第8話 ダンスレボリューション

「新曲は遅れているから、花月が前に作った曲に歌入れをして公開することにしたわ」

 突然多佳美が宣言した。

 相談されていなかった梓と和は目を丸くするが、多香美の後ろで悔しそうな顔をしていることから花月が了承していることは分かった。

「花月ちゃんは良いの?」

 分かっていても和は訊いてしまうが、答えたのは多佳美だった。

「良いのよ。歌い手になりたいのは梓でしょう。だったら新曲である必要はないわ。そもそも花月の曲である必要もない。でも、花月の曲を歌いたいというなら、いつできるか分からない新曲をただ待つよりも、すでにある曲を歌って、新曲ができるのを待った方が良いわ」

「それはそうだね」

「え?」

 和は多佳美の一方的な説明にあっさりと納得する梓を意外に思った。

「悔しいけど、いつまでもみんなに迷惑をかけるわけにはいかないし」

「全然迷惑じゃないよ。花月ちゃんが頑張ってくれているのは分かっているから。新曲楽しみに待っているよ」

 目を逸らす花月に梓は笑顔のエールを送る。

「うん……、頑張る」

「さてと、それではさっそく録音に行きましょう」

「そんなにいきなり歌えないんじゃないの?」

「花月ちゃんの歌なら全部歌えるよ」

 まだしこりが残っている和の疑問に、梓は朗らかに答える。

「あのー」

 部屋の片隅から遠慮がちな声が上がる。それまで自分の部屋にいるにもかかわらず存在感が限りなく薄くなっていた座間聡子だ。

「それは私も行くのかしら。とんとんと話を進められても、私にも都合というものがね……」

「ニートに都合なんてあるわけないでしょ」

「ですよねー」

 いつになく高圧的なお嬢様女子高生に歯向かう気力は、昼過ぎまで寝ていたニートには無かった。


 新曲を作るからと帰っていった花月以外の四人は、いつもスタジオ代わりに使っているカラオケ店に向かった。

 梓はこれから録音する曲を口ずさみながら歩いている。先ほどの言葉通り、歌詞もばっちり覚えている。

 カラオケ店はアーケード付きの商店街を抜けたところにある。カラオケ店の手前に来た辺りで言い争っている声が聞こえてきた。

 子供と若い女の声だ。幾人かの買い物客が足を止めて様子を見ている。

 近づくと、女の独特なイントネーションと言葉使いは聞いたことがある気がした。

 覗いてみると、そこにいたのはクラスメイトの謝蘭華だった。

 そして蘭華と言い争っている子供は……、花月にそっくりだった。

「なんで花月ちゃんがこんなところに!帰ったんじゃなかったの?しかも着がえるの早い!」

 十分前に別れた時には制服を着ていたのに、今は原色の派手なポロシャツにデニムの七分丈パンツという格好だった。もう本当に、男子小学生にしか見えない。

「花月?」

 子供は蘭華に向けていた敵意の表情を緩め、梓達に視線を向けた。

「お姉ちゃん達、姉ちゃんの知り合い?」

「姉ちゃん?」

 梓が聞き返す。

「俺は吉本雨月(うげつ)。花月は姉ちゃんだよ」

 その説明の口調から、間違えられ、それを正すことに慣れているのが分かった。

「花月ちゃん弟がいたんだ!雨月君は何年生?」

「五年生。お姉ちゃんが梓ちゃん?」

「すごい。よく分かったね!」

「だって姉ちゃんがいつも話しているから」

 梓以外の三人は、花月が梓についてどんな話をしているのだろう、良い話ばかりではないだろうなと思ったが、梓は素直に嬉しそう顔で「そうなんだ」と笑った。

「じゃあ、こっちの胸の大きいお姉さんが委員長で、美人のお姉さんがたっかみーだね」

 雨月は指差しながら確認する。

 多佳美は「そうね」と怒りを押し殺しながら答え、和は胸を抑え、少し脅えながら「よろしくね」と挨拶する。

「それで、金髪がニートのお姉さん」

 雨月は全部答えられたことに得意気である。

 子供相手に怒ることもできず聡子は複雑な顔をしている。

「それで、なんで雨月ちゃんと蘭華ちゃんはケンカをしていたの?」

「ケンカしてたわけじゃないよ」

 蘭華はばつの悪そうな顔をしながら少し後ずさる。

「この人がいきなりケンカ売って来たんだよ!俺はなんにもしてないのに!」

 雨月は蘭華を指差して責めた。

「ダメだよ蘭華ちゃん。子供にケンカ売ったりしたら」

「だからケンカ売ったりしてないって。それは、この子が吉本だと、姉貴の方だと思ったから、また振り付けしてくれって言いに来たのかと思って、しつこいなってイラッてしちゃって、えーと。ゴメンなさい」

 ごちゃごちゃと言い訳をしていた蘭華であったが、最後には勢いよく頭を下げた。

「仕方ないなー、姉ちゃんに間違えられるのはしょっちゅうだからいいよ」

 少し上から目線ではあったが、雨月はあっさりと蘭華を許した。

「でも、そんなに似ているかな?」

 雨月はぽりぽりと顔をかきながらぼやくが、改めて見ても花月そっくりであった。

「駄目だ少年、そんなに簡単に許してはならない」

 無事に収まりかけた話を、悪そうな顔をした多佳美が蒸し返す。

「いたいけな子供に因縁を付けた罪は万死に値する。それ相応の対価を払ってもらわなければ許してはならない」

「な、なによ。この子は許してくれたんだからね」

 不穏な空気を感じて、蘭華は対抗する。

「善良な少年の許しは得られたかもしれない。しかし、商店街で子供と諍いを起したという事実は、誰かが学校に通報でもすれば、内申に響くことになるかもしれないわね」

 多佳美は本当に悪そうに微笑む。留学の継続を左右する「内申」を出されると、留学生は「ぐっ……」っと負けを認めるしかなかった。

「分かったよ。有村さんにダンスを教えればいいんでしょ」

「梓で良いよ。なんだかよく分からないけどありがとう」

 その屈託のなさの真偽を疑うような目をしながら、蘭華は差し出された手を握った。

「二人追加よ。それに振り付けもお願いね」

 多佳美は指を二本突き出す。

「あーあーあーあー、この際もう徹底的に協力するわよ。で、どんな曲なの?」

 蘭華は吹っ切れた様子で、サバサバとした口調で訊ねる。

「それは今からたっぷり聞かせてあげるわ。雨月君も良かったらいらっしゃい」

「なになにカラオケ?りょうかいラジャー!」

 軽いノリで了解した小学生と共に、女子高生達とニートはカラオケ店へと入って行った。


       *


 体育祭が近づくにつれて、生徒達の熱気は日に日に高まっていく。

 放課後のグラウンドは区割りがされて各クラスに割り当てられ、ダンスの練習が行われる。体育会系クラブの練習もあるため、一クラスに割り当てられた時間は短い。グラウンド練習だけでは全く時間が足らないために、ほとんどのクラスは校内の空いているスペースを使って練習を行っている。

 そのため、この時期の桃陰高校の放課後の校内は、どこへ行ってもダンスの練習をしている生徒が見られた。

「じゃあ、十分休憩」

 ダンスリーダーの蘭華の合図に、一年A組の生徒達はその場に崩れ落ちた。ダンサー志望の蘭華のトレーニングは上手であり独創的であるが、スパルタでもあった。

「こんなにダンスをしている学校って珍しいよね」

 運動嫌いの文化系少女、和はぜいぜいと荒い息を吐きながらこぼす。

「そうだね。でも楽しいよ。体育祭が近づいてくるって感じがしてワクワクする」

 運動神経は人並だが、身体を動かすのが好きで、元気が売りの梓は疲れを見せずに笑いながらスポーツドリンクの入ったペットボトルを差し出す。

「ありがとう。あっ」

 口からこぼれたスポーツドリンクがシャツに小さなシミを作る。和は零してしまったことを詫びるが、梓は気にしないでと笑う。

「私はダメだな、身体を動かすのは苦手だし、好きでもないし。それに、胸が大きいのってダンスの時邪魔だよね」

 言いながらもぞもぞとブラジャーの位置を直す。

「私はそれほど大きくないから」

「えー、梓ちゃんも結構あるでしょう」

「もげろ」

 練習に参加していなかったはずの多佳美が和の背後に突然現れて耳元で囁いた。

 和は一気に顔面蒼白になり、冷や汗が背中を滝のように流れ落ちた。


 クラスでの練習が終わった後も梓達四人はその場に残った。蘭華から動画用のダンス練習を受けるためである。

 踊らない和は少し離れたところに座り込んでいる。多佳美はカメラを回している。

「時間もないし、さっさとやろう」

 蘭華が声をかける。

「ちょっと待ってよ」

 花月がそれを制止する。

「なんで雨月がいるの?」

「私が呼んだからよ」「たっかみーに呼ばれた」

 二人の返事が重なった。

「何をするつもりなの?」

 花月は雨月を守るように前に出て多佳美に問う。

 こうして並んで立つと、更に似ているように見える。背格好、顔立ち、少し浅黒いところもそっくりである。

 唯一違う点は、花月が髪を綺麗に梳かしているのに、雨月はボサボサな点だ。それも、ダンス練習のために花月も髪が乱れているため、決定的な違いにはなっていない。

「今度の動画のメインは梓ではなくて、花月と雨月の二人でいくわ」

 多佳美は高らかに宣言する。

「蘭華にもそのプランで振り付けを考えてもらったから」

「そんなの聞いていない」

「今言ったわ」

 多佳美と花月の間で火花が散った。

「俺は踊りたいよ。楽しそうだし!」

 一触即発の空気を雨月のやる気満々の声が変えた。

「雨月君。協力してくれてありがとう」梓がすかさず礼を言う。

「良いってことよ。それに俺も、ごきビデに出てみたかったんだよね」

 弟がここまで乗り気になっていれば、不本意ながらも花月は了承するしかなかった。

 蘭華が考えてきたダンスの振り付けは多佳美のリクエスト通り、花月と雨月メインのものだった。

 成り行きに不満があっても、いざ練習が始まれば花月は真剣に取り組む。雨月は運動神経もよく、振り付けを覚えるのも早かった。弟に負けじと花月もダンスを覚える。蘭華が考えてきた振り付けは、短い時間で考えたにしては完成度が高く、また面白かった。

 小学生男子の双子にしか見えない二人が絡み合い、離れ、また絡み合う、二人の特徴を生かした独創的なダンスだった。曲にもよく合っている。しかも一方は女の子だという点が、背徳感も匂わせていた。

 二人に比べればかなり動きが少ないが、梓も一応ダンスをするので、蘭華から指導を受ける。

 カメラワーク的な観点から多佳美が口を挟み、蘭華は柔軟にその提案を取り入れていく。

 梓も最初はあまり動かないので楽だと思っていたが、蘭華は動きが少ないなら少ないなりのダンスと、その難しさがあることを教えてくれた。このダンスは梓の静と吉本姉弟の動のコントラストが売りなのだ。動が頑張っているなら、同じだけ静も頑張らなくてはバランスが崩れてしまう。二人に負けじと、梓も一生懸命練習に取り組んだ。

 皆の頑張りで、ダンスの完成度は急速に高まっていった。


 数日経つと、練習に見学が付くようになった。最初はクラスメイト達が残って見ていたのだが、彼女達が友達を誘うことによってその輪は広がっていた。そして人数が増えれば、知り合いではない者も足を止め、野次馬に加わりやすくなる。

「良い感じですね」

 今日もカメラを回している多佳美に和が声をかける。和もスケッチブックを持ってきて、皆の様子をスケッチするようにしていた。

「私の目に狂いはないわ」

 多佳美はレンズから目を離さず、にやりと笑う。

「手応え有りよ」

 二人の背後から「かわいい」と歓声が上がる。吉本姉弟の評判は上々であった。

「ショタ」「ロリ」「萌えー」「燃えー」「鼻血出そう」「持って帰りたい」などという不穏な言葉に多佳美は益々笑みを深め、和の額を汗が流れた。


       *


 体育祭の前日に、本番の撮影を行い、無事に終了した。

「楽しかった。また呼んでね」

 雨月は手をブンブンと振って帰って行った。

 それを見送っていた梓は、ふと横に立っていた花月のスカートをめくった。

「何するのよ!」

 慌ててスカートの裾を抑えた花月が怒鳴る。

「あはははは、もしかして入れ替わっているかもしれないと思って」

「他にも確認の方法はあるでしょ!」

 怒っている花月を残して、梓は蘭華の方を向く。

「蘭華ちゃんも忙しいのに付き合ってくれてありがとう。とってもいい動画が撮れたよ」

「私も楽しかったし良い勉強になったよ。また必要になったら言ってよね。協力するから」

「うん。絶対にお願いするね。それじゃ、ミスドーナツで撮影終了をお祝いしよう!」

「おー」

 女子高生達は声を合わせ、ドーナツ屋へと急いで向かった。


       *


 よく晴れた空の下、副会長の代弁による生徒会長エールで体育祭は始まった。

 徒競走。

 玉入れ競争。

 障害物競争。

 借り物競争。

 練習してきたダンス、とプログラムが進められていく。

 多佳美はそれらをありとあらゆる角度から撮影していた。神出鬼没でどこから現れるのか分からず、皆を驚かせていた。

「たっかみーって競技には全然参加してないけど、一番動いてるよね」

 花月はその様子に呆れる。

「ビデオ制作会社みたいですよね」

 和も同意する。


 体育祭の最後を飾るのはクラス対抗リレーである。各クラスから選抜された四人が走る。

 一年生はA組とF組の総合得点が拮抗しており、リレーに勝った方が総合優勝になるということで、両クラスの応援が特に盛り上がっていた。

 号砲と同時に選手達が飛び出していく。

 激しい競り合いの末に、梓達A組の第一走者である蘭華が先頭に立ち、身体一つ分のリードを奪う。A組の応援席から歓声が上がった。

 リードを保ったまま第二走者にバトンが渡り、第三走者を経由してアンカーに渡るときには、二位のF組には身体三つ分の差がついていた。

「F組のアンカーはわこちゃんだ!わこちゃんはね、とっても足が速いんだよ」

 梓のテンションは一段と上がるが、周囲にいるA組のクラスメイト達は当然わこを応援したりはせず、逃げ切れ―と仲間に声援を送る。

 野上わこは梓の言葉通りに足が速く、先頭との差をみるみる縮めていった。しかしA組の走者も簡単にはその座を譲らない。

 繰り広げられるデッドヒートに応援に力が入る。

 興奮した梓は思わず「わこちゃんガンバレ!」と力いっぱい叫んでしまい、「こらっ」と花月に怒られた。


       *


 熱狂のうちに、高校生活初めての体育祭が終わった。

 しかしその次の日、聡子の家に来た四人の中で、和だけがひどく落ち込んでいた。 

「どうしたの?体育祭が終わったのが悲しいわけじゃないわよね?筋肉痛?」

 聡子の問いに力なく頭を振る。

「違うんです」

 ぐすっと涙ぐむ。

「誰も教えてくれなかったんです」

 聡子から何を教えなかったの?という視線を向けられた梓達は苦笑を浮かべる。

「体育祭が終わったら一週間で中間試験があるって、誰も教えてくれなかったんです!」 

 和は悲痛な声で訴えた。

「……勉強してないのね」

 しおしおと頷きが返された。


「大丈夫だよ。まだ一週間あるんだし」

 梓がいつもの笑顔で励ます。

「随分余裕ね。そういう梓は勉強しているの?」

「してるよ」

 あっさりと肯定する。

 なので、皆も一度はそのまま受け流してしまい、一拍置いた後に驚いた。

「……え?」

「ちゃんと勉強しているとか、そんなキャラじゃないでしょ!」

「いつしてたの?」

「う、裏切者」

「意外な一面があるのね」

と一斉に非難が浴びせられる。

 梓は分かっていないのね、という顔を見せる。

「だって、うちのママは怖いんだよ。悪い点を取ったら、何をされるか分からないよ」

 何をされるかを想像しただけで顔を青ざめ、身体を震わせ出した梓を見て、皆は事態の深刻さを把握した。能天気女王の梓をここまで怯えさせるとはどんな母親なのだろうか?

「それはさておき、」多佳美が髪をかき上げて仕切りなおす。

「新曲ができたんだけど、聡子が預かっておいて」

 そう言ってメモリスティックを差し出した。

「公開したらアクセス数やコメントが気になって勉強が手に付きそうにないから、でも一秒でも早く世の中の人に見て欲しいから、私達の試験が終わるのと同時に公開して欲しいの」

「それは良いけど……」

 聡子は戸惑いながらスティックを受け取る。

「私で良いの?」

 その質問に、一同はきょとんとした顔を見せる。

「お姉ちゃん以外の誰がいるの?」

 梓の言葉に全員がうんうんと頷く。

「そうね、預かるわ」

 聡子はぐっとメモリスティックを握りしめた。


       *


 桃陰高校では、各学年十位までの試験結果が職員室の前に張り出される。

 その掲示の前に花月と和がいた。掲示されてから少し時間が経っているので、人影はまばらだった。

 一年生の十位までの中に二人の名前はない。

「梓ちゃん、本当に勉強していたのね」

「そうだね……」

 今でも信じられないといった風に呟く。

 有村梓は三位だった。

「勉強しているって言ってたし」

「梓ちゃんのママってどんな人なんだろう」

 あんなお気楽極楽に見える梓をここまで勉強させる梓の母親の恐ろしさとはどれほどのものなのか?二人は己の想像に体を震わせる。

「でも、こっちは本当かしら」

「不正の匂いがするよね」

 学校にはほとんど来ず、勉強している素振りを見せない理事の娘、奥多佳美の名前は十位にあった。

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