第7話 アクセス数の増やし方
青空の下、少女達はグラウンドでその若い肢体を躍動させていた。
桃陰高校では五月の下旬に体育祭が開催される。そのため、ゴールデンウィーク明けからその準備が始まる。
一年A組はB組と合同で生徒達の運動能力を見極めるべく、体育測定を実施していた。
「有村梓、行きます!」
元気が取り柄の少女は右手を大きく上げた後、助走を始めた。
なお、桃陰高校の体側服は若草色のジャージ、白の半そでシャツ、若草色のスパッツである。梓は上はジャージ、下はスパッツという格好だ。
力の入ったフォームで助走をした後、「やっ」と声をあげて踏み切る。ツーサイドアップの髪が、白い雲をバックに綺麗にたなびく。
走り幅跳びを終えると五十メートル走、その後はハンドボール投げと続いていく。
「お疲れ様。梓ちゃん頑張ってるね」
「うん。身体動かすの大好き」
「見せて見せて」
梓と比与森和と吉本花月はお互いの記録用紙を見せ合った。
「う、うーん」和は梓の結果を見て口ごもったが、花月ははっきりと感想を言った。
「普通ね」
一生懸命に、全力を込めて頑張っているように見える梓であったが、その記録はどれも平凡なものであった。
「でもね、長距離走は得意なんだよ。吹奏楽部では体力が勝負だっていっぱい走らされたし、しかもチューバだったから肺活量がすごいの」
「確かに肺活量はすごいよね」
和が頷く。それは歌っているのを見れば分かる。
「千五百メートル走がスタートするみたいだよ。頑張って」
「うん、行ってくる」
花月の応援を背に、梓はスタートラインまで走っていった。
果たして、梓の千五百メートル走の結果は……
三十五人中十一位という、実に微妙な順位であった。
上下共にジャージを着ている和の結果は散々なものであった。そもそもインドア大好きな文化系少女は自分の運動能力になど全く関心がなく、手を抜きまくった結果なので当然である。
更には、大きな胸を揺らしながら女の子走りをする様は、一部の生徒の反感を買っていた。
一方、半そでシャツにスパッツという格好の花月はいつも以上に小学生男子感が増していた。普段は制服のスカートをはいているのでまだ女子高生に見えるが、グラウンドにいる姿は完全にただの小学生男子である。
花月はまじめに競技に取り組んでいるが、背が低いためになかなか記録は伸びてこない。しかしそれでも頑張る姿に、グラウンドにいるクラスメイトだけではなく、教室からグラウンドに目を向けている生徒達、特に上級生の一部に異常な高ぶりを与えていた。
「た、短パンをはかせたい」的な。
そして奥多佳美は全く体力測定に参加していなかった。
彼女にしてみればジャージに着替えただけでも、よくやったと褒め称えた方が良いのかもしれない。
そのくせ、長い髪を後ろで二つに束ね、頭には白い鉢巻まで巻いている。そのやる気が、体育測定ではなく別の物に向けられているのは明らかだった。
撮影である。
多佳美は同級生達の体育測定の様子を手に持ったハンディカムで撮影しまくっていた。
撮った動画を何に使うのか、何が彼女にそこまでさせるのかは誰にも分からなかったが、多佳美はありとあらゆる角度から、地面に寝転がってまでも撮影していた。
異様な光景であったが、多佳美に出会ってまだ約二週間のクラスメイト達は、この美人がそういう人間なのだとすでに理解しており、特に問題視する者はいなかった。
*
放課後、梓の従姉である座間聡子の家に集まった四人はぐったりとしていた。
「どうしたの?」
「今日は体育測定だったんだよ」
いつもは元気が有り余っているように見える梓がふらふらとソファに座り込む。
「体育測定ぐらいで情けないわね」
「聡子さんは全然動いてないじゃない」
「あら、運動は得意よ。高校生の時はバドミントン部で、県大会で良いところまで行ったんだから」
すくっと立ち上がった聡子はその場で素振りをして見せる。
その鋭い腕の振りだけで、素人でないことは分かった。しかし聡子がかっこいい姿を見せられたのは一瞬だけだった。
「あいたたたた」
腰を抑えながら崩れ落ちてしまう。
誰もが口には出さなかったが、心の中で呟いた。
『ニートが調子にのるから…』
「さて、皆さんにお話があります」
腰に湿布を張ってもらって立ち直った聡子は、テーブルの上に置いているノートパソコンをくるりと回してモニターを見せた。
「アクセス数が増えません」
「確かに」
美しい眉間に皺を寄せながら多佳美が同意する。
「思うに、見てくれているのはほとんどが花月ちゃんのファンね」
「まだファンなんていないですよ」
「でも、アクセス数の伸びは今までの花月の曲とほぼ同じよ。むしろ伸びが悪いくらいだわ」
「でもでも!」
梓が手を上げながら口を挟む。
「私は毎日見てるよ」
「そんなレベルの話をしているんじゃない!」
聡子は一喝する。
「例えば、比較対象としてはあまり良くないけど、わこちゃんのAgOgは公開から三週間経った今でも一日に千近いアクセスがあるわ」
「それに比べてARIAは、公開後まだ一週間しか経っていないのに一日に五十アクセスもない」
聡子の後をついで多佳美が補足した。
「でも、初めての曲ならそれでも大したものじゃないの?」
和がフォローの意見をはさむ。
「そうだとしてもそれで満足するつもり?野上わこに勝つんじゃないの?」
「勝つとか負けるとか考えてないよ。わこちゃんが見てくれれば良いとは思うけどね」
梓の言葉に、少し熱くなっていた聡子と多佳美は気を削がれることになってしまった。
「野上さんだけじゃなくて、色んな人に見てもらいたいじゃない」
花月の問いに、梓は大きく頷く。
「もちろん。みんなが頑張って作ってくれた曲と動画だもん。大勢の人に見てもらいたいよ」
「その為にはどうしたらいいのかって話をしてるんだよ。私や委員長も宣伝しているけど、やっぱり歌っている本人が宣伝するのが良いと思うんだ」
「私のところにも、ARIAって誰なの?って質問が来ます」
「でも、梓はツイッターやインスタグラムはやってないんだよね?」
「うちはSNS系禁止なの」
「そんなの黙ってやれば分からないじゃない」
多佳美の言葉に、梓は顔を青くしてぶんぶんと首を振る。
「ママはそういうのあんまり知らないからばれないとは思うけど、もし万が一ばれたらと思うと、怖くて絶対にできないよ」
そう言う梓は、いつもの明るい姿からは想像ができないぐらいに脅え、汗を流し、身体がガタガタと震えだしている。
「ブログも駄目なの?」
「ブログはSNSじゃないの?」
「その辺はあまり深く追求しないほうが良いんじゃない。結局、ネット上で梓が自分で宣伝する方法はないってことよ」
聡子が少し強引にまとめる。
「やっぱり、もっと有名な絵師さんに描いてもらった方が良いんじゃないかな私では力不足で……」
「それは駄目」
梓は和の弱気な提案を即座に却下する。
「ここにいるみんなで作るの」
そこに理由なんかいらない。梓の短い言葉にはその想いが詰まっている。
花月と多佳美がその想いをしっかり受け取っている一方で、和は曖昧な笑みを見せていた。
「それじゃ二曲目に期待ってことね。もう作っているんでしょ」
聡子に振られた花月は、たははと笑いながら困った顔を見せる。
「作ってはいるんだけど、少し難航してて……」
「アイデアが次々に出てくるんじゃなかったの」
「それは出てきているんだけど、逆に出過ぎてまとまらないというか……」
「まだ少し時間はかかるってことね。動画の方は?」
「こっちは曲ができないと動けないでしょう」
「アイデア出しぐらいはしておけるじゃない。今度はドラマっぽい動画にするのはどうかな?梓だけじゃなくてたっかみーも出演して。たっかみーは美人だから話題になると思うけど」
「顔出しは勘弁していただくわ。私は撮るだけよ」
多佳美を髪をかき上げて良い女っぷりを見せつけながら、和に目を向ける。
「それよりも委員長が水着か下着にでもなった方が喜ばれるんじゃないかしら」
少しいやらしい視線で豊満な体を上から下まで舐める。
「い、いやです」
和は顔を真っ赤にしながら強く拒否する。
「大丈夫よ。映すのはその牛みたいな胸だけで顔は映さないから誰だかは分からないわ」
「絶対に嫌です!」
「たっかみー、委員長をいじるのはやめなよ」
止めに入った花月に、多佳美はキラリと目を光らせる。
「むしろ花月がイケるんじゃない」
「え、ええ。今日も学校で一部の層が燃えていましたし」
生贄の対象が自分に戻ってこないように、かばってくれた花月を和もいじり始める。
「な、な、なにが?」
「この小学生男子と見紛うボディ、ショタロリっ子を生かさない手はないということよ。分かるでしょう」
「ええ、僕っ子とかやってくれたら、喜んで悶絶する人達が目に浮かびます」
珍しく息を合わせる二人に脅えながら、花月は精一杯抵抗する。
「私は絶対に「ボク」とか言わないんだからー」
「梓はダンスはできるの?」
妄想に囚われた者とその犠牲者は置いておいて、聡子は訊ねる。
「みんなと一緒に踊るぐらいなら」
「リズム感は良いよね」
妄想から逃れたい花月が入ってくる。
「でも、ごきビデで公開するレベルではないかな」
動画投稿サイトには「踊ってみた」というダンスを披露するジャンルがある。そのレベルは様々だが、プロ顔負けの実力者も動画を投稿している。
梓が目指す歌い手の中にも、歌いながらダンスを披露している者もいる。
「練習すればいいでしょ」
「誰が教えるのよ」妄想の世界から帰ってきた多佳美が口を挟む。
「それにダンスは振り付けも考えなくちゃいけないのよ。誰かできるの?」
手を上げる者は誰もいなかった。
「花月ちゃんのダンスはかわいいだろうな」
唐突に梓が妄想の世界に突入する。
「確かに!ショタロリっ子のダンスはありね!」
「私で遊ぶなー」
*
次の日の放課後のホームルーム、一年A組の教室では昨日の体育測定の結果を参考に体育祭の種目決めが行われていた。
大きな悶着もなく全員の参加種目が決まったが、一つ大きな役職が残っていた。
全員参加のダンスのクラスリーダーである。
桃陰高校の体育祭の目玉はダンスである。全学年がそれぞれにダンスを披露する。三年生は学年全員でダンスを踊り、演技時間も長く、構成も複雑である。年が明けた頃から準備を始めている。
一年生はクラス単位でのダンスであり、演技時間も短く、複雑なことは求められない。しかし、振り付けや攻勢は自分達で考えなければならない。集大成となる三年生のダンスに向けての準備なのだ。
多くの生徒が中学校時代に体育の授業でダンスをやってきているとはいえ、振り付けまでできる生徒はまれで、例年一年生のダンスはお遊戯レベルのものになるか、難しいことをやろうとし過ぎて崩壊するかのどちらかのパターンが多い。
その責任者となるクラスリーダーになりたい者はあまりいない。
「立候補はいるかしら」
クラス委員の長尾(ながお)悠理(ゆうり)がおっとりと尋ねるが手を挙げる者はいない。
「では、謝(シェ)さんに頼みたいんだけど良いかしら」
「なんであたし!」
謝蘭華(ランファ)が椅子を鳴らしながら立ち上がった。制服を着ていても躍動感のあるバランスの良い身体つきをしているのがある。制服のスカートの下にはスパッツをはいている。ボブカットで前髪は上げて後頭部でバレッタで止めている。少し大陸的な顔つきなのとイントネーションが変わっているのは、中国からの留学生だからである。
「だって一番ダンスが上手ですもの」
蘭華の激しい口調には全く動じずに、悠里は和やかに答える。
蘭華がダンスが得意なのは、クラスメイト達も認めていることで異論は出ない。何せ、ダンス留学をしに日本に来ているぐらいである。
「やりたくないよー」
大きく手を振って拒否する蘭華に、悠里は細い目を更に細めながら優しく告げる。
「内申に響くわよ」
「うわ、ずっこいな。それを言われたら辛いじゃん。やりたくないけどやるしかないじゃん」
蘭華は謎のギャル語っぽい話し方でしぶしぶ了解した。
クラスメイト達は面倒事を押し付けられなかったことに安堵する一方で、留学生が内申に弱いことを利用する悠理の策略に恐怖した。
そんな中、梓は獲物を見つけた目をしていた。
ホームルーム終了後、梓はまっすぐに蘭華のもとへ向かった。
「蘭華ちゃん」
「なに?」
蘭華はクラスリーダーを押し付けられたことをまだ不満に思っているらしく、ふてくされた感じで応える。
「私にダンスを教えて」
梓は勢いよくお願いする。
「だーかーらー、教えることになったって」
「そうじゃなくて、私は歌い手になりたいの。それでごきビデに動画を投稿しているんだけど……」
「あーそういうのね」
蘭華は説明を途中で遮っていやそうな顔をしながら手を振った。
「面倒だからヤだ」
「そう言わずに一度動画を観て」
しかし梓も簡単には挫けずに食らいつく。
「観たよ」
蘭花は意外な返事をする。
「歌、うまいと思うよ。曲は吉本さんが作って、動画は奥さんが撮ったんでしょ。みんなうまいよ。でも遊びでしょ?私はダンサーになりたくて、そのために留学して日本に来たの。だから、内申のためにリーダーはやるけど遊びに付き合う時間はないの。ゴメンね。そんじゃ、振り付け考えなきゃいけないから帰るね」
蘭華は立ちふさがっていた梓の身体をするりと交わして出口へと向かった。
「あ、でも有村さんのことも応援してるから。頑張って」
そう言い残して帰って行った。
「梓ちゃん」
花月は取り残された梓にそっと声をかける。
「ふふふふふ、燃えてきた、燃えてきたよ花月ちゃん」
落ち込んでいるかと思いきや、梓は全くへこたれていなかった。
そういう子だったなと花月は苦笑する。
*
同じ頃、聡子は自宅で一人パソコンに向かっていた。
モニターに映っているのはARIAの動画である。
聡子なりに分析をした結果、ARIAの曲のアクセス数が伸びない理由は分かってきていた。
しかしそれを素直に梓達に教えて良いものかどうかは悩みどころだった。
教えずにこっそりと宣伝をしてあげることでアクセス数を増やす方が良いのかもしれない。
自分が何をすることが、梓達のためになるのかを考え悩んでいた。
「うーむ」
唸っていると携帯の着信音が鳴った。
体育祭のダンスレッスンがあるのでしばらく来られないという梓からのメールだった。
「そんな時期か……」
桃陰高校の卒業生は少し昔を懐かしむ。毎日遅くまで学校に残ってダンスの練習をしたものだ。
つまり聡子は、皆でダンスを作り上げていくことの経験者であり、振り付けを考えたりしたこともあるのだが、梓達はまだそれに気が付いていないらしいのは朗報である。
「ま、良いか」
悩み事は放置することにして、ネットゲームを起動させた。
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