第12.5話 美章園正知子のグルーミーデイズ#6

 夏休みの前日からケチがついたのは自業自得だった。

 期末試験の最中、華の影忍が連載されている漫画雑誌が発売された。試験が終わるまで待てばいいのにうっかり読んでしまった。

 そして新しく登場したキャラクター、服部半蔵正重にどはまりしてしまったのだ。その日は全く勉強が手につかなくなり、おかげで赤点を取り、夏休みに補習を受けなければいけなくなってしまった。

幸いなのは、赤点が一科目だけだったことだ。

 そして不幸だったのは、それなりに仲の良い友達は誰も赤点を取らなかったことだった。

 補習受講対象者は終業式の後に説明会を受けなければならない。

 友達が一学期お疲れ様&夏休みを楽しむぜ会に出発する中、私は一人で説明会に向わなければならなかった。

 しかも退屈な説明会を受けている間に、晴れていた空にあっという間に黒い雲が広がり、大粒の雨を降らせ始めた。雷まで鳴っている。

 どこまで不幸なのだろうか?

 傘を持ってきていない私は強く天を恨んだ。

 説明会が終わっても、雨は降り止んでいなかった。

 校内に残っている生徒はすでに疎らで、薄暗い校舎の中を歩くのは少し寂しい。

 雨が止むまで待つしかないか、それとも誰かの置き傘を貸してもらおうかと思案しながら教室に戻ると、有村梓が珍しく独りで残っていた。

 いつもは友人達と賑やかにしている彼女が一人でいるのを見るのは始めての気がした。勿論、期末試験学年四位の有村梓は補習説明会に出てなどいない。何か用事があったのだろうか?

「美章園さん、まだ残ってたんだ」

 有村梓は基本いつも笑顔だ。その笑顔で皆を引っ張って行く。ごきビデでも人気者になる。

 でもさっき、横顔だったから確信は持てないけれども、私に気がついてこちらを向くまでの彼女の顔には笑みはなかったように見えた。

「それはどうしたの?」

 私が補習受講対象者であることを知られたくなかったから、質問で返した。

 教室内にはいくつかの金管楽器が置かれており、有村梓はそのうちの一つを抱えて座っていた。かなり大きい。確か、チューバとかいう楽器だ。

「雨が降ってきたから、吹奏楽部の人達がここで練習してたの。今は休憩に行ったから、その間、ちょっと触らせてもらってるの」

 言いながら指を動かし、ピストンを押している。その姿は様になっているように見えた。

「弾けるの?」

「中学の時、吹奏楽部でやってたの。全国大会にも行ったんだよ」

「なんで吹かないの?」

 少し聴いてみたかった。

「今日は自分のマウスピースを持ってきてないから」

 音は出てないのに、有村梓は嬉しそうに指を動かしている。彼女の耳には演奏が聴こえているのだろうか。

「どうしてチューバだったの?」

「え?」

 怒るかもしれない?と思いながらも続けた。

「ほら、チューバって大きくて重いじゃない。演奏の中でも地味だし。トランペットとかかっこいいじゃない。なんでチューバを選んだのかなって思って」

 最近、吹奏楽部をテーマにしたアニメをやっていた。その中でチューバも出てきたのだが、はっきり言って地味だった。全体の演奏の中ではほとんどその存在が分からない。個人練習の場面でも単調なリズムを刻んでいるだけで、それだけではなんの曲を演奏しているのかさっぱり分からなかった。それに比べればトランペットなんかは派手でかっこ良かった。

 歌い手なんて目立つことが好きな有村梓なら、トランペットの方が似合っていると思えた。

「そうだね。私もそう思ってた」

 有村梓は怒らずに笑って同意する。

「でも最近、チューバをやっていて良かったなって思うの。華やかな音を出す楽器はいっぱいあるけど、それだけじゃ曲は成り立たないの。低いところでそれをしっかりと支える存在が必要なの。縁の下の力持ち?それが重要なんだなって最近思えるようになってきたの」

 なぜチューバを選んだのかという私の質問には答えていなかった。

「あ、雨止んだよ」

 言われて窓の外を見ると、暗雲は去り、雲間から光が差し込んできていた。

 それと同時に友達からメールが来た。「今日はもう来ないの?」と訊いてきていた。

「じゃ、私は帰るね」

「うん。私は吹部の子が戻ってくるまで触ってるから。また新学期に」

「またね」

 分かっていたことだが、有村梓が夏休みに遊ぼうと誘ってきたりはしなかった。

 それはそうだ。私と彼女はただのクラスメイトでしかない。

 偶然クラスメイトになった者が、終業式の日に偶然二人きりになっただけなのだ。入学式の日に偶然二人きりになったように。


 校舎の外に出ると空はすっかり晴れ渡っていた。地面が濡れていることに違和感を感じるほどだ。

 今年の夏も暑くなりそうだな、そんな予感を抱きながら、私は足を速める。先ほどの有村梓の指の動きを思い出しながら、そのリズムに合わせてちょっとステップを踏んでみた。

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