第2話 月下で花開くとき

 高校生活二日目。

 まだほとんどの同級生が緊張の面持ちで登校している中、梓は目をしばしばとさせながらふらふらとした足取りで歩いていた。サイドをアップにした髪を結っているリボンもぐんにゃりと力なく揺れている。

 昨晩は遅くまで父親のパソコンでごきビデの動画を観てしまった。

 受験勉強中でもあんなに遅くまで起きていたことはなかった。

 挙句の果てに「歌い手になる」なんて宣言電話を聡子にしてしまった。なんだか興奮してしまって、ベッドに入ってからも寝付けなかった。

 こんなにフラフラなのに、満員電車に乗ってここまで辿り着いたことを誉めて欲しかった。

 しかし噂には聞いていたが満員電車とは恐ろしいものだ。人の壁が四方から押し寄せてきて、動くこともできなければ呼吸をするのも困難。あんなのものに三年間毎日乗るのかと思うと、あれに耐えるために体を鍛える必要性を感じる。

 正門を入ったところにはピンク色の花が咲いているが桜の木ではない。校名にもなっている桃の木である。面白いことに一本の木で白、赤、桃色の三食の花が咲いている。

綺麗な花の色に少し心を洗われるが、眠気は改善されず、ヨタヨタと階段を上る。一年A組の教室は二階にある。

 開けっ放しになっているドアから教室に入ろうとしたところで、何かにぶつかった。

 感触としては机などの「物」のように固くはない。「人」にぶつかった感触だ。

 しかし周囲を見回すが誰も見当たらない。

「あれ?」

 ポカンとクエスチョンマークを浮かべる梓に、下から声がかかる。

「こっちよ、こっち!」

 顔を下に向けると……、いた。

「あ、ごめんなさい……」

 色黒の肌、気の強そうな眉毛、短い髪の毛、見上げてくる大きな黒い瞳……

「なんで小学生男子がここに!」

 思わず口に出してしまっていた。自分の驚いた声で少し目が覚める。

「小学生じゃない!しかも男子って!」

 小さい子はハキハキとした口調で強く抗議する。その様子がとても小学生男子っぽい。

 改めてまじまじと観察する。梓は高校一年女子の平均ぐらいの身長だが、目の前……の下の方にいる子はそれよりもかなり小さい。しかし着ているのは梓と同じ桃陰高校の制服だった。

「ほんとだ。スカート穿いてる」

「うんうん」

 やっと分かったかと小さい子が頷く。

「女装癖のあるヘンタイの小学生男子?」

「小学生男子から離れて!」

 悲痛な声が上がった。


「そっか、本当にクラスメイトなんだ。寝ぼけてたから間違えて小学校に来ちゃったのかと思ったよ。私は有村梓。よろしくね」

「吉本(よしもと)花月(かげつ)。よろしく」

 ギュッと握手を交わす。

 花月は怒ってはいたものの背が低いことをいじられるのには慣れている様子で、すでにサバサバとした表情をしている。

 キンコーンカーンコーンと予鈴が鳴った。

「あ、トイレ行くところだったんだ。それじゃ」

 花月はパタパタと慌てて走っていく。

 梓はその後姿を見ながら「やっぱり小学生男子っぽいな」と思った。


 そして花月のことを小学生男子っぽいと思っているのは梓だけではなかった。

 先ほどのやり取りを聞いていたらしく、一時間目の間だけで「私もそう思う」という手紙が四通も梓のところに届いた。まだ名前もろくに覚えていないクラスメイトからである。

 そして花月の進撃は更に進む。

「はいっ!」と手をまっすぐ上に、指の先までピンと伸ばすところが小学生男子っぽい。

 休み時間には忙しくちょこまかと机の間を動き回るところが小学生男子っぽい。

 昼休みには体の割には大きめの弁当をガツガツと食べるところがまた小学生男子っぽい。

 一年A組の生徒達は皆、花月を見てほのぼのと一日を過ごし、梓の机には、花月の小学生男子っぽいところレポートが次々に集まってきた。


       *


 ほのぼのと一日を過ごした後、梓は聡子の家へ行った。

「来たよー」と元気よく聡子の部屋のドアを開く。

 昨日と同じようにパソコンに向かっていた聡子が顔を上げる。昨日と同じTシャツの上にジャージの上着を羽織っている。

「お、歌い手だ」

 ぴたりと梓の動きが止まり、顔が徐々に赤く染まっていく。

「あ、あれは若気の至りというか夜中の至りというかですよ」

 わたわたと言い訳をする。

「そうだな、夜中は危険だ」

 心当たりがある聡子も深くはつっこまずにうんうんと頷いた。

気を取り直した梓はソファに勢いよく座る。

「歌い手って、具体的にはなにをしたらいいのかな?」

若気&夜中の至りではあるが、歌い手になるというのは本気らしい。

「そりゃ、歌うんでしょ。歌って録音してアップする。家でパソコンを使えないなら、アップは手伝ってあげられるよ」

「アップってなに?」

 梓は手を挙げて質問する。

「アップロードの略よ。投稿するってこと」

 教えながらも聡子は梓のパソコン知識の乏しさに驚く。

「勝手にアップしても怒られないのかな?著作……権?とか言うのがあるんでしょ」

「良く知ってるわね。昔はグレーゾーンだったみたいだけど、今は運営の方で対策をしてくれているから大丈夫よ」

「そっか。運営さんありがとうだね」

 梓は素直に感謝する。

「プロの歌手の曲を歌っているのはカラオケだと思うんだけど、オリジナルの曲があるでしょ。あれは歌い手さんが作ってるのかな?」

「色々ね。自分で作っている人もいるし、作詞作曲は別ってことも多いわ。ごきビデでは作詞作曲する人を作り手さんって呼んでるわ」

「歌い手に作り手。歌手とか作曲家じゃ駄目なの?」

 そういうものなのよ、と答える。この手の言葉は自然発生的に生まれており、明確な由来などない。後から入ってきた者が速やかに認識されるためには現状を受け入れるしかない。

しかし、まだその入り口に立っただけの者は素直な感想を言うことが許される。

「変なの」

「すぐに慣れるわ。歌い手さんが作り手さんに曲を作るようにオファーを出すこともあるし、その逆もあるわ。どうぞ私の作った曲を歌ってくださいってね」

「なるほど」

「ユニットを組んで活動をしている人達もいるわ」

「でも、そんなに都合よく作り手さんが近くにいるのかな?」

「近くにいる必要はないわ」

 外界を遮断し、ネットの世界ばかりを漂っていた聡子には、リアルワールドに住む女子高生の素朴な疑問が逆に新鮮に感じられた。女子高生、つい先日まで中学生だったものの活動範囲は狭いものだ。

説明する言葉に力がこもる。

「ネットの世界では、近くにいたり、知り合いであったりする必要は全然ないの。外国に住んでいたって、一度も会ったことがなくたって、目的が合う人を見つけられたら一緒に作品を作ることができるの」

「ネットすごい!」

 梓はオーバーアクションでびっくりする。

「そうだ!ちょっとパソコン使わせてよ」

「良いわよ」

パスワードを入力して差し出すと、昨日のたどたどしい手つきとは違い、軽やかに操作してごきビデサイトに行くと、一本の動画を聡子に見せた。

「この人が好きなの」

 聡子は初めて聞く曲だったが、良い曲だった。軽やかだがアクセントのついたリズム、難しい技術は使っていないが飽きのこないメロディ。歌はボカドルを使用しており、画像は無料素材サイトで拾ってきたっぽい風景写真にタイトルと作者名が記載されているだけの簡単なものだ。

 ちなみにボカドルとはボーカルアイドルの略称であり、打ち込み系の曲で使われる音声データ形式の一つである。楽器の音ではなく、人間の声が再生される。

ボーカルアイドルは、声の種類によって、数種類がパッケージ販売されている。声自体は実在の人間の声を収録しているのだが、作られた仮想のキャラクターの声として販売されていることが多い。最近では本物の歌手よりもボカドルの歌の方が好きだという人も増えてきている。特にこの曲でも使われている「ウィーン七音(ななね)」という仮想アイドルは驚異的な人気があり、実在しないにもかかわらず武道館コンサートを開催したほどである。

「フラワームーン……。最初の曲をアップしたのは三月の終わり、最近活動を始めたばかりみたいね。曲作りをお願いするなら狙い目かもしれないわね」

 手早く調べた聡子は、キラーンと目を光らせる。

「どうして?」

「歌がボカドルってことは、特定の歌い手とは組んでいないってことよ。自分で歌う気もない。ボカドルに歌わせるのが好きな作り手もいるけど、この人は違う気がするな。曲の作りこみに比べてボカドルの調整が甘いわ。ボカドルへの愛着が無いのよ。もっとも始めたばかりだから単純に慣れていないって可能性もあるだろうけど」

「なるほど!これだけの情報でそこまで分かるんだ!お姉ちゃん凄いよ!伊達にニートやってないよ!」

「ニートは関係ない!曲の感想を出せば返事をしてもらえるかもしれないわ。でも、歌を作ってほしいなら、まずは梓も歌をアップしないとね。相手の実力が分からなくちゃ、一緒にやりましょうって言われても判断できないでしょ」

「なるほど。それはそうだね」

「でも、ネットは悪い奴もいるから気を付けよ。住所を教えたり、一人で会ったりしちゃダメよ。ちょっと部屋の写真をネットにアップしただけで、家を特定する奴がいるんだから」

「ネット怖い!」

 梓はまたしてもオーバーアクションでびっくりする。


「それじゃ、土日は来ないけど寂しくて泣かないでね」

 梓が手を振る。

「泣かないわよ」

 聡子はそっけない態度で見送る。

「あ、忘れてた」

 ドアの前で梓が立ち止り、携帯電話で部屋の写真を撮った。

 聡子は慌てたが、さすがに昨日の今日ではそれほど部屋を散らかっていない。この程度なら怒られることはないだろう。

「バイバイ」

 今度こそ梓は帰って行った。


 その夜、テレビを観ていた聡子はふと気が付いた。

「そう言えば梓の歌を聞いたことないわね。……ちゃんと歌えるのかしら」

 小さな独り言は、誰に聞かれることもなく、テレビから流れる音にかき消されていった。


       *


 週末が過ぎ月曜日の春麗らかなる朝、梓は桜が舞い散る中を歩く生徒達の中に、一際小さな人影を見つけた。走って行って声をかける。

「おはよう」

「おはよう」

 花月から明るい声で挨拶が返ってくる。小学生のようなハキハキとした返事なので、梓の頭に良からぬ想像が浮かんでしまう。

「どうしたの?」

変な顔をする梓に、花月が訊ねる。

「花月ちゃんにランドセルを着せたら似合うんだろうなって思っちゃったの」

「似合わないよ!」

「でも、ちゃんと赤で想像したよ」

「想像しないで!」

屈託なく笑う梓に、花月は深い溜息を返した。



梓が笑顔でいられたのは一時間目が始まるまでだった。しかし笑顔を失ったのは梓だけではなく、クラスメイト全員であった。

「小倉康太です。私のことをよく知ってもらうために小テストを行います」

生徒達からは一斉にブーイングが上がるが、当然のことながら中止になったりはしない。テストを受けるまでもなく、冷たい目をした初老の英語教師の名前が生徒達のブラックリストに刻まれた。

「えーと、次の文を英訳せよ。月の光に照らされて、花がとても綺麗ですね」

 最悪な先生の割にはロマンチックな問題文だ。

 中学校を卒業してから、勉強をお休みしていたために、なかなか勘が戻ってこない。

「ムーンとライトとフラワーでビューティフル?」

 とりあえず知っている単語を並べてみる。

「照らすはなんだっけ?ムーン、ライト…、ムーン、フラワー…、フラワー……」

 頭の中で何かが引っかかった。

「フラワームーン!」

 それが何か分かった時、思わず立ち上がって叫んでいた。クラスメイトと英語教師の目が一斉に集まってきたが、全く気にならなかった。

「なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう」

 興奮はなかなか収まらない。教師に強制的に座らされるまで、梓は立ったままその閃きに興奮していた。当然のことながらテストのことなんてどうでも良かった。


 英語の授業が終わると、梓が花月の席に突進してきた。

「花月ちゃんがフラワームーンだったのね!」

「な、な、なんのこと」

 花月は困惑を装って否定するが、キョドキョドしてしまって全く隠せていなかった。

「だって花月でしょ!英語にしたらフラワームーン!なんですぐに気が付かなかったんだろ。もう信じられないよ。それでね!」

「ストッ――――――プ」

 一方的にまくしたてる梓の口を、花月が小さな手で塞いだ。

 逆の手で梓の腕を掴むと、小さな見かけからは信じられないような力で梓を教室から引きずり出し、そのまま階段の踊り場まで連れて行った。

「どうしたの?フラワームーン」

 梓はきょとんとした表情で、連れてこられた理由が全く分かっていない。

「もう。確かに私がフラワームーンだけど。学校でそういうこと言わないで!」

「なんで?」

「だってごきビデやってるなんて恥ずかしいじゃない」

 花月は顔を赤らめるが、梓にはピンとこない。

「そうなの?でも、私は花月ちゃんの曲好きだよ。あんな曲を作れるなんて凄いよね」

「あ、ありがとう」

 梓の率直な言葉に、花月は顔を赤らめた。

「有村さんもごきビデ見るんだ」

「梓で良いよ。最近知ったばっかりだよ」

「ふーん、じゃあまだ投稿したりはしてないよね」

「うん、でももう決めてるの。私は歌い手になる」

 斜め上を見ながら拳を握りしめる梓に少し引きながら花月は質問を続ける。

「そ、そうなんだ。どんな曲を歌うの?」

「それはこれから花月ちゃんが考えるんだよ」

「え?」

 梓の顔が自信に満ち満ちている理由が、花月には全く分からなかった。

 分かるのは、自分が何か大変なことに巻き込まれてしまったということだ。


       *


「お姉ちゃん!フラワームーンちゃんをゲットしたよ」

 梓はドアをバーンと開けるなり、大きな声で報告した。

「ゲットしたって、えっ?」

 従妹の言動には多少慣れている聡子であるが、急展開についていけていない。

「ど、どうも初めまして。吉本花月です。お邪魔しています」

 こちらもついていけていない様子の花月が梓の後ろからおずおずと自己紹介する。

「座間聡子です」

 聡子は戸惑ったまま少しお辞儀をした後、花月をじろじろと見る。

「え、誘拐?」

「小学生じゃありませんから!」

 間髪入れずにつっこみが入った。


「ごめんね。ちょっと待ってて」

 聡子は梓は部屋の外に連れ出した。怖い顔をしながら、中の花月には聞こえないように小さな声で怒る。

「梓、勝手に友達をこの家に連れて来ないで。ここは私の家なんだから、勝手なことをしないで」

「……ごめんなさい」

 いつもは優しい従姉の剣幕に、先ほどまで高かった梓のテンションは一気に急降下した。ちょっと涙まで溢れてきている。

 涙を見たことで聡子も少し落ち着きを取り戻す。

「今日はもう仕方がないけど、今度からは勘弁してよ」

「うん」

「あの……」

 おずおずとドアが開かれた。花月が申し訳なさそうに顔を出す。

「もし良かったら部屋を片付けながら待っていて良いですか?」

「え?」意外な申し出に聡子も即答できない。

「失礼ですけど、きたな……片付いていない部屋って我慢できな……、落ち着かないんです」

 聡子の部屋は、先日片付けてからたった三日しか経っていないとは思えないほどに散らかっていた。

「良いわよ」

 梓に部屋の状態を写真撮影されることを思い出し、聡子は自分でも驚くほどすんなりと許可を出した。

「ありがとうございます」

 花月はぴょこんとお辞儀をすると荷物を下ろし、嬉々として掃除を始めた。

 初めての部屋だというのにテキパキと動き、あっという間に片付いていく。

「あの、掃除機をかけておいてもらえますか。私は流しの食器を洗ってきますから」

「ええ」

 もはや聡子は言いなりである。

「お姉ちゃん」

 梓がにんまりと笑いながら聡子の横腹を肘で突っついた。

 梓の母から課せられた毎日部屋の掃除をすると言うミッション、自分だけではとても達成不可能と考えていたが、この子が出入りしてくれるのならそれも可能かもしれない。いや、きっとこの子は哀れなニートに神から贈られたエンジェル!

「そうね。この子にはこの家への出入りを許可するわ」

 そう答えざるをえなかった。


       *


「ところでこの動画は観た?この週末に突然出てきたユニットなんだけど、いきなりデイリーランキングで一位を取ったの」

 花月と梓の協力を得て掃除が終えると聡子がパソコンを見せてきた。

「A Girl in Opera Glassesですよね。観ました。歌はちょっとあれでしたけど、他のメンバーは凄いですよね。ごきビデで神レベルって言われている人ばっかりで、よく集められたなって思います」

 花月が興奮気味に答える。

「瘡乃刃(カサノヴァ)がプロデュースしてるんでしょ」

「そうなんですか。さすがですね」

「週末はパソコンが使えなかったから観てないよ。凄いの?」

「凄いよ。作り手や絵師、動画の人とか、それぞれの分野の実力者が集まってユニットを作ったの。但し、歌い手だけは全くの無名の新人でリングって女の子。そのユニット結成の発表と、新曲の公開がこの週末にあって、ごきビデはちょっとしたお祭り状態になったのよ」

「そんなことがあったんだ!」

 悔しがる梓に聡子が問題の動画を観せてやった。

 真剣な眼差しで動画を見始めた梓は、歌い手の顔が映し出された時にはっと目を見開いた。

 モニターに顔を近づけて凝視する。歌い手の顔がアップになった時に確信した。

 花月と聡子を見て告げる。

「これ、わこちゃんだよ」

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