第4.5話 美章園正知子のグルーミーデイズ#2
桃陰高校一年A組には入学式以来ずっと空いている席があった。
四月が終わりに近づいているので入学式からすでに三週間が経過しているのだが、席の主は一度も登校してこない。
本当に空席なわけではない。
奥多佳美。
出席簿にはまだ見ぬクラスメイトの名前が記されている。
担任は、一度もその生徒のことを口にしなかった。欠席しているのが当たり前であるかのようにふるまっていた。欠席の理由を知っているのかもしれないが、私達生徒に説明することはなかった。
授業に来る先生達も欠席を了解しているようだった。出席簿を見ながら問題を割り振る数学の先生が、一度間違ってその名を読んだことがあったが、すぐに取り消した。
クラスメイト達の間でも、最初は「謎の奥さん」の話題で盛り上がったりもしたが、すぐに下火になった。
この場にいないクラスメイトよりも、出会ったばかりのクラスメイト達と親睦を深める方が先だったからだ。
お昼ご飯を一緒に食べたり、教室移動を一緒にするクラスメイトはできたものの、親しいと言えるほどの友人ができていなかった私は、時々まだ見ぬ奥多佳美さんを想像して楽しんでいた。
ありきたりの設定としては、病気や怪我で入院しているのかもしれない。名前から受けるイメージでは怪我よりも病気の方が似合っている。難病を患っており、病院の窓から遠くに見えるこの学校に向けて一日中視線を送っているのだ。
それとも、親の都合で海外に住んでいるのかもしれない。高校入学に合わせて帰国するはずが、親の都合で帰国が遅れてしまったのだ。もしくは、向こうの学校に通っているため、四月からの入学はできなかったのかもしれない。その場合、彼女が来るのは夏休み明けになるだろう。久しぶりの日本だったら戸惑うことも多いかもしれない。その時、私は彼女の助けになってあげられるだろうか?
普通にありそうなのが、単純に不登校だということだ。新しい環境に入っていくのが怖くて、学校を休んでいる。中学校の時から休みがちだったのかもしれない。ありそうな話だ。
とんでも設定ではアイドルになっている、というのも考えた。仕事が忙しくて学校に来る余裕がないのだ。同じ年でこの辺り出身のアイドルはいるだろうかとパソコンで検索したりもした。
どの設定でも、登校してきた奥多佳美は自分と仲良くなった。困っているところを助けて、心を開いて、親友になる。
そこまで想像して、すぐにその幻像を自ら打ち壊す。
自分は奥多佳美が困っている状況に出会ったりしないし、出会っても簡単に手を差し伸べたりはしない。心を開いてもらえないし、万が一開いてもらったとしても私が心を開いたりはしない。
奥多佳美を中心に盛り上がる輪の外からそれを眺めている自分の姿、最後はいつもそのシーンに辿り着いて、私は想像を止める。
ゴールデンウィーク前々日、奥多佳美が突然登校してきた。
朝、教室のドアをくぐると、いつも空席だった席に当たり前のように座っていた。
座っていても、細く背が高いのが分かった。長い黒髪を持つ美少女だった。想像したどの奥多佳美よりも、本物は素敵だった。
すでに登校していたクラスメイト達は何人かで集まってひそひそと話をしていた。もちろん、突然の闖入者の話をしているのだろう。さっさと本人に声をかければ良いようなものだが、ピンと背筋を伸ばし、まっすぐに前を見ているその姿はどこか近寄りづらく、声をかけづらいオーラを放っていた。
チャンスだ!
今声をかければ、奥多佳美の特別な何かになれる可能性が高い!心の声が身体を揺さぶる。
しかし私は動けなかった。オーラに気圧されていたのもあるし、なんと声をかければ良いのかも分からなかった。散々繰り返してきた想像は何の役にも立たなかった。色々な言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡るばかりだ。
とりあえず「おはよう」と声をかけるのだ。後は出たとこ勝負!
奥多佳美と友達になりたいという衝動は、私には珍しい破れかぶれな博打に出ることを決心させた。
「おっはよ、たっかみー。やっと来たんだね」
私の決心と、緊迫する教室の空気をあっさりと打ち破る明るい声で教室に入ってきたのは有村梓だった。一直線に奥多佳美の元へ向かう。有村梓と一緒にいることが多い吉本花月が周囲に気を使いながらその後をついていく。すぐに三人で親しげに話し始めた。
私に奥多佳美の特別な何かになれる可能性などなかったのだ。
なにをどうやったのかは分からないが、有村梓が、あの能天気で声の大きい娘が、誰も知らなかった奥多佳美をここまで連れてきたのだ。
思い上がっていた自分に対する自己嫌悪に襲われて、一日を暗鬱と過ごした。
担任を含む教師達は、奥多佳美がずっと登校していたかのようにふるまった。その理由について考えるのも煩わしかった。
この日、私を打ちのめす出来事はこれだけではなかった。
放課後には、あろうことか比与森和も有村梓の一行に加わって四人で帰って行ったのだ。私の目の前で黒塗りのリムジンに乗って去って行った。
比与森和は、アニメや漫画が好きな、いわゆるオタク系女子の中で一目置かれている存在だった。圧倒的に絵が上手く、中学校時代から同人活動をしており、そこそこの有名人らしい。それが今週の頭から突然はじき出されて一人でいることが多くなっていた。会話の流れから察するに、人気アニメ「華の影忍」のキャラクターのカップリングの趣味が合わないのが原因だと想像された。
私はオタクというほどではないが華の影忍は観ていて、どちらかと言えばマイナーな、比与森和と同じカップリングが好きだった。一度話をしてみたいと機会を伺っていたのだ。
それをまたしても有村梓がかっさらっていった。有村梓と吉本花月が比与森和と話しているのは見たことがない。クラスメイトから仕入れた情報では、昼休みに有森梓達が強引に接触したらしい。
こうして私は一日に二人も、気にしていた人物を有森梓に奪われた。
しかし有村梓を恨むのが筋違いなことぐらい分かっていた。さっさと行動に出なかった自分が悪いのだ。
それでも、心の奥底からどす黒い感情が毒蛇のように絡まりながら何度も何度も湧き上がってくるのを押さえつけることはできなかった。同時に、自分に対する情けなさと悔しさの感情にも強く絡み取られた。
ベッドで夜遅くまで泣いていたため、次の日の朝は寝不足だった。
腫れぼったい目のまま登校すると、私よりも寝不足っぽい娘がふらふらと歩いてきた。
大きいポニーテールが揺らしながら、スマホを胸の前で両手で抱えてふらふらと歩いている。視線はスマホではなく、一応前に向けられているのだが、覚束ないところがあって危なっかしい。
「危ない!」
思わずかけた声は間に合わず、ポニーテールの娘は窓ガラスに激突して倒れこんだ。
「大丈夫?」
声をかけてしまったので仕方なく駆け寄る。激突したとはいってもふらふらと歩いていたのでそれほどの衝撃ではない。むしろ目が覚めたといった感じで娘は立ち上がった。
「あ、はい。大丈夫です」
娘は顔を赤くしながら、スカートについたほこりを払う。
「ありがとうございます」
手から滑り落ちたスマホを拾って渡してあげるついでに、言ってみた。
「どういたしまして。私は一年A組の美章園正知子」
「F組の野上わこです。本当にありがとうございました」
野上わこは俯きながら会釈し、速足で去って行った。
「いきなり名乗って変な人だと思われなかっただろうか?」そんな危惧もあったが、その時の私は小さな達成感に満たされていた。
彼女が、ごきビデで話題になりつつある『AgOg』の歌い手『リング』であると知ったのは、ゴールデンウィーク明けのことだった。
私は小さな達成感で満足してしまったために、またしても誰かと友達になる機会を逃してしまったのだ。
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