11 きもおた
アキラの現実での名前は晶だった。西口晶。本来の自分とそっくり同じ顔が、この、バーチャルの世界で鏡に映っている。気持ちの悪い現実が、虚構の世界にまで侵食していて、胸が悪い。
鏡の前から離れ、アキラは武器庫へ移動した。そこでおもむろに無骨な兜を手に取る。装備を選択した当時の心境までが、まざまざと思い出された。メイド服は一番安かったからだ、ハードランスは単なる趣味、しかし、両手に装着したガントレットはこの腕を隠す為のものだった。今日、同じ理由でヘルムが増える。フルフェイスで飾り気のない兜、通称でバケツなどと呼ばれている。ちょうど、バケツをひっくり返して被ったようなフォルムだから。この兜はきっと、気色の悪い現実を覆い隠してくれるだろう。粘着質な執着の象徴を。寒気がした。思わず身震いして、腕をさする。
あの男は近所に住んでいた。晶の住むアパートの、同じ階で何軒か向こうの部屋の住民だった。親元を離れて独り暮らしをしている大学生だと、母親から聞かされた。ガマガエルのような脂じみた顔で、なんとなく気持ちの悪い雰囲気を持っていて、彼女を「あきらたん」と呼んだ。典型的なオタクで、最初は好きになれなかった。
十代は残酷だ。生理的な嫌悪感を罪悪と感じて、晶は恥じ入った。見た目だけで気持ち悪いなどと断じた自分の方がよほどに醜いと。顔なんて、皮一枚でしかない。無理やりに抱いた残酷な慈悲だ。身勝手なセンチメンタルが大部分と言えたとしても、晶は人を差別的に見たくはないと願う。外見で判断するのは良くないと、自分から距離を置くことはせずに、晶は彼と普通に接しようとした。彼、櫻井智之と。
「あきらたん、あきらたんにすっごく似てるアニメキャラが居るんだけどさー、」
熱っぽく語る彼に、晶は曖昧に頷いて聞いているだけしか出来ない。
智之の出す話題は八割がたがアニメや漫画で、晶が知っていようがいまいが関係ないかのようにまくし立てる。悪気はないのだろう、あまり近所付き合いも良くはないと聞く。本人も人と話すのは苦手だと言っていたし。けれど、やっぱり、彼と話すのは苦痛のほうが大きかった。正直、なぜ智之を構ってやり、話し込んでいるのかが解からない。理由を無理やり探してみたりもした。周囲から孤立して寂しそうに見えたのがいけない、ブサイクのくせに人懐こい、あの笑顔もいけない。いや、晶が、彼に中途半端な優しさを見せてやった事が、一番いけなかった。晶は、智之に残酷な期待を抱かせているとは思ってもいない。
話してみれば、キモオタのくせにそんなに嫌なヤツではなかった。友達としてならば、普通に付き合える程度には大丈夫だと思った。そこまで気持ち悪くはない、と。
十七歳、という若さ。晶の若さは、とても理想家で、とても残酷だ。
「あきらたん、VRMMOってネットゲームがあるんだけど、知ってる?」
知っているもなにも、晶が以前からやってみたいと思っていたのがVRMMOだ。有名タイトルである幾つかのゲームは、晶の学校でも話題に上る。普通のゲーム機すら持てない晶の家庭環境では、夢の向こうの話でしかないが。晶の家庭は母子家庭で、とても娯楽に費やす余裕などない。
「知ってるよ。でも、家はそんな余裕ないもん。」
嫌な話題を逸らしてほしくて、晶はわざと拗ねた口調を作った。このキモオタは、そういう心情だけは読むのが巧かったから、すぐに察すると思っていた。
夢見る少女たちは、バーチャルの世界で出会える王子や勇猛な騎士を望む。ダンジョンの奥で身を挺して庇ってくれるナイトを。架空の街の広場で見せびらかすに相応しい仮想の恋人を。リアルを引き摺ることなく、その場だけのごっこ遊びに興じてくれる素敵な大人を。晶とて、そんな少女たちとまったく変わるところなどない。
得意げな智之の表情が、さらに得意げに歪む。正直、笑顔を作っても可愛いという形容からはかけ離れるだけだから、止めてほしいのだが。上目使いにそんな事を思い、口には出さずに言葉の続きを待つ。
「買って貰えたんだ、機器プラス、ゲームキャラクター枠一つ。」
「えっ!? すごーい!」
「しめて98万えーん!」
どうだっ、と言わんばかりに胸を張る智之の態度がおかし過ぎる。噴き出して笑う晶に、得意顔はすぐさましかめっ面に変化した。
「せっかく、せっかく、あきらたんにやらせてあげようと思ってたのにっ! 気分害したっ! あきらたんにはやらせてやらないっ!」
小学生か、というツッコミは胸の内へ。笑いたいのを懸命にこらえ、晶は智之を見た。
本当に嬉しそうな顔をしていた。VRMMOは出て間もないゲームだから、智之も本当にやりたかったんだろう。
「ごめん、」
心から素直に、そう言った。
この近辺は下町で、生活水準の低い家庭がひしめき合って暮らしている。このアパートにしても、賃貸料の安い、築何十年という古い物件だから、晶と同じような境遇の者ばかりが暮らしている。だから正直、智之の家庭が裕福だとは思ってもみない。きっと親御さんは無理をしたんだろうなぁ、と。この暢気な大学生に説教してやりたいくらいの気持ちでいた。
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