第15話
頭が重い。
昨日の夜は眠ることが出来ず、俺は一晩中どうすべきかを考えていた。
そして、俺はドクダメさんをジャクソンに差し出すことに決めた。だが、『レディベスティエ』を、センジンの遺体をジャクソンに返すつもりはなかった。
俺も、ジャクソンと一緒に、『レオーネ』に行くことにしたのだ。それが一番、地球を危険にさらす可能性が少ないと思ったから。
ジャクソンは昨日、本気で来ると言っていた。恐らく、『レディベスティエ』の『クリニエーラディレ』にあたる武装を用意してくるはずだ。
ジャクソンが乗ってきたシャトルが大きかったのは、ジャクソンとセンジンの遺体を収容するためだ。
それ以外にも、何かを積める余裕を、あのシャトルは持っていた。ジャクソンの腕を修理するのに使った黒い筐体以外にも、ジャクソンの武装が積まれていると考えるのが妥当だ。
ジャクソンは『レディベスティエ』を、センジンの遺体を引き渡さなければ、地球から手を引いてくれることはないだろう。
しかし、『レディベスティエ』を手放せば、ジャクソンに対する抑止力がなくなってしまう。
だったら、俺が『レディベスティエ』に乗って『レオーネ』に行くしかない。
センジンの遺体から『応答』が返り、それからジャクソンが地球に来るまで三年かかった。
ジャクソンを地球から引き離せれば、もしジャクソンが再度地球に攻めてくるとしても、地球と『レオーネ』の往復で六年は時間を稼げるはずだ。
その間に、対『ギガク』用の迎撃ミサイルを、『ギガク』への対抗手段を、地球で開発してもらうしかない。
地球で唯一『ギガク』に対抗できる『レディベスティエ』が地球からいなくなるのだ。流石にそうなれば各国も協力せざる終えないだろう。
いや、これらの話もドクダメさんがついた嘘のうちの一つなのだろうか?
今までつかれた嘘が多すぎて、もう何が正しいのか判断できない。
ひょっとしたら『ギガク』に対抗できる『何か』が地球には既に存在していて、『レディベスティエ』がなくてもジャクソンを倒せるのかもしれない。
俺のやろうとしていることは、全て無駄かもしれない。
『レオーネ』に俺が行く必要なんて、ないのかもしれない。
『レオーネ』に行った後、俺がどうなるかは正直なところ分からない。
いや、ほぼ確実に死ぬことになるだろう。
それでもいいと思っていた。地球を、いや、友を守れるのであれば、少しでも可能性の高い方に賭けるべきだ。
だがそう決めているのに、本当にそれでいいのか? と悩んでいる俺がいる。
いじられた俺の脳が、まだドクダメさんに尽くそうとしているのか、それとも何か別の原因があるのだろうか。
いずれにせよ、もう迷っている時間はない。ジャクソンが指定した時間は、もう直ぐそこまで迫っていた。既に打ち上げの準備も完了している。
「ドクダメさん。失礼します」
ノックと共に扉を開ける。扉の向こうには、ドクダメさんがいた。二日前に、ジャクソンとの戦闘結果の報告をしに行った時と同じく、椅子に腰掛けている。
ドクダメさんは落ち着いた様子だった。まるで、俺がここに来ることが分かっていたようだった。
「どうしたのデスかチヒロ。もう直ぐ出撃の時間のはずデスが?」
「ええ。だからきたんですよ。俺はドクダメさんをジャクソンに引き渡すことに決めました」
それを聞いたドクダメさんは、
「そうデスか。決断してくれマシタか」
ふと、寂しそうに笑った。
その表情は、亡くなった旦那さんを思い出していた時の表情とそっくりで、それでいて、ようやく罪が許されることに、その罪の重圧から開放されることを喜ぶ、咎人の表情だった。
何でだ? 何でこんな顔をする?
俺はドクダメさんに死ねと言ったも同然なんだぞ。何故そんな顔が出来るんだ?
俺の心臓が、脈を打つ度に警鐘を鳴らす。
おかしい。何かがおかしい。
昨日から俺につきまとっている違和感を、ここにきて強烈に意識する。
俺は、何か決定的なものを見落としている。
だが、それを探している時間がもうない。
ともかくドクダメさんの部屋に入ろうと、俺は一歩踏み出した。
そこで、俺は足元に何かが散らばっているのに気が付いた。本だ。
「……片付けないんですか」
本棚の上に平積みにされていた本が、崩れ落ちていたのだ。
昨日俺が出撃した時に落ちたのだろう。俺はそのうちの何冊かを手に取った。
「モウ、ワタシはココに帰ってくることはナイと、そんな気がしていたのデス」
俺は、手にした本のタイトルを確認した。手にした本の中で、栞が挟まっているものと付箋が貼ってあった本があり、気になったのだ。
栞が挟まっていた本のタイトルは、『変身物語』。俺が目を覚ました時に、ドクダメさんが読んでいた本だ。
栞が挟まっていたページを開く。栞は『ピュラモスとティスベ』という話に挟まれていた。
そういえば、神話について詳しい高校の友達が、『ロミオとジュリエット』の元ネタになった話が『ピュラモスとティスベ』だったって言ってたっけ。
『ピュラモスとティスベ』も『ロミオとジュリエット』も俺は読んだことはないが、『ロミオとジュリエット』の有名な結末だけは知っている。
引き裂かれたロミオとジュリエットを引き合わせるために、二人の結婚を祝福したロレンスが、ある計画を立てるのだ。
それは、親の決めた相手と無理やり結婚させられようとしていたジュリエットを仮死状態にして婚約を破棄させ、その後目覚めたジュリエットとロミオを引き合わせるというものだ。
だが、ロミオにはそれがうまく伝わっておらず、ジュリエットが本当に死んだと思ったロミオは、ジュリエットの後を追い本当に死んでしまう。
そして、目覚めたジュリエットもロミオの後を追って死んでしまうというものだ。
次に俺は、付箋の貼ってある本のタイトルを確認した。
これも俺が目覚めた時に読んでいた本で、タイトルは『名前大辞典』。俺の名前を付ける時に読んでいた本だ。付箋はいくつか貼られている。
俺は付箋のあるページを何ページかめくって、
「ではチヒロ、そろそろ時間デス。出発するのデス。チヒロ?」
『名前大辞典』を片手に、付箋が貼られているページを黙々とめくる俺を不審に思ったのか、ドクダメさんが俺に声をかけた。
だが、俺はそれに返事することができない。
付箋は千尋という箇所も貼られていた。続いて他に付箋が貼られているページと、そこに書かれている意味を見た時、俺は今まで引っかかっていたことが、違和感の正体が見えてきた。
俺が初めて目覚めた時に話していた、ドクダメさんと松井博士の会話。
松井博士が言った、俺はロミオじゃないという意味。
俺を佐々木千尋と名付けた意味と、ドクダメさんがドクダメさんになった理由。
俺が思い至った回答は、あまりにも突飛過ぎていて、俺自身でも信じることが出来ないようなものだった。
だがもし、もしもこれがあっているのだとすれば、本当に全てが解決する。
俺が抱えていた想いも、全て解決できる。
俺のドクダメさんへの恋も、愛も、全て無駄じゃない可能性が出てきたのだ!
だが、俺の考えを証明するための手段がない。
いや、ある。
ドクダメさんに確認すれば、いや、ダメだ。ここまで来て、ドクダメさんが素直に話してくれるとは思えない。
そうなると、もうアイツに確認するしかない。
しかし、この方法を取るには、地球を滅亡の危機にさらさないといけない。
どうする?
俺はドクダメさんと地球、どちらを選ぶ?
どっちを選ぶか。
そんなものは、俺が生まれたときから決まっていた。
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