第4話 集合と邂逅

 桃陰高校一年A組の教室は朝からざわついていた。入学式以来ずっと空席だった場所に一人の生徒が座っていたからだ。

 しかもとびきりの美少女ときている。

 男子がいない女子高とは言え、美少女には皆興味深々だ。しかし、ピンと背筋を伸ばして座っている美少女が発している近寄りがたいオーラが、声をかけることを躊躇わせていた。

「おっはよ、たっかみー」

 能天気に明るい声は教室内にキリキリと張り詰められていた緊張感を打ち砕いたが、新たなざわめきを生むことにもなった。

 始めて登校してきたクラスメイト(かどうかもまだはっきりしない)をあだ名で呼ぶなんて!

 そんなことができるお気楽娘はこのクラスには一人しかいない!有村梓だ!

しかしなぜ彼女は知り合いなのか?

 梓はそんなクラスメイト達の疑問の視線を全く気にせずに、まっすぐに美少女の席に向かった。その後ろを吉本花月が不躾に放たれる視線に居心地悪そうにしながらついていく。

「さっそく来たね!」

「どなただったかしら?」

 美少女は大真面目な顔で問い返す。

 ようやく現れた手がかりと思われる人物をあっさりと切り捨てる。正に、謎が謎を呼ぶ美少女!

 一年A組は朝からざわめきっぱなしである。


「冗談よ。花月と梓でしょ」

 美少女、奥多佳美は指差しながらしれっと応じるが、名前と顔が一致していない。

「あはははは、逆だよ」

 冗談なのか本気なのか分からない多佳美を笑う梓の後ろから、花月がおずおずと顔を出す。

「おはよう……、たっかみー」

「おはよう花月」

 挨拶を交わし終わったが、花月はなぜかそわそわしている。

 その様子を訝しげに見ていた多佳美だったが、不意にその理由に気がついた。

「発音を練習してきたのね!」

「そういえば!完璧だったよ!」

 昨夜、「たっかみー」の発音が間違っていると二人に非難されたので直してきたのだ。

「えらい」「えらい」と二人は花月の頭を撫で回した。


 約半月のブランクなど無かったような平気な顔で、多佳美はホームルームと一時間目の授業を受けた。ホームルームでは担任の方が緊張していたぐらいだった。不思議なことに「やっと出て来たのか」とか「これからみんなよろしくな」などのやり取りは一切なかった。

 休み時間になると、話しかけたそうにしているクラスメイトをよそ目に、梓と花月を呼び寄せた。

「画が描ける人が欲しいわ。あなた達は?」

 ごきビデで公開されている歌い手動画を一晩かけて研究してきたと前置きした上で、多佳美はそう言った。

 昨日始めて会って話したばかりだというのにこの行動力、そしてすぱっと質問してくる胆力、美人だからというだけではない凄みを感じさせる。

「ちょっと待って」

 話を急ぐ多佳美を花月が制する。

「私達の曲を聴いていないのに、どうしてそんなことが言えるの」

 歌い手動画には様々なタイプのものがある。一枚画、写真、アニメーション、実写動画、特撮、CG、そしてそれらの組み合わせ……。プロの歌手のプロモーションビデオでも曲によってこれらを使い分けているのでどれを使っても良いのだが、やはり曲のイメージという物がある。

 画を合せるのが良いのか実写が良いのか、曲を作る者として、花月は何も聴かずに決めて欲しくはなかった。

「だって歌うのは梓でしょ」

 花月に臆することなく、多佳美は平然と答える。

「梓だって私の動画を知らないのに、私に頼んだわ。だったら、私は私が信じるように作るだけよ。それに、私はもう一度梓を撮影したわ。その上で引き受けたの。私の中には既に梓のイメージがあるわ」

「うんうん、たっかみーはきっととても素敵な動画を作ってくれるよ。花月ちゃんの曲にもちゃんと合わせてくれるよ」

 梓は何の根拠も見せずにそう言うが、花月は簡単には納得できない。

 なおも多佳美に詰め寄ろうとする花月に先んじて梓が付け加える。

「花月ちゃんの曲も、とても素敵なんだよ」

「そうでしょうね。期待しているわ」

 多佳美は小さく笑う。素敵な曲が聴けるのだと、本当に期待しているようだった。

 そんな笑顔を見せられれば、花月は矛先を収めるしかなかった。

 二時間目が始まることを告げる鐘が鳴った。


       *


「画って、マンガっぽい画のこと?」

 次の休み時間、またも呼びつけられた梓は先に質問をぶつける。花月はクラスメイト達の羨ましそうな視線に居心地が悪そうにしているが、他の二人は気がつかずに話を進める。

「ごきビデに公開するならマンガ画の方が良いでしょうね。画法は何でも良いけど、魅力的なキャラクターが作れる人が必要よ。それと、ロゴとか背景も描ける人が良いわ」

 梓と花月は早々に自分達には無理であると打ち明ける。

「聡子さんは?」花月が梓に聞く。

「画を描いているところは見たことがないよ。それより、こんなこともあろうかと目をつけていた人がいるの」

「用意が良いじゃない。ネットで見つけたの?」

 梓はちっちっちと否定の人差し指を振った後、そのまま教室の一角を指差した。

「あそこにいるよ」


 一番窓に近い列のちょうど真ん中、柱の関係で窓際のはずなのに横が壁になっている席が二つある。その席の一つに座っているその生徒はせっせとノートに何かを書き込んでいた。

 大きな丸いふちの眼鏡をかけ、髪はお下げにしている。

「あの委員長?」

「委員長?あの人は委員長じゃないよ。委員長は……」

「良いの。気にしないで」

 梓の修正に多佳美がパタパタと手を振る。花月にも促されて、梓は訝しげな表情を残しながらも話を元に戻す。

「マンガを描くのが好きな人達がね、最初はけっこう集まっていたの。自分達が書いた画やポエムを見せ合ったりしてね。ちょいちょい覗き見してたんだけど、あの人は圧倒的に上手だったの。みんなからも一目置かれていたみたい。でも、今週に入ってからは何故か一人でいるのよ」

「そう言えば、先週、華影とかサル×キョウとか言っていたから多分……」

「カプ違いね」

 花月のフォローに多佳美はあっさりと納得する。

 ちなみに華影とは、アニメ化もされている人気漫画「華の影忍」のことであり、サルは主人公猿飛佐助、キョウはその親友である喬木京のことである。

「華影のことはあまり知らないけど、きっと友達を欲しがっていると思うの」

 梓は力説するが、多佳美は興味を失ったように、窓際から視線を外した。

「一理あるわ。でも駄目」

「どうして?」

 その質問には驚くほどの憎しみが込められた言葉が返された。

「巨乳だから!」

 確かに、メガネっ子の胸は大きかった。あまりにも重いのか、机の上に一部を乗っけているほどである。

 視線を戻すと目の前の多佳美は美少女である。

 しかし残念ながら、胸は絶壁であったのだ。


       *


 昼休み。

 比与森(ひよもり)和(なごみ)は手を洗うと教室に戻る。席をくっつけて、おしゃべりをしながらの楽しい食事をしているクラスメイト達の間をすり抜けて、窓際の自分の席へ向かう。

 鞄から母が作ってくれたお弁当を取り出し、机の上に広げる。

 入学後の滑り出しは上々だった。アニメや漫画が好きな友人達ができ、和を中心に話が盛り上がった。しかしちょっとしたミスであっという間にボッチ飯である。多少の後悔はあったが、己の趣味は譲れないという思いは強い。

 サル×キョウとかニワカか!一話からここまでの流れを考えれば当然キョウ×サル!

これはなにがあっても譲れない。

 何か分かりやすいいじめが具体的に行われているわけではない。グループから外され、無視されているだけだ。影では何を言われているか分からないが実被害はない。

 ならばボッチ飯上等!

 むしろ、思い切り妄想の世界に浸れるというものである。

 ということでお弁当を食べつつ華影の世界に没頭しようとしていた和の平穏は、乱入者達によってあっさり壊された。

 ガーという音が三方から迫ってきたと思ったら、机をどーんとぶつけられた。お弁当箱が跳ねる。

「あっごめん。こぼれなかった?」

 訊いてきたのはいつもやたらと元気な子だ。それと、その子といつも一緒にいる小さなショタっ子。今日始めて登校してきた美少女もいる。

「え?」

 和はまだなにが起こっているのか理解できない。

 正面にいる子、有村梓がゆっくりと口を開いた。

「一緒に食べましょう、カズちゃん」

 彼女に悪意がないことは一点の曇りもない笑顔でなんとなく分かった。

 そしてそれは今までにも何度も経験してきた間違いだったので逆に冷静さを取り戻すことが出来た。

 ゆっくりとした口調で誤りを正す。

「かずじゃなくて、なごみって読むの」


 梓は騒々しく自分が歌い手になりたいことと、和に絵師として協力して欲しいことを伝えた。合間合間に花月の冷静なつっこみと補足説明が入る。多佳美は黙々と食事をし、口を挟んでこなかった。

「一曲ぐらいは参加してみてもいいけど……」

 和はおずおずとそう答える。直感でこれは面倒事だと分かった。関われば大変なことになる。

 しかしそれと同時に目の前でまくし立てている有村梓がやっかいな相手だろうということも分かった。断っても、すぐには諦めない。引き受けるまで粘るタイプだ。

なら、一枚二枚画を描いてそれで終わりにすれば良い。

 そう考えての「一曲ぐらい」という返答だったのだが、梓は欣喜雀躍する。とても一曲ぐらいでは終わらなそうな、全面同意を取られた感じだった。

「ありがとう。放課後は空いてる?さっそく作戦会議よ!」と息巻いている。

「作戦会議って……」

問い質そうとしたが興奮した梓は話を聴いてくれず、花月はそんな梓の様子を申し訳なさそうにはしているが止めはせず、多佳美は相変わらず黙々と食事を続けていた。

「はぁ……」

 和は諦めて、溜息のような相槌のような物をこぼしながら弁当に箸を伸ばした。

 昼休みにはテンションが高かった梓であったが、放課後にはしょんぼりと三人に謝罪してきた。

「お姉ちゃん、今日は出かけてるんだって」

 花月がすかさず、梓の言うお姉ちゃんが誰なのかを多佳美と和に説明する。

「教室で話せばいいじゃない」

「花月ちゃんの曲を二人に聴いて欲しかったの」

「一応データは持っているけど、ITルームって借りられるのかな?」

「だったら私の家に来れば良いわ」

 多佳美がそう提案してくれる。

「ありがとう。でも、近いの?」

「近くはないけれど」

 問題がないことは校門まで来ればすぐに分かった。黒塗りのリムジンが轟音を立てて横付けされたのだ。


「私は自転車なんだけどどうしよう?」

 リムジンを前にして花月が困った顔を見せる。

「後ろをついてきたらいいじゃない」

 梓が当たり前のように答える。

「ついていけないよ!」

「でもこの自転車、折りたたみなんだよね」

 和の指摘に花月は頭を掻く。

「実はまだ折りたたみ方をちゃんと覚えてないのよね」

「知っている?」

多佳美が問うと、黒服を着た運転手は不敵な笑みを浮かべて答えた。

「問題ありません」

 運転手の手によって、リムジンのトランクに折りたたまれていない折りたたみ自転車が余裕を持って納まった。なぜか得意気な梓を先頭に、一行はリムジンに乗り込む。

 後部座席に四人で並んで座っても十分に余裕があった。

 いつも荒々しい音を響かせながら登場する車だが、乗ってみると静かで振動も少なく、快適な乗り心地だった。

 梓がリムジンに対して惜しみない賛辞を贈っている間に車は幹線道路から外れて住宅地に入っていく。高級住宅地らしく立派な家が立ち並ぶ中、一際大きな家が目に入ってきた。

 家というよりは洋館である。周囲を取り囲んでいる塀から距離があることから、庭も大きいことが分かる。

 運転手付きのリムジンに乗っていることから、多佳美が金持ちの娘であろうことは三人も察していた。

 しかし目の前の洋館は予想外だった。

「おお」

と感動している間にリムジンは洋館の前を通り過ぎ、角を曲がってしばらく走ったところで止まった。先ほどの洋館とは全く趣が異なる、小さな古民家だった。

 四人と自転車を下ろすと、リムジンは走り去っていった。

 古民家には木造の塀と門があった。門を開けて入っていく多佳美の後ろを、辺りをきょろきょろと見回しながら三人が続いていく。庭は小さいが様々な樹木が植えられており、手入れが行き届いている。

 鍵を開けて引き戸を引いて中に入ると自動的に玄関の電気が灯され、「オカエリナサイ」という音に迎えられて三人はびっくりした。人の声ではなく、電子音だった。

「ただいま」

 多佳美は抑揚のない声で答えると靴を脱いで上がっていく。続いて家に入った三人は正面に監視カメラが備えられていることに気がついた。

「お邪魔します」

何となく、監視カメラに向かって挨拶をする。

 どういうことなのかを訊ねようとする梓を、みゃーんという泣き声が遮った。

 廊下の向こうの角に尖った耳がぴょこんと覗く。すぐに一匹のネコが姿を現し、多佳美の細く長い脚にまとわりついた。

 灰褐色のしなやかな体躯に金色に光る瞳、そして大きな耳が一際目を引くネコだった。

「やーん、かわいいー」

 和がしゃがんで腕を開くと、ネコは軽い足取りで近づいていき、少し離れた場所で止まってふんふんと臭いをかぐ。

「さわらせて」と梓が手を伸ばすと素早く逃れ、また多佳美の脚にじゃれついて一鳴きした。

「本当にかわいい。アビシニアン?」

「多分ね。でも色が変わっているから、少し混ざっているかもしれない」

 猫の種類を当てた和に、多佳美は少し表情をやわらげながら答えた。

「名前は?」花月が訊ねる。

「イカルスよ」

「男前っぽい名前ね」と梓は言うが、和はそれだけではないだろうと考える素振りを見せる。

 耳が大きくて灰褐色でイカルスという名には思い当たる物があった。

「イカルスって……星人?」

 和は思い切って訊いてみた。

「その通りよ!」

 多佳美は満面の笑みで答えた。


「私の部屋は二階よ」

 そう言って階段を上がっていく多佳美の後を、人の気配が感じられないのを不思議に思いながら三人がついていく。ネコは軽い足取りで先に上がって行く。二階に上がるとすぐ目の前にドアがあり、短い廊下の先にもう一つドアが見える。手前のドアを開けて部屋へ入る。

 広い部屋だった。そもそも二部屋だったのを、繋げて一つにしたのだろうと思われた。全面的にリフォームしたようで、壁と天井は白く塗られ、床はフローリングだ。

 物は多いがきちんと片づけられている。

 目を引いたのは部屋の奥の壁を埋め尽くすかのように並べられたモニター郡だった。その数は六枚!

 その前にある横長のデスクの下には大きなタワータイプのパソコンが二台鎮座している。

 左側には大きなラックがあり、カメラやデジカムがごろごろと並べられている。

「わわわ、たっかみーて何者?」

「昨日までは唯の登校拒否生徒よ」

 多佳美はモニター前のデスクチェアに座りながらクールに答える。

「適当に座って、ってクッションが足らないわね。ベッドの上でもいいわ」とすすめられるが、三人はすぐには座らずに部屋の中を見回した。

 ラックに続けて置かれている本棚に並んでいるのは漫画やラノベが主だが、何故か電子工作の本がその横にあったりする。アニメや特撮メインのブルーレイディスクも一角を占めている。

 モニター郡とは別に置かれた大型テレビの前には各種ゲーム機が並んでいる。テレビの横のコンテナに入っているのはゲームソフトであろう。

 花月はデスクの上に置かれたデスク上の写真立てに気がついた。多佳美と、若い男が一緒に映っている。整った顔立ちの上品そうな男だ。多佳美は目の前にいる本物と異なり、上気してうっとりとした表情を見せている。

「これは誰、彼氏?」

 多佳美は写真の中の自分と同じようなうっとりとした表情で首を横に振った。

「お兄様よ」

 そう言って、写真立てをひしっと胸に抱いた。


 人心地ついたところで、曲を聴いた。先日カラオケに行った際に聡子の協力で花月の曲に梓の歌を合わせて録音したのだ。

 パソコンに接続されたスピーカーはかなり性能が良い物で、ノートパソコンのスピーカーで聞いている程度では分からない粗が露になってしまい、花月は大いに凹んだ。

「言われてみれば確かに荒さはあるかもしれないけれど、とても良い曲だと思うわ。まだ三曲しか作ったことがないのでしょ?それでこのできは凄いわ。歌もとても上手」

「そうね。正直想像以上だわ。二人ともね」

 多佳美と和に褒められて「えっへん」と梓は威張る。

「曲作りは誰かに習ったの?」

「うーん、見様見真似って感じかな」

 花月は照れながら頭を掻く。

「この曲に合わせて動画を作ればいいのかしら?」

「これはボカドルに歌わせるように作った曲だから。これから梓に合わせて新曲を作るつもりだからもう少し待って」

「でもこれも良い曲よ。カバーってことで発表すれば良いんじゃないかしら。とりあえず動画は考えておくわ」

「うん、私も色々とイメージが沸いてきた」

 最初は乗り気でなかった和にも少しやる気が出てきた。

「あはは、楽しみ!」

 上々の結果に、梓が朗らかに笑う。

 それから四人で色々と話し合った。花月が作ろうとしている曲のイメージ。皆が梓から受けている印象。どんな路線が合っているのか。何をやりたいのか。

 四人が集まったのは今日が初めてだというのに、昔からの友達だったかのように盛り上がった。


 あっという間に二時間が経過していることに気がついたのは電話が鳴ったからだ。部屋の壁に備え付けられている固定電話だ。

 電話に出た多佳美は少し話をした後、三人に訊ねた。

「お母さんがご飯を食べていってもらいなさいって言っているんだけど、大丈夫かしら?」

 梓と花月は即座に了解し、和がおずおずとそれに続いた。

 それぞれが家に連絡を入れた後、部屋を出て階段を降りる。階下には相変わらず人気が無かった。

 母親の姿は見えないし、食事の用意がされている気配もない。

 多佳美は階段下のスペースに備え付けられたドアの前に行き、ノブを回して開いた。一般家庭であれば、物置だったりトイレだったりするスペースだが、そこにあったのはそんな当たり前の物ではなかった。

「階段だ!」

 後ろから覗き込んだ梓が見たのは更に降りていく階段だった。階段を降りると一直線に伸びる長い通路があった。灯りはついていて明るいのだが、少し怖い感じがする。しかし多佳美がすたすたと歩いていくので、他の三人はついていくしかない。

 地下通路の中ほどで、多佳美が唐突に口を開いた。

「先に話しておくけど、私は愛人の子供なの。お母さんが病気で亡くなって、一年前にここに引き取られたの。さっきの電話は本妻さん。気にしなくてもいいけど、知っておいて」

 気軽にそんなことを突然言われても返す言葉はすぐには思いつかない。考えている間に廊下の端に辿り着いた。今度は登りの階段がある。

 そこで多佳美は振り返り、先ほどの告白よりはよほど真剣な感じで言った。

「それと、私はずっと学校に行っていたから。休んでなんかいないから。良いわね」


 階段を上がってドアを開くと眩しい光が差し込んできた。そこには豪奢な大広間があった。

「やっぱりあそこの洋館だよ」

 梓が思わず口にする。

「ええ、さっきの家は離れ。なんの目的で作られたのかは知らないけど、今は私が一人で使っているわ」

 目の前には品の良さそうな年配の女性が待っていた。

「いらっしゃい。母の早苗です。来てくれて嬉しいわ。多佳美さんが友達を連れてくるなんて始めてね」

「そうでしたっけ」

 一見穏やかな母娘の会話に見えるがその裏ではどのような応酬が繰り広がれているのか分からず、三人にとっては非常に緊張する場面であった。


 立派な洋館、立派な食堂、立派な食卓とくればどんなご馳走が出てくるのかと思いきや、出てきたのは意外と普通のハンバーグであった。

「美味しい」

 しかしその味はこの場にふさわしい一級品であった。

「肉本来の甘さが凝縮されています。この肉汁たまらない」などと女子高生に言わせるほどであった。

「こんなに美味しいハンバーグ初めて食べました。お料理上手なんですね」

 これだけの家ならお手伝いさんや料理人がいてもおかしくない気がするが、今のところその姿は見ていない。

「ホホホホホ。面白い子ね。これは買ってきたのを暖めただけよ」

 早苗は上機嫌に種明かしをする。早苗は普通の母親がそうするように、娘の学校での様子を訊ねてきたが、梓と花月はその辺りをうまくごまかしながら、歌い手になりたいという夢に向っていることを話した。

食事はそのまま、終始和やかな雰囲気のまま終わった。

「やぁ、いらっしゃい」

 食堂から出ると、ちょうど帰ってきたばかりらしい若い男が声をかけてきた。多佳美の部屋の写真立てに映っていた男だ。

「多佳美の友達かな?兄の健太郎です。よろしく」

 さわやかなイケメンだった。切れ長の目が、多佳美に似ている。自然な感じで手を差し出してくる。

 三人は自己紹介をしながら握手する。

「お帰りなさい、お兄様」

 多佳美が上気した顔で兄の横にすすっと近寄る。

「ただいま。お兄様は止めろって言っているだろ」

 健太郎は笑いながら叱るが、まとわりくつ多佳美を拒否しようとはしない。

「だって、お兄様はお兄様ですわ。実藤さん、みんなを家まで送ってあげて」

「かしこまりました」

 いつの間にか一行の後ろに現れたリムジンの運転手が頭を下げる。

 多佳美の毒気に当てられた三人は反論することもできず、そのまま退散することにした。

「ほら、お兄様笑って。チーズ」

 多佳美はスマホで健太郎とのツーショット写真を撮っている。

 梓と花月は多佳美の盗撮の対象は健太郎であると確信した。


       *


 梓が家に帰り、母親に急き立てられるようにお風呂に入って出てくると、スマホに聡子からメッセージが届いていた。

 梓の中学校時代の友人である野上わこのユニットの新曲がごきビデで公開されたというものだった。

 すぐにリンクをクリックする。

 有名な作り手達が集結しながらも無名の歌い手を起用し、新学期早々に発表した一曲で話題をさらったユニット「A Girl in Opera Glasses」、通称AgOg(アグオグ)の新曲ということもあって、公開からまだ二時間しか経っていないのに、物凄いアクセス数であり、画面上をコメントが埋め尽くしていた。

 梓は一度見た後、三人にメッセージを送った。

 その夜、梓は何度も何度もその動画を見た。


       *


 次の朝、集まった四人はテンションが高かった。

一時間目は特別教室での授業のため、移動しながら感想を言い合う。

「見た見た?」

「見た。やっぱりレベル高いね」

「高過ぎます。もう絵師のレベルが違い過ぎて私なんかじゃとてもかないません」

「その辺は私がエフェクトでどうにでもしてあげるから安心しなさい」

「たっかみー、フォローになってないよ」

「ふふっ。とはいえ私も頑張らなくてはいけないわね。確かに完成度が高くて、とても勉強になったわ」

「戦略もうまいよね。ゴールデンウィーク直前に新曲を発表して、同時にゴールデンウィーク中のイベントに参加することを発表するなんて」

「あれだけ有名人が集まったんだから、戦略もしっかり立てているんでしょ」

「わこちゃんも凄かったよね」

 梓の確認に三人は少し口を閉ざす。

「二曲目だったかしら?だったら頑張っているんじゃないかしら」

「存在感は出せていたよね」

「歌、上手でした」

 皆の当たり障りの無いコメントに不満の顔を見せる梓だったが、その時、廊下の向こうから歩いてくるポニーテールの少女に気がついて、ぱっと顔をほころばせた。三人もそれが誰なのかに気がつく。昨夜から散々動画の中で見た顔、AgOgのボーカルであるリングこと、野上わこだ。

 スマホを胸に抱き、俯いて早足で歩いてきたわこは梓達に気がついて一瞬脚を止めかけたが、結局は止まらずに近づいてきた。

「わこちゃん久しぶり。新曲見たよ。とても良い曲だね」

「……ありがとう」

 わこは立ち止まって節目がちに礼を言い、梓を取り囲んでいる花月達にちらっと目を走らせる。

「ごめん、急いでるから」

 足早に立ち去ろうとするわこの背中に、梓は宣言した。

「わこちゃん、私も歌い手になるから」

「そう……、頑張って」

 表情を押し殺した顔でそう言って去って行った。

 四人は、歌い手の世界で先を行くその背中をじっと見送った。

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