第12話
ドクダメさんが持ち込んだというロボットは、センジンの遺体で。
センジンの遺体には、俺が今乗っていて。
俺が乗っているセンジンの顔は、獅子型で群れを纏め上げるのにふさわしい貫禄を持っていた。
つまり、俺が今乗っているのは、センジンの死体だ。
死体に乗って今まで戦っていたのだ。
死体に乗って空を飛び、死体に乗って海を泳ぎ、死体に乗って地球を守って、死体に乗ることで愛する人への愛を示そうとしていたのだ。
俺は今、死体の中にいる。
「―― !」
俺の絶叫は声になる代わりに、『ローレンス』の中で大量の泡となっていく。
もうわけが分からない。思わずマウスピースを口から放してしまう。
なんなんだよ。なんなんだよこれ! ここは一体なんなんだよ!
出たい。出して! ここから出してくれ! もうこんなところに一秒だっていたくない!
ベルトが暴れる俺の体を締め付ける。まるでこの地獄から、俺を逃がさないようにしているようだ。
『ローレンス』が口の中に入ってくる。痛い。叫びすぎて喉が切れ、そこに『ローレンス』が流れ込んだのだ。その痛みよりも死体の、センジンの脳みそが入っていた場所に直接触れていた『ローレンス』が俺の体の中に入ってきたという事実に、不快感に身震いした。
気持ち悪い。気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い! 今すぐ口の中に入った『ローレンス』を吐き出したい!
吐き出そうと開いた口にさらに『ローレンス』が入り込み、俺はパニックに陥る。
コックピットに満たされた『ローレンス』の中で溺れ死ぬ!
そこで俺が今いるコックピットが、そもそも死体の脳みそが入っていた場所であることを思い出し、余計にパニックになった。俺の涙と鼻水が、もうどれだけ『ローレンス』と交じり合っているのか分からない。
そんな状態でも何とか『レディベスティエ』を落下させずにいられたのは、ドクダメさんとジャクソンの会話が聞こえていたからだ。
会話に集中しろ。思考を止めるな。何か考えてないと、吐きそうだっ……!
『そもそも『レオーネ』では自己の拡張を行った際、その拡張した部分を自分自身と認識させる必要があるのである。そうしなければ、拡張した部分は義手や義足と同じ扱いになってしまい、ただの代替品でしかなくなってしまうのである。それでは、自分の体を拡張したとはいえないのである』
『そうね。いくら体が消耗品となったといっても、真の『強さ』は自分の肉体にしか宿らない。そのため、脳が拡張したパーツを自分の体と、自分の肉体だと認識するように、脳から送られた電気信号を拡張したパーツが本来の手足と同じように『応答』させることで、拡張パーツが本来の自分の手足であると脳に誤認させることに、私たちは成功したわ』
その会話を聞いて、俺は幻肢痛という言葉を思い出していた。
幻肢通とは、事故などにより手足が切断されてなくなった箇所が痛むという症状だ。痛みを感じている場所は既に切断されており存在しないため、痛み止めや麻酔も効果がない。
詳しい原因は分かっておらず、脳に手足がなくなったという情報が『更新されていない』ことによって起こる症状だと言われている。
『レオーネ』では、この類似症状を意図的に引き起こすことで自己の拡張を行ったのだ。
もう本来の体の一部が存在しない、ということを脳が認識しないように偽者の、拡張パーツを体に増設させることに成功したのだ!
分からない。
自分の体を鍛えることを拒否した『レオーネ』人が、拡張した箇所を脳に、自分自身をだましてまで自分の体と、自分の肉体だと認識させたがる理由が分からない。
ドクダメさんは真の『強さ』は自分の肉体の中にしか宿らないと言っていた。
ひょっとしたら『レオーネ』人は自分を拡張させすぎて、自分自身とそれ以外の境界線があいまいになってしまったんじゃないか? 逆に自分で自分の体を隅々まで把握しないと、自分が自分以外の何かと溶け合ってしまうのが怖いのでは?
俺が『レオーネ』人の仮説を立てている間に、ドクダメさんとジャクソンの会話は続いていく。
ジャクソンは、ドクダメさんの話に同意を示すようにうなずいた。
『その通りである。そしてこうした自己の拡張を重ねていくうちに、『レオーネ』人はさらに進化したのである。それは、脳から発せられる脳波と電子信号が皆ばらばらになったのである』
『ええ。脳波と電子信号が一意に発せられるようになったため、自分と自分以外の体を認識できるようになったわ。拡張パーツを認識させる際、脳からの電子信号が混線した場合自分と自分以外の境界線が分からなくなってしまうため、ある意味必要な進化だったわね』
どうやら俺の仮説は、そこまで間違ってはいないようだ。
だが、それによって俺はまた新たな仮説を思いついた。
思いついて、しまったのだ。
『そこなのである!』
ジャクソンの、雷鳴のような声が聞こえた。
『脳から発せられる脳波と電気信号が一意に決定できるようになり、拡張パーツは、自己の拡張を行った本人にしか動かせなくなったのである』
『そうね』
『だったら、何故チヒロはセンジン様の遺体に乗ることが出来るのであるか!』
そうだ。ドクダメさんだって言っていたじゃないか。
ロボットに、センジンの遺体を操縦するためには、脳から発せられる脳波と電子信号が一致しないと乗れないと。
そして、ドクダメさんとジャクソンはその脳から発せられる脳波と電子信号は人それぞればらばら、一意に決定できるようになったと言っていた!
だったらセンジンの遺体を、体を、拡張パーツを動かせるのはセンジン本人と、
『まさか……。シブキ、貴様、チヒロを意図的に『創った』のであるか? センジン様の遺体を動かすためだけに!』
ジャクソンが怒鳴りながら言った台詞。
それは、俺の思いついてしまった、思い至ってしまった仮説そのものだった。
センジンの体を動かすのに必要なのは、センジンの脳から発生される脳波と電子信号だ。センジンが生きている間は、センジンの脳からそれが出ているはずだ。
しかし、センジンは既に死亡している。センジンの脳から、脳波と電子信号が発せられなければ、センジンの体を動かすことはできない。
だが、センジンが死亡した後、脳みそをくり抜いて、そこにセンジンと同じ脳波と電子信号を発生させるナニカを入れたら、どうだろうか?
当然、脳波と電子信号がセンジンのものと一致するので、センジンの体は動かせるはずだ。
こうすれば『ギガク』の英雄、センジンの体を乗っ取ることができる。
ドクダメさんのため息が聞こえてきた。
『さすがセンジンの親衛隊隊長ね。あなたが来なければ、もう少しバレるのも先延ばしに出来たのだけれど』
『やはりそうであるか! おかしいと思ったのである。チヒロと『通信』できるようになったパターンは、ほとんどセンジン様と同じ『通信』パターンだったのである! 『通信』も脳波と電子信号によって一意に決定できるのであるが、いくらなんでも似すぎなのである!』
ジャクソンの怒号が聞こえる。
『そもそも一意に決められる脳波と電子信号は個々の魂、精神とされており、その創造は『ギガク』でも、それどころか『フウリュウ』を含む『レオーネ』で最大の禁忌とされているのである!』
『ふざけるな!』
ジャクソンの怒号をど真ん中から引き裂くようように、俺は金切り声を上げた。
『……じゃあ、俺は人間ですら、『ヒト』ですらなかったっていうのかよ』
『チヒロよ。酷な事実だが、お前はこの悪魔に利用されておるのだ。お前はセンジン様のお体を奪うためだけに生み出された存在に過ぎん。そもそも、『通信』で会話できるモノは地球人には存在しないのである』
『そんな、嘘だ……』
子供のように嫌だ嫌だと顔を振る俺に、ジャクソンはやさしく話しかけてくれる。今は、そのやさしさが何よりも痛かった。
『哀れな創られし偽りの存在よ。そもそも過去に不審に思うことはなかったのであるか?』
『不審に思うことは……』
俺はセンジンの頭蓋骨の中で『ローレンス』にまみれながら頭を抱えて、今までのことを思い出す。
不審に思うことなんて、ありすぎる。
昨日の出撃前、俺は自分の記憶を頼りにドクダメさんと初めて出会った時の事を思い出していた。記憶喪失で目覚めた時、全てが曖昧に感じたのは、俺があの時初めて『目覚めた』から、生まれた瞬間だったからじゃないのか?
記憶喪失だと言われていたが、あの時の俺は、本当に何も分からなかった。
言葉すら喋れず、脳に直接響くドクダメさんの声に反応するのが精一杯だった。脳に直接響いたと思ったのは、ドクダメさんが俺に『通信』で話しかけていたからじゃないか?
だから俺が目覚めた時、松井博士は『私が分かるように話してくれ』と言ったのだ。俺とドクダメさんが『通信』で話している内容が、松井博士には聞こえなかったから。
松井博士は、ドクダメさんが俺に『通信』で話しかけていたのを知っていた。つまり、松井博士はドクダメさんの嘘を知っていたことになる。
ドクダメさんのですます調が『レディベスティエ』に乗っている時はなくなる理由も、『通信』で話している時と、直接口で話している違いと考えれば説明が付く。
俺が『レディベスティエ』に乗っている時、ドクダメさんが専属でオペレーターを勤めてくれていたのは、ドクダメさんしか俺と『通信』が出来なかったからだ。
マウスピースから声が聞こえていたと思ったのは錯覚だ。そうでなければ、マウスピースを口から放している今、俺がドクダメさんと会話できることに説明が付けられない。
昨日の出撃時にも、ドクダメさんの声が脳に直接響くように感じていたじゃないか! 何で気が付かなかったんだ!
マウスピースを口に咥えていないにもかかわらず、『ローレンス』が肺に満たされているにもかかわらず、呼吸が出来るのだ。俺は、人間じゃないんだ。
他にも、不審な点はまだある。
俺が目覚めた時に松井博士が言った『プランを考えなければ』という言葉は、創ったばかりの俺の育成プランを考えていたのだろう。俺の診察中に、ドクダメさんと松井博士が話していたのはこのことに違いない。あの時ドクダメさんが読んでいた『名前大辞典』で、俺の名前を適当に決めたのだろう。
俺が目覚めた直後、ドクダメさんも松井博士も、俺のことを一度も名前で呼んでくれず、アナタや君と呼んでいた。千尋は名付けたばかりで、呼びなれていなかったのだ。
それに松井博士が診察後に俺に言った『日常生活を送れる』というのも、変な言い回しだ。
普通事故にあった患者が回復した時に言う台詞は、『日常生活に戻れる』だろ!
その台詞を言わなかったのは、俺がそれまで日常生活を送ってきたことのない、生まれたての赤ん坊だったからに違いない。
そもそも、俺は何の事故にあったのか教えてもらっていない。それに、事故で病院に運ばれてきたと言っていたのに、何故俺は『ホシノカケラ』で目を覚ましたんだ?
それは、俺がそこで生まれたからだ。病院になんて、俺は行っていないのだ。
俺の家族も結局今まで一度も会っていないし、ドクダメさんだって今まで俺が目覚めた直後以外に、『ギガク』のロボットと言ったことはないのだ。
『ギガク』がロボットではないことを知っており、無意識に避けていたのだろう。
松井博士から診察後に渡された本。あの本を読み漁ったことで俺は必要な知識を得、その直後から自分の口で言葉を話せるようになったのだ。それまで俺は、自分の口からは誰かの言葉をオウム返しすることしかできなかった。
俺はあそこで、地球で生活するための必要最低限の知識を手に入れたのだ。
思い返してみれば、怪しいところなんて山のように出てくる。
自分が本当に記憶喪失なんだと思って疑問に思っていたことを放置していた結果が、これだ。
『どうやら、不審に思う点があったようであるな……』
黙っている俺を見て、ジャクソンは俺がドクダメさんに利用されていることに気が付いたと判断したようだ。
そうだよ。その通りだよ。
俺はドクダメさんに利用された、哀れな創られし偽りの存在なんだろうよ。
でも、こんなの分かるかよ! 記憶喪失の人なんて周りに俺以外いなかったし、記憶喪失になったらこんなもんなんだって思っても、気が付かなくても仕方ないだろうが!
それに、俺が見ていたアニメやマンガに出てくるロボットものの記憶をなくしたパイロットたちだって、何も気にせずに戦っていたじゃないか!
記憶がないことなんて気にせず、今の状況を受け入れて、ひたすら前向きに、大切な誰かを守るために戦っていたじゃないか!
それが、なんでだよ。
なんなんだよ、これ。
なんなんだよ、これはぁ!
ドクダメさんが嘘を付いていて、実は『ギガク』と『フウリュウ』は一緒の星に住んでいました?
そのドクダメさんは『ギガク』の英雄の遺体を持って地球に逃亡していた?
そして俺はその遺体で戦っていて、その上俺は、その遺体を操縦するために一から創られただと? 人間じゃなかっただと?
信じられるか。信じられるかよ、こんなもん!
信じたら、全部ぶっ壊れちまうだろうが。
今まで俺が信じてきたもんが、全部全部、ぶっ壊れちまうだろうがよぉおお!
本当に信じられるか! なんで、こんな、なんでなんだよ!
絶望が俺の全身を駆け巡り、俺の血肉にその想いが染み渡る。俺の体から怨嗟が漏れ出して、『ローレンス』が緑色からどす黒く濁って凝固しているように感じた。
死体を操作するって。そのために俺は一から創られたって。
こんなの体の拡張、腕を拡張パーツに置き換えるどころじゃないだろ。
脳波と電子信号は個々の魂なんだろ? 精神なんだろ?
だったら今、『センジン』の体に、まったく別の、『俺』の魂が、精神が入ってるってことになるじゃないか……。
『シシ』の体に、『ヒト』の精神が入っているんだ。
『シシ』の体に宿ってないといけない『シシ』の精神じゃなくて、まったく別のナニカが中に入ってんだぞ!
こんなの、『ヒト』の精神を『ゴキブリ』の体に入れるようなもんじゃないか!
創られた俺だって、中に何が入ってるか分からねぇ!
一から創られた俺は、地球人じゃないんだろ? 人間じゃないんだろ?
だったら俺の中には『ヒト』じゃなくて『ゴキブリ』の精神が入ってるようなもんじゃねぇかっ!
『ヒト』としての魂が、精神が元々ねぇじゃねぇかよ!
そもそも、一からまったく新しく創られた俺の中には、何が入っているが正解なんだ?
新しく創られて、その結果俺は何になったんだ? 何なんだ、俺は?
体のサイズが地球人だから、『ヒト』か?
それとも、脳波と電子信号はセンジンの遺体を動かすために調整されているはずだから『シシ』になるのか?
俺の体の中に入っているものは、入っていてもいいモノは、なんだ?
そもそも、俺の体ってなんだ?
センジンの遺体の中に入っている、操作パーツである俺のことか?
それとも外の、操作する対象であるセンジンの遺体そのものか?
そもそも中ってなんだ? 外ってなんだ? 俺って、なんなんだ?
俺の『ナカ』にはナニがイル?
そんなの決まっている。
『シシ』ではない!
『ヒト』ですらない!
『ナカ』に『ヒト』など、イヤしない!
俺の中には、何にも入ってねぇじゃねぇか!
カラッポだ。空っぽなんだよ、俺の『ナカ』はっ!
俺は一体、何なんだよ!
ドクダメさんは『レオーネ』人は、『シシ』は自分と自分以外が分かるような進化をしたと言った。
じゃあ俺が『レディベスティエ』に、死体を操作する時に感じる溶け合うような感覚は、俺が俺じゃなくなっていくってことなのか?
自分自身が溶け出して、『レディベスティエ』に、センジンになるのが正解なのか?
そのまま死体になっていくのが、正解だっていうのかよ!
『チヒロよ』
ジャクソンに名前を呼ばれ、現実を受け入れきれず、絶望の渦に思考が飲み込まれつつあった俺は顔を上げた。
『我輩は、今日はもう引き上げるのである。明日のこの時間、センジン様の遺体の返還と、シブキの身柄引き渡しをお願いしたいのである。それが叶えられるのであれば、我輩は地球に手を出さず、即刻立ち去るのである』
『え?』
ジャクソンの申し出は、俺にとって意外なものだった。
そもそもジャクソンの目的は、俺が乗っているセンジンの遺体回収とドクダメさんの連行だ。やろうと思えば今すぐにでも錯乱状態の俺を殺して地球に攻め入り、ドクダメさんを連行することだってできたはずだ。
ジャクソンが不要な争いはしたくないと言っていたのは、本当だったんだ。
だが、今日は引き上げるというのは、どういうことだ?
『例え利用されるためだったとはいえ、チヒロにとっては生んでくれた母である。一晩シブキと別れを惜しむ猶予を、チヒロに与えるのである』
『ジャクソン……』
それは紛れもなく、俺のためを思ってくれた言葉だった。
『ギガク』の英雄であり、自分が親衛隊隊長を務めた人の、『シシ』の遺体を持ち去った憎き相手が、すぐそこにいるのだ。
その言葉を口にするためにジャクソンの中でどれほどの葛藤があったのか、俺には想像も付かなかった。
『他に、方法はないのか?』
だが、それでも俺はドクダメさんをジャクソンに渡さなくてもいい方法を考えていた。
俺を利用するためだけに創った相手に何故ここまでするのか、自分でも自分のことが分からない。
俺の言葉を聞いたジャクソンは、寂しそうに笑ってこう言った。
『残念ながら、そんな方法はないのである。センジン様がご存命であれば、あの『白獅子』のお姿をもう一度一目見ることができれば、あるいは……。いや、ありえもしない、もしもの話をするのは、不毛なのである。チヒロよ。賢明な判断を、我輩は望んでいるのである。明日は我輩も本気で行くのである。昨日は自衛のためとはいえセンジン様のお体に傷をつけてしまったが、できれば綺麗な体で『レオーネ』にお連れしたいのである』
そう言って月に戻っていくジャクソンの背中を、俺は見送った。
雲は遥か足元の下にあるにもかかわらず、北極基地に戻るまでに通る雲の中は荒れているに違いないと、俺は確信していた。
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