第2章:結局考えることは似通っている

4月12日の回顧


 4月12日、水曜日。

 先週まで咲いていた桜は、週末に降った雨によってかなりの花びらが散っていた。

 桜は散り際が美しいと言うが

 学校まで続く坂一面、びっしりと敷かれた桜絨毯は

 これはこれですごくきれいに思えた。


 咲いている桜は、頭を上げ、上を向かなければ見ることができない。

 しかし、散った桜は、うつむく人の目にも入り込む。

 すべての人のために、その美しさを見せてくれるというのなら

 桜という花は、きっとどの花よりも優しい性格をしているに違いない。


 おれはどうだろうか。

 すべての人にとって、優しい人間なんだろうか。

 中原さんはどうだろうか。

 彼女という人は、誰かのために優しくなれる人間なんだろうか。


 おれはおれのことはよくわからないが

 それでも、彼女のことはほんの少しだけ知っていることがある。

 小動物のような仕草は、きっと周りの人を驚かさないような気配りなんだろう。

 小さく縮こまって座るのは、横にいるおれのことを思ってのことなんだろう。

 いつも確認するような聞き方をするのは

 決めごとの決定権を相手に委ねているからだろう。


 きっと彼女は、おれなんかと違って優しい人間なのだ。

 おれはどうなりたいのだろうか。

 それを知るには、たぶん、まだパズルのピースが足りないような気がする。


――――


「それじゃあ2人とも、よろしくねー」


 今日も満面の笑みを浮かべたまま

 東山先生は委員会室を出て行った。

 残されたおれと中原さんは、黒板に残された板書を眺めつつ

 これからやらなければならないことを考え、頭を抱えていた。


「えっと、中原さん。

 これ、どうしようか」

「えっと、どうしましょうか……」


 黒板に書かれた東山先生の文字は

 丸みを帯びた可愛らしい、女の子の文字だった。

 しかし、その文字で書かれた内容は

 どこをどう見てもかわいいものではない。


 大きな文字で「歓迎会までにやること一覧」と書かれた下には

 当日までのざっくりとしたスケジュールと

 当日のタイムテーブルが書かれていた。

 各スケジュールの横には

 「沙苗先生のワンポイントアドバイス」なる文字が似顔絵付きで並んでいて

 むしろそっちの方が主役なんじゃないだろうかと言わんばかりに

 存在感を発揮している。

 先生、自分のことを沙苗って下の名前で言うのか。


 それなりに時間があると思っていたが

 この板書を見る限り、スケジュールにそれほど余裕はない。

 細々とした買い出しや、当日の雑務など

 実際に動かないといけないことも多い。

 だが、やはり一番ネックなのは……


「企画書、って

 どんなことをやるんだろうね」


 それなのだ。

 他の部分には、先生の可愛らしいワンポイントアドバイスがあるにもかかわらず

 一番最初、「まずは何をやりたいのか、企画書を書いて提出!」のところには

 その似顔絵がない。


「やりたいことって言ってもなあ。

 特にこれと言ってなにかあるわけでもないし。

 中原さん、何かやりたいこととかある」

「え?」


 急に話を振られたからか

 ビクッと身体を震わせ、困ったような視線を向けてくる。


「やりたいこと……。

 西村くんは、なにかあるの?」


 いや、おれにはないから聞いてみたんだけどな。

 質問に質問で返されてしまい、何も浮かばず途方に暮れる。

 こういう、何かを決めないといけないことが

 何もよりも面倒くさいのだ。


「うーん……」


 皆目見当つかずのおれとは対照的に

 中原さんは何か考え込むように、あーでもないこーでもないと唸(うな)っている。

 実際には唸っているわけではないが

 右手を顎(あご)にあてながら首をかしげる仕草は

 さながら考える人その人だ。


「とりあえず、いきなり企画書っていうのは難しいよね」


 考える続ける中原さんに助け舟を出す意味合いで

 会話の糸口になりそうな言葉を投げてみる。

 ちらっとこちらを一瞥(いちべつ)した後

 うんうんと、首を数回上下に振る中原さん。


「ごめんなさい。ちょっと思い浮かばないかもしれない」

「いや、謝ることはないよ。

 今日来て、いきなりやれってことでもないしさ。

 ほら、スケジュールを見る限り

 来週の月曜日に提出すれば間に合うっぽいから

 今週中に少し考えてみようよ」


 今日が水曜日ということは

 明日と明後日、平日だけだと残り2日になる。

 この時間を長いと考えるのか、短いと考えるのかは

 おれと中原さんでは捉え方が違うかもしれない。


「そうだね。

 それじゃあ明日、放課後ここに集まって

 何ができるのかちょっと考えてみるっていうのは、どうかな」

「ああ。それでいこう」

「うん」


 この会話が正解だった、というような

 あるいは間違いではなかった、とでも感じているような

 どこか安堵した表情になる彼女を見て

 少し、申し訳なく思うと同時に

 おれと彼女の2人で、本当にやっていけるのだろうかと

 一抹の不安が頭をよぎる。


 おれと中原さんは、今まで全く違う人生を歩んできたはずだ。

 それなのに、考えることは思ったよりも似通っている。

 いや、考えること、というよりは

 考えるというプロセスにおける取り組み方、というべきだろうか。

 

 つまり、お互いに確固たるものがないのだ。

 それは経験かもしれないし、知識かもしれない。

 あるいは先を考える力か、または相手のことを思いやる気持ちかもしれない。

 おれたちには、その自分の核となる”意志の力”とも言うべきものが

 決定的に欠けているのだ。

 

 人に判断を委ねるということは、決して相手の顔色をうかがうというだけではない。

 むしろ、相手の顔色をうかがうという行為は

 前提として、「自分はこうしたいけど、あなたはどうしたいですか」

 という、自らの意志を通すための前方確認的な行為とも言える。

 やりたいことがあって、でも相手とは違っているかもしれない。

 だから、お互いの意見の折衷を図るために

 意志を共有しましょう、という取り組み方なのだ。


 おれと彼女は違う。

 いや、彼女のことはわからないが

 少なくともおれは違う。

 おれには、自分がやりたいことなんてものは全くない。

 こうしたい、と考えられるほど

 自分という人間をもっていないからだ。

 だからこそ、おれは相手に決定権を委ねている。

 それは、「おれはあなたの考えに乗ります。その結果のリスクは全て受け入れます」

 という、従属的な意味合いが強い。


 楽なのだ。

 これなら、何があってもリスクは自分の責任になる。

 誰かを攻めることもなく、むしろ自分が攻められることにもつながる。

 それは自らの行動が招いた結果なのだから

 批判は甘んじて受け入れる。

 これが、西村肇という人間の処世術なのだ。


 1人頭の中でいろいろと考えていたおれを他所に

 中原さんはじっと黒板に書かれた文字を眺めていた。


 彼女は今、何を考えているのだろうか。

 偶然にも、入学早々一緒にいることとなった女の子。

 おれはなぜか、彼女のことが気になって仕方がない。

 彼女に自分を見ているからだろうか。

 それとも、自分より小さい女の子を放っておけないという

 母性のようなものだろうか。


 いや、たぶん違うのだ。

 そのどちらでもなく、どちらでもある。

 きっと、本能的に、彼女に惹かれる部分があるのかもしれない。


「それじゃあ、今日は帰ろうか」

「はい。帰りましょう」


 空気の入れ替えのために開けておいた窓を閉めると

 端に寄せておいた鞄をもって、おれたちは教室を後にした。


 歓迎会まではまだ1ヶ月ほど時間がある。

 それは、高校生活初の仕事のタイムリミットであり

 同時に、中原綾という女の子がどういう人なのかを考える時間でもある。

 

 「起こることはすべて必然」なんて言った偉い人は

 いったい誰だったか。

 そんなことを考えつつ、おれたちは下駄箱に向かって歩き出した。

 

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