第6.5話 美章園正知子のグルーミーデイズ#3
「短いスカートは履いてきちゃダメですよ」
「なんで?せっかくの委員長の晴れ舞台なんだから、それに見合った格好をして行かなくっちゃ」
「だからそういうのじゃないんですってば」
ゴールデンウィークの間にある登校日。ニュースでは「今年は最大で九連休ですね」などと言っているが、学生とその親達にとっては関係のない話だ。少子化とはいえ子供のいる家も多いだろうに、誰に向かって流しているニュースなのだろうか?
一年A組の教室の中は、浮ついた気分、前半戦でもう疲れ切った倦怠感、後半戦に向けての期待感がごちゃまぜになって、せっかく学校に来ているというのに集中して授業を受ける雰囲気ではなかった。
窓際の席に三人が集まって話をしている。席に座っている比与森和は委員長と呼ばれているが、少なくともこのクラスの委員長ではない。昔の有名なパソコンゲームで人気のあった委員長キャラが眼鏡で巨乳でお下げだったことから、その三要素を備えた者は委員長と呼ばれていると聞く。
比与森和は見事にその三要素を備えていた。
前の席を占拠して後ろ向きに座っているのが有村梓、元気だけが取り柄のような娘だ。
二人の横に立っている背が高く髪の長い美人は奥多佳美。ゴールデンウィークの前日に初めて登校してきた彼女は、右手に持ったデジカムで二人を撮影している。
突然教室内にカメラを向けたりするので、そちらを見ているのがばれないように気を付けなければならない。
もう一人、小学生男子のような外観の吉本花月もよく一緒にいるが、こちらは朝から爆睡している。先生も起こすのを躊躇ってしまったほどの豪快な眠りっぷりだ。
「動きやすくて、汚れても大丈夫な格好が良いの。だから一番良いのはジーパンなのです」
「野原でやるんじゃないんでしょ?市民ホールでしょ?」
「でも汚れるの」
「分かった。キュロットにするね」
話を聞いているのかいないのかさっぱり分からない有村梓の結論に、比与森和はまぁそれならと引き下がった。
話をまとめると、ゴールデンウィーク後半に市民ホールで開催される同人誌即売会に比与森和が参加するらしく、有村梓が手伝いに行くらしい。手伝ってもらう以上、強いことは言えないのであろう。もしかしたら痛い目を見れば良いと思っているのかもしれない。気が弱そうな娘だと思っていたが、有村梓への対応を見ていると頑固なところもあるようだ。
もっとも、有村梓の能天気さはその頑固さを覆す。
鐘が鳴って先生が入って来て、窓際の会議は解散された。吉本花月はまだ寝ている。
そういえば学校の先生も連休なんて関係ないな、と気が付いた。
市民ホールの近くでバスを降りた。インドアのイベントに行くにはもったいないぐらい良い天気だったが、だからと言ってアウトドアなイベントに縁があるわけでもない。
お昼を少し過ぎたぐらいの時間だったが、すでに帰り道についている人達が多くてびっくりした。会場外のベンチや階段はそれっぽい人達に占拠されており、家に帰るまで我慢できないらしく薄い本を開いて読みふけっている。
同人誌即売会に行くのが初めての私は、入場前からカルチャーショックを受けて、軽くくらくらする。
それでも、入口で入場券代わりのパンフレットを買って会場に入った。
そこにはネットで見たことがあるのと同じような光景が広がっていた。ずらりと並ぶ長机。山積みになっている同人誌。様々なポップやのぼり。その間を蠢く人々。
そして、ネットの画像では感じられない物がそこにはあった。
むっとする熱だ。
空調が効いておらず室温が高いだけなのか、そこに集まった人々の熱気なのかは判らないけれど、入場した途端にむっとする熱を感じた。
比与森和はどこにいるのかとパンフレットを開く。ページいっぱいに小さな画がずらりと並んでいる。画の上にはサークル名が書いてあるが、比与森和のサークル名は知らないし、画をじっくり見たこともない。しかし彼女が最近はまっているらしい華の影忍を扱っているサークルは固まって配置されているようなので、その辺りを回っていれば見つけることができるだろう。
そう決めてパンフレットを閉じた時、正面から知っている顔が歩いてきた。
「あら、美章園さんじゃない。意外。こういうところに来るんだ」
目ざとく気づかれてしまった。やってきたのはクラスメイトの久宝寺未来と志紀照海と加美玲奈だった。志紀照海は席が近いので話したことはあるが、親しいわけではない。他の二人とはほとんど話したことがない。
三人はオタク系女子であり、入学当初は比与森和の画の上手さを賞賛してつるんでいたが、ある時から急に仲間外れにし始めた。
「始めて来たの」
「高校デビューね」
久宝寺未来が少し偉そうに言う。彼女は比与森和を先生と呼んでおだてつつも、隙あらば上から目線で話していたのを思い出した。
「どう?始めてのコミックセブンは?」
「今来たばかりなの。でも、なんだか凄いと思う」
「こんなのコミケに比べたら全然小さいし、大したことはないわ。しょせん地方イベントって感じよね。私達はもう見終わっちゃったから帰るところよ」
コミケに行ったことがあるのを自慢したいのだと分かったが、良い気分にさせてあげる義理は無い。
「サークル参加じゃないの?漫画は描くんでしょ?」
案の定、三人は少しむっとした顔をする。
「入学したばかりで忙しかったし、それにコミケには申し込んでいるわ」
「そう。受かると良いね。それじゃ、私は見てくるから。お疲れ様」
三人は微妙な顔をしながらも道を譲ってくれた。仲良くするつもりもないが諍いを起すつもりも無い。上手にかわせただろうかと思う一方、比与森和がサークル参加していることには触れなかったことに気が付いていた。あの三人が知らないはずが無い。もしかしたら一悶着やらかしたのかもしれない。
三人が見ているかもしれないので、華の影忍ゾーンには直行せず、手近なところから見ていくことにした。
知らないジャンルの本だったが、画がとても上手で驚いた。隣のサークルの装丁も素敵だ。ネットを見ていて、素人でも絵が上手な人が大勢いることは知っていた。しかし実物を手に取ってみて、さらにその作者が目の前にいると思うと、こんなにも画が上手な人がこんなに大勢いるのかと改めて驚いた。
あれこれと見て回った後で、もう三人はいないだろうと念のために会場内を見回すと、またクラスメイトを見つけた。柱の影に身を隠すようにしながらデジカムを構えているのは奥多佳美だった。美人ではあるが、その行動は相変わらず謎だ。
声をかけることはせず、当初の目的地に向かった。
比与森和は立って、お客らしい誰かと話していた。有村梓の姿は見えなかった。出直そうかと考えている間にお客は去っていったので、近づいていく。
「どうぞ、見て行って下さい」
「……こんにちは」
「こんにちは。……ってえっと、美章園さん?」
「ええ……」残念ながらあまり覚えられてはいないらしい。
「ごめんなさい。学校にいる時と少しイメージが違ったから」
「そう?」思わず自分の姿を見直してしまう。地味な感じの格好で学校にいる時と大差ないはずなのだが。
「同人誌に興味あるとは思っていなかったし。小説はよく読んでいるよね。漫画も読むの?」
「ええ。華の影忍も好きよ」
「そうなんだ。良かったら私の本も見て行って」
手渡されて、ひどく気を使わせていることに気がついた。ろくに話したこともないクラスメイトが突然やってきたら驚くだろう。しかも来たのは良いものの、会った後にどんな話をするのか全く考えていなかったとは、自分でも信じられないぐらいの大ポカだ。
そんなことが気になって本の内容が全く頭に入ってこないので、思わずいらぬことを言ってしまう。
「久宝寺さん達も見たわ」
「えーと、うん。私には気がつかなかったみたいで、前を素通りして行ったわ」
比与森和は苦笑いする。
また気を使わせる話をしてしまった。
「これいただくわ。五百円ね」
「お金はいいよ。もらって」
親しい人やお世話になった人に本を渡す、献本という習慣があることは知っていた。しかし、ただクラスメイトだというだけで本を受け取るのは嫌だった。
「買わせて欲しいの」
ぐいと五百円玉を差し出す。
「それじゃ、ありがとうございました。良かったら感想を聞かせてね。私の本の話じゃなくても、華影の話もできればしたいな」
「比与森さんとは華影の話をしてみたいって思っていたの。ちゃんと感想も言うわ」
「美章園さんの感想って厳しそうで怖いな」
比与森和はたははと笑った後に質問してきた。
「美章園さんは描いたりはしないの?」
「漫画を?私は読むの専門。自分で描くなんて考えたことがないわ。子供の時は落書きぐらいはしていたけど、とても才能があるとは思えない出来栄えだったわね」
「けっこう面白い話を書きそうだと思うけどな。ね、せっかくだから座っていかない?」
「……有村さんがいるんじゃないの?」
「そうなんだけど、梓ちゃんは見学に行ったまま帰ってこないんです。さっきから連絡しているんだけど返事はないし……」
比与森和はそう言いながらスマホを見てがっくりと肩を落とす。返信がないことを確認したのだろう。
「せっかくだけどまたの機会にするわ。他のところも見てみたいし」
「そう。来てくれてありがとう。良かったら帰りにも寄って。その頃には梓ちゃんも帰ってきていると思う」
有村梓には会いたくないという言葉を飲み込んで、笑顔で手を振って別れた。
見て回るとは言ったが、急いで出口へと向かった。
早く外に出て、先ほどからこみ上げてくるなんだか分からない身体の火照りを抑えたかった。
さっきまで、自分は書く側に回るなんて考えてこともなかった。しかも、断ってしまったけれども売り子になることができたのだ。例え売り物が自分の作品ではないとしても、全く想像していなかったことだ。
自分で書いて、それを売る。
そんなことができるなんて想像したことがなかった。
しかし、それが現実として成し遂げられる物だと分かった瞬間、身体の奥でなにかが着火してしまった。
前方に床に転がってきゃあきゃあ騒いでいる一団が見えた。有村梓と奥多佳美、それに吉本花月だ。その横を凄い勢いで通り過ぎる。
「ふふふふふ」
熱だけではなく、変な笑い声まで漏れてくる。いったい私の身体はどうなってしまったのだろうか?
建物の外に出るとまだ日は高く、眩しかった。
眩しさに目を細めながら、私はひたすらに帰途を急いだ。
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