第6話 アップロードしますか?
ゴールデンウィーク最終日。四人と聡子はカラオケボックスに来ていた。
「あんた達大丈夫なの?」
四人はそれぞれボロボロだった。
梓はずっと歌の練習をしていた。花月はより良い曲にしようと調整を繰り返していた。多佳美の動画作りは佳境に入っており、同人誌即売会が終わったばかりの和には素材作りの発注が山のように来ていた。
一人元気な聡子に、弱々しい肯定の返事がばらばらと返ってくる。
「特に梓。練習し過ぎで声が出ないんじゃないの?」
「平気だよ。花月ちゃんの歌を歌うと、すっごい元気になるんだから」
「うーん。それじゃ、とりあえず歌ってみる?」
「うん」
梓はマイクを手に取る。
その瞬間、表情が引き締まるのを、聡子は見た。
見たことのない、真剣な顔だった。
梓が歌い終わると、一同は惜しみない拍手を送った。
梓は花月の歌を歌うと元気になると言ったが、その歌は聴いた者を元気にする力もあるようであった。
「とっても良かったよ」
「生歌を聴くのは初めてだったけど、想像以上に良かったわ」
心からの賞賛の声がかけられる中、似つかわしくない嗚咽が聞こえてくる。
「花月ちゃん、なんで泣いてるの?」
「自分の作った曲に歌が入っているって思ったら、感動しちゃって。ひーん」
「花月ちゃん頑張ってくれたもんね。私も歌えて嬉しいよ」
梓は花月の小さな身体を抱きしめる。
「よし、それじゃさっそく録っちゃおう!」
湿っぽくなりそうな空気を打ち破るように聡子が声をかける。
「うん」
梓はヘッドフォンをかけ、マイクを両手でギュッと握る。集中して気を高める。
多佳美がデジカムを構える。
聡子が持ち込んだパソコンを操作する。
曲が流れ始めた。
四テイク録って歌録りは終了した。
「歌と曲を合せるのは花月ちゃんに、動画はたっかみーに任せるとして、もう一つ決めておくことがあるわ」
聡子は人差し指を立てる。
「歌名よ」
「かめい?」
「歌い手名。略して歌名。芸名みたいなものよね」
「なるほど。わこちゃんのリング、花月ちゃんならフラワームーンのことね」
「私は作曲だから家名じゃなくてペンネームだけどね」
「委員長は華京院(かきょういん)・R・椿子(つばきこ)だよ」
「へぇ、委員長のペンネームってそうなんだ。どういう意味?」
「好きなキャラから取ったとか、そんな感じです」
「Rは?」
「それは秘密です」
和は怪しく笑いながら、来る途中に寄ったコンビニで買ったロールパンを指で千切り、口に入れた。
聡子はなんとなく了解すると、梓に向き直る。
「基本的には本名を入れたり、ちょっと語順を変えたり、英語にしたり、好きだったり尊敬している人の名前から取ったり、好きな言葉を入れたりするわね。ちなみに好きな言葉は?」
「上を向いて歩こう!」
即答だった。
「名曲ね」
一同はうんうんと頷く。
「でも、歌名には合わないわね」
「でも、好きな言葉よりは名前を入れたいな。梓は英語でなんて言うのかな?」
梓の質問に聡子が素早くパソコンで検索する。
「カタルパ?」
「カタルパってなに?」
「だから英語で梓よ」
「梓といえばやっぱりあずにゃんでしょ!猫耳をつけて!」
花月が頭の上に手を乗せてぴょこぴょこと動かす
「猫耳はかわいいかも!」
「あずあずとか?」
「アズーリはどう?」
「イタリア代表じゃない。うーん、苗字を使ってみる?カタルパ イン ビレッジとか」
「カタルパはもういいよ」
「あり、あり、あり……アント?」
「蟻はどちらかと言えば花月じゃない」
「なんでよ!」
「あ、それ良いかもしれないです」
「良くないわよ!」
「そうじゃなくて」と和が紙に書いていく。
「有村の「アリ」と、梓の「ア」を取って、アリア。確か、独唱曲って意味だったと思う。どうかな?」
「ピッタリじゃない」
「歌姫っぽいね」
「うん、良いよ。アリア」
こうして歌名が決定した。
「じゃあ次はユニット名を考える?」
聡子が提案する。
「ユニット名って、「A Girl in Opera Glasses」みたいな奴?」
「ええ。歌い手とそのサポートメンバーっていう同じような構成だしね」
「上を向いて歩こうが好きならsukiyakiって良いんじゃない?」
「なんですき焼きなの?」
梓は花月の提案に頭を捻る。
「英語ではsukiyakiって言うんだよ」
「ホントに?それ私が知っている英語?」
「グーグルだってそう訳してるんだからホントだよ!」
「導火線バーニングとかどうかな?」和が入ってくる。
「太陽という名の君のソウルとか」
「なにその厨二くさいの。というかそれ華影でしょ」
多佳美が呆れた感じで控え目につっこむ
「ふふふ。今月号もう読んだ?私燃えちゃった」
「読んだけど……」
「みんなの名前を入れるのはどうかな?頭文字を取って、あ・か・た・な」
「それだったら私も入れてよ」
「たっかみーはどんなのが良い」
梓の問いに、積極的に意見を出していなかった多佳美は珍しくどきっと戸惑った顔を見せた。
「私は……」
言い淀む多佳美に視線が集まる。
「私は、ユニットとか嫌よ」
俯きながら、強い口調で言った。
「私は、サポートメンバーとかそんなのではなくて、もちろん梓をサポートするし協力するけれど、メンバーって感じで助けたいのではなくて……、ごめんなさい。自分でも何て言えばいいのか分からないのだけど、ユニットって言葉で片付けられるのは嫌なの。それは違うの」
「分かるよ」
梓は多佳美の背中をゆっくりと力強く抱き、長い黒髪の中に顔を埋める。
「友達だもんね」
梓が見つけてくれた言葉に、多佳美は顔を赤らめながらうんうんと頷いた。
*
長期休み明けの桃陰高校ではごきビデがちょっとした話題になっていた。
新曲のアクセス数がすでに二百万を超えている音楽ユニット「A Girl in Opera Glasses」の歌い手「リング」がこの学校の生徒だという情報が広まっていたからだ。
普段はごきビデを見たりしない生徒達も休み時間にスマートホンで見たり、野上わこの姿を見に一年F組に押し掛けたりしていた。
昼休み、四人はそれらの狂騒には加わらず、集まってまったりと昼食を食べていた。
正確にはぐったりと疲れ果てながらもそもそと食事を口に運んでいた。
花月はまだ曲の微調整にはまっていた。和は多佳美から出された大量の宿題に追われており、多佳美も人に仕事を課している分、自分でもそれだけの仕事はしていたためだ。
午前中は授業を聴けるような状況ではなく、三人とも昼休みを告げる鐘で起きたところだった。
すでに歌入れが終わっている梓だけは元気だが、三人を刺激しないよう、当たり障りのない話題を振りまいている。
ピンポンパンポーン
Jポップを流していた校内放送が中断され、男の先生の声で重々しくお知らせが流れた。
「一年F組の野上わこさん、生徒指導室に来て下さい。繰り返します。一年F組の野上わこさん、生徒指導室に来て下さい」
四人の間を緊張感が駆け抜けた。
教室の中にもざわめきが起こる。
「なんでわこちゃんが!」
梓は立ち上がって叫ぶ。
「AgOgが話題になっちゃったからかな?」
「なんで?」
「ごきビデに出ることを快く思っていない先生もいるかもしれないってこと」
「なによそれ」
花月の意見に多佳美は声を荒げるが、和は同意する。「それ、あるかもしれない」
「F組に友達がいるから聞いてくる。待ってて」
花月が教室から出て行く。
何をすれば良いのか分からない梓は、ぐるぐると教室の中を歩き回った。
放課後、F組の友人から送られてきたメールによると、わこはやはりごきビデのことで呼ばれたらしかった。どのような話がされたのかは不明であるが、放課後に改めて職員室に来るよう言われたらしい。
「ごきビデってやっちゃダメなの?」
梓が困った顔で三人に訴える。
「校則には禁止事項はなかったと思うけど、派手な活動は嫌がられるかもしれないです」
「野上さんは、ちょっとした芸能活動みたいになっているもんね」
「わこちゃんは悪くないよ!」
「悪いとか悪くないとかじゃなくて、先生がどう思うかよ」
「ごきビデのことをよく分かっていない先生もいるだろうし」
「じゃあ、私達はどうなるの?」
その問いに一同は口を閉ざす。
匿名で、完全に正体を隠して曲を公開するだけであれば規制の対象にならないであろう。しかし、顔を出す以上は正体がばれる可能性は十分にあるし、人気が出ればそれだけ危険性が高まることになる。
目の前に見えてきていた道標をぽっきりと折られた気分だった。
「嫌よそんなの」
それまで口を閉ざしていた多佳美が強い意志を持った声で言い放ち、すくっと立ち上がった。
「誰にも私達の邪魔はさせないわ」
そのまま長い髪を翻して早足で教室から出ていく。
「たっかみーどこ行くの?」
三人は一拍置いた後に慌てて追うが、追いつけない。
多佳美はすごい勢いで職員室に突撃していった。
続いて職員室に入るかどうか悩んでいる間に、多佳美はあっさりと出てきた。
「どうだったの?」
「やっぱりごきビデだったわ」
多佳美は眉間に皺を寄せながら答える。
「でも、もう生徒会預かりになったんですって」
「どういうこと?」
「処分するかどうかは先生じゃなくて、生徒会が決めるってことでしょ」
花月が答える。
「それは良いことなの?悪いことなの?」
梓の質問に三人は顔を見合わす。
「それは、行ってみないと分からないんじゃ」
「じゃあ行こう!生徒会に乗り込もう!」
梓はすぐに走り出す。残りの三人もその後を追う。
「あ、梓ちゃん」
和が心配そうに声をかけてくる。
「生徒会室がどこかは知っているの?」
「どこ?」
全くの逆方向だった。
「失礼します」
先頭でドアを開いて生徒会室に入った多佳美がいきなり立ち止ったので、後に続いていた三人は玉突き状態でぶつかった。
「なんだお前達は」
中からきつい声が飛んできたが、多佳美は臆せず言い返した。
「なんであなたがここにいるのよ」
細長い生徒会室には長机が向かい合わせに並べられたものが二組続いている。
その向こうには重厚な感じの大きな書斎机がある。書斎机の手前に立ち、振り返っているポニーテールの生徒は野上わこだ。一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに不機嫌そうな無関心そうな顔をした。
書斎机の向こうには、その後ろにある窓から入る逆光を背にして眼鏡をかけたショートカットの生徒が立っている。性格がきつそうな印象のこの生徒が、先ほどの誰何の主だろう。
しかし多佳美の視線の先にいるのは眼鏡女子ではなく、その前に座る書斎机の主だった。その小柄な少女のもっとも分かりやすい特徴は、頭の両脇にある大きなツインテールである。しかも綺麗に縦ロールしている。
「いきなり入ってきて何だ!桃陰高校生徒会会長 光陣(こうじん)はるか様だぞ」
眼鏡女子の言葉と共に、生徒会長の小さな身体から、その外見に似合わぬ強烈なプレッシャーが放たれた。
「生徒相手に「様」は止めろと言っています」突然眼鏡女子の口調が変わった。
「は、失礼しました」また元に戻る。
「しかし珍しい人が尋ねてきてくれたものですね。この学校はいかがかしら、多佳美さん」
また口調が丁寧なものに変わる。声も一オクターブほど上がっている。
「会長、お知り合いなのですか?」
また元に戻る。一人芝居を見せられているようだ。
「そう言えば入学式の生徒会長挨拶もこんな感じだったよね」
思い出した梓が花月にひそひそと話しかける。
「そうだった。なんだろ?腹話術?」
「腹話術ではありません」
訂正の言葉が飛んできて、梓と花月は冷や汗を流しながら背筋を伸ばした。
「多佳美さんは中之島のお嬢さんですわ。何度かパーティーでお会いしています。ああ、彼女が」
眼鏡女子は生徒会長からのであろう言葉を口にし、それに自分で納得する。
「お会いしているね……」
多佳美は憎々し気に言うが、その先の言葉は後ろからつっこみを入れた花月に遮られた。
「やっぱり中之島だったんだ!」
「中之島って?」
「中之島グループよ。日本だけじゃなくて世界のありとあらゆる場所に進出している日本を代表するグローバル企業、財閥よ。創業者の出身はここ、阿倍野市で、今でも本社は東京じゃなくてここにあるし、この学校の理事もしているはずだよ。そして確か、理事長は光陣さん……」
「そう、私の父です。中之島様とは比べ物になりませんがこの辺りで小さな銀行を営んでいますので、昔から何かとお付き合いさせていただいています」
話しているのは眼鏡女子だが、口調から生徒会長の言葉だと分かる。よく見ると、生徒会長の口も小さく動いている。
「この人の声はね、特殊な周波数らしくて普通の人には聞こえないの。でもたまに聞こえてしまう不幸な人がいるの。私とか、その後ろに立っている人とか」
頭にハテナマークをつけたままの梓達に、多佳美が説明する。
「後ろに立っている人、なんて言わないで上げて。私の声を生徒達に伝えるという大事な仕事をしてくれている、生徒会副会長の東村……よ」
眼鏡女子は自分の名前を言い淀んだ。多佳美は軽く噴き出したが、眼鏡女子はきっと睨んでそれを黙らせた。
「パーティーとかで人が集まる公式の場所があるでしょう。そうするとこの人は自分の声が聞こえないのを良いことに、好き勝手なことを言いまくるの。聞こえない人には良いけど、聞こえる人には大迷惑よ。しかも、私が大事な場面にいる時を狙って、噴き出すようなことを言ったりするの。お陰で何度か酷い目にあったわ」
「お陰様で楽しませてもらいましたわ」
そう口にする東村は微妙な顔をしている。同族を憐れんでいるのだ。
「それで、何の御用だったのかしら?」
「わこちゃんをどうするんですか?」
梓がぐいっと前に出て叫んだ。
「どうする?」
東村は右手の中指でメガネのブリッジを少し上げた。
「先生が、処分は生徒会に任せたって!」
「ああ、野上さんが生徒会に処分されると思ったのね?そんなことはしません。生徒会は生徒の活動を支援するものであり、妨げるものではありません。ただ、我が校の誇りと名誉を傷つける行為に対しては罰を与えますが、これまでの野上さんの活動はそのような物だとは判断していません。ただ、今回は生徒の間でも話題になっているようですので説明をしてもらい、今後も我が校の誇りと名誉に傷をつけないようにお願いしただけです」
「そうだったんですか。わこちゃん良かったね」
「別に……」
わこは梓からの満面の笑みに顔をそむけた。
「それで、どうして多佳美さんがいらっしゃったのかしら?」
「それは……」
口籠る多佳美の代わりに梓が答える。
「それは私が歌い手になりたいからです。でも私は歌を歌うことしかできないから、多佳美ちゃんや、花月ちゃんや、和ちゃんにも手伝ってもらっているんです。多佳美ちゃんは、わこちゃんの歌い手活動が禁止になるなら私の活動も禁止になるかもしれないって思ったんです」
「なるほど。頑張ってください」
生徒会長は微笑んで口を動かした。しかしその微笑みは、梓ではなく多佳美に向けられていた。
四人とわこは生徒会室を出た。
なんとなくそのまま一緒に歩き始める。
「そう言えば、たっかみーはなんで副会長さんの名前で吹き出したんですか?」
和が訊ねる。
「それは……」
多佳美は少しためらう。
「人の名前を笑うのは悪いって分かっているんだけど、不意に言われたから思わず笑っちゃったの」
多佳美は注意深く断りを入れてから説明する。
「副会長の名前は、東村キララって言うんですって。しかも、流れる星と書いてキララ」
外見とあまりにもギャップのあるかわいらしい名前に一同は悪いと分かっていても少し吹き出してしまった。
わこも思わず笑ってしまう。
その姿を梓に見られていたことに気が付き、慌ててまた無表情を装う。ちょうど廊下の分岐路に来たところだったので、梓達からすっと離れる。
「さっきはありがとう、それじゃ」
短く礼を言って足早に去ろうとする背中に梓は言った。
「わこちゃん、私、歌い手になるよ」
「……もう聞いた」
わこは振り返らずに、そのまま去って行った。
*
その週末、動画はとうとう完成した。
聡子のパソコンの画面には「動画をアップロードしますか?」という文字が表示されている。
梓はパソコンの周りに集まった顔をぐるりと見回す。
そして「はい」というボタンを力強くクリックした。
こうして、ARIAの記念すべき一曲目が世界に羽ばたいていった。
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