第10.5話 美章園正知子のグルーミーデイズ#5

 昨夜から降り続いていた雨は昼過ぎになって上がったが、雲が低く立ち込める梅雨空が続いていた。

 そんな空の下を歩く気になれなかったので、やることもないのにぐずぐずと教室に残っていた。小説本を開いていたが、目は本と曇り空を往復するばかりで、ページは全く進んでいなかった。

 他にも数人の生徒が残っていたが、彼女達は私とは違い、数人で集まっておしゃべりに興じている。

 その中でも一番賑やかなのが有村梓を中心としたグループだ。吉本花月と比与森和。奥多佳美の姿が見えないが、彼女は不意に姿を消すことがあるので不思議ではない。

 そしてダンサーになるために中国から留学してきている謝蘭華。彼女が振り付けを担当した曲が、ごきビデでちょっとした話題になった。有村梓の歌が良いというよりは、吉本花月とその弟のダンスがかわいいという、彼女達の本来の趣旨とは違うであろう話題だった。その話題が消える前にアップロードされたのが、あやめ池パークバージョンだった。

 ローカルな遊園地を使ったうまいプロモーションだと思う。

 まず地元の人間が飛びついた。昔から慣れ親しんできた場所が、ネットで話題になっている曲とシンクロしているのは、郷土愛をくすぐった。そして地元民が熱心に拡散させることにより、じわじわと広がっていった。

 前作から好評の吉本姉弟のダンスも勿論だが、それ以上にあやパー姉さんと言う強烈なキャラクターが人々の目を引いた。

 グラマラスな身体に被り物の大きな頭。そのハンデを感じさせないアクロバティックな動き。

 ネットの世界では、特異なものが発見されるとお祭り騒ぎに発展することがある。

 あやパー姉さんは地元民からしてみれば馴染みのあるキャラクターだったが、ネットの住人達にすれば、お祭り騒ぎを起すに十分過ぎるキャラクターだった。

「私は本物だと思う」

 巨乳を持つ比与森和が力説している。

「でもちょっと不自然な形じゃなかった」

 疑っているのは小学生男子体型の吉本花月だ。

「アニメや漫画の世界で言う乳袋って奴よ。服を胸の形に合せて縫製してあって、更にワイヤーでしっかりと形を整えてあるの」

「でも、ワイヤーで整えていたらあんなに揺れないでしょ」

「ワイヤーじゃ抑えきれないぐらい、半端なく大きいってことでしょ」

 そこそこ胸が大きい謝蘭華が口を挟む。

 彼女達が議論しているのは、あやパー姉さんの巨大な胸が本物かどうかと言う、ネットでも熱く議論されている話題についてだった。

「そもそもの話はあんな動きを女の人ができるかってことでしょ」

 吉本花月が言うとおり、あやパー姉さんの中の人は男なのではないかとの議論も起こっている。あやパー姉さんの身体はグラマーな女性(に見える)だが、頭は大きな被り物である。そんな格好で派手なアクションをするので、本当は女性ではない、つまりあの胸やお尻は贋物なのだという疑念が抱かれているのだ。

「それはできるよ。中国雑技団とかあるじゃん」

「そういうことなの?」

「そーいうーこと。勿論、超達人だけどね。でも、あれなら私も参加したかったな」

 謝蘭華が羨ましそうに言っている。

「蘭華ちゃんならいつでもOKだよ」

 勧誘した有村梓が、人気が取られるのではないかとからかわれているところに、奥多佳美が教室に入ってきた。

 今までのバカ話から一転、新曲に関する前向きな話に変わる。

 最近の奥多佳美は、自分から進んでプロデュースをしようとしているように見える。一ヶ月前までは学校に来ることすらしていなかったとは思えない積極性だ。そして、ARIAの動画のアクセス数を伸ばすと言う結果をしっかりと出している。

 彼女が何者なのかということは、クラスの中で密かな話題になっている。

 まず、同じ中学校出身の者がいない。入学式以来一ヶ月も休んでいたと言うのに教師からお咎めはないしクラスメイトへの説明もない。改造制服を着ているし、毎日黒塗りのリムジンで送り迎えされている。

 理事長の孫娘、というのが人生経験が浅く漫画を読みすぎの女子高生達の頭に一番に浮かんだ単語であったが、生徒会長である光陣はるかが理事長の娘であることはすでに知られていたので、この噂はすぐにかき消された。

 今、一番有力な説として語られているのは、某国のお姫様説だ。日本人女性と結婚したどこかの国の王様が失脚し、生き残った娘が亡命してきたのだと言う壮大な妄想だ。

 亡命したお姫様が、動画を一生懸命作ったりするわけないだろ、と思いながら教室の一角でクラスメイト達の噂話を聞いているのが私だ。

 騒々しい一行は有村梓の家に行くことになったらしく、教室から出て行った。

 相変わらず曇り空が続いている。晴れることはないだろうと諦めて立ち上がったとき、教師が顔を見せた。

「美章園さん、時間ある?ちょっと手伝って欲しいんだけど」

 教室内にはまだ数人の生徒が残っている。なのにピンポイントで私に来た。

 目立たないように、注目されないように生きているのに、なぜこんな時だけ見つかってしまうのだろうか。

「はい」

 そんな感情を見せないように、鞄を机の上に置いた。

       *


 教師の用事は思ったよりも時間がかかった。

 誰もいなくなった教室から鞄を回収して家路を急ぐ。雲が立ち込めているため、暗くなるのも早い。

 普段は自転車通学だが、今朝は雨が強かったために親に車で送ってもらった。迎えには来てもらえないので帰りは徒歩だ。少しでも早く帰ろうと近道をする。

 ファッションビルの駐車場、通り抜けると大回りをせずに済むことになるのだが、段差があるため自転車では通れない。しかし徒歩なら簡単に通り抜けられるため、普段から使用している人は多い。

 今日は定休日のためビル全体が薄暗く、少し不気味な感じがする。足を速めながら通り過ぎようとした時、音楽が聞こえてきた。聞き覚えのある曲、ARIAの曲だ。

 ファッションビルの外壁はガラスで囲まれているため、定休日の日にはガラスを鏡に見立てて踊るダンサー志望の人をよく見る。今日は天気が悪いためか、踊っているのは一人だけだった。そっと近づいて覗いてみると、謝蘭華だった。

 吉本花月に教えたダンスを踊っていた。ダンスが素人の吉本花月でも踊れるように振付けたので、それほど複雑な動きはない。それでも、吉本花月のダンスとは全く違うことが一目で分かった。軽やかに、力強く身体を動かす。一つ一つの所作が大きく、早く、メリハリが良い。さすがダンス留学しに来ているだけのことはある。

 思わず見入ってしまったため、ガラス代わりの鏡越しに目が合ってしまった。それでも謝蘭華はダンスを止めることはなく、曲の最後まで踊り切った。私の方へ視線を向ける。逃げた感じになるのがイヤだったので、私もそこにとどまったままでいた。

「上手ね」

 先を取った。

「ありがとう。一緒に踊る?」

 全く期待していないくせにそんなことを訊いてくる。

「勘弁してよ」

「ざーんねん」

 謝蘭華はバッグからタオルを取り出して汗を拭く。

「有村さんの家に行ったんじゃなかったの?」

「行きたかったんだけどね、車が定員オーバーだったの。ざーんねん」

「あんなに大きいのに?」

「運転手さんが病気とかでお兄さんが来たの。銀色のスポーツカーで」

「お兄さんがいるんだ」

「しかも超イケメン。たっかみーは凄いよねー、何でも持ってる。何者なんだろ」

「お姫様じゃないかって言っている人がいたわ」

「美章園さんなら知っていると思ってたんだけど、知らないんだ」

「どうして知っていると思ったの?」

「だっていつも梓達の話を聴いているじゃない」

 顔が一気に真っ赤になったのが分かった。暗がりでそれがばれていないのを期待しながら答える。

「そんなことないわ」

「隠さなくたっていいじゃん。梓達見ているの超面白いし」

 さばさばと笑ってみせる。

「だから近づいたの?」

「近づいたんじゃないよ。向こうから寄ってきたんだよ」

 得意気ににやりと笑う。確かに、ダンスを教えて欲しいと近づいたのは有村梓だ。

「でも梓は凄いよね。正直、最初は遊びだろって馬鹿にしてたけど、あっという間に本当に歌い手になっちゃった。有言実行(ゆーげんじっこー)って奴だよね。私はえらそうなこと言っちゃったけどさ、まだダンサーでもなんでもない」

 そう言って悔しいではなく、少し寂しそうな顔をする。

 フォローの言葉は思い浮かばなかったし、フォローが必要なのかどうかも分からなかった。

「でも、あなたは何になりたいかは決まっているでしょう」

 それは確かだ。

「私は何になりたいのかすら決まってない」

 だからこれはただの愚痴だ。

「本当に?」

 一転意地悪な顔をしてくる。

「そうよ」

 胸の内を見透かされたような気分になったので、それを振り払うように小さく答えた後、お願いした。

「ねぇ、踊ってよ」

「オッケー」

 謝蘭華はスマートフォンを操作して曲を再開させた。

 私は一曲だけ見学した後、足早に帰途についた。

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