閑話③映し鏡への恋慕


 初めて教室で見たときから、彼のことはどこか放っておけないと思った。

 入学式で見たときからずっと、彼女のどこかに何かを感じていた。


 ぷしゅっという音とともに、勢いよくプルタブを引っ張る。

 普段はあまり飲まないようにしているお酒も

 今日ばかりは、なんだか飲みたい気分になっていた。


 窓の外、道路は月明かりと街灯に照らされていて

 夜とは思えないほど明るく思えた。

 まだ、私が高校生だったころ

 この辺りは碌に街灯もなく、月が隠れている日は

 帰り道が思わず早足になってしまうような地域だった。


 技術の発展は恐ろしいほど早く感じる。

 それでも、手にもったこの飲み物だけは

 歳をとるたびにおいしく感じるようになっていた。


 このところ、彼と彼女のことを毎日のように考える。

 彼、西村肇はとても良い生徒だ。

 周囲に迷惑をかけることもなく、大きな騒ぎを起こすこともない。

 勉強の成績も良く、おそらく、最初の中間テストでは上位をとるだろう。

 でも、彼はきっと苦しんでいるのだ。

 彼は、優秀だからこそ、本当の自分のことが見えなくなっている。

 自分とは、こういう人である、という型を作りたがっている。

 その型に入り込むことで、自分の形を整えようとしている。

 それはきっと、すごく窮屈なことなのに。

 いい人であろうとしすぎているのだ。

 いいことをしようと考えてすぎているのだ。

 もっと自由にしていいというのに。


 彼女、中原綾はとても優しい生徒だ。

 周りの友人のことを思いやり、常に望まれた自分を演じている。

 だからこそ、彼女も自分の姿を見失っているのだ。

 そのことに気付いているからこそ、自分の奥深くまで潜って

 本当の自分を見つけようともがいている。

 違うのに。そこにあるのは、もはや自分ではないのに。

 本当の自分なんてものは、もっと身近にある。

 すぐそこに転がっている。

 ただ、それが見えなくなっているだけなのに。


「あー、おいしいなー」


 帰りに買ってきた飲み物は

 すでに空き缶となって、机の上に転がっている。

 もっと、こんな感じで、自由に転がってみればいいのに。


 肩肘を張って、大人になろうともがく生徒を見ていると

 どうしても昔の自分を思い出してしまう。

 いつも気を張って、周りに鋭い目を向け威圧して

 私はお前たちとは違うんだと、そんな子どもみたいな集まりとは違う

 私はもう大人なんだと。

 そうやって、いろいろなことに躍起になっていたかつての私。


 もう一口、残っている飲み物を一気に喉に流し込む。

 この瞬間。これこそ、大人っていう実感がある。


「すぐそこにあるのに、どうやったらうまく伝えられるんだろう」


 2人は、似たもの通しであり、全く違う生徒でもある。

 それでも、自分を探して必死にもがいている。


 今の子たちは、どこか生き急いでいる気がして

 教師という職に就いている自分にとって

 それは、見ていてとても悲しくなってくる。


 こんな田舎の街だって

 望めば、どんなことだって大抵はできる。

 それなのに、手に収まるほどの電子機器に夢中になって

 目の前にいる相手のことを見れなくなってしまっている。


「まあ、便利なんだけどね」


 机に置いた携帯を手にとり

 画面をなぞるように操作していく。

 実行委員として初めて集合した日に撮った写真。

 恥ずかしそうにする西村くん。

 控えめに笑う中原さん。

 真ん中で、一番子どものように無邪気な私。

 私のお気に入りの1枚だった。


 誰かのことを思うのに、理由なんて必要ない。

 敢えて理由づけをするのなら、私は教師だから。

 生徒のことは放っておけない。

 彼らには、これから楽しいことがいくらでも待っているのだから。

 こんなところで立ち止まらせるわけにはいかない。


 私が、彼に何かをしてあげたいと思うから。

 私が、彼女の役に立ちたいと願うから。

 この世の中は、思っているよりも簡単で単純でシンプルだ。


「全部同じかな」


 自分が考えたことに思わず苦笑しながら

 空になった缶を再び仰いだ。

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