第3話

確かあれは俺が高校二年生だった時。

高校の友達に呼び出され、二次元に三次元の自分たちは行くことはできないんだ、と頭に蛆が湧いたとしか思えない話を聞いた日の夜。訓練のために松井博士の部屋を訪れていた俺は、偶然博士の結婚写真を発見したのだ。

『ドクダメさん! 松井博士、ご結婚されてたんですね!』

松井博士が指輪をしていなかったので独身だと思い込んでいた俺は、嬉々としてドクダメさんに報告しに行った。

『アレ、チヒロは知らなかったのデスか?』

『え! ドクダメさんはご存知だったんですか?』

『ハイ。前に結婚写真を見せてもらったことがありマス。素敵な純白のウエディングドレスが印象的デシタ。やっぱり白といえばウエディングドレスデス』

『ドクダメさん、似合いそうですもんね!』

俺はあの時、この台詞をドクダメさんに言いたいがために結婚の話題を振ったのだ。

好きな相手に結婚の話題を振って、あわよくば、『俺がドクダメさんに純白のウエディングドレスを着させてあげますよ』『チヒロったら何を言ってるんデスか』、みたいな甘い会話が出来ればいいなと思っていたのだ。

本当に、軽い気持ちだった。

だから、次にドクダメさんから出た言葉は、会話の続きは完全に予想外だった。

『実際に着た時にそう言われマシタ。似合ってる、ト』

『え……? それって、』

『ハイ。ワタシは、もう結婚しているのデス』

その台詞を聞いた時、俺は全身の血液が一瞬で抜き取られたんじゃないかと錯覚した。

目の前が真っ白になり、後ろに引っ張られる感覚。

でも、ここで倒れるわけには、会話を止めるのは不自然すぎる。喋れ。とにかく何とか喋れ俺!

『そ、う、だったんですか』

『ハイ。チヒロには、言ってなかったでショウカ』

 聞いてねぇよ!

『でも、そうですよね! 当たり前ですよね! ドクダメさん、こんなにお綺麗なんですから、『フウリュウ』の男の人も放っておきませんよね……』

 違う。俺が言いたいのはそんなことじゃない。もっと自分の腹の奥底から、黒く、ぐつぐつ煮立った醜い感情をぶちまけたかった。

何だそれ。俺はこの人のために戦おうと決意して、この人のために命を賭ける事を誓ったんだぞ。それに自分で言うのもなんだが、俺の態度から俺がドクダメさんに好意を抱いているのは丸分かりだったろ? 何で誰も教えてくれなかったんだ! 俺がドクダメさんが結婚してるって知ったら、俺がロボットに乗って戦わないとでも思ったのか? それはそうかもしれない。そうかもしれないけどさっ!

何だよ人妻って! こんな、展開ありえていいのかよ! 何だこのクソ展開は! 何で、何でこんな、こんな、もうどうしようもないじゃないか!

今すぐにでも叫ぼうとした。ドクダメさんに嫌われても構わないと思った。

でも、出来なかった。ドクダメさんが、こう続けたから。

『でも、そう言ってくれた人は、もういないデス』

あまりにも寂しそうに、切なそうに、そう続けたから。

もう二度と戻ることの出来ない日々を語るドクダメさんの表情に、言葉の意味に俺は気づいた。気づいてしまったんだ!

そうだ。ドクダメさんは言っていたじゃないか!

『でもある時『ギガク』が、ロボットの大群が『フウリュウ』にやってきて、全てが終わってしまいマシタ』

『『フウリュウ』からロボットを運び出すことに成功した時、ワタシを残して仲間は全員殺されてしまいマシタ』

『フウリュウ』は、滅んでしまったのだ。ドクダメさんを除いて。

つまり、ドクダメさんの旦那さんはもう……。

『だから、ワタシは『ギガク』を許さないのデス』

郷愁に駆られていたドクダメさんの顔は、復讐者のものに変わっていた。


ドクダメさんは、未亡人だった。

愛する人を殺されたドクダメさん以上に、この地球には『ギガク』を恨んでいる人はいない。

それでも、ドクダメさんは耐えているのだ。目の前に旦那の仇が、『ギガク』がいるのに、今すぐ俺に『ギガク』を滅ぼせと言いたいはずなのに。

だから俺はドクダメさんの声を振り切って、勝手に出撃することが出来なかったし、何も言い返すことが出来なかった。

この事実を知った時、もう俺は正直どうしたらいいのか分からなかった。

一目ぼれした相手は既に結婚していた。そして未亡人だった。もし、俺とドクダメさんが互いに恋愛関係になったとしても、別に問題にはならないだろう。

だが、当時高校二年生の俺にはこの事実は重すぎた。

だって未亡人だぞ。結婚しようと思って、実際に結婚した相手が、自分の好きな人にいたんだぞ?

そんな人に、ドクダメさんの亡くなった旦那さんに、ドクダメさんの思い出に、どうやって割って入ればいいのか、勝てばいいのか、俺には検討も付かなかった。

しばらくの間、俺は自暴自棄に陥っていた。だから、ロボットのセキュリティ解除の研究をしていたドクダメさんの前で、こんなことを言ったのだ。


『俺の脳さえあればロボットは動かせるんですよね? だったら、俺のクローンを量産すればいいじゃないですか。でも、それだと教育に時間がかかるか。あ、そういえば臓器の一部だけを作ることも出来るんですよね? だったら俺の脳だけ複製して、それに電極を刺して遠隔操作したらいいんじゃないですか? そしたら誰だってあのロボットに、』

言い終わる前に、ぶっ飛ばされた。俺の左頬にドクダメさんの右ストレートを叩き込まれたのだ。

部屋に積まれていたダンボールの山に、俺は突っ込んだ。ダンボールの山は崩れ、中身を撒き散らしながら俺の上に落下してくる。それをどうにか抜け出した俺に、ドクダメさんは容赦なく罵声を浴びせた。

『何ふざけたこと言ってるのデスか!』

涙を流しながら、ドクダメさんは叫んだ。

『アナタという存在は、『アナタ』だけのものなのデス! アナタだけなのデスよチヒロは! チヒロは『チヒロ』なのデス! それを、誰かが勝手に好き放題弄繰り回していいはずないではアリマセンカ!』

俺は呆けたまま、涙を流しながら訴えるドクダメさんの顔を見上げていた。

涙を流すドクダメさんも綺麗だと、そんな場違いなことを考えていた。

『それに、『フウリュウ』の技術でも、チヒロとまったく同じ脳の複製は出来ないのデス』

『『フウリュウ』でも? ただクローンを作るだけなのに、ですか?』

 涙を拭いながら、ドクダメさんは俺の疑問に答えてくれる。

『ハイ。どうしても一部差異が出てしまうのデス。それまで生きてきた経験をどう記憶させるのかが関係していると言われていマス。パソコンのハードディスクに例えると分かりやすいデショウか。同じロットで作られたハードディスクに同じデータを保存したとしても、その二つのハードディスクは別のものになりマスよね?』

『え、そうなんですか? でも、それが脳から発せられる脳波と電子信号にどのように影響を与えるんですか?』

『ハードディスクの一度データが書き込まれた箇所はデータの欠損率が上がりマス。一度でも使われたことがある場所は欠損しやすいくなるのデス。ハードディスクの例が全て脳に当てはまるとは言えマセンが、一度でも使用した場所は何かしらの変化が起こりマス。それは脳も同じデス。さらに脳の『どこ』に経験を記憶したのかという正確な位置情報と、どこに記憶させるのか、というアルゴリズムはまだ解析できていマセン。なので一概に同じ体験をクローン脳に記憶させても、クローンの元になった脳とまったく同じ脳が出来上がるというわけではないのデス』

『同じ経験を脳に記憶させてもダメなんですね。同じ記憶を持った脳は二つ作れるけど、その記憶を二つの脳のまったく『同じ場所』に格納することは出来ない、ということですか。じゃあ一度ハードディスクをフォーマットさせた場合、出荷状態のハードディスクと同じ状態になるってことですか?』

『イイエ。そうはなりまセン。何故なら脳に一度体験を記憶させたという事実が残るからデス』

まとめると、まったく同じ脳、同じ脳波と電子信号を発生させる脳の複製は出来ない。

何故なら、脳の『どこ』にその記憶、情報を記憶させるかが分からないからだ。情報を記憶させた脳の場所に変化が起こるので、脳の『どこ』に情報を記憶させるのか、が分からないと同じ脳波と電子信号を発生させる脳の複製は出来ない。

それでも同じ情報を複数の脳に記憶させ、その情報を呼び出すことはできることはできるので、同じ記憶を、同じ情報を持った脳を作ることはできるようだ。

同じデータを別々の同じ型番のハードディスクに記録させたとしても、データを読み出すだけなら問題ないが、まったく同じ場所に同じデータを記録させていない以上そのハードディスクはまったく『同じもの』だとは言えない。

そして例えハードディスクをフォーマットさせたとしても、一度データを書き込まれたという事実は残り、欠損率は上がる。出荷時のような状態でハードディスクはデータを記憶することは出来ない、ということか。

何故俺がドクダメさんとの会話を脳内でまとめ直しているのかというと、話し終えたドクダメさんが俺を急に抱きしめたからだ。

何で? ダメだよドクダメさん! あなたには亡くなった旦那さんが、でもドクダメさん凄いいい匂いする……。ってアホか俺! ダメだそんなこと考えちゃ! でもドクダメさんが近くに、ドクダメさんの熱を感じる。熱い。まずい。理性が飛ぶ! 何考えてないとまず過ぎる!

そんな不埒なことを考えている俺にドクダメさんは、

『……ごめんなさいデス。チヒロ』

謝った。

『ごめんなさいデス。アナタを、こんな状況にしてしまいマシタ。アナタに過酷な運命を背負わせてしまいマシタ。ごめんなさいデス。許されようなんて思っていマセン。こんな戦いに巻き込んだワタシを、恨んで欲しいデス。罵って欲しいデス。でもこれだけは言わせてクダサイ。ゴメンなさい……』

俺にすがり付くように泣き始めたドクダメさんを抱きしめ返しながら、俺はこの人のために戦おうと再度決意した。

未亡人が何だ。俺は今、この人をこんなにも愛おしく感じている! なら、それでいいじゃないか。亡くなった旦那がなんだ。確かに、ドクダメさんは旦那さんを愛していただろうし、今俺はその旦那さんの思い出に勝てそうもない。だが、俺が愛しているドクダメさんはその旦那さんがいたからこそ、俺はこのドクダメさんと出会い、好きになったのだ。

ドクダメさんは、亡くなった旦那さんから大きな影響を受けていたに違いない。そしてその旦那さんの影響を受けたドクダメさんを、俺は愛したのだ。

だったら、その旦那さんも肯定しよう。あなたと一緒にいたからこそ今のドクダメさんがいて、そして俺はそんなドクダメさんに恋をした。あなたがいなければ今のドクダメさんは存在していないだろうし、俺もそんなドクダメさんのことを好きになんてなっていないはずだ。

だから、旦那さんことを好きなドクダメさんを、俺は好きになろうと、そう誓った。

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