4月17日の内緒話(2)
中原さんが帰った後、おれは委員会室に1人残り
今日話し合ったことを考えていた。
まとめることもないほど、話の内容はほとんど中身がなかった。
サボっているわけではない。
彼女が一生懸命にアイデアを出そうとしてくれているのは
この数日一緒にいたことでしっかりと伝わってきた。
しかし、一生懸命になることは誰にだってできるのだ。
世の中で過ごす人、だいたいの人は一生懸命に生きている。
おれだって、おれなりに一生懸命なのだ。
何かを成し遂げるには、そのもう一歩先へ行かなければならない。
その一歩に必要なことを、みんな探しているのだ。
文字をまとめることを諦め、ガランとした教室を見渡す。
つい先日、東山先生と掃除をした室内は
ほとんど利用されないためか、きれいな状態を保っている。
たまに空気を入れ替えるために窓を開けると、近くの桜の木から花びらが入り込む程度で
それもその都度掃き掃除をしてきれいにしている。
中学のときまでは、下校する前に全員で掃除をする時間があった。
いわゆる、清掃時間だ。
おれがいた中学校でも、学年がそれぞれ分かれるように分担され
20分ほどの清掃時間があった。
改めて、黒板に書かれた文字に視線を向ける。
「みんなが楽しい企画」とか「先輩のための企画」とか
抽象的な言葉が並ぶばかりで、具体的な内容はない。
こうなることもあると思い、事前にインターネットで歓迎会について調べておいたおれは
鞄の中から1枚の紙を取り出す。
「歓迎会企画案」と書いた紙には、いくつかの案が列挙してあり
本当は、今日の話し合いで中原さんに提案するつもりだった。
「出せなかったなあ……」
きっと、これを出せば中原さんも楽になるかもしれない。
でも、だからこそ考えてしまうのだ。
それは、中原さんに対して、自分の考えを押し付けてしまうことにならないだろうかと。
彼女には彼女の、なにか具体的な案があるかもしれない。
それを潰してしまう結果にならないだろうかと。
そう考えだすと、せっかく用意した案を出すことも躊躇(ためら)われた。
気付けば、窓から教室に夕日が差し込み
黒板はオレンジ色に照らされていた。
少し高い丘の上に学校があるおかげで
この場所は他のどこよりも空に近づくことができる。
この教室に来たのは、実行委員になってしまったからなのだが
通い続けるうちに、すっかりおれのお気に入りスポットになっていた。
「帰るか……」
誰もいない教室でぼそっとつぶやく。
帰り支度を整え、教室の出口へと向かったその時
ガラガラと音をたて、唐突に扉が開いた。
「西村くーん。いますかー」
「……東山先生」
「おっ、西村くん。ここにいたね」
入学式の時に感じた、しっかりとしたイメージはもはや崩れ
今では、この学校の誰よりも高校生らしいとさえ思ってしまう。
そんな東山先生の顔を見ると、なんだかおかしくなってくすっとしてしまう。
「あれ? なんかいいことあった?」
「いえ、別に何もありませんよ。
何もなさ過ぎて、ちょっと焦っているくらいです」
「それはちょっと焦ってほしいね」
いや、本当に申し訳ないと思っていますよ。
いい加減決めないといけないってことくらい、おれだってわかっている。
「どう? どのあたりが難しいかな」
「難しいってことではないんですけど
ちょっと、おれたちには荷が重いというか……」
端的に言ってしまうと、相性が悪いと思うのだ。
おれも中原さんも、この手のアイデア出しに強い方ではない。
きっと、もっと適役の人がいるはずだ。
「荷が重い? そんなのまだわからないでしょ」
「いや、自分のことですから、合う合わないくらいはわかりますよ」
自分のことなんてこれっぽっちもわからないのだが
相変わらず、その場凌ぎ言葉はすらすらと口からこぼれてくる。
「先生は、西村くんと中原さんならできると思ってお願いしたんだけどな。
2人ならきっとできると思うの」
「期待してもらえるのは嬉しいんですが
お応えするのは難しいかもしれないです」
「んー。じゃあ、どうして難しいのか、説明できる?」
「え?」
どうして難しいのかの説明……。
それはおそらく……
「西村くんは、考えようとしてるのかな。
それとも、いいことをしようとしてる?」
「いいこと、ですか」
「そう。別に西村くんが悪いわけじゃないよ。
今って、昔に比べると、いつでもどこでも
誰かと繋がっているような世の中になったでしょ。
それって、すごい頼もしいことだけど
すごく悲しいことだと思うの」
「悲しい、ですか」
それはいったい、どういうことなんだろう。
「もし、家族と1週間会えなかったら、どう思うかな」
「家族とですか。そうですね。
たぶん、心配すると思います」
けがとか病気とか、そういうよくないことを想像するかもしれない。
「うん。そうだよね。
でも、携帯があれば、すぐに連絡をとって確認することができるよね」
「それは、まあそうですね」
「連絡をとって、確認して、それで大丈夫だってわかったら
その後どうする?」
その後? それはいったいどういうことだろうか。
「たぶん、何もしない、かと」
大丈夫だってわかったのなら、特に何かをすることもないだろう。
何かをしなくちゃいけないのか、それを確認するために連絡をするのだから。
「この違い、西村くんはどう思う?」
「違い、ですか……」
「そう。相手のことがわからないときと
相手のことがわかっているとき」
それはやっぱり、相手のことがわかっている方がいいに決まっている。
誰だって、自分のことを知ってほしいと思うし
お互いのことがわかれば、いろいろな誤解もなくなる。
物事だって円滑に進む。
それはきっと、誰にとってもいいことのはずだ。
東山先生は何を言いたいのだろうか。
いまいち、その真意が伝わってこない。
じっと、おれが何を考えているのか知ろうとするように
東山先生は視線を向け続けている。
その目に、おれの浅はかな考えが見透かされているような気がして
どこか居心地が悪くなる。
「さあ。どうでしょうね。
おれにはよくわからないです」
たまらず、視線を床に落とす。
おれはその視線から逃げてしまった。
「……そう」
一度、おれに向けていた視線に含まれている感情が変わったような気がしたが
先生はすぐにいつもの笑顔に戻っていた。
「難しいことは難しいの。
それは、どこから見ても、誰が見ても変わらないんだよ」
「それはまあ、そうでしょうね」
難しいから難しいのだ。それ以上でもなければ、それ以下でもない。
一歩、おれの前へと進んだ東山先生は
何の迷いもなく、おれの右手をそっと握って、強い視線を向けてきた。
その勢いに、思わず一歩下がってしまったが
すぐにまた一歩、先生から距離を詰められ
視線の距離は元通りになる。
「……」
「……」
何も、言葉は発せられない。
ただ、ひたすらに目を見て、何かを見ようとしている。
何かを伝えようとしている。
そんなように思えた。
一瞬か、あるいは数分か、おれにとってはとても長い時間の後
握られた手はそっと解放され、先生はそのまま数歩下がる。
放心状態になり、思わず何も考えられなくなっていたおれは
しばらくの間、手に残った先生の手の感触を握りしめながら
次の言葉を待った。
「まだ、高校1年生なんだよ。
ゆっくりと、もっといろいろなことをしてもいいんだからね」
「はあ。まあ……はい」
「それじゃあ、今日の授業はここまで。
もう遅いから、早く帰り支度をして、気を付けて帰ってね」
そう言うと、何事もなかったかのように
先生は教室を出て行った。
しばらくの間、おれは教室の扉を見つめ続けた。
おれには、先生が言ったことの意味がよくわからなかった。
何を伝えたかったのか、汲み取ることができなかった。
ハッとして、帰り支度を整えたとき
窓の外の夕日はすっかり沈み、辺りは月の光に照らされていた。
夜桜っていうのも、案外きれいなものだな、なんて
悠長なことを考えながら、おれは教室を後にした。
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