4月17日の内緒話(1)


「それじゃ、先に帰るね。またね」


 西村くんを教室に残して、私は帰宅するため

 足早に下駄箱へと向かう。

 東山先生にスケジュールを聞いた日から

 土日を挟んで月曜日。

 結局、今日もなにも決まらず、特に意味のない会話をするとしかできなかった。


 西村くんはどう考えているのか、それは私にはよくわからないけど

 このままだと何も決まらないかもしれない。

 決めたいという気持ちはある。

 決めなくちゃいけないという焦りもある。

 それでも、誰かのために何かをするなんて

 今の私にできるのか、まったく見当もつかない。


「はあ……。どうしよう」


 外履きに履き替え、1人正門を抜けながら

 思わず小さく、ため息がこぼれる。


「あれ? 中原さん?」

「あっ……東山先生」


 正門から少し歩いたところにあるコンビニから

 ちょうど出てきた東山先生と鉢合わせになる。

 私は、実はこの先生のことがあまり得意ではない。


 私と違って、自分に自信があって

 それでいて生徒たちからも慕われている。

 教職員の変な冗談にも笑顔で応えるその姿には

 私がもっていないものをすべてもっている気がして

 一緒にいると、なんだか卑屈になる。


「先生、さようなら」

「ちょっと待ってよ。

 中原さん、今日は西村くんと帰らないの?」

「別に、いつも一緒に帰っているわけではないです」

「そうなの?」


 実行委員になって、なんとなく一緒に帰ることが多かったが

 元より私は1人でいることの方が多い。

 おそらく、彼も1人でいることの方が多い人だと思うので

 敢えて一緒にいる必要はそれほどないと思う。


「青春って感じで、先生うらやましいなって思ってたんだけどな」

「なっ……え?」


 青春? それっていったい……。

 自分とは程遠い場所にある言葉で、今までまったく考えたこともなかった。

 色恋なんてことは物語の世界の話だと思っていたし

 なにより、彼が私に気があるとは到底思えない。


「そんなんじゃないですよ。

 ただ、実行委員は2人だけなので

 それで一緒にいるだけです。

 私は構わないんですけど、西村くんに迷惑がかかるので

 そういうことは言わないでもらえると助かります」

「そうかな?」

「そうです」


 先生は、納得がいかないというような表情をしていたが

 これ以上反論しても、焼け石に水なので突っ込まないようにする。


「それじゃ、私は帰りますので」


 変なことを言われる前にさっさと帰ってしまおう。

 そう思って、長い下り坂へと歩き出そうとしたとき

 急に手を取られ、バランスを失い倒れそうになる。


「待って待って。

 先生ね、中原さんにお話があるの」


 どうやら、私を呼び止めるために、先生が袖を掴んだらしい。

 こんなところで転んだら恥ずかしい限りなので

 できれば声だけで呼び止めて欲しい。


「わ、かりましたから。

 袖を掴まないでください」

「あ、ほんと? ありがとう」

「はあ……」


 この屈託のない笑顔、この笑顔が

 どうしようもなく、私を不安にさせるのだ。


 個性とも言うべき先生の笑顔。

 周りにいる人まで、思わず笑顔にするような力がある。

 私には、そんな力はない。

 個性はない。

 私がない。


 それがわかっていて、それでも私ってなんだろうって考え続けている。

 周りに合わせることは得意だった。

 周りが望む私を演じるのは簡単だった。

 なのに、いつしか演じることが当たり前になって

 本当の私がわからなくなってしまった。


「ちょっとこっちについてきてね」


 先生に促されるまま

 校庭の方へついていく。

 この時間帯は、サッカー部やソフトボール部が活動しており

 正門からも大きな声が聞こえてくる。


「あの、どこに行くんですか」

「どこまでも行くよー。

 行きたいところには、どこへだって行けるんだから」

「はあ……」


 要領を得ない先生の言葉は聞き流しつつ

 校庭の脇を進んでいく。

 思えば、ここを通るのは入学してから初めてだったかもしれない。

 通学路の桜並木に負けないくらい

 ここにも桜がきれいに並んでいる。

 登校中には気づかなかったが

 4月の中旬まで来ても、この辺りの桜はきれいな花びらをつけ続けている。


 校庭の先、テニスコートやプールがある辺りまで歩くと

 東山先生は立ち止まり、こちらを振り返って笑った。


「中原さんは、どう? 実行委員楽しい?」

「楽しい? ですか……」

「そう。楽しい?」


 別に楽しい要素はどこにもないと思うけど

 卑屈になるのも後々いらない議論を生んでしまうかもしれない。


「楽しいですよ。今まではこういうことをする機会ってなかったので

 毎日が新鮮です」

「ふふふ」


 なにがおかしいのか、東山先生は口を押えて笑っている。

 しまった、この返し方はまずかっただろうか。

 そんなことを思って、先生の様子をうかがっていたが

 ひとしきり笑った後、先生は脈絡もないことを話し出した。


「中原さんは、西村くんの近くにいて

 何か感じることはなかった?」

「感じること、ですか」


 何かおかしなところはあっただろうか。

 彼は他のクラスメイトと比べると

 少し大人しいくらいで、これといって目立つ要素があるわけではない。


「特に、気になることはなかったですけど……」


 正直な感想を話すと、いつものニコっとした笑顔を浮かべた。


「もうちょっと、周りのことをよく見てみて。

 西村くんのことをよく見てみて。

 きっと、中原さんが探していることは

 彼の中にヒントがあると思うよ」

「私が探しているもの、ですか……」


 改めて彼のことを考えてみると、意外と私が知っていることは少なく

 むしろ彼が何を考えている人なのか、積極的に知ろうとしたことはなかったことに気付いた。


「せっかくの高校生活なんだと。

 先生なんて、戻りたくても戻れないんだから」


 戻りたいと、考えることがあるのだろうか。

 こんなにも楽しそうに過ごす先生でさえ。


「世の中のだいたいのことは

 自分の外側にヒントがあるんだよ。

 大切なのは、そこを見ようとする努力ね」

「はあ……」


 正直に言うと、先生の言っていることはほとんど理解できない。

 私の考える私が、私の外側にあるとは思えない。

 私が考えていることを先生が理解しているとも思えない。

 今までだって、私は常に周りを見てきたつもりだ。

 それで今日まで、周りの望む私になってきたのだ。

 目を外に向けることは、今までだってやってきた。


「ちょっとお説教みたいになっちゃったね」

「いえ、そんなことは……」

「ふふふ。やっぱり中原さんは優しい子だね」

「はあ……」


 こんな、自分のこともわからない私が

 誰かに優しくすることなんてできるわけがない。


「それじゃあ、西村くんによろしくね。

 先生もなるべく行くからね」


 そう言い残し、先生は校舎へと戻っていった。

 こんなところに校舎への入り口があったんだ。知らなかった。

 もしかして、先生は校舎に戻るためにここまで私を連れてきたのだろうか。

 それとも、お説教をしたかったのだろうか。

 西村くんのことを話したかったのだろうか。


 先生が入っていった扉に視線を向けたが

 その問いに答えてくれる先生は、すでにそこにはいなかった。

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