第12.9話 美章園正知子のグルーミーデイズ#7

 私、美章園(びしょうえん)真知子(まちこ)の七つ歳上の姉が死んだのは約二年半前のことだ。

 今まではろくに墓参りに行かなかった両親が、昨年はお盆に墓参りに行き、家にお坊さんを呼んで読経してもらっていた。

 私にしても、お盆が八月の十三日にお迎えに行って一緒に家で過ごし、十六日にお送りするという風習なのだと初めて知った。漫画などで火を炊いたり、茄子や胡瓜で馬を作ったりするのを見たことはあったが、それにどのような意味があるのかをそれまでは知らなかった。またそれらの風習も地方や宗派によって異なるらしく、うちでは火を炊かなければ馬も作らなかった。もちろん、両親の気がそこまで回らなかっただけの可能性もある。

 さて、元来がずぼらなうちの両親は初盆こそ頑張ったものの、二年目の今年は迎えに行っただけでお坊さんを呼ばなければ、なかなか送りにも行かなかった。

「せっかく帰ってきたんだから、もう少しゆっくりしていけばいいじゃない」

などと、帰省した娘相手のようなことを言って、重い腰を上げようとしない。

 私も姉が家にいることは大歓迎だったが、風習は守った方が良いと思うし、人はあるべき場所に居るべきだとも思ったので、十八日に一人で家を出た。墓参りに行くとは言わなかった。

「車に気を付けるのよ」

 母が玄関まで見送りに来て言う。高校生に言うようなことではないと思うが、娘を交通事故で無くした親が一人残った娘を心配するのは分かる。

「分かってる。行ってきます」

 家を出てすぐに後悔する。午前中に行っておけば良かった。

 空には雲一つ浮いておらず、真夏の灼熱の太陽が容赦なく降り注いでいる。帽子をかぶり直すが、アスファルトからの照り返しは防げない。

 だらだらと汗を流しながら歩く道にはほとんど人の姿はなかった。公園にも子供の姿はない。母が言うとおり、こんなに暑い中をお墓に戻されるよりも、クーラーの効いた家にいる方が良いかもしれない。

 駅に着き、電車に乗るとひんやりとした冷気に包まれてほっと息をつく。席に座りハンドタオルで汗を拭く。

 車内は空いていた。数日前の喧騒が嘘のようだ。

 あやめ池パークで開催されたサマーフェスティバルは大盛況だった。クラスメイトである有村(ありむら)梓(あずさ)こと、歌い手ARIAのライブを観るために大勢の人が集まった。私も友人に誘われて観に行った。

 ライブは非常に盛り上がり、内容も良かったのだが、帰りの電車は最悪だった。私達はフィナーレの花火を待たず、ライブ後すぐに帰ったのだが、それでも電車は満員で、押しつぶされそうになった。

 汗の臭いが充満し、乗客の体が密着している状態では、フル稼働している冷房も無力であった。

 それに比べれば今日はなんと快適なことか!

 本を読んだり、スマホを見たりもせず、私は冷ややかな空気の中で汗がゆっくりと引いていく感覚を楽しんだ。


 気持ちよさに寝てしまう前に、目的の駅に到着した。約三十分の旅程で、住宅密集地から田畑が見える田舎町に風景は変わる。小さな駅からは小さな商店街が並んでいる。駅前のチェーン店には客が入っていたが、いくつかの個人商店では店員の姿すら見かけなかった。

 日差しのきつさは変わらないが、少し風が吹いていて、家の近くよりはましだった。

 商店街を抜け、歩道がろくにない二車線の幹線道路をしばらく歩き、右に曲がって田畑の間を歩き、土手に上がると大きな池がある。貯水池だそうだ。なみなみと水を湛え、数羽のカモがぷっかりと浮かんでいる。

 池沿いに歩いていくとお寺が見えてくる。有名ではないが、三重塔もある立派なお寺だ。

 境内にも人影はなかった。

 本堂に入り、賽銭を入れて手を合わせる。

 薄暗い本堂の隅では、お守りなどを売っている人がひっそりと座っている。

 本堂を出て左に曲がり、鐘楼の横を通って奥に進むと通路があり、そこを抜けると墓地がある。昔は父の車でしか来たことがなかったが、姉が亡くなってからは何度か一人で来ていた。

 広い墓地にはぽつりぽつりと人影が見える。うちと同じように、お盆中に送って来なかった家は他にもあるらしい。

 備え付きの金属製のバケツに水を入れ、柄杓を持って歩く。

 一分ほど歩いて、美章園家の墓に辿り着いた。灰色の石造りの、何の変哲もない普通の墓だ。

 その墓石は濡れていた。花は先日活けたものだったが、花立ては水で満たされ、香炉に置かれた線香が細い煙を立ち上らせている。

 ついさっきまで誰かがいたのだ。

 周囲を見回すが両親はもちろん、見知った親戚の姿もなかった。

 お参りに来た人が同じ墓に埋葬されている祖父母などではなく、姉のために来たのは明らかだった。

 なぜなら姉の好物であるソフトさきいかが供えられていたからだ。しかも一番好きだった極上プレミアムソフトさきいか!

 姉の好物を知っているこの人は誰だろうかと思う。恋人がいるという話は聞いたことがなかった。友達は多く、お葬式にも大勢の人が来てくれた。大泣きしている人もいた。あの人なのだろうか?

「安物でごめんね」

 お墓の前に座り、駅前のコンビニで買ってきたソフトさきいかを極上プレミアムの横に供える。

 一緒についてきた姉が、くすりと笑った気がした。

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