第4話

そしてその想いは、『ギガク』との戦闘を前にしても変わらない。

思い返せば、俺はずいぶんヘタレだった。何かへこむ事があれば、すぐに逃げ出そうとした。そしてその度に、周りの人に支えられてきた。でも、あの日を境に俺は迷わなくなった。ありきたりな少年の挫折と成長は、もう高校生活で済ませてきた。

だから俺は、もう前に向かって進むだけだ!

『『ギガク』が北極基地真上の外気圏に突入しようとしているとの報告が入ったわ。まっすぐ垂直に北極へ進行中。予定通り今からミサイルによる強襲を行うわ。チヒロ、起動準備をお願い』

『分かりました』

ドクダメさんに応じて、俺は意識を集中させる。ロボットを操作するためにイメージを俺の中に構築するのだ。

イメージしたのは、水に溶けていく氷だった。色々と試した結果、これが一番ロボットを操作しやすかったのだ。俺が液体の『ローレンス』に全身を包まれているというのも関係があるのかもしれない。

ロボットとしてではなく、自分が戦っていると思った方が操作しやすかった。

自分を溶かす。意識を溶かし、体を溶かし、ロボットの中に、俺自身を流し込む。

俺は、このロボットの脳になる。脳は自分の体が外界からの情報を処理する。

俺の手は触れた雪を溶かし。

俺の脚は氷の大地を踏みしめ。

俺の肌はこの極寒すらものともしない。

『迎撃ミサイル、全二四発発射したわ。全弾、『ギガク』に命中!』

ドクダメさんの声を聞きながら、俺は高ぶる精神を余すところなく溶かしていく。まだだ。まだ俺を溶かし込める。

『『ギガク』への損害確認中。損害は、無し! 相変わらず硬いわね。これだけやっても無傷だなんて。もう少し各国を押さえることができていれば、多少なりとも結果は変わっていたかもしれないのに……』

ドクダメさんの声に答えることなく、俺は俺を溶かし込んでいく。

ロボットを起動させる直前は、いつも頭がはっきりしない。

後頭部に霞がかかったような気がする。世界が安定しない。プールに浮いているような浮遊感。

それでいて『ローレンス』に抱かれた俺は、ゆっくりとロボットの中に沈んでいく。沈んでいくのにもかかわらず、水面はどんどんと近づいてくる。

ゆらゆらと右に左にゆれる視界は真っ暗で、何も見えていないのに視界が揺れていることが分かるのが不思議だった。

『チヒロ。出番よ』

ドクダメさんの言葉と共に、俺の視界が白に染まる。ロボットを格納していた倉庫の扉がわずかに開き、外の光が差し込んだのだ。眩しさに思わずまぶたを閉じようとする。が、出来ない。

もう俺の目はロボットの目で、ロボットの目は日光ごときで焼き切れたりはしない。目を細める必要など、なかった。

俺は。眩しいと感じながらも、視界に入った情報を処理していく。

目の前の倉庫の扉がまとわり付いた氷を削り取りながらゆっくりと、だが着実に開いていくのが分かった。

削られる氷の音が、俺の鼓膜を震わせる。

飛び散る氷が当たり、皮膚を覚醒させる。

そして、視界が開けた。

まず俺が全身で感じたのは、太陽だった。

とっくに沈んでいる時間帯にもかかわらず、太陽は帰り時間を忘れてしまった子供の笑顔のように、燦々と北極の氷を照らしつけていた。外の吹雪も、止んでいるようだ。

八月のこの季節、白夜のため北極の太陽が沈むことはない。北極の氷たちが太陽の光を反射させ、余計に眩しかった。

だが、その反射光を受けてさらに光り輝くものがある。俺が乗っているロボットだ。

巨躯、巨大としか言い表せない今の俺は、月に降り立った『ギガク』のロボットと同じく西洋の騎士の形をしており、神々しさと雄々しさも、月のロボットとなんら遜色はなかった。

銀色に輝く装甲は、今までの実践訓練で傷一つ付いたことがない堅牢性を誇っている。例え北極の厚い氷を絶つことが出来る刃(やいば)であっても、この装甲は切り裂くどころか、傷一つ付けることはできないだろう。

紅褐色の胸甲板には自分の顔と同じ獅子の顔が、金色で描かれている。

その描かれたモチーフとなっている頭部は、今北極に向かっているロボットと同じく鈍く光る黄金色、雄の獅子型をしたフルフェイス。だが、その顔には明確な違いがあった。

獅子の、鬣だ。

その鬣は、黒かった。

闇よりも黒く、暗いそれは、北極の凍てつく雪風を受けてもなびくことも、また基地の外壁のように白く染まることもなかった。

逆にこの鬣に触れた雪の方が黒に犯され、儚く散って水蒸気となり消えていく。この鬣は、触れるもの全てを燃やし尽くす黒い業火のようだった。

この大獅子がロボットではなく、一匹のライオンであれば、間違いなく群れを纏め上げる立場になっていたはずだ。大草原を悠然と駆け回り、咆哮を上げたことだろう。

だがその口は拘束具で縛られ、咆哮を上げるための顎(あぎと)は、固く閉ざされている。

この拘束具は『ローレンス』が流れ出すのを防ぐために必要なものなのだ。そう、『ギガク』のコックピットは胸の位置ではなく、頭部、脳の位置にあるのだ。

ロボットへ搭乗するためには獅子の顔をした口から入らなければならず、初めにロボットに乗った時、俺はこのまま食べられてしまうのではないかと思った。それほどまでに、間近で見たロボットの顔は獅子に、ライオンにそっくりで、口の中も本物そっくりに再現されていた。

それにしても舌まで作る意味があったのだろうか? 『ギガク』の設計思想が分からない。

今はもう慣れたのだが、コックピットから出る時も悲惨だった。

コックピットから出る時も入った時と同様に獅子の口から出る必要があるのだが、拘束具を付けた獅子の唇を開けた時に『ローレンス』が零れ落ち、獲物である俺を目の前にして、涎を垂らしているようにしか見えない。

俺がコックピットに乗り込んだ後『ローレンス』をロボットの口から注入するのだが、もし乗り込む前に『ローレンス』が注入されていたら、俺はロボットに乗れなくなっていただろう。俺は涎を垂らす獅子の口に、自ら進んで入っていくような自殺願望は持っていない。

『『ギガク』は外気圏を通過中よ。予定通りチヒロは成層圏で戦闘をお願い。打ち上げ台は二号機の準備をしているわ。三号機も『例のもの』を打ち上げるために準備中よ。少し時間がかかるかもしれないわ』

『俺が使うのは二号機ですね。分かりました』

俺はドクダメさんの言葉にうなずきを返した。うなずいたところで相手に見えるはずがないということに気が付き、一人で恥ずかしくなる。

『どうしたの?』

『何でもありません!』

恥ずかしさを誤魔化すように俺は移動を開始した。踏み出した一歩目から伝わる固い氷の感触と振動が心地いい。

ロボットが格納されていた場所は、基地の北側にある倉庫だった。元々迎撃ミサイルと人工衛星を打ち上げる前に保管しておくための場所だったのだが、全て打ち上げてしまったため現在ではロボットを格納する場所として使っている。打ち上げ台も近くにあるため、位置的にも移動時間を短縮できる。いずれは打ち上げ台を地下に移動させ、氷の下から出撃したいものだ。

ドクダメさんが準備してくれていたという打ち上げ台に向かう。三台並んだ打ち上げたいの内、真ん中のものが二号機だ。

風を切りながら俺は自分の右手を握り締め、その感触を確かめる。という動作を思い浮かべると同時に、ロボットの右手が俺の思った通りに握り締められたのを確認する。タイムラグはまったくない。よし。うまくロボットに溶け込めている。

『ギガク』との戦闘を前にして、改めて自分が乗っているロボットのことにを疑問に思った。

甲冑のような外見をしているにもかかわらず、酷寒の北極でも問題なく動作する。

コイツに初めて乗ったのは、俺が高校を卒業して北極基地に着てからだ。まだ半年も経っていない。それなのにもかかわらず、海にももぐり、空も飛んだこともあるが、ロボットを起動させた後はどこにいようが何をしていようが自分の体のように動いてくれる。

これは、コイツは一体何なんだ?

『チヒロ。これも既に何度も伝えていることだけど、長時間の戦闘は禁物よ』

思考もロボットに溶けていきそうになったタイミングで、ドクダメさんが注意事項を伝えてくれる。

『分かってます。スラスターの最長連続稼動時間は二時間ですよね』

『そうよ。チヒロ?』

『何ですか?』

『無茶はしないでね』

『それこそ無茶な相談ですよ。ドクダメさん』

苦笑いしながら、俺は二号機のカタパルトのセットを開始する。打ち上げ台は、電磁式カタパルトによる多段式システムを導入していた。

通常多段式による打ち上げは、推進剤タンクやそれを燃焼させるエンジンを複数取り付け、空になったタンクや不要となったエンジンを空中で切り離す方式が取られている。

だが、北極基地では人工衛星以外にもロボットを打ち上げることが想定されたため、打ち上げ台にはある程度の汎用性が求められた。そこで打ち上げる対象をカタパルトごとに変更できるカタパルト方式を採用し、実験機という意味合いも込めて従来用いられてきた蒸気力ではなく、電磁式のカタパルトが採用されることとなった。

打ち上げの第一段階として、このカタパルトを利用して打ち上げ対象を射出する。第二段階は従来の多段式による打ち上げ方式と同様に、打ち上げ対象に取り付けた燃料タンクと小型のロケットエンジンで打ち上げ対象を宇宙へと打ち上げる。

『ギガク』のロボットは恐ろしいことに単独で宇宙に到達することが可能なのだが、浮遊するために使用するロボットのスラスターの使用には、ある限界があった。

スラスターはロボットのほぼ全ての関節に取り付けられており、使用時にはロボット内の温度が急激に上昇する。ロボット自体はスラスターを使用した飛行に何時間も耐えれるのだが、搭乗者である俺が、その熱に耐えることが出来なくなる。

スラスターを使用した飛行、および海中の移動実験の結果、最大出力でスラスターを連続稼動させた場合三時間ほどで『ローレンス』が沸騰することが分かった。当然中にいる俺はゆでだこ状態になる。そのため、出来るだけロボットのスラスターの使用時間を抑える必要があり、出撃には通常打ち上げ台による補助を必要としていた。

『カタパルトの準備、完了しました』

俺はロボットの背を打ち上げ台に向けた格好で、ドクダメさんに告げた。

いよいよ、初陣の時を迎えた。

『こちらでも、カタパルトの接続を確認できたわ。いつでもいけるわよ』

訓練の中でアニメやマンガを読みながら、俺はずっと迷っていることがあった。そう、出撃時の『名乗り』だ。

『名乗り』は非常に重要なものだ。何せこれ一つでカッコよさが段違いになる。ロボット稼動訓練の中でも色々と試してみたのだが、これだ! と自分で思えるものを叫んだ方がモチベーションも上がり、それがロボットとの操作性向上にもつながっていた。

帰りそびれた太陽を見上げながら、俺は何度も練習した『名乗り』を上げる!

『佐々木千尋。『レディベスティエ』、出ます!』

そして俺は、空へ飛び出した。


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