感染CASEその3:マジカル☆ラバー

 澄み渡るような青空、窓から差し込む太陽の光、小鳥たちがさえずるチュンチュンとした愛らしい声、リビングのテレビから流れる天気予報の声。


――今日は一日、晴れとなるでしょう!


父親が慌てて階段から降りてくる音、トースターから食パンの焼き上がりを告げる音。俺、左近堂 睦雄さこんどう むつおの一日は今日も"グラマラス"に始まる。もちろん、グラマラスの意味は俺にはわからないが、多分「かっこいい朝」的な意味だったと思う。

シュッと寝間着を脱ぎ捨て制服に着替える。もちろん制服はかっこよく着こなすのがこの俺だ。俺流の着方は何と言っても服を反対にして着るという斬新な着方だ。この着こなし方が最高に"グラマラス"だと俺は思っていた。


「やっぱり、グラマラスだな…」


誰もいない部屋で一人静かに鏡に向かって呟きながら学校に行く準備をした。


"皇武白扇高校こうぶびゃくせんこうこう"。俺が通う最高にイカしたグラマラスな高校だ。この街では有名な名門校、"聖廟城学園せいびょうじょうがくえん"と並ぶ仮にも進学校と呼べる学校だが、あの学園よりかはエリート大学への進学や有名企業への就職実績などは遥かに劣る。それでも共学という点では、あの女子校よりも生徒数が多いため、この街では"マンモス校"なんて呼ばれてるぐらいの巨大な学校だ。そんな学校で俺はグラマラスな学園生活を送っている。相変わらずグラマラスの意味は俺にはわからなかったが、多分「最高の学園生活を送っている」的な意味だったと思う。

とにもかくにも今年16歳の男子高生であるこの俺は、どこからどう見ても"グラマラスな男"なのだ。


そんな毎朝俺が学校に向かう途中で、必ず見かける一人の"レディー"がいる。名前はわからないが、その彼女は毎朝必ず同じタイミングで同じ通学路を通り、学校へと向かっている。途中で俺の進路方向とは違う方向に行ってしまうが、その方向と彼女の服装を見るに、皇武白扇高校の生徒ではなくあの聖廟城学園の生徒であることは確かだった。恐らく今日もまたあの"レディー"は必ず俺と同じ通学路を通る。俺は少しだけグラマラスな心に"緊張"と"喜び"という相容れぬ感情を抱いていたのだった。


「…いやぁ、まさかわざわざ竿役を登場させるためだけに、1話まるごと使うなんて思ってないパピよ」

「あの…その…パピロウさん…あまり大きな声で言いにくいんですが、"竿役"とかいう言い方はやめてください…」

「凛子にしか聞こえてないから大丈夫パピ」


そう、最高にグラマラスな"あのレディー"だ。ここで言うグラマラスは恐らく「カワイイ、美しい」的な意味合いだと俺は思っているが、そんなことより一体彼女は今、一人で歩きながら誰と話していたのだろうか。パピ…?竿…?とかなんとか聞こえたような気がしたが。

とにかく俺は彼女のあまりの美しさに、気持ちがゴム風船のように大きく膨らんでいた。「今日こそは彼女に声をかけよう。せめて彼女の名前だけでも知ろう」と思い、俺は"グラマラスチック"に彼女に声をかけた。


「あ、あの…デュフッ……あ、あのすみまビュヘェん…フヒ」

「凛子、気をつけるパピよ。こいつ多分相当やばい奴パピ。何か薬キメてるパピ」

「ちょっとパピロウさん物騒なことを言わないでください…。あ、あの…?どうかしましたか…?あと、服の表と裏を反対に着てますよ…」


ついに、俺はこの学園生活においてこの"グラマラスレディー"に声をかけることができたのだ。緊張のあまり少しどもってしまったような気がするが、俺は気にはしていなかった。彼女は何故か心配そうに俺の顔を見つめている。その彼女の瞳はまるで、透き通った水のような綺麗な瞳をしていた。きっと、あまりの俺の"グラマラスさ"に心配しているに違いない。ここは一つ男らしい発言をし、彼女を安心させようと思った。そう、恋愛には時に男らしさも重要だ。こういう時なんて熟語や例え方をしたらいいかは俺にはわからなかったが、まだ心配そうに俺を見つめている彼女に男らしくそして、大胆なセリフを俺は言った。


「…突然すみません。俺、皇武白扇高校の左近堂 睦雄って言います。よかったら今度、一緒に(お茶を)入れたり(二人の好きなお菓子を)出しあったりとかしませんか?」

「凛子、やっぱこいつ一度ぶち転がしたほうがいい気がするパピ。魔法少女に変身して今すぐ転がすパピよ」

「だからパピロウさん物騒なことを言わないでください…。あの…さ、左近堂さん?言ってることがよくわからないんですが…すみません…困ります…。あと、服の表と裏を反対に着てますよ…」


彼女は少し困惑した表情で言うと、足早にその場を立ち去ろうとした。一体、今のセリフの何が悪かったのか俺にはわからなかったが、悲しくも俺の恋はそこでグラマラスに散ってしまった。俺は膝から崩れ落ち声にならない声を出しながら地面を握り拳で強く叩いていた。


「あの人…なんだったんでしょう…服の表と裏を反対に着てましたし…」

「わからないパピ。ウイルスに脳みそは侵されたようではなかったパピ。多分、だと思うパピ」


いや、このまま俺の恋を終わらせてはいけない。俺は悔しさを噛み締めながら立ち上がり、そばにあった電柱を力強くグーで殴った。その瞬間に俺の右手の中手指節関節から溢れんばかりの血が出て、正直めちゃくちゃ痛くて泣きそうだったが俺はグッとこらえ、彼女に向かって涙目で叫んだ。


「あの、グラマラスお嬢さん!!せめて!!せめてお名前だけでも教えてもらってもいいでしょうか!!」


背中を向けて俺から遠ざかる彼女は、また誰かに話しているような気がしたがゆっくりと彼女は俺の方に振り向くと、透き通った声で俺に言った。


天城 凛子あまぎ りんこです」


彼女はそう言うと、すぐに黒色の髪の毛をなびかせながら前を向き、その場を離れていった。まるで、ひらひらと花畑を舞いながら俺をあざ笑う一匹の蝶々のように。


それが、俺と"グラマラスな蝶"のようなレディーとの出会いだった。


------


 「よっす、左近堂。相変わらず服の向き間違えてんな。それ本気でやってんのか?」

「すまん…今…一人にしておいてくれ…少し、グラマラスな気分なんだ…」

「意味わかんねぇよ」


あれから数日間、あの"天城 凛子"というレディーには会わなくなった。毎朝同じ時間に同じ通学路を通るはずの彼女の身に何かあったのだろうか。そう思うと俺は心配でご飯も喉を通らなくなっていた。感覚的には1キロぐらい痩せたかもしれない。

そんな学校が終わった放課後のことだ。俺はいつも買い集めている漫画の新刊を買いに本屋へと向かおうとしていた。


「…やけにグラマラスな天気だな」


今日の朝の天気予報ではたしか晴れと言ってたような気がしたが、どうも空の雲行きが怪しい。さっきまで出ていた太陽は雲で覆われ、薄っすらを空を黒く染め上げようとしていた。もちろん夜が近づいているせいもあるのだろうが、突然雨が降って本やカバンが濡れてしまっても困る。


「とっとと本屋行って帰らねぇと…」


そう言いながら俺は少し駆け足で本屋へと向かった。学校から本屋への道のりはさほど遠くはなく、本屋に着いた俺はすぐさま漫画コーナーへと足を運び、目的の漫画の新刊を手に取った。

早速レジへ向かおうとした時、漫画コーナーから見える別のコーナーに見覚えのある姿が目に入った。


「ん…?あの服は…」


――天城 凛子あまぎ りんこです


あの日、俺をあざ笑うかのようにひらひらと舞い去ったあの"グラマラスな蝶"の姿がそこにはあった。俺は断じてやましい気持ちはなかったが、彼女がじっと見つめながら読んでいる本が気になったため、少しだけ彼女の近くに寄ってみることにした。彼女は一人で立ちながら本を見つめ、時折何を言っているかは聞き取れはしなかったが、小さな声で何かに向かって話しかけているようだった。本を読んでいる彼女の姿もまた一段とグラマラスだったが、どうやら彼女の持っている本の名前がおかしい。


「"よくわかる!危険な性病の知識"…?」


何故、彼女が性病の知識についての本を読んでいるのかは深くは考えたくなかったが、恐らく彼女は将来看護系の仕事を目指しているのだろう。うん、そうだろう。ナース姿の彼女もまたグラマラスだ。と、勝手に決めつけた俺は、しばらく彼女を眺めることにした。先に言っておくが、これは断じて"ストーカー"とかそういうのではない。彼女に何かあった時に彼女は俺が守らなければならないのだ。しばらく本とにらめっこしていた彼女のそばに、「おーい」と声をかけながら近寄る女性の姿があった。


「いたいた!凛子ー、何の本読んでんの?」

「ん、あ、え、いや…な、なんでもないよ。それより、奏海かなみの探してた本はあった?」

「もっちろん!買ってきたよ!この"THE オカルトクラブ"!こういう都市伝説本、私大好きなんだよね~」


「ほんとに奏海はそういうの好きだよね」と軽く談笑している彼女たちの姿を、目の前にあった本を読むふりをしながら俺は観察していた。どうやら今日のグラマラスレディーは奏海と呼ばれる友だちと一緒のようだった。


「ちなみに美斗 奏海みと かなみは都市伝説や噂が好きな天城 凛子の数少ない友だちだ。1話目では、謎の黒い棒の噂の話を凛子にし、2話目ではウイルスに襲われていた言うなればレギュラー枠の人物だ。そろそろ覚えてもらっただろうか」


知らないうちに俺の隣にいた変な品のない男がニヤニヤしながらよくわからない独り言を言っていたが、気味が悪かったので無視することにした。


「じゃあ奏海の本も見つかったことだし、喫茶店行こっか」

「もちろん!行く行くぅ~」


そう言いながら彼女たちは本屋を出て行く。どうやらこれから喫茶店に向かうようだったので慌てて俺は本を棚に戻し、彼女たちの後を追いかけ店の外に出た。


――ビビビーッ!ビビビーッ!ビビビーッ!


万引き防止ゲートの防犯ブザーが、俺の手に持っていた漫画の新刊に反応し、店の中に響き渡った。


------


 引き続き俺は天城 凛子の後を追った。あわよくばこのまま彼女の家を知ることができればいいかなどと考えながら電柱の影に隠れつつ後を付けていた。ちょうど彼女たちは喫茶店に入っていくようだったので、その場で足を止め外から喫茶店の様子を伺った。


「ねぇ、ママー。あの人、服を反対にして着てるよー?」

「こらっ、見ちゃいけません…」


何やら純粋な心を持つ子どもに俺の行動が怪しまれたような気がするが、これは平和的活動であって断じて"ストーカー"ではない。彼女の身の安全を俺が守らなければならないのだ。

しばらく彼女たちは喫茶店で談笑をし、注文した生クリームがやたら乗った飲み物と一緒に自分たちの姿を撮影して、楽しそうにスマートフォンを触っていた。その後、彼女たちは喫茶店を後にし、帰路につこうとしていた。やがて、人通りの少ないトンネルに差し掛かったとき、さっきまで無言だった彼女は小さく呟いた。


「凛子、今回僕たちの出番少ないパピよ」

「我慢してください…今回はそういう話だから…」

「凛子?誰と話してんの?」


「な、なんでもないよ!あはは…」と何故か笑いごまかす彼女たちの前に、謎の黒い棒のような影がこちらに向かっていた。


『え?』


同時にその生物を認識した俺たちは、一分のずれもない動きで口を開いた。

そして、その黒い棒は彼女たちに向かって何かを話していた。


――ヨコセ…"人間ノ性的欲求"ヲ…オレニ…ヨコセ…


「きゃあああああ!!!黒い棒!!この前よりも…おぞま…し…」

「奏海!?…ダメだわ…気絶してる…」

「凛子、今はとりあえず友だちを急いで壁際に移動させて変身するパピ!恐らくこの前のよりかは強くはないパピ!」


一体自分の目の前で何が起きているのかはわからなかった。あの目の前の黒い棒のような生物は一体なんなのか。そして、あの生物の左右についた2つの丸みを帯びた物体はどう見ても男性のシンボルではないのか。様々な疑問を思い浮かべる前に、俺は勢い良く電柱の影から飛び出し、黒い棒にグラマラスなパンチを思い切り繰り出していた。


「うぉぉおおおお!!」

「ちょ、え、うわ、何パピか!?やっと僕たちのセリフが来たと思ったら、何パピかこいつ。あ!!この前のやばい奴パピ!」

「左近堂くん!?」


俺の感覚では間違いなく9999ポイントくらいのダメージを与えた感覚だったが、全くその黒い棒にはダメージが入っておらず、むしろ謎の黒い棒の先端から異臭を放つ白い液体を顔面にかけられ一瞬にして視界を奪われた後、謎の触手によって勢いよく吹き飛ばされたのだった。


「うぐっ…ぐぅ…何これ臭い…」

「もうこれ以上はやめるパピ…これ以上野郎に液体がかかるシーンなんて誰も喜ばないパピ…」

「いや、これは女の子にかかっても喜んじゃいけない奴だから…」


頭から血を流し謎の液体をかけられ、身体を思うように動かせなくなった俺は、彼女に今すぐ逃げて誰かの助けを呼ぶように言おうとした。しかし、何故か彼女は黒い棒の前に立っていて、何かを呟いていた。あまりにも危険すぎる彼女の行為に俺は早く逃げるようにと声を出そうとしたが、悔しい事に声が掠れて出なかった。


「ミラクル!マジカル!バラシクロピル!」


彼女が何かを叫ぶと、彼女は手に日本刀のような物を持っていて、その日本刀はたちまち強い光を放ちながら彼女の身体を包み込んだ。その光のあまりの眩しさで意識を失っていく最中に俺は、微かにだが薄っすらと淡いピンク色の長髪と、ピンクと白色のフリフリの服を着た見知らぬ少女の姿が見えたような気がした。


しばらくして俺は気がつくと、そこには黒い棒と謎の少女の姿があった。

黒い棒は先程より弱っているのか先端から謎の透明な液体を出し、ふらふらとしている。


――グジュヮァ…


黒い棒は左右に身体を揺らしながら彼女のところへと歩み寄る。身体からバキッ、バキッと触手を出し、目の前にいる彼女に向けて勢い良くその触手を振りかざそうとしていた。


「凛子!弱っている今がチャンスだパピ!早くとどめをさすパピ!さぁ!あの必殺技の呪文を唱えるパピ!行くパピよ!せーのっ、テクマラマザ」

――バシュゥウウウウウウ!!!!


奇声をあげながら触手を彼女に振りかざした黒い棒だったが、触手は彼女が手にしていた日本刀から放たれた謎の光によって打ち消され、さらにその光は黒い棒の心臓部分を勢い良く貫いていた。

謎の光に撃ち抜かれた黒い棒はたちまち先端から白い液体を噴射したかと思うと、ドス黒い光となってジュワジュワと奇妙な音を鳴らしながら消えていったのだった。


「パピロウさんやっぱり強いですねこの必殺技。もうずっとこれだけでよくないですか?」

「よくないパピ!!いい加減、ちゃんと呪文を唱えてから撃つパピ!!!」


はーいと彼女は曖昧な返事をし、また誰かと話しているような姿を見せていたが、再び俺は気を失い、すべてを知ることはできなかった。


「……さん。左近堂さん!!」


どこからかはわからないが真っ黒い部屋の中で誰かの声がした。次第にその呼ぶ声は大きくなっていき、はっきりと聞き取れるようになった。同時に真っ黒い部屋ではなくぼんやりと景色が見えるようになる。そこには女性と思わしき人物が俺の名前を呼んでいた。ハッと目を覚ますと、一面の真っ白い天井とグラマラスレディーの顔が見えたのだった。


「あれ…ここは…」

「よかった…。ここは病院です。左近堂さん、ウイル……謎の黒い生物に素手で立ち向かって反撃食らったんですよ…覚えてますか…?」


恥ずかしいことに、彼女を助けようとして俺は素手で謎の黒い棒に立ち向かったところまでは覚えているが、それから先のことはあまり覚えてはいなかった。


「少しだけだが…。それより天城さんは…怪我とかしなかったのか?」

「あ、えと…私は…うん。かすり傷だけで済んだから…」

「まぁ魔法少女になったからパピね。傷なんてすぐ癒えるからパピね」


俺が意識を失う直前に微かに見た謎の少女の光景は恐らく夢だったのだろう。こんな優しい人思いの彼女があんな化物に一人で立ち向かえるわけがない。最近の俺はご飯もろくに食べていなかったし、恐らく幻覚か何かに違いない。


「じゃあ私…お友達のところに御見舞に行かないといけないので、失礼しますね」

「あぁ…。天城さん、ありがとう」


やはり俺には彼女はどこかひらひらと舞う一匹の蝶のように見えた。彼女はまるで可憐で美しく、綺麗な鱗粉を撒きながら花畑を飛び回るそんな美しい蝶のようだった。

病室から出ようした彼女はぴたっと足を止め、くるりとこちらに振り向き少し照れくさそうに俺に向けて話しかけた。


「あの…左近堂さんって、生クリームがすごい乗った飲み物とか好きですか?」

「ん…?あぁ…まぁ…」

「わかりましたっ。また、持ってきますね」


え、そんなヘビーな物を俺に飲ませる気なのと思ったが、彼女のにこやかな笑顔にそんな思いはかき消され、彼女は静かに病室から出ていったのだった。


やがて俺を残し静けさを取り戻した病室のどこかで、グラマラスな音が小さく鳴ったような気がした。


「やっぱり、グラマラスだな…」

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