方からもらえなかったって」

 その言葉に、室内で作業していた生徒会役員達がざわめく。

「何か手を打ちますか?」

『彼女とプロデューサーの問題よ。私達がどうこう言える問題ではないでしょう』

「そうですけど、あんなに文化大勲章を取るのを楽しみにしていたじゃないですか。このまま何もしないんですか?」

『もちろん、やり様は考えています』

 はるかはすくっと立ち上がる。

『しかし、結局は野上さんがどうしたいのかが大切よ。そして有村さん達の気持ち、彼女達がこれを聞いてどう動くのか。生徒会長として、今言えるのはこれだけよ』

「至急、有村さん達がまだ校内にいるのか確認してきて」

 流星から指示された役員が部屋から飛び出していく。

 はるかはチョーカーにつけられたスイッチを押す。はるかの声は特殊な周波数のため、常人はそれを聞き取ることはできないが、チョーカーに備えられたスピーカーによって聞き取れる音に変換することができる。

『皆さん、状況は理解わかっているわね?歌い手コンテストは生徒会主催だけれど、どうしても歌い手さんの都合に左右されてしまいます。出演に関しては私と副会長で対応するので、皆さんは今まで通り作業を続けて下さい』

「分かりました」

 一糸乱れぬ揃った声が返ってくる。生徒会の結束は固い。

「有村さん達を発見。校門に向かっていると思われるとのことです」

 先ほど出て行った役員からの連絡が入る。

「足止めさせて。行ってきます」

 流星が慌ただしく部屋から出ていくのを見送ると、はるかは腰を下ろし、パソコンのキーを叩き始めた。


       *


「最近おせっかいな人が多いわね」

「そう?残暑が厳しいからかしら」

 呆れた顔のわこに多佳美は嘯いた。

 場所は住宅地、野上わこの家の近く。日はかなり傾いてきており、夏の暑さも和らいでいる。

 今日はあやめ池パークとの打ち合わせの日だったが、途中で流星からわこの話を聞き、多佳美だけがわこの元へ向かったのだ。

「それにこれはおせっかいではないわ。私が好きでやっているだけよ。そもそも、私はあなたがどうなろうと興味ないもの」

「……首尾は聞いたんでしょう?それで、私に興味のないあなたは何をしてくれるの?」

 わこは挑発的な態度を取る。

「何もしてあげないわ。ただ、あなたがどうしたいのかを確かめたかっただけよ。瘡乃刃から歌ってはいけないと言われて、はい分かりましたと、それに従うの」

「コンテスト自体、最初から出たかったわけじゃないわ。あの時は、梓の勢いに乗ってしまっただけで、ご当地歌い手の称号なんか興味ないから」

「そうでしょうね。でも今回のステージから降りたら、梓と同じステージに立つことはもうないかもしれないわよ」

 わこは一瞬綺麗な顔の眉間に強いしわを寄せた後、嘲笑って見せた。

「それこそおせっかいじゃない」

「あなたのためじゃないわ。梓のためよ」

「梓のために、私にステージに上がれってこと?」

「そうよ。そのために私にできることがあればなんでもやるわ」

 多佳美は堂々と、凛と言い張った。わこはその迫力に気圧されて、口を二三度開け閉めした後、深い息を吐いた。

「それで、あなたは梓のために私に何ができるの?」

「リングっぽい衣装と化粧、リングっぽい舞台演出を用意するわ。あなたは野上わことしてステージに立てば良い。曲は、あなたが希望するものを用意するわ」

「リングじゃないのにリングの恰好だけしてステージに立つって……。ステージに立つって、そんな単純なことじゃないのよ」

「野上わこならできるわよ。悔しいけど」

「全く……」

わこは再び息を深く吐き、多佳美を正面から見据えた。ゆっくりと考えた後、口を開く。

「奥多佳美さん。私の友達になってくれる?」

「必要なら喜んで」

 多佳美は真面目な顔のまま即答した。

「分かった。私は野上わことしてステージに立つわ。衣装や演出はお願いする。曲は、少し考えさせて」

「構わないわ」

「それじゃよろしくね。バイバイ多佳美」

 友達っぽく軽く手を振りながら横を通り過ぎようとするわこを、多佳美が呼び止める。

「友達なら、私のことは「たっかみー」と呼びなさい」

「なにそれ。ハードル高いわね」

 わこは顔を顰めながら、もう一度手を振った。


       *


 多佳美が金星を上げていた頃、梓は大失態を犯していた。

「あなたがついていながら何をしているのよ」

 多佳美は梓ではなく、花月を責めた。

「だって梓ちゃんがOKしちゃったんだもん。仕方がないじゃない。たっかみーなら止められたって言うの?」

 花月は唇をとがらせて反論する。

「止めたわよ」

「まぁまぁ二人とも落ち着いてよ」

 梓が花月と多佳美の間に入ると「あんたが言うな!」という気持ちを抑え込んで二人は黙る。

 昨日のあやめ池パークとの打ち合わせにおいて、文化祭と同日だったために一度は辞退したあやパー姉さんイベントステージへの参加を、パーク側が再度要請してきた。

 梓はそれをあっさりと了承してしまったのだ。

「出番は昼頃って言ってたから間に合うよ。ちゃんと検索したんだよ」

 梓は得意げにスマートフォンの検索結果を見せてくる。

 クラスの劇は体育館ステージの最後から三番目、生徒会によるご当地歌い手コンテストはラストなので、うまくいけば確かに間に合うかもしれない。

「ギリギリじゃない」

 渋い顔をしながらスマートフォンを見た多佳美はきつい声で指摘する。到着予定時間は劇が始まる五分前だった。出番は劇の最後であるが、衣装替え等を急いで行わなければならなくなる。

「でも間に合うよ」

「間に合えば良いというもんじゃないでしょ。準備とか色々あるんだから」

「でも、あやパー姉さんのイベントに来る人も、歌が流れるだけよりも、ARIAが歌った方が嬉しいと思うよ」

「それはそうだけど……」

 その時、スマートフォンを操作し続けていた多佳美はあることに気が付いた。

「この検索結果、徒歩のところが全力疾走することになってるんだけど」

「本当に?」

 梓に続いて、花月と比与森和も画面をのぞき込む。

 検索アプリは徒歩の速度を「ゆっくり」、「ふつう」、「速足」、「全力疾走」から選べるようになっており、梓は「全力疾走」で検索していた。「ふつう」で検索しなおすと、交通機関の接続の問題もあり、劇には間に合わず、コンテスト開始一分前に到着する結果となった。

 ちなみに梓はどちらかといえば足は遅い。

「どうしよう?」

「断るしかないんじゃないかしら」

「ごめん。私達も検索してみれば良かったね」

「待って」

 落胆しながらあやめ池パークに出演断りの連絡をしようとする三人を、さらに検索を続けていた多佳美が止めた。

「車で移動すれば、劇が始まる三十分前には学校に戻って来られるわ。うちの車を使いなさい」

「ありがとうたっかみー」

 梓は多佳美に抱き着く。

「ちょっと、危ないから止めて。梓は熱いんだから。それと、パークには時間を前倒しできないか確認するのよ」

 梓に抱き着かれてバタバタと暴れる多佳美を、花月と和は「梓に甘いんだから」という視線で見ていた。


       *


 文化祭が近づくにつれ、校内は日に日に慌ただしさを増していく。一年A組の教室でも、放課後は高鷺宇美総監督の元、劇の練習が熱を帯びていた。

「お疲れさま」

 練習の合間、梓は汗びっしょりの蘭華にペットボトルを差し出した。

「あ、ごっそさーん」

「なに?ごっそさーんて?」梓は笑いながら訊く。

「今、ダンススクールで流行ってんの。ごっそさーん、ごっそさーんて」

「あはははは。劇、形になってきたね。蘭華ちゃんもかっこ良かったよ」

「ごっそさーん。でも大変だよ。ただでさえ十一人を相手にして大変なのに、宇美がどんどんアクションを追加するんだもん」

 蘭華は「十一人の白雪姫と七人の小人」で継母である魔女を演じており、十一人の白雪姫との大立ち回りは劇の見せ場の一つだ。蘭華も口では文句を言っているが、表情は楽し気であり、やりがいを感じている。

「梓は何やってるの?主題歌を歌うんでしょ」

「ただいま花月ちゃんが絶賛作成中だから、私はクラスのお手伝いをしてるの」

「まだできてないの?大丈夫?」

「大丈夫だよ。花月ちゃんだし」

 梓が笑顔で答えたところで、宇美監督からの練習再開の声がかかった。

「全然休めてないんですけどー。しょうがないな、行ってくる」

「うん、頑張ってね。みんな頑張って」

「絶対に大文化勲章取るんだから、気合い入れていくわよ!」

 宇美の気合いに皆が「おーう」と力強く答えた。


       *


「会長。コンテストのポスターができたので確認して下さい」

 文化祭の運営は文化祭実行委員会で行われるが、生徒会はその支援を行わないといけないし、それ以外の雑用も山のようにある。その上、今年は生徒会長のはるかが生徒会独自のイベントを立ち上げてしまったので、生徒会は例年にない忙しさであった。

 副会長の流星が机の上に広げたポスターには、ARIA、リング、3Bの姿がシルエットで描かれ、阿倍野市ご当地歌い手コンテストの文字が太字で踊っている。

 はるかはその横の、少し小さ目のフォントで書かれた文章に目を向けた。

『「三大歌い手、夢の競演………か?」。この「……か?」は何かしら?』

「野上さんがリングとしてステージに立つことはできなくなりましたから、クエスチョンをつけてごまかしました」

『そう、致し方ないわね。彼女は何を歌うか決めたの?』

「はい。少し古い曲ですが、洋楽とJ‐POPのヒット曲を歌うそうです」

『無難な選択ね』

 はるかは納得しつつも、少しつまらなそうな顔をし、指先でポスターを軽く叩く。流星は眼鏡を怪しく光らせながら更なる情報を告げる。

「洋楽は、大天銀行のテレビCMで使われている曲です」

 ポスターを叩いていたはるかの指が止まる。大天銀行はこの学校の理事長でもあるはるかの父が頭取を務める地方銀行である。

「…それは、理事長も大変喜んでくれるでしょう」

 その曲に決まった経緯は訊ねず、はるかは満足気に頷いた。


       *


 桃陰高校の文化祭は、毎年九月最終週の土曜日に一日だけ開催される。女子高であるため、外部からの入場は家族だけに制限されており、毎年入場チケットの入手は困難になっている。特に今年は人気歌い手のARIAと3Bが参加することが告知されており、例年よりも激しいチケット争奪戦が繰り広げられているとのことだった。そのため、入場確認が厳しくなり、入場チケットを渡されていなかった湊千晶達の入場が断られるという事態も発生していた。

 怒り心頭の千晶であったが、はるか自らが入口まで出迎えることで、なんとか怒りを収めることができた。しかし、千晶の怒りをかきたてることは他にもあった。

「ARIAがあやパー姉さんのテーマソングを歌うってどういうことよ!阿倍野市のご当地歌い手に選ばれた者こそが、歌うのにふさわしいんじゃないの」

 歌い手コンテストの控室は体育館の用具置き場が当てられている。そこで最後のセッティングを行っていた花月と多佳美に、梓がいない理由を聞いた千晶は顔を真っ赤にして喚いた。堺紫信と七道美珠もそうだそうだと野次を飛ばす。

「そんなこと言われても、あやパーさんから頼まれたんだから仕方ないじゃないですか」

 花月が弱り顔で弁解する。花月と多佳美と和は学校でセッティングや仕事があるため、聡子だけが梓に付き添ってあやめ池パークに行っている。

「そうかもしれないけど、せめて事前に教えてくれても良かったでしょ」

「だからそれも口止めされてたんです。テーマソングが発表されること自体が秘密だったんですから」

「分かるけど、教えて欲しかったの。これから一緒にステージに立つんだから」

「関係ないでしょ」

 防戦一方の花月に、多佳美がイラッとしながら参戦する。

「どういうことよ!」

 千晶と多佳美が睨み合う一触触発状態になり、花月がおろおろしているところに、何も知らない和が入ってきた。

「あ、来てたんですね、いらっしゃい。紫信さん、美珠さん、お約束の本、取り置きしておきましたから」

 場の空気を読まずに、二人に本を差し出す。和が書いていた「十一人の白雪姫と七人の小人」の二次創作漫画を本にまとめたものだった。登場人物は主に七人の小人と王子である。

「こ、これが椿子先生の新刊」

 美珠がガタガタと震えながら受け取る。

「ありがとうございます。えーっといくらですか?」

「差し上げますのでもらって下さい」

「か、感謝感激の極み」

「本当にありがとうございます。あの、サインもらってもいいですか?」

「わ、私も欲しいい」

「もちろん良いですよ」

 三人が和気藹々とする間に、千晶と多佳美の毒気はすっかり抜けていた。

「……ごめんなさい。おとなげなかったわ」

「いいえ、こちらこそごめんなさい。私達も本当は伝えたかったのよ」

 ほっとした花月はその様子を見ながら、こういうのを「ペンは剣よりも強しって言うのかな」と思っていた。


       *


 文化祭は盛況の中、大きな問題もなく進行していた。あやめ池パークでのARIAのステージは大成功で無事に終了したと、一時間程前に聡子から連絡があった。あやパー姉さんのテーマソングも好評だったとのことだった。調子に乗った梓が予定よりも長くステージにいたらしいが、大きな遅れにはなっていないらしい。

 開演時間が近づいた一年A組の教室には生徒達が続々と戻ってきて、慌ただしく劇の準備を進めていた。ちなみに教室の入口で販売していた、和が書いた劇の二次創作漫画はすでに完売している。

「梓はまだ着かないの?」

 パソコンに向かってセッティング作業をしている多佳美と花月に宇美が訊ねた。

 最初は積極的に関わるつもりはなかったが、梓がテーマソングを歌うことをきっかけに、二人とも劇に大いに関係することになっていた。花月はバックグラウンドミュージックを担当し、多佳美はプロジェクションマッピングで劇を彩ることになった。これによって派手な演出が行えるようになっただけでなく、大道具を作る手間も省け、大いに感謝された。

「そろそろ到着するはずよ」

 顔を上げた多佳美は時計を確認して顔を少し顰める。

「予定より遅れているわね」

 スマートフォンを素早く操作すると、さらに顔を顰める。

「なんでこんなところにいるのかしら?」

「どうしたの?」花月が覗き込んでくる。

「GPSで車の位置情報を見ているんだけど、こんなところにいるのよ」

「間に合うの?」

「時間的には間に合うと思うけど、あやパーから帰ってくるのにこんな道は使わないはずなのよ。どうしてこんなところにいるのかしら?」

 確認のために多佳美が電話を掛けようとした時、その電話が鳴った。聡子からだった。

「車が事故を起こしたですって?」

 多佳美の珍しく大きな声に、クラス中の注目が集まり、そして緊張が走る。

「スピーカーにして」花月がお願いする。

「梓は大丈夫なの?」

「ええ、私も梓も大丈夫だけど、運転手さんが怪我をしてしまって……」

「運転手なんかどうでもいいのよ。梓は?」

「梓にはタクシーに乗るように言って、先に行かせたわ。私は救急車が来るまで運転手さんに付き添っているから」

「梓がどこにいるのか分からないの?」

「ええ、電話をかけてみ……」

 多佳美は会話の途中で切ると、素早く梓にかけなおす。

「はい、梓だよ」

 数度の呼び出し音の後で、いつもの明るい声が響く。

「梓、無事だったのね。今どこにいるの?」

 多佳美は安堵の表情を浮かべながらも早口で訊ねる。

「私は無事だけど、たっかみーの運転手さんは血を流しちゃって大変だよ」

「運転手なんかどうでもいいのよ。梓は今どこにいるの?」

「どこだろう?どこかの住宅地だよ。さっきからタクシーを探して走り回ってるんだけど、全然見つからないの」

「広い道路に向かって」

「それも見つからないんだよ。でも、頑張って間に合うようにいくから、皆にはよろしく伝えておいて」

「梓!」

 多佳美は大きな声で呼び止めるが、すでに電話は切れていた。

「あの……、間に合うの?」

 恐る恐るかけられた宇美の問いに、多佳美は時計を見た後、力なく首を振った。

「今すぐ車に乗ればなんとかなるだろうけど」

「そんな……」

 教室の中がざわめく。先程の会話から考えれば、それが絶望的なのは明らかだった。

「花月、申し訳ないけどはるか……、会長にこのことを連絡してきて」

「分かった」花月が教室から出ていくと、多佳美はクラスメイトの前で深々と頭を下げた。

「ごめんなさい」

「そんな、奥さんのせいじゃないよ」

「いいえ。うちの運転手がふがいないせいよ」

 スマートフォンで情報収集をしていた生徒から、あやめ池パークに向かう幹線道路で事故が発生したために封鎖され、その影響で付近の道路も渋滞、更に文化祭で町内をパレードしている学校などがある関係で市内全域で道路が混雑しているとの情報が入ってきた。梓がタクシーに乗れたとしても、容易には戻れない可能性が高いということだ。

「一年A組さーん、そろそろ体育館に向かって下さい」

 重い空気が教室内を漂う中、文化祭実行委員会が声をかけてきた。

「分かりました」

 返事をした宇美は両手をぐっと力を入れて握り、クラスメイト達を見回す。

「よ、よーし皆。落ち込むことはないわ。思い出してみて。梓がいなくても劇自体には問題ないわ。今まで頑張ってきたことを思い出して。私達の白雪姫は、十分に面白い、楽しい、感動する、文化大勲章だって取れる。私達は今できる最高の舞台を披露わよ」

 宇美が声を上ずらせながらも鼓舞すると、一度は消沈していたクラスメイト達もやる気を取り戻していく。

「お約束だから一応言っておくね。梓の分も私達は最高の舞台をやるわよ」

 笑いが起こった後、皆に決意の表情が浮かぶ。

「一年A組、ファイトー」

「オー!」

 宇美の掛け声に合わせて全員で拳を天に突き上げた後、一斉に教室から出ていく。

「奥さんも準備よろしく。歌は流せるんでしょ?」

「ええ、歌入りに替えるのはすぐにできるわ」

「いざとなったら、私が曲に合わせて即興のダンスを踊るよ」

「蘭華ちゃん。それ良い!」

 クラスメイト達はお互いに鼓舞し合いながら教室を出ていく。多佳美に和がそっと声をかける。

「梓ちゃんは大丈夫だよ。行こうたっかみー」

「分かってるわ」

 多佳美はパソコンを抱えると、力強く立ち上がった。


       *


 劇が終わった余韻に浸る間もなく、花月と多佳美と和は用具置き場に急いだ。着替えを終えたわこと3Bの三人、はるかと数人の生徒会役員が狭いスペースの中で待っていた。

 ステージでは教師による落語が始まっている。それが終われば次はコンテストだ。

「梓は?」

 わこが訊ねる。

「今、花月のお父さんの車に乗ったって連絡が入ったわ。でも渋滞が酷いらしくて、間に合うかどうかは分からないの」

『なんで先導車を用意しなかったのよ』

「そんなことできるわけないでしょ」

 はるかの暴言に思わず答えてしまったが、独り言を言っているようにしか見えないことに気が付いた多佳美は少しいまいましい顔を見せた後、神妙な表情で頭を下げた。

「野上さん、3Bの皆さん、こんなことになってごめんなさい」

「ふん。私達を差し置いてあやパー姉さんの歌を歌ったりするからよ。そんなことで阿倍野市ご当地歌い手が務まると思ってるの」

 千晶は偉そうにまくしたてたが、多佳美が神妙な姿勢を崩さないために、居心地が悪そうに言い直す。

「ま、まぁ不可抗力でしょ。仕方がないわ。ご当地歌い手の座はいただくとして、とりあえず私達はどうすれば良いの?」

「梓がいつ到着するかは分からないわ。最悪、間に合わないかもしれない」

「後ろにずらすことはできないの?」

「ただでさえ無理やりねじ込んだんです。そんなことできません」

 オペレーターを担当している生徒会役員が強い口調で答えた。

「ねじ込んだのはおたくの会長さんでしょ」

「梓が間に合わなくても自業自得だから仕方がないわ。でも、ステージに穴を開けるわけにはいかない」

「つまり、ARIAの分の時間を使って良いってことね」

 千晶は不敵な笑みを見せる。

「予定通り私達が先に行くわ。リングが終わった時点で梓がまだ来ていなければ、また私達が出るわ」

「音源も何もなしで大丈夫なの?」

 不安気に問う花月に、千晶は自信満々に答える。

「私達が今まで、どれだけの、どんなステージを踏んできたと思ってるの?まともな舞台も音源もお客さんも何もないステージがいっぱいあった。そんな修羅場をいっぱい超えてきたの。こんなにお客さんがいっぱいいるステージなら、一時間でも楽勝よ」

 紫信と美珠も千晶の後ろでうんうんと頷く。

「曲出しのキューはこっちで出すから、しっかり見ておいてくれればいいわ」

 そう言うと三人は集まって打ち合わせを始めた。

 多佳美はここまでじっと黙っていたわこを見る。

「野上さん、大口を叩いたのにこんなことになって本当にごめんなさい。梓はいないけど、ステージに立ってくれるかしら」

 わこは多佳美をじっと見返した後、口を開いた。

「あなたは人に頭を下げたりしない人だと思ってた」

 多佳美は虚を突かれながらも真顔で返す。

「そうね。一日でこんなに何度も人に頭を下げたのは初めてだわ」

 わこはゆっくりと瞬きをした後、メモリースティックを差し出した。

「AgOgの音源が入ってるわ」

 多佳美はわこの覚悟を受け取る。

「……デビュー曲で良い?」

「四曲目も。あの人達だけに梓の分の時間を使わせないわ」

 それは、予定していたJ‐POPと洋楽は歌わないことを意味していた。

「そんな、今から音源もらったって無理ですよ。ただ流すだけじゃないんですよ。間に合いません」

 オペレーターが悲鳴を上げる。

「大丈夫よ。セッティングはもう終わってるわ。順番を差し替えるだけで良い」

 多佳美は花月が腕に抱えているパソコンを示しながら静かに答えた。

「……準備をしてくれていたの?」

「梓ちゃんに頼まれてね」

「そう」

 花月の言葉に、わこは目を閉じた。

「では、そういうことで皆さんよろしくお願いします」

 予定時間は間近に迫っていた。多佳美の合図で、それぞれが自分の持ち場へと急ぎ散っていく。

 調整室に行こうとした多佳美ははるかと目が合った。

『妬けるでしょ』

「そんなんじゃないわ」

『私に手伝えることはない?』

「黙って座ってて」

 多佳美の捨て台詞にはるかは小さく笑った後、大きな縦巻きツインテールをかきあげながら観客席に向かった。


       *


 3Bの自信は伊達ではなかった。

 これまでの地道な活動のおかげで、会場にいる多くの人が3Bをどこかで見たことがある女の子達であることに気が付いた。ごきビデを視聴している人はもちろん、視聴していない人達もだ。町の商店街で、プールで、公民館で、路上で、学校で、スーパーで、駐車場で、グラウンドで歌い踊っていた女の子達がステージにいることが、まず観客の心をぐっと掴む。そして一度掴んだ心を離さない、百戦錬磨の腕があった。体育館は一気に熱気に包まれていく。

 音源がなくても、段取りがないなんて関係ない。いやそれらがないからこそ、彼女達の強みが発揮されていると言える素晴らしいステージだった。

 最高の盛り上がりの中、3Bが駆け足で舞台裏に下がると同時に場内が暗転、一瞬後に爆音と共にステージが明るく照らされる。悲鳴のような歓声が上がる。今回は圧倒的に若い声が多い。

 ネットの世界の歌姫「A Girl in Opera Glasses」のリングがステージに現れた。リングの参加は正式には告知されていなかったが、出演の噂は以前から流れていた。

3Bのステージが、歌の合間にも喋り捲る賑やかなものだったのに比べて、リングは何も話さず、ただ歌うだけである。多佳美がプロモーションビデオそっくりに作り上げたプロダクションマッピングの中、ごきビデで公開された時よりも圧倒的に上達した歌唱力が観客を魅了する。

 ステージは最高潮に盛り上がっていった。


 一方その頃、緊張が張り詰めている調整室に待望の連絡が入った。

「梓ちゃんが着いたって」

 花月のスマートフォンにかかってきた父親からの電話を代わりに受けた和が報告する。

「どこにいるの?」

 多佳美が叫ぶ。すぐに探しに行きたいが、音響を担当している花月と、プロジェクションマッピングを担当している多佳美は動くことができない。

「学校に飛び込んで行ったから分からないって」

「全く、あの子は……。どこから来るか分からないから、皆気を付けて」

「二曲目、後十秒で終わります。3Bに入ってもらいますか?」

「ちょっと待って下さい」

 和がオペレーターを制する。

 ステージでは、後奏が流れている中、リングが一度下したマイクを口元まで運んでいた。

「道を開けてあげて下さい」

 そう言って左手を上げ、人差し指で前を指さす。

 人々の視線がその指先に導かれる。観客達の上を通り越したその先の、体育館の入口、そこにいる少女に。

「梓!」

 調整室で歓声が起こる。

 体育館では大きなざわめきと共に人々の群れの真ん中に道が開かれていく。

 ステージへと進む道が。

 遅れてきた少女は軽やかにその道を駆ける。

 ステージの前までたどり着くと、そのままよじ登ろうとするが腕力のなさゆえに失敗し、無様な様子をさらすことになった。

 軽い失笑が聞こえる中、わこが手を差し出す。

 梓はためらいなくその手を握り、なんとかステージに上がった。

「ありがとう、わこちゃん」

「今は私にじゃないでしょ」

「そうだね」

 梓はわこから渡されたマイクを持ち、観客の前に立ち、深々と頭を下げる。

「みんな、遅れてごめんなさい」


「何を歌うんですかっ!」

 調整室ではオペレーターの娘が悲鳴を上げていた。梓は分かっていないだろうが、すでに時間は一曲分程度しかない。しかし、連絡がないので何を準備しておけば良いのか分からない。

 そんな中、花月と多佳美は落ち着いていた。梓がどの曲を選ぶかなんて、確認しなくても分かっていた。ステージでは梓が舞台袖にいる千晶達を呼んでいる。

「皆で一緒に歌おうよ」

 花月がパソコンのリターンキーを押すと曲が流れ始める。それは花月が、ARIAとリングとわこが一緒に歌うために作った曲だった。

 しかし歌って欲しいのはステージにいる三組にだけではない。

 親しみやすいメロディーと分かりやすい歌詞は、一回聞けばすぐに覚える。ステージに映し出される歌詞を見ながら、繰り返し流れるフレーズを口ずさむ者が出てくる。それを隣の者が真似し、その隣の人も続く。

 あっという間に観客全員が歌っていた。

 3Bの時とも、リングの時とも違う、観客全体が一体となった盛り上がりが体育館を満たしていた。


『君が主役の物語』


 最期に曲のタイトルが映し出されると、大きな拍手と、皆の笑顔で締めくくられた。

 感動の中、ステージの前にいる進行係に気が付いた梓がマイクを握りなおす。

「えっと、超巻きだそうです」

 皆を結んでいた一体感を自らぶち壊す行為に、会場全体から笑いが起こる。

「本当は皆さんに決めてもらうことになってたんだけど、時間がないから私達で決めちゃいます。3Bが阿倍野市ご当地歌い手にふさわしいと思う人は手を上げて!」

 勢いに押されて、ステージ上で五本の手がぱっと上がった。

「それでは、阿倍野市ご当地歌い手は3Bに決まりました。おめでとうございます」

 梓は大きく拍手をし、わこも苦笑しながらそれに続く。何が何だか分からないままに観客も拍手をし、あまりの急展開についていけない千晶は手を上げたまま呆然としている。

「ちあぎいい。わたし達やったよおおお」

 口火を切ったのは美珠だった。号泣しながら千晶に抱き着くと紫信もそれに続いた。三人を暖かな拍手が包む。

 こうして、桃陰高校の文化祭は石津川高校生の涙で幕を閉じた。


       *


 否!

 もう一つ重要なイベントが残っていた。

 文化大勲章の授章者発表、及び授与である。

 校長先生と理事長のスピーチの間に大急ぎで集計された結果に基づき、文化祭実行委員会委員長より各賞が発表されていく。時間の関係上、この場で授与されるのは文化大勲章だけである。

 調整室から降りてきた多佳美は、はるかと流星がステージの袖の暗がりに立っているのに気が付いた。はるかは何故か剣を持っている。

「何をしているの?」

 視線を剣に向けながら訊く。

『そこに落ちていたのよ。あなたのクラスの忘れものじゃないかしら。勲章を授与するのだから、帯剣していたほうが様になると思うのだけど、どう思う』

「喜んで差し上げるわ」

 いつになく浮き浮きしているはるかに、こんなことを喜ぶのだと、多佳美は意外な感じを受けながら答える。

『いよいよよ』

 上位三団体の発表が開始された。

「三位。三年F組の『ポアンカレーの作り方に関する考察』」

 会場の一部が沸くのを、はるかは嬉し気な表情で見ている。

「二位。生徒会の『阿倍野市ご当地歌い手コンテスト』」

 はるかの笑みが凍り付いた。

「そして今年の文化大勲章を授与されるのは、一年A組の『十一人の白雪姫と七人の小人』です!」

 委員長の大きな声に合わせ、会場から一際大きな歓声が上がる。


 カラララン


 ステージ袖では、乾いた音が響いた。

 はるかの手から滑り落ちた剣が、床に転がる。はるかは今まで見せたことがない呆然とした顔をステージに向けていた。

 その顔を見て、多佳美と流星はお腹を抱えて笑ったのだった。

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