第14話

俺は愕然とした。今ので完全に、俺の中のドクダメさんへの愛情が全て憎しみに変わった。

俺は今まで、ドクダメさんは守ってくれていると思っていた。

俺が安心して日本の高校に行けるようにしてくれていたと。俺が高校で友人関係を築いた後も、各国に友達が人質として取られないように守ってくれているのだと思っていたんだ。

だが、それは違ったのだ。守ってなんて、いなかった。

それは全部、俺の人質を作るためだったんだ。

俺の脳に注入されたドクダメさんへの愛情が反転し、憎悪になり、ドクダメさんの言うことを俺が聞かなくなった場合の対応策。

俺がドクダメさん以外に戦わないといけない理由。

コイツは、この女は、この土壇場で俺の友人を人質にしたんだ!

地球が滅ぶということは、俺の友達も死ぬということだ。

俺は、高校で支えてくれた友達を裏切れない。

見殺しにすることなど、出来ない。出来るわけがない。

俺が友達を裏切ったら、コイツと同じになってしまう!

『ドクダメさん、あなたは、あなたという人はっ! なら、『ホシノカケラ』のメンバーも全員ドクダメさんとぐるだったってことですか!』

俺の怨嗟の叫びも、ドクダメさんにとっては春のそよ風なのだろう。涼しい顔で会話を続ける。

『『ホシノカケラ』に所属する全員というわけではないわ。逆に『ホシノカケラ』以外の支援国のトップの方が、ワタシがどういう存在か理解しているわ。『フウリュウ』の技術だけでも十分に儲かるから協力的だったし、それに『ギガク』を倒せれれば、それはそれで研究サンプルが追加で手に入るから。だから、チヒロを創るのも協力的だったわ。地球の倫理観では、なかなかできない研究だったようだし』

この人は、いや、この『世界』は腐ってやがる。

どいつもこいつも、自分の利益しか考えていない。

だから平気で、俺みたいなのを創れちまうんだ!

こんなのが、こんな奴らが住んでいる地球を、俺は守らないといけないのか?

こんな奴らのために、俺は命を懸けて戦わないといけないのか?

こんな『世界』、守る価値なんてねぇだろうが!

でも、守らなければならない。高校で出会った友人は、あいつらだけは。

あいつらだけは信じていい存在だと思わなければ、もう俺は何を信じればいいのか分からない!

なんで、なんでなんだよ。

何で俺が、こんなクソみたいなやつらも一緒に守らないといけないんだよ……。

俺だけの、俺が見えている範囲の『世界』だけ、どうして守れねぇんだよ!

『それじゃ、ワタシは行くわ。明日はよろしくね。チヒロ』

言いたいことは全て話したと、明日俺が自分のために戦うのを確信した笑みを残して、ドクダメさんは俺の元から去ろうとしていた。

「待ってください!」

その背中を、俺は引きとめた。

本当は一秒だってもうドクダメさんと一緒にいたくないし、俺の視界に入って欲しくなかった。

でも、どうしてもこれだけは聞いておかなければならないと思ったのだ。

「旦那さんが殺されたっていうのも、嘘なんですか?」

それを聞いたドクダメさんは、

「ソレは、本当デス」

俺を見て、本当に切なそうに、笑った。


『ローレンス』はシャワーで洗い流せたが、ドクダメさんの去り際に見せたあの表情が頭から離れない。

ちくしょう! 何で俺はまだドクダメさんのことを気にしているんだ!

あの人への想いは全て憎しみ変わったはずだろ?

それとも、俺の脳にぶち込まれたドクダメさんに都合のいい想いはそんなに強力なものなのか?

俺は、自分が好きになる人すら決められないのか?

俺の『ナカ』には、ドクダメさんにとって都合のいいものしか入っていないのか?

俺はシャワーを浴びた後、食堂にやってきた。ある人がここにいると聞いたからだ。

「探しましたよ。松井博士」

この北極基地でドクダメさんの嘘を知っていて俺に黙っていた共犯者。

ドクダメさんは他にも知っている人はいると言っていたが、俺は共犯者といえばこの人の顔が真っ先に思い浮かんだのだ。

ドクダメさんと一緒に、俺が記憶のない状態で目覚めた時から一緒にいた、松井博士の顔が。

「千尋君かね?」

松井博士は、普段と変わらない調子で俺に話しかけた。

食堂には俺と松井博士しかおらず、周りは閑散としており六人がけのテーブルを松井博士は一人で占有していた。遠くからは食器を洗う音だけが聞こえてくる。

「話は、ドクダメさんから聞いていますか?」

「ああ。知ってしまったんだね。全部嘘だったことに」

「……何で、黙ってたんですか」

「それが、ドクダメ君の希望だったからね。それに、千尋君に話したところで、一体何になったというのかね?」

「そんな言い方ないじゃないですか!」

 その理不尽な物言いに、俺は思わず声を荒げた。

「俺が目を覚ました時に、初めて会った時にちゃんと説明してくれていたら、こんなことにならなかったんじゃないんですか?」

 わざわざ松井博士を探して俺が言いたかったことは、恨み言だった。

最初がうまくいっていれば、俺はドクダメさんを憎まなくても、恨まなくても済んだんじゃないかと、俺が今こんな想いをしているのはお前の所為なんじゃないかという、女々しい恨み言。

「ではあの時、我々が千尋君にどう言えばよかったというのかね。死体に乗って、ドクダメ君を助けてやってくれといえばよかったのかね?」

「それは……」

「確かに、我々は君を騙していた。それは謝罪しよう。だが他に、他にどうすればよかったというのだね? 君がそんな状態になって、彼女はドクダメ君となることを選んだ。選んでしまったんだ! 何故、君は、何で君は千尋君なんだね!」

松井博士が立ち上がり、俺の胸倉をつかむ。

何だそれは。

俺が悪いのか?

何で俺が悪いんだ?

俺が何をしたっていうんだ?

悪いのは全部、お前らだろ!

お前らが、お前らの都合で俺を創ったんだろ!

そう叫んでもいいはずなのに、俺は松井博士の顔を見て、何も言い返せなくなる。

その表情は、今何かしないと決定的に間違ってしまう、破滅に向かっていると分かっているのに、それでも何も出来ないでいる、これから起こる悲劇を止めることのできない自分の無力さを悔やんでいる顔だった。

何か、引っかかっていた。

何かを、見落としている気がした。

何だ? 思い出せ。

決定的な何かを見落としている。

それこそ、今まで引っかかっていたこと全てを解決できてしまうような、何かを。

「カズオ! チヒロ! ナニ、ヤッテルンデスカ!」

POが、俺と松井博士の間に割って入ってきた。考え事をしていて、POが近くまできていたことに気が付かなかった。

「ナニカ、アッタンデスカ? ケンカ、ヨクナイデスヨ!」

「POか。すまない。少し興奮してしまってね。千尋君もすまなかった」

 松井博士は星型のネックレスをいじりながら俺に謝罪した。

「……いえ、俺は別に」

何が別にだ。POが間に入ってくれなければ取っ組み合いになりそうだったじゃないか。

だが、松井博士の様子を見ると、POにはドクダメさんの嘘について知られたくないみたいだ。POはドクダメさんの裏切りを知らないのだろう。

俺としても、POに余計な負担はかけたくない。ここは無難に切り抜けたほうがいいだろう。

「ソレナラ、イイケド。ソウイエバ、チヒロ。ワカッタヨ!」

「な、何が?」

俺と松井博士の間を取り持ったPOが、テンション高めに俺に話しかけてくる。

「キノウ、テンプラニシテナマエガワカラナカッタ、アレダヨ」

「ああ、大葉に形が似ていたタネの名前か。もう分かったんだ」

もう、といっても、POとこの会話をしたのは昨日のことで既に一日経っている。

あれから一日しか経っていないというのが信じられなかった。

たった一日だけで、俺の周りは激変してしまった。いや、変わってはいないのだ。俺が真実を知ってしまっただけで……。

ドクダメさんも松井博士も、俺を騙していた。

全部全部、偽者だった。

俺の『ナカ』には『オレ』はいなくて、俺の『ナカ』は誰かにとって都合のいい『ナニカ』で満たされていた。

『世界』には、絶望が溢れすぎている。

そんな俺をよそに、POは笑っていた。

約束が守れるのがうれしいのだろう。天ぷらのネタ一つで、そこまでうれしそうに笑えるPOが眩しかった。

『世界』が、この笑顔のような眩しさで満ち溢れていればよかったのに。そうすれば、俺は、こんな……。

沈んでいる俺をよそに、POは俺にその天ぷらのネタが何だったのかを教えてくれた。

「アレハ、ドクダミ、ダッタヨ」

「ドクダミ? お茶に使う、アレ?」

「ソウ! アレダヨ!」

そうか。あの香ばしく上品な味はドクダミだったのか。

「ドクダミの天ぷらも中々いけるんだね。教えてくれてありがとうPO」

「ドウ、イタシマシテ!」

手を振って厨房に戻るPOの横で、松井博士が沈痛な面持ちでこちらを見つめていた。

「千尋君は、ドクダミの花言葉を知っているかね?」

「花言葉、ですか? ドクダミって多年草ですよね? 花じゃないのに花言葉ってあるんですか?」

「ああ。例えばユズリハは『若返り』『世代交代』『譲渡』といった意味があるのだが、ああ、そうだった。千尋君にはこれを渡さないといけなかったのだ」

こんな時にでも会話をぶった切って自分の話したい話を進める松井博士に、俺は松井博士と初めて出会った時のことを思い出して、何故だか安心した。

「渡すものって、何ですか?」

「新しいおしゃぶりだよ」

「……マウスピースですね」

苦笑いしながら、俺は松井博士から受け取った。

「既にドクダメ君から聞いていると思うが、君の体は我々地球人とは違う特別製でね。地球人らしさを残しながらも、地球人よりも性能が高い。今回新しく作ったおしゃぶりに 『ローレンス』を溜めておけば、千尋君ならどんな場所でもおしゃぶり内の『ローレンス』がなくならない限りは活動できるようになっている」

「……『ローレンス』を満タンにしたマウスピースを使った場合、例えば成層圏で俺は最大どれぐらい活動できますか?」

「成層圏で? ああ。二回ともあのジャクソンという『ギガク』と接触したのが成層圏だから、そこでの移動を考えているのかね。おしゃぶりに『ローレンス』満タンで、最大一〇分は活動できるよ。まったく、本当に凄いよ君の体は。苦労して創った甲斐がある。脳を創るのは、そこまでコストはかからないんだがね」

「それは、どうも」

自分の体にいくらお金がかかっているとか、どのように出来ているかはあまり考えてこなかったが、それ相応の金額がかかったようだ。

人の体がいくらで創れるとか正気の沙汰の話ではないのに、俺の心はまったく動かなかった。

いろんなことがありすぎて、感覚が麻痺してしまったのだろう。

「それで千尋君。どうするのかね?」

「何がです?」

「決まっておる。ジャクソンとの交渉だよ。ドクダメ君と、『レディベスティエ』を引渡すのかね」

松井博士は、俺をじっと見つめていた。嘘を付いたとしても、その両目には直ぐに見破られてしまうだろう。

「正直なところ、まだ決めていません」

「決めていない?」

「ええ。まだ自分の中で整理が全て出来ていないので」

それは、俺の本心だった。

ジャクソンに地球を滅ぼさせるつもりはない。

だが、それにはドクダメさんと『レディベスティエ』を、センジンの遺体を引き渡さないといけない。

『レディベスティエ』を引き渡せば、その時地球を守る手段を俺は失うことになる。

何か、ジャクソンが俺を裏切らないと、地球を絶対に襲えないようにする方法はないものか。

俺が選択を間違えれば、地球が滅ぶ。

そこで俺は、ふとあることが気になった。

結婚している松井博士は、明日死んでしまうかもしれないのに奥さんと一緒にいなくてもいいのだろうか? それとも、自分の仕事は奥さんには伏せているのだろうか?

俺は松井博士の奥さんのことが気になった。

「そういえば、松井博士って今の奥さんとどうやってお知り合いになられたんですか」

「何だね、突然」

「いいじゃないですか。ちょっと気になったんですよ」

「……何の面白みのない出会いだったよ。私たちはお見合い結婚だったんだ」

「え、そうだったんですか?」

「ああ。無理やり両親に連れてかれたのだがね。でも、あいつと一緒になれて良かったと、本当に思っているよ」

奥さんのことを思い出しているのだろう。松井博士の顔は、俺が今までに見たことがないほど優しい顔をしていた。

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