第5話
カタパルトから射出されたことによる振動と騒音が、俺を振るわせる。
進行方向から『白』が迫ってきた。違う。俺が『白』に向かっているのだ。あまりに移動速度が速すぎて、俺がそう錯覚しているだけだ。
『白』の正体は、雲だった。視界は既に『白』に覆われている。
俺の五感は溶かし込んだ『レディベスティエ』とほぼ同化しており、これがロボットのセンサー代わりとなっていた。五感といっても人間のものとは比べ物にならない精度で、『ギガク』のロボットと接敵したり、後から『例のもの』が打ち上げられれば、その正確な場所をすぐに把握することができる。
だから俺は、行くべき道を迷わない。
『チヒロ。そろそろスラスターの展開をお願い』
『了解しました。スラスター、展開します』
聞こえたドクダメさんの声に、俺は応じた。
頭の中に浮かべたのは『自分の意識を跳ばす』イメージ。既に体中に、『レディベスティエ』に溶かし込んだ俺を、俺の意識を体から抜き出して跳ばして、さらに飛ばす。
俺の意識だけが先行し、体だけ置き去りにされる感覚。俺はここにいるはずなのに、俺がいなくなっていく喪失感。
だから、俺は俺に追いつこうと想う。
想いはすぐに結果となって現れた。『レディベスティエ』の装甲が、浮き上がったのだ。
鳥が羽を広げるように展開された装甲の下からスラスターが現れ、先に行った自分に追いつくために、いきなり全力稼動を始めた。
現れたスラスターは足から、腰から、背中から、腕から、熱と振動を吐き出すように、俺の体を刺し貫くように突き動かした。轟音は、俺をもっと先へと急かす。
スラスターに押し上げられるようにして雲の中を突き抜けると、そこには青の世界が待っていた。
そこには青以外の何者もなく、ただ、ただただ青かった。
でも、足りない。この青では足りないのだ。
俺が求めている場所は、もっと先なのだ。ここに、俺はまだいない。
青の世界を食い散らかすように、突き破るように、俺は先に進む。
すると、俺を満足させるかのように青の色も濃さを増していく。
それでも俺は満たされない。満足できない!
もっと、もっととねだる子供のような自分の欲求に従い、俺はさらに加速を続ける。
青の濃さはついに青から藍に変わる。成層圏に着いたのだ。
ここで、俺の食欲は一旦満たされる。跳ばした俺の意識に追いついたのだ。だが、飛ばした俺にはまだ追いついていない。飛ばした俺がいる場所は、既に見つけている!
『『ギガク』のロボットを発見! これより交戦に入ります!』
興奮のあまり、俺の口から息が漏れる。吐いた息が気泡となって『ローレンス』の中を漂っていく。
藍色の中で銀色に光る点に意識を向け、拡大表示させる。
パソコンのディスプレイ画面に表示されるウィンドウのように視界の左側に表示されたそれは、間違いなく人工衛星の映像で見た、月面に現れた『ギガク』のロボットだった。
左目のまぶたを閉じてウィンドウを消し、俺は再度スラスターをふかした。『レディベスティエ』は銀色の点に向かって、鎖から解き放たれた獅子のように一直線に突き進む!
相手もこちらに気が付いたのか、こちらに接近してくる。だが、少し様子が変だ。戸惑っているように見える。けれども、俺にはそれに構っている余裕はない。
『うあぁぁぁあああああ!』
雄叫びを上げながら、俺は『ギガク』のロボットにつかみかかろうとした。
地球に『ギガク』のロボットにダメージを与えられる兵器は存在せず、『例のもの』がない丸腰状態の俺は徒手空拳で戦うしかないのだ。相手が戸惑っているのなら、その隙を突かせてもらう! 先手必勝だ!
相手が動揺したのは、一瞬だった。『レディベスティエ』の伸ばした両の手のひらを相手も取り、取っ組み合いとなる。
『レディベスティエ』の方が相手よりも若干体が大きい。力で押し切れるか?
指と指が激突した音と共に絡まりあい、互いを逃がさないようにがっちりと組み合わさる。
相手のロボットと目が合った。間近で見る『ギガク』のロボットの迫力に、俺は一瞬ひるんでしまう。近くで見た獅子の顔をしたフルフェイスは、まるで生きているライオンのようにこちらを睨み付けた。その眼光は鋭く、俺を獲物として認識してる狩人の目をしている。
相手の獅子の顔に変化が起こった。口が開いたのだ!
『ギガク』は『ローレンス』のような支援ツールを使用していないのか、獅子の口に拘束具を付けていなかった。
それは映像を見た時に気づいていたが、ロボットに噛み付きの機能があるなんて聞いてないですよ、ドクダメさん!
本場の『ギガク』の操縦技術に戦慄しながらも、執拗にこちらの顔面に噛み付いてこようとする相手の攻撃を顔を二度、三度とそらして逃げる。
雄獅子の上顎と下顎がかみ合わさる音が耳のすぐそばで聞こえ、口から覗く犬歯の鋭さを目の当たりにする。怖すぎる!
取っ組み合いになったのは失敗だった。ロボットの頭部はただのコックピットの役割しかないのだと思っていたため、噛み付かれることなんて完全に想定外だ。このままでは、一方的に『レディベスティエ』のコックピットを食い破られて負ける!
向こうの顎(あぎと)が開くたび、こちらが劣勢に立たされる。こちらの方が大きいとはいえ、相手も『レディベスティエ』と同じ巨大ロボットという事実に変わりはない。
俺が食らい付かれないように下がると、それにタイミングを合わせて力でぐいぐいと押し込まれてしまう。凄い力だ! スラスターを全開にしても押し返せない!
『レディベスティエ』を下にして、俺達はどんどん高度を下げていく。
『クソがぁぁああああああ!』
叫びと共に、俺は相手の胸甲板の下辺りを左足で思いっきり蹴り上げた。正確な場所なんて分からない。今はこの劣勢を覆すのが先だ!
『レディベスティエ』の左足から繰り出されたトーキックが相手に炸裂する!
当たった瞬間、金属同士がぶつかったというよりも、岩と岩がぶつかって破砕したような音がした。
鈍い振動が足に伝わる。だが、相手は俺をつかんだままで放そうとしない。なら、これならどうだ!
相手に爪先が当たった場所を足場として、一瞬左足をたわめる。さっきのトーキックと違い、今回はかかとまで相手にしっかりつけて、押し出すようにして再度相手を蹴り上げた。
飛び跳ねるために大地を踏みしめるような感触を左足から得ると共に、『ギガク』のロボットは『レディベスティエ』をついに放した。
蹴り上げた反動を利用して、俺は高度を下げながら相手から距離をとる。離れながら相手の損害状況を確認した。
『レディベスティエ』の蹴りが相手の装甲に当たった時に発生した摩擦熱で、湯気が立っている。しかし、その装甲に傷を確認することは出来ない。無傷かよ!
湯気が立っているのは、胸甲板に追加でつけられている逆三角形の装甲。あそこを貫くのは、まだパワーが足りない!
『なら、これならどうだ!』
俺は距離をとりながらも、円を描くようにして相手よりも高い位置に『レディベスティエ』を上昇させる。描いた円が宇宙に一番近いところに来たところで、速度をそのままに急降下!
『食らえよぉぉおお!』
落下速度に加えてスラスターも全力出力させながら、俺は『ギガク』のロボットに向かって『レディベスティエ』を跳び蹴りの格好をさせ突っ込ませる! 今度は右足だ!
『レディベスティエ』の最高速度による跳び蹴りを、何と相手は両手でつかむようにして受け止めた!
受け止めることが出来たのは、相手のスラスターがこちら向きに起動していたからだ。つまり相手は、俺と同じ進行方向に移動することで俺の跳び蹴りの衝撃を緩和。受け止めることに成功したのだ。
受け止めた相手は、そのエネルギーを利用して腰を捻るように回転。足首をつかまれた俺は、跳び蹴りをした速度のまま吹き飛ばされる!
あまりの衝撃に、声をあげることすらできない。俺の口からこぼれた空気が、ぼこぼこと『ローレンス』に漏れ出していく。
体勢を立て直した時には、相手との位置は今度は逆になっていた。つまり、相手が上で、俺が下。
相手は、左肩のショルダーアーマーを使ったタックルの姿勢でこちらに飛び込んでくるところだった。
俺は『レディベスティエ』を上昇させ、相手を迎え撃とうとした。だが、そこで相手の機体に変化が起こった。ショルダーアーマーから、鋭い棘が生えスパイクアーマーに変形したのだ!
『ギミック多すぎだろ!』
闘牛士が牛を避けるように、ギリギリで相手の攻撃を回避した後攻撃に転じる予定だった俺は、完全に計算を誤った。
さっき自分がやられたように、相手のショルダーアーマーを手でつかんで攻撃をかわそうと思っていたのだ。
俺は全スラスターを回避に切り替えた。アレはまずい!
今まで傷をつけられたことがないとはいえ、あのスパイクは『レディベスティエ』の装甲を貫くことが出来ると、俺の直感が告げていた。
当初の予定通り相手と接触すれば、間違いなく串刺しにされるだろう。
『間に合えぇぇえええ!』
必死の回避運動も、間に合いそうもない! だが、あのスパイクさえ回避できれば……!
『ぐぁぁあああ!』
もはや言葉としての体をなしていない言葉を叫びながら、俺は野球のピッチャーがアンダースローで、ボールを右手で投げるような動作を『レディベスティエ』にさせた。
別に何かを投擲したわけではない。俺がしたかったのは体を沈ませて、上半身を相手の背中に回りこませるようにして、スパイクの軌道から逃げる動作を取りたかったのだ。
だが、それでもスパイクは『レディベスティエ』の胸甲板に当たる軌道だった。このまま何もしなければ死ぬ! こんなところで死ねるかっ!
だから俺は、伸ばした右手を相手の腰に突き刺すようにぶち込んだ!
最初の取っ組み合いから逃れたように、今度は右手を使って回避運動を取ったのだ。
右手からの衝撃が伝わり、それと同時に胸に引き裂かれたような痛みが走った。相手のスパイクが、『レディベスティエ』の胸甲板を削ったのだ。削られた時に生じた火花で目が痛い。
胸甲板に傷を付けられた俺は、下半身に受けた衝撃により、きりもみ回転をしながら高度を下げていく。アンダースローの動作で上半身、腰辺りまでは相手の機体の背後に逃がすことに成功したが、下半身の腰から下は、相手の左膝に轢かれるようにしてぶつかった。
スラスターで体勢を整えながら、俺は損害状況を確認する。
俺が生きているので頭部は問題ない。右腕、左腕も健在。胴体はスパイクで削られたが、傷はそこまで深くない。両足は、特に相手の左膝がもろに入った右足にしびがあった。左足も動作が若干鈍いような気がする。
だが、戦闘不可能なほどかと言われれば、そうでもない。いける!
俺が胸甲板を蹴り上げても相手が戦闘が続行できたのを見て、ぶつかった程度では戦闘に支障は出ないと分かっていた。スパイクさえ回避できれば問題ないという俺の読み通りだ。
だが、状況は芳しくない。
俺には相手にダメージを与える決定打がない。それに加えて……。
俺は視線を足元に向けた。
『レディベスティエ』の爪先はあるものに触れていた。雲だ。
劣勢に立たされて、もう雲がある高度まで下がってきてしまったのだ。
この雲の下には地球が、ドクダメさんがいる北極基地がある。このままでは『ギガク』に地球上陸を許してしまう!
まだか! まだ『例のもの』の準備はできていないのか!
その時、ドクダメさんからの通信が入った。
『チヒロ。三号機の準備が終わり、『例のもの』を射出したわ! 到着まで、あと五秒!』
『待ってました!』
俺の方でも、射出されたそれを補足できた。
時間がかかると言われていたが、何とかギリギリ間に合ったようだ。
『四秒!』
視線を『ギガク』のロボットに戻すと、再度スパイクアーマーによるタックルを敢行しようとしているところだった。
『三秒!』
ドクダメさんのカウントダウンを聞きながら、俺は『レディベスティエ』の両足をわずかに左右に開き、自然体にする。
『二秒!』
そもそも、相手の『ギガク』のロボットが同じ『ギガク』のロボットである『レディベスティエ』に傷をつけれる装備を持っているのに、『レディベスティエ』にその装備がないわけがない。
『一秒!』
『レディベスティエ』と一緒に、ドクダメさんは『レディベスティエ』の装備も一緒に地球に持ち込んでいたのだ。それは、
『〇秒! つかんで!』
ドクダメさんの叫びと共に、『レディベスティエ』の足元から火柱が上がるように、一本の白い柱が立ち上った。その慣性の余波で雲の柱を中心に、足元の雲が渦を描く。
その風を受けながら、俺は既にその雲の柱中に右手を突き刺していた。
風が止み、柱が突き出た余韻を残しながらも、消える。
それでも、今俺が握っているものは消えずに残っていた。
それは、真っ白な雲の中から現れたとは思えないほどの、『黒』だった。
切先から柄頭までの長さがほぼ『レディベスティエ』と同じ大きさのそれは、刀身が『レディベスティエ』の鬣のような黒色をした、肉厚のバスターソードだった。
本来このバスターソードは『レディベスティエ』の肩から下げるのだが、『レディベスティエ』とバスターソードを一緒に打ち上げるのは困難だったため、別々に分けて打ち上げ台から射出する必要があった。流石に二つ同時に打ち上げるには大きすぎるし、重過ぎる。
柄の感触を確かめるように、俺は両手でバスターソードを握り締め、右側に下ろした。腰構えだ。
相手の『ギガク』のロボットは俺の既にすぐそばに迫っていた。
このまま何もしなければスパイクに胸を貫かれ、首はもがれて、俺は負けるだろう。
だが、もう負けることなど俺は微塵も考えていない。負けるはずがない。
そこはもう、俺の間合いだった。だから後は、振り抜くだけでいい!
相手と接触する直前に、俺は雲の上までやってきた自分の剣の名を叫んだ。その名は、
『『クリニエーラディレ』!』
そして空に、線が走った。
それと同時に聞こえたのは、鐘楼を二つに切り裂いたような音。『ギガク』のロボットの左腕を、肩の付け根ごと俺が切断した音だった。
胴体を逆袈裟切りで真っ二つにしたつもりだったが、左腕を犠牲にすることで回避したらしい。
左腕を切断された相手の機体は切断された腕を空中で回収した後、こちらを見上げていた。
何だ? 何かを伝えようとしているのか?
そう思った瞬間、視界が白で染められた。
『クリニエーラディレ』が通った道をなぞるように風が流れ込み、それに巻き込まれる形で雲が『レディベスティエ』を中心にして右側に弧を描くように巻き上がったのだ。雲で作った台風の目に立っていれば、このような光景を見ることが出来るだろう。
雲が邪魔で相手を一瞬見失った。視界を確保するため、再度『クリニエーラディレ』を振るい雲を割る。
だが、そこには既に『ギガク』のロボットの姿はなかった。俺の五感でも検知できない。
周囲を警戒しながら、ドクダメさんに確認する。
『ドクダメさん。『ギガク』のロボットは?』
『現在、月に向かって移動中よ。左腕の破損により一時的に撤退したみたいね』
それを聞いた俺は、月を見上げながら今の自分の素直な気持ちをドクダメさんにぶつけた。
『……俺は、勝ったんですか?』
『ええ。勝ったわ。チヒロは地球を救ったのよ』
『そう、ですか』
俺はコックピットの中で、自分の手で自分の顔を覆った。
「俺は、守れたんだ」
つぶやいた時にこぼれた気泡を眺めながら、俺は勝利の味をかみ締めた。
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