第15話 うた

 阿倍野市内にある小学校、いつもなら登校と同時に机にランドセルを放り出して教室を飛び出していく吉本雨月が今日はおとなしく席に座っていた。「どうしたんだよ、雨月。元気ないな」

不思議に思ったクラスメイトが声をかけてきた。

「そんなことない。めちゃめちゃ元気だから。ほら」

 雨月は浅黒い顔に汗を流しながら、力こぶを作って見せたりするが、明らかに普通ではない。

「俺の方があるぜ」

 大柄な少年がポロシャツの袖をめくって得意気に立派な力こぶを見せつけると、雨月は微妙な笑いを返す。

「やっぱり変だぞ。そうだ、すげー話教えてやる」

 少年はしゃがんで、雨月に耳を近づけろと指で合図する。

「とっておきの話だからな。まだ秘密だから言っちゃ駄目だぜ。……今月末にあやパー姉さんのイベントがあるんだって」

 それを聞いて引きつっていた雨月の顔が更に引きつった。

「そ、そうなんだ……」

「なんだよ、嬉しくないのか?」

 もっと大きなリアクションを期待していた少年は不満気な顔を見せた。

「そんなことない。めっちゃ嬉しい。見に行きたい」

「あ、もしかして知ってたのか?」

 少年は雨月の表情に、雨月があやパー姉さんと一緒にダンスをしたこともあるのを思い出した。

「な、なんとなく……」

「もしかしてまたダンスをしたりするのか?」

「そんな話は聞いてないけど……」

「そっか。新しい情報が入ったら一番に教えてくれよ」

「うん、分かった」

 少年は雨月から離れると、別のクラスメイトにまた同じ話を始めている。

 実際には、あやパー姉さんのイベント開催は昨日あやめ池パークより報道発表されたことで、秘密でもなんでもない。

「はぁ……」

 雨月は幼い少年には似合わない深い溜息をつきながら机に突っ伏した。

 彼は秘密を抱えていた。

 そのイベントで発表される「あやパー姉さんのテーマソング」を、彼の姉である吉本花月が作るのだということを。

 それは小学五年生男子が抱えておくにはあまりにも大きな秘密だった。


       *


 一方その頃、桃陰高校一年A組の教室では、花月が雨月と同じ顔を同じように苦悶に歪めていた。

 昨日、座間聡子が阿倍野市の東部にある遊園地あやめ池パークから、イメージキャラクターであるあやパー姉さんのテーマソングの作成依頼が来ているのを聞くと、有村梓は「やるよ」と即決した。

 動画投稿配信サイトごきげんビデオに投稿された動画によってローカルキャラクターだったあやパー姉さんの人気は全国的に急上昇中であり、その人気にあやかってテーマソングを作り、CD発売するというのは商業的には当然な流れといえる。そのテーマソングを、同じく人気急上昇中とはいえプロではない、歌い手のARIAとその曲の作り手であるフラワームーンに任せてくれるというのは非常にありがたいし名誉な話だ。

 しかし、聡子からその話を聞く一時間前に、クラスが文化祭で行う劇の主題歌を歌うことを梓が了承したばかりだった。しかも一五分前にはこれまた文化祭で「A Girl in Opera Grasses」、「3B」と、阿倍野市ご当地歌い手の名をかけて対決をすることが決まったばかりだった。

 新学期早々、たった一ケ月でどれだけの作業をしなければならないのか?作詞作曲担当のフラワームーンこと花月が頭を抱えていても仕方がない状況であった。

「ARIAが歌うってところが重要なのよ。だからそんな難しく考えずに、ぱっぱっぱーと作ってくれればいいよ」

 劇の責任者である大鷺宇美が気軽に言ってくるところが、花月の癇に触る。

「だったら自分で作ればいいじゃない。ぱっぱっぱーってさ」

「吉本さんが作るぱっぱっぱーだから意味があるんでしょ。私がどれだけ頑張って作ったって、誰も聞いてくれないわ」

「私の名前で作る以上、適当なものは出したくないの」

「花月ちゃんは真面目だもんね」

 横から悩みの元凶が口を挟んでくる。

「梓も真面目にやってよ」

「私はいつだって本気だよ」

「……そうだね」

 梓は一見ふわふわしているように見えるが、断固たる意志を持って前に突き進む力を持っている。頑固ともいう。

 花月もその力に引っ張られることによって、ごきげんビデオのランキングで上位に並ぶ曲の作り手になることができたのだ。

「花月ちゃんならなんとかなるよ」

 それにしてもこの無責任な能天気さはどうにかならないかと思うが、梓にそう言われると不思議とできそうな気がしてくるのが不思議なのだ。


       *


 比与森和は一時間目が終わった後の休み時間に登校してきた。申し訳なさそうな顔をしながらこそこそと教室に入ってきたが、梓が目ざとく見つけて声をかける。

「おはよう、何かイベントあったっけ?」

 和はたまに遅刻するが、その理由のほとんどは漫画原稿に没頭しての徹夜、寝坊である。よってイベントが近づくと遅刻が増えることになる。しかし今は夏コミというビッグイベントが終わったばかりであり、しばらく大きなイベントはないという話だったはずだ。

「白雪姫の続きに熱中しちゃったの……」

 遅刻の説明をした和は、目の下にクマを作りながらも、その目はギラギラと制作意欲に燃えている。机の上に広げられたのは教科書とノートではなく、原稿用紙だった。

「あれを白雪姫と言っていいのかな?」

 花月が苦笑する。宇美がシナリオを書いた「十一人の白雪姫と七人の小人」は原作の「白雪姫」とはかなり話が違う、ぶっ飛んだ内容であり、それにインスパイアされて和が書いている二次創作漫画は主に七人の小人がくんずほずれつしているいかがわしいものであり、更に白雪姫とは全く関係ない方向に突き進んでいる。

「早く続きを描きたいから、今日の打合せは行かなくても良いよね」

 和に訊ねられて、梓は多佳美を見上げる。今日の放課後はあやめ池パークの担当者とテーマソングに関する打合せをすることになっている。

「そうね。あちらが使っているイラストレーターもいるし、画は必要ないでしょう」

「もし描いて下さいって話になったら、二、三枚なら大丈夫だから、引き受けるかどうかは任せる」

「分かったわ」

 多佳美は頷き、梓と花月からも目で了解の意思を確認する。

 二時間目が始まりを告げるチャイムが鳴り、皆が自分の席に戻る中、和は猛然と原稿用紙の上に鉛筆を走らせ始めた。


       *


「昨日の打ち合わせはどうだったの?」

 翌日の放課後、先ほどの授業まで猛然と机に向かっていた和が少し晴れ晴れとした顔で梓に尋ねる。なお、花月は今日も机に突っ伏している。

「あのね。あやパー姉さんも同席したの」

 テーマソングを歌うことはまだ秘密のため、梓が小さな声で話す。

「あやパー姉さんって、……中の人が?」

 あやパー姉さんは、身体はグラマラスな人間の女性だが、顔は大きな被り物を被っている。

「ううん、被り物のままだったよ。あやパー姉さんってしゃべらない設定でしょ。打ち合わせには出ているんだけど一言も話さなくて、すっごくシュールな感じだったよ」

「なんで出席したのかしら」

 和は首を傾げる。

「そろそろ正体を見せてくれてもいいと思うんだけど、やっぱりNGなんだって」

「それは残念なような、正体は知りたくないような……。それで、花月ちゃんがふてくされているのはまた無理難題を引き受けたからなの?」

「そんなことはないわ、概ね聡子から聞いていた話の通りよ。今月末のイベントでテーマソングを披露して、来月末にCDを販売する。イベントで梓に歌って欲しいって話だったけど、文化祭と重なっているからそれは断ったわ。権利関係の問題が色々とあるんだけど、複雑だったから一度持ち帰ったわ。うちの弁護士と相談してみるつもり」

 答えた多佳美は最後に花月を指さす。

「これはプレッシャーに負けているだけよ」

「負けてないもん」

「できたよ」

 うつぶせのままの花月の小さな反論は、大きな声にかき消された。

 和にコピー氏の束を渡したのは久宝寺(きゅうほうじ)未来(みく)だった。その後ろには志紀(しき)照海(てるみ)と加美(かみ)玲奈(れいな)がいる。その組み合わせを見て梓と多佳美が怪訝な顔をしたのは、和と三人が反目しているのを知っているからだ。

「シンデレラ漫画が結構好評なの。クラスの中で回し読みするだけだともったいないから、宣伝も兼ねて校内で配布することにしたんです」

「あの本を?」

 多佳美は顔を顰める。結構どぎついヤオイ話だったはずだが、あれを校内で広めているのか。

「それで、私一人だと手が足らないから助けてもらうことにしたの」

「カップリングの好みは違うけど、良い作品のためなら協力するのもやぶさかではないわ」

 未来のどや顔に多佳美はげんなりとしたが、梓は「頑張ってね」と無責任な声援を送った。


「たのもーう」

 廊下から響いてきた大きな声に、教室の入り口を見ると、石津川高校の制服を着た三人の少女が立っていた。3Bだ。今日は生徒会と打ち合わせをすることになっている。

「あれ?生徒会室に集合だったよね?」

「そうだったと思うけど」

 顔を見合わせる梓と多佳美の前に、湊千晶がずいと進み出る。

「ふふん。私達が先に生徒会長と会ったら、私達に有利なように根回しをするかもしれないでしょう。私達3Bはそんな卑怯な手は使わない!正々堂々と勝負することを証明するために、こうしてあなた達を迎えに来たのよ」

 すでに勝ったかのような調子で言う千晶に、多佳美は白けながら訊ねる。

「本当は?」

「だって……、あんた達のところの生徒会長、なんだか怖いんだもん」

 先程までの威勢が吹き飛び、気弱に答える。千晶の後ろに立つ堺紫信と七道美珠もうんうんと頷いている。

「そうかな?」

「慣れていない人は、変な威圧感を感じるでしょうね。いいわ、一緒に行きましょう」

「私は今日もお留守番でいいよね」

 和が多佳美に声をかけると突然、それまで千晶の後ろに控えていた紫信と美珠が前に出てきた。

「そ、それはもしかして、か、華京院アール椿子先生の本んんん」

 美珠はガタガタと震えながら、和が持っているコピー用紙の束を凝視している。

「しかもこれは新刊では!」

 ガバッと顔を上げて、今度は和の顔を近い距離から凝視する。

「あ、はい。椿子です。これは新刊っていうか、内輪向けに書いた話だから……」

 和はじゃっかん怯えながら答える。

「ど、ど、どどこで買えるんですか?」

「美珠止めなさい。椿子様が引いているでしょ」

 なおも和に迫る美珠を紫信が小さな体で引きはがし、代わりに前に出る。

「私達、椿子様のすっごいファンなんです。新刊も全部買ってます。できれば、それも読ませてもらえると嬉しいです」

 嫌だとは言えないような勢いで右手を差し出される。

 どうすれば良いのか分からず、完全に固まってしまった和だったが、横合いから出てきた手が紫信の手を握った。

「分かったわ。学園祭で販売します」

 商売の匂いを嗅ぎつけた宇美が力強く、そして勝手に約束する。

「話が終わったならそろそろ行くわよ」

 和の同人誌には興味がない様子の千晶が声をかけるが、

「私達もお留守番していても良いかなぁ?椿子様とお話ししていたいの」

「駄目に決まってるでしょ!」

 冷や汗を流す和に見送られ、梓と多佳美と花月、そして3Bの三人は教室を出て行った。


「来たわね」

 生徒会室の奥にある大きな書斎机の向こうには窓を背にして生徒会長光陣はるかが座り、その横には副会長でスピーカー役の東村流星きららが立っている。

 梓達と入れ替わりで、作業をしていた生徒会役員達が退席していく。

「座りなさい。時間がないからさっそく始めましょう。石津川高校の皆さんには申し訳ないけど、お客様扱いをしている余裕はないわ」

「大丈夫です」

「わこちゃんがまた来ていません」

と梓が手を挙げる。

「野上さんからは、今日は欠席すると連絡をいただいています」

「逃げたわね」

 千晶が鼻で笑うが、誰かがそれに反論する前に流星は話を始めた。

「体育館のステージを二〇分押さえました」

 流星の声が疲れているのは、その確保のために走り回ったためだろう。ステージの時間配分は夏休み前に決まっていたはずだ。そこにねじ込むために、文化祭実行委員会やステージを利用するクラスとの交渉は難航したことだろう。

「三組だから、一組一曲ということで良いでしょうか?」

「一組の持ち時間は五分ぐらいですよね。その中で短い曲を二曲やるっていうのは良いですか?」

 千晶の提案にはるかが頷く。

「では一組五分の間で何曲歌っても良いことにしましょう。但し、これはナンバーワン歌い手を決めるためのイベントですから、歌以外のパフォーマンスは禁止とします」

「残念……」

 美珠が眼鏡の奥の瞳を怪しく光らせながらぼそっと呟く。

「司会進行役は生徒会が用意します。歌の順番ですが……」

 その後いくつかの確認を行い、打ち合わせは解散となった。その途端に先程出て行った生徒会役員達が戻ってくる。文化祭を月末に控え、皆忙しいのだ。


 打ち合わせが思っていたよりも早く終わったため、梓達と3Bでお茶に行くことにした。

 学校から近いドーナツ店はすでに桃陰高校生で埋め尽くされており、非常に賑やかだった。タイミング良く団体が返ったため全員座ることができた。

 美珠と紫信は合流した和を間に挟んで座り、さっそく質問攻めにし始めた。

「知ってはいたけど、委員長って本当に人気があるんだね?」

 その様子を見ながら、梓が感心したように言う。

「ななな、一緒にいながら椿子様の偉大さを知らないと言うのか」

 美珠が震える重低音の声で非難してくる。

「梓は漫画とかアニメにあんまり興味ないもんね。ネットもあんまりやらないし」

 花月が小さなボール状のドーナツを咥えながら教える。

「そんな……。腐天女様とまで呼ばれている椿子様と一緒にいるのに、腐女子でないばかりかオタクでもないだなんてどうかしてるわ!」

「『ふてんにょ』ってなに?…あ、腐った天女ってこと?」

『腐天女』という言葉に、それまで困った顔をしながらも二人の相手をしていた和の表情が一変、厳しいものに変わった。

「梓ちゃん、そこはあまり深く考えなくていいから。それからあなた達、後で一対一で話があるわ」

 口調もきつめに変わった。

「委員長が怒ってる」

「委員長は怒ると怖いんだよね」

 梓と花月がひそひそと話すが、一方の美珠は恍惚の表情で身悶えている。

「椿子様と二人きりでお話ができるなんて。しかもお叱りを頂ける。こ、光栄の極みいいい」

「あ、この子ドM設定なんで」

 立ち上がって身悶えしている美珠には目を向けずに、紫信が当たり前のことのように説明する。

「……設定なんだ」

 和の顔からすっと怒りは消えていったが、代わりに苦笑が張り付くことになった。


「千晶ちゃん。3Bの動画を観たよ」

 梓は今度は千晶に話しかける。

「あ、ありがとう」

 千晶は、いきなり「ちゃん」付けで呼ばれて少しドキドキしながら礼を言う。

「かわいくて面白かったよ。三人の息がぴったりと合っててかっこいいって思ったよ」

「ありがとう」

「パンチラも凄かったよ」

 あっけらかんと言われて千晶の表情が凍り付く。花月と多佳美は言っちゃったーという顔を見せるが、コメントはしなかった。

 千晶は深い溜息をついた後、一気に水を飲み干して空になったコップをテーブルにガンと置いた。

「何度削除依頼しても、またすぐにアップされるのよー。本当に腹立つ!」

「大変だね」

「本当に大変なの!肝に銘じて!イベントの時は絶対に見せパンはかないとダメ!」

「うん、勉強になった」

 梓は力強く頷いた。


「えーと湊さん。聞きたいことがあるんですけど」

 過去の失点をほじくり出されて落ち込んでいる千晶に、花月がおずおずと声をかける。

「千晶で良いよ」

「千晶さん。3Bでは作詞作曲はどういう担当になっているんですか?」

 まじめな話なのかと、千晶は顔を上げて答える。

「打ち込みは私がやっているけど、作っているのは三人で、かな。曲のテーマや感じを話し合って、それを元に私がちょっと作ってみて、それを聞きながらまた話し合って、どんどん修正していくって感じね。歌詞は、最近の曲はほとんど紫信の案を採用しているわ」

「楽器を習っていたんですか?」

「ううん。三人とも3Bが初めての音楽活動よ。学校の授業以外では全く経験無し。今でも楽譜読めないし」

「楽譜読めなくても曲が作れるの?」

 梓が驚きの声を上げる。

「色んなパソコンのソフトがあるから簡単よ。それに曲を作るっていうのは、そもそも楽譜とは関係ないと思うな」

 千晶はドーナツを手に取ると歌い始めた。

「ドーナツは美味しいな。その秘密は穴の中に詰まってるんだよ。ほら、ドーナツの穴を覗いてごらん」

千晶はドーナツの穴から梓と、そして花月を覗く。

「ほらできた」

「そっかー」

 梓は納得したように笑い、千晶も笑顔を返す。

「これを人様の前に見せられるようなものにするのは大変で、楽譜も読んだりかけたりできれば良いんだろうけど、曲を作るってだけならそんなのは必要じゃないと思う。私達の場合は三人の中で共有できればそれで良いしね。ま、そんなこと言っているからいつまでたっても素人っぽい曲しか作れないんだろうけど。フラワームーン様から見たらダメダメでしょう」

「そ、そんなこと思ってないです。楽しくて良い曲だなって思ってます」

「ありがとう。でも、吉本さんの曲は理論とかにもちゃんと従っていて、一年生なのに凄いよね。誰かに習っていたりするの?」

「ええ……、少し」

 花月は、父親がヒット曲を連発している音楽プロデューサー吉本修二であることは濁して明かさなかった。

「でも、3Bも人気があるんだから、作詞作曲の申し出はあるんじゃないの?」

 助け舟を出すように多佳美が訊ねる。

「あるね。実際に作ってもらってみたりもするんだけど……、私達は勝手に阿倍野市ご当地歌い手を名乗っているわけよ。阿倍野市をアピールするっていうのが一番ベースにあるの。でも、そこが分かってくれる作り手さんがなかなかいないのよね。分かったふりをして作ってくる人もいるけど、所詮はネットで調べた程度の情報が歌詞に入っているだけで」

「それはそうでしょうね」

「だから、阿倍野市に住んでいる吉本さんならこの街の良さを知っているだろうし、作ってくれるのなら大歓迎だよ」

「あ、はい。考えておきます」

 花月はがしがしと頭をかく。

「作ってほしいのは本当だけど、そんなに真面目に受け止めないで。手が空いて気が向いた時にね。せっかくだから私からも聞かせてもらうけど、ARIAの曲作りは、皆で相談して作っているの?」

「全部花月ちゃん任せです」

 梓は隣に座る花月を手の平でアピールする。

「そして動画はたっかみー任せです」

「そうなんだ」

「そうなんです。作る前には一応打ち合わせをしたりするんですけどあんまり意見は出てこないし、作っても、良いねとは言ってくれるけど具体的な感想は出てこないし、これで良いのかなって思ったりするんですけど」

「花月ちゃんの曲はいつだって最高だから良いんだよ」

「嬉しいけど、いいねって言ってもらうだけじゃ不安になるの。たっかみーはどう?」

「私はあなたと違って、作り手になる気もなかったし、本当にただの素人だったところを梓に捕まっただけだから、梓が満足してくれればそれで良いと思ってるわ。もちろん、頼まれた以上は勉強や研究はしているけど、出来がどうだろうと私を選んだ梓の責任だと割り切ってるわ」

「なんか凄いわね。あなた達」

 千晶が感心する。

「凄い……ですか?」

 花月の自信なさげな表情に、千晶は笑顔で答える。

「凄いわよ。自分が任されたことを、責任をもって実行しているんでしょ。そして任せた有村さんは責任をもってできたものを全て受け止めてる。これってなかなかできることじゃないわよ」

「あ、はい」

 思いがけず褒められたことで、花月の目が少しうるっとくる。

「いやいやいやいやいや、それはやばいです。わ、わ、私もう鼻血でそう。噴き出しそう」

 突然立ち上がった美珠の奇声が店内を切り裂いた。

 美珠と紫信と和は、和のノートで落書き大会を始めていた。その中で和の描いた絵が、美鈴の熱いパッションにクリティカルヒットしてしまったのだ。

 千晶がちらりと見たノートは、あられもない恰好をした男達で埋め尽くされていた。

「公共の場で何をやってるの!」

 千晶の怒りが炸裂した。


       *


 昼休み、呼び出された野上わこは怪訝な目を見せた。

「何の用?」

「ちょっと話をしたいんだけど、良いかな?」

 わこは背の低い花月をしばらく見降ろした後、「こっち」と先に歩き始めた。ポニーテールが先導しているかのように揺れる。

 校舎の外に出ると、まだ夏の熱気がむっと襲ってくる。わこは非常階段下の日陰の下で振り返った。

「手短にお願いね」

「うん、ありがとう。あの……、文化祭には出られそうなの?」

「進捗は生徒会に報告しているわ」

 わこが「A girl in Opera Glasses」のリーダーである瘡乃刃に、文化祭への出演許可を打診したがまだ返事が来ていないという話は、花月も生徒会から聞いていた。

「そうだけど、具体的な進捗を確認したいと思って」

「瘡乃刃さんはプロだし、今はレコード会社の人もいるわ。色んなことを調べて、検討してくれているの。あなたなら分かるでしょ」

 音楽プロデューサーを父に持つあなたなら、という意味が含まれていることは花月にも分かった。わこに話したことはなかったはずだが、調べ上げられているということだろう。

「聞きたいのはそんなことなの?」

 無言でいる花月にわこは淡々と尋ねる。

 自分の考えが見透かされているようで、さすが梓ちゃんの友達だな、と思うけれどもそれは口にしない。

「野上さんは、どうして歌い手になったの?」

「……春休み、東京の親戚の家に遊びに行った時、従兄の友達で遊びに来ていた瘡乃刃さんに会ったの。そして歌い手に誘われたその時に、チャンスだと思ったの」

「何のチャンス?」

 梓から聞いている話では、その段階ではわこは歌い手に興味を持っていないはずだ。歌い手になるチャンスではない。

「色々よ。もう良いでしょ」

 返事を待たずに校舎の入口へ歩き始めたわこの背中に花月は聞いた。

「野上さんは、自分の曲が好き?」

「好きよ」

 わこは足を止め、振り返った。

「歌っている人が好きでもない曲を、誰が好きになってくれると言うの」

 わこは再び背を向ける。

「話、聞かせてくれてありがとう」

 花月のお礼に、わこは少し振り返って頷いた。


       *


 その日の放課後、花月が一人で座間聡子の家に行くと熱烈歓迎された。

「花月ちゃ~ん、もう来てくれいのかと思った~」

 前回来てから一週間も経っていないが、部屋は散らかりまくっていた。

「なんでこんなに散らかっているんです?」

「ほら、いつまでも暑いから」

「関係ないですから」

 しかし散らかっているのは今の花月にとって望むところだった。

 思う存分片付けができて、久しぶりにすっきりした気分になれた。


       *


 数日後、花月は聡子の家で梓達に新曲を披露した。

「なんかいつもと違う感じだね」

 聞き終わった和が首を傾げる。

「そうね、新しい感じだわ」

 多佳美も違和感の正体には気が付かないが、梓は満面の笑みで答えに辿りついていた。

「これは、皆で歌うように作ってくれたんだね」

 ARIAとリング、3Bが歌い手の座を争うための曲ではなく、皆で一緒に歌うための曲。

「歌ってくれるかどうかは分からないけどね」

 梓が当ててくれたことに、嬉しさと照れを顔に浮かべながら花月が答える。

「こんな素敵な曲、聞いたら歌ってくれるに決まってるよ」

「なるほど、言われてみれば納得だわ。皆で歌うのは良いアイデアだと思う。……けど」

 多佳美はじろりと花月を見る。

「あやパー姉さんの歌はできているの?」

 今、最優先事項なのはCD化も決まっているあやパー姉さんの歌だ。その次が劇の主題歌。ご当地歌い手決定戦用は既存の曲でも問題なく、新曲を作ることにはなっていなかった。

「まだ。劇の主題歌もできてない」

 しかし聡子の問いに答える花月の顔は、晴れ晴れとしていた。

「これから頑張るよ。でもね、せっかくの文化祭なんだから、皆で歌うのが一番だなって思ったの」

「やっぱり花月ちゃん最高!」

 梓が思い切り抱き着くと絡み合って床をゴロゴロと転がる。

「待って待って、まだ二曲も作らないといけないんだから」

「また最高なのをよろしくね!」

 絡み合ったままの梓からのお願いに、花月は笑顔で頷いた。

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