10 かがみのなかのアキラ

 裸で戻ったプレイヤーは、相手がモンスターなら裸でマラソンをする。急いで戻れば大抵の場合、所持品はすべて戻ってくる。相手がプレイヤーなら諦めて予備を使うか店で買う。多くの場合は戻っても一切合財を奪われた後だからだ。二人の場合もPKだが、もしかしたら所持品はそのまま放置されているかも知れない。いや、たぶん放置されたままだろう。高レベルプレイヤーから見た初心者の持ち物などゴミでしかない。わざわざ拾い集めていくとは考えにくかった。それでも二人は店で新しい装備を新調した。

「ヤバい事になったなぁ、」

 冬夜は新しく黒のツナギ服を、アキラはまたメイド服を買った。村に戻った二人は物陰から注意深く橋の向こうを観察した。思った通り、村のフィールド側への出口は塞がれている。障害物やバリアの類が張られているわけではなくとも、二人にははっきりと感じ取れた。さっきの魔道士とは違うプレイヤーが草の上に座り込んでいて、今度は女の子だった。ピンクの衣装はイベントの景品で、やはり高価な代物だ。彼女も冬夜の知る有名なエルフだった。

 交代で冬夜たちを見張っているのだろう。敵に回したのは大きなギルドだ、人数なら幾らでも調達出来るらしい。しばらく仕掛けて来なかったのは、二人のログイン時間を割り出していたからか。ネットの掲示板辺りで探ってみれば、その辺りの事情は出てきそうだと思えた。


「これじゃ、ジリ貧だ。」

 眺めていても仕方がないので、くるりと踵を返す。

 出てゆく度に瞬殺され、殺される度に装備を新調していたのでは幾ら資金があっても足りない。一番安い装備しか使わない事を信条とする二人であってもだ。常軌を逸した粘着行為でもなければ、訴えてみたところで運営が動いてくれるとも思えない。プレイヤー同士のトラブルは、自力解決を求められると相場が決まっていた。なにより、ギルドによるこうした報復行為すらもがPK同様に運営には黙認されている節があった。

「店の中に戻るか、」

 多くのプレイヤーとすれ違うこの場所は、まるで晒し上げられているようで、気分が悪い。行きかう人々が遠慮がちに視線を投げかけてくるのは、事情を知っているとしか思えない。どうにもバツが悪く、人の出入りが比較的少ない雑貨屋へと移動する事にした。拠点の村は雑貨屋が衣料店を兼ねる。


 衣装の類は店で購入するもので、現実の店舗同様に商品の服が展示されている。ゲームが進行していけば到達できる大きな街にはブティックの並ぶ道路があったりで、装備ともどもプレイヤーを飾る衣装は豊富に用意されているのがネットゲームの常だった。店内には幾つかの姿見があり、その前へ立ってステイタス・カードを操作すれば商品の全てを試着する事が出来た。気に入れば決済し、試着した姿のままで店を出てゆける。自身の所持品から着替える場合には鏡も必要ではなかった。

 VRMMOではポピュラーなこのシステムが、最近になってバーチャルショッピング街などに転用された。技術の発展は新しいビジネスを産む。このゲームのスポンサーも、大手のアパレル商社だ。女性向けのブランドを幾つか展開する会社で、このゲームにもブランドと提携した衣装がコラボアイテムとしてリリースされている。

 課金のアイテムでもそれらは特別扱いだ。人気ブランドの装備はそこそこの値段だが、専用化というスキルが付いており脱げても他人には拾う事が出来ず、PKで盗まれる心配がない。商魂逞しいというヤツで巧い手だとプレイヤー間では揶揄されている。男性プレイヤーがコラボ衣装を着ている事は少ないが、女性プレイヤーの多くが一着は購入しているともっぱらの噂だ。PKシステムを採用していなければ、もっと多くの女性プレイヤーを獲得出来ただろうに残念な仕様だ、とは掲示板でよく囁かれている話だ。女性は平和的でPKを嫌う傾向にある。

 初心者のフィールドにある店舗の品揃えは僅かだった。ホームページでのカタログ販売という方法もあるから、村から一歩も出なくても、リアルマネーさえあれば最強装備を揃えるくらいは容易かったが。

 アキラは興味がないらしい。それとも、単なる素振りなのか。どちらかと聞ける質問ではないから、気になっていても不問だ。


 暇なのだろう、アキラは珍しくコラボ衣装を試着していた。

「お、それ、似合う。」

 何気なく言った一言で、アキラが冬夜を振り返る。咎めるような視線が、なんだか違和感いっぱいだ。

「買えないよ、」

 責めるような口調で返された。


 鏡の中のアキラはゴシック風味のワンピースを着ていた。今は無骨なハードランスや手甲を装備しておらず、少女はどこかのお嬢様に見える。素直な気持ちで感想を述べたまでだったのだが、と、冬夜は鼻の頭を指先で掻く。

「ヘンな癖。」

 指摘された。

「そろそろ時間だよ、トウヤ。」

 顎で示した先には店内に設置された丸い壁掛け時計がある。時間はリアルと同じにしてあり、針は九時を指していた。冬夜が両親と約束させられたプレイ時間は約二時間で、九時にはログアウトすると決められている。

「あ、もうこんな時間か。……なんか、無意味に過ごしたような気がする、果てしなく、」

「レベル上げ出来なかったもんね、またね、」

 鏡越しに会話をしているのが、なんだか可笑しい。くすりと笑み、隣に立って鏡の自分に言わせる。

「じゃ、またな。なんか対策考えとくわ、」

 返事を待たずにログアウトした。


 冬夜の姿が掻き消えた後には、少女が独りで鏡の前に立っている。彼女は突然表情を厳しくし、そこに映る自分自身を睨みつけた。引き結ばれた小さな唇は、時折、何かを言いたげに震える。鏡に映る美少女。艶やかな黒髪に、潤みがちの大きな黒い瞳。睫毛が影を落とし、どこか儚げだ。ロング丈の黒いゴシックなワンピースを着ていると、確かに彼が言った通りで安いメイド服よりも断然見栄えが良かった。中身がどうあれ、このアバターにはとてもよく似合う。

 ここがゲームの世界だという認識が突然湧き上がった。同時に気持ちの悪さが戻ってくる。いつもいつも、忘れようにも忘れられない現実が、この姿をバーチャルだと認識する度に戻ってくる。吐き気がした。

「あんたなんか、ぜんっぜん、似合わない。」

 憎々しげに、鏡の美少女に毒づいた。


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