一話 物語の始まり 5 終
時刻は5時。
周囲がオレンジ色に染められ始めた頃、教室には拓以外に生徒はいない。
――あれ、寝すぎたのか。頭がぼーっとするなあ。
働かない頭で寝る前の記憶を思い返す。
今日は昼までしか授業が無かった。
だが、そのあと捺輝につかまり強制雑用をさせられ――
――そのあとから記憶が無いってことは寝てたのか。
「さすがに寝すぎたな」
頭をポリポリと掻きながら、帰る身支度を始めた。
また捺輝に見つかったら面倒だと思った拓は、廊下の突き当たりにある非常階段を使って、昇降口に向かった。
校庭にはまだ、幾分かの生徒たちが部活の後片付けなどをしていた。
それを横目に拓は、校門を出た。
他の生徒は、自分とは別の区画に住んでいるから、拓の帰り道で人とすれ違うことは少ない。
帰りに貯水池により、街灯がつきだしたころ、拓は明美が朝に言っていたことを思い出した。
「『最近物騒だから、あまり遅くならないようにね~』か……」
流石にこれ以上、遅くなると心配させると思い、帰る足を速めた。
西区には街灯が少なく、最低限ある。だいたい等間隔で設置された街灯で、時計を見ずとも、自分がどれほどの距離を歩いたのか分かりやすい。
「ん? この道に人がいるなんて珍しいな」
二つ目の街灯に、一人の男が立っている。ボロボロのスーツを着ていて、髪もボサボサだ。表情は陰になっていて窺えない。
拓はそのまま通り過ぎることにした。明美に心配をさせたくなかったからだ。
少なくとも、拓にはあの男との面識は無い。まったくの赤の他人なのだ。
なのに、男はまだ拓のほうを見ている。
自分以外に人がいるのだろうかと拓は他の場所を見るが、だれもいない。
――なんか、不気味だ。もう気にせずに帰ろう。
帰り道に視線を戻した。
二つ目の街灯を通り過ぎようとしたとき、
「ひっ……!」
拓は驚き、飛び退いた。
目の前に先ほどの男が立っていたのだ。
二十代ぐらいだろうか。若さと疲労の混じった顔が泥にまみれていて、何ともみすぼらしい。しかし、口元だけは貼り付けたかのように笑っている。
「な、なんなんですか! いきなり!」
拓は、動揺を隠せず、男に問う。
彼の笑顔を見ていると、身体は恐怖で冷え、膝ががくがくと震えた。
「あ……、あ……」
口はぱくぱくと動くだけで、男は答えない。
だが笑みのまま、拓を黒い瞳が見つめてくる。
――この人は確実に危ない。何とかして、早くこの場所から離れないと!
だが、恐怖から体はそうして、体の緊張を少し取る事に成功すると、相手の顔を窺いながら少しずつ距離を開けていく。
それでも男は、表情を変えずに拓を見つめているだけだった。
――なんなんだ、一体。
異様な状況だ。
異常な恐怖心は、逆に拓を冷静にさせた。
いきなり男が拓に近寄ってきて、肩にそっと手を置いてきた。
背筋が凍った。
見知らぬ人間に触られたからではない。
その手に込められていた力がとても強かったからだ。
「ぁ、ああああああああ!」
触れられた手を振り払おうとするが、男の手はまるで自分の皮膚と同化しているかのように、離れなかった。
反射的に拓は、男の腕へと肘を打ち込んでいた。
ベリッっと音が鳴り、男の手が離れた。
瞬間、肩の部分が熱を持ち、痛みを感じた。
ドロドロとした液体が肩からカッターシャツに染み込み皮膚に張り付く。
拓は右肩に触れた。
手に粘着質な液体がつく。
街灯によって照らしだされたそれは、
――血だった。
「うあぁ!」
肩の血が、自分の肩から流れているものだと理解するのに、数秒を要した。
理解した時、取り戻したはずの冷静さは、崩壊した。
全身から力が抜けたのが分かる。
「うあああああああああ」
膝をついた拓を見下ろすように立っている男は、血の味を確認するかのように、自分の手を舐めている。
その光景を目の前にして、今が現実なのか夢なのか判別がつかなくなる。
「逃げないと……」
足腰に力が入らず、立つこともままならない。
右腕は、動かすこともできない。
――どうする?
目の前の男の体から、拓に聞こえるほど大きな音が聞こえた。
骨が折れる音に近い。
だが、男は相も変わらず笑みのまま。
体の内から何かが盛り上がり、突き抜けた。
背中から人の腕を何本もつなぎ、一本の長い管のようにした物体が拓に向けられた。
その先端は針のような形状をしていて、拓に照準を定めている。
――僕はこの怪物に殺されるのか。
刺されると直感的に感じていた。
だが予想に反して、横なぎに殴打される。
拓の体は宙に舞い、コンクリートに叩きつけられた。
「っ!」
叩きつけられた衝撃で、息が詰まる。
体が酸素を欲しているが、空気を吸っても肺に入ってこない。
背中全体に熱さから痛みへと変化した。
痛みは、再び拓を冷静に戻すには十分だった。
「すぅ」
拓はゆっくりと息を吸い、状況を整理する。
男はゆっくりと拓のほうへと歩いてきている。
これはチャンスだと思った。
――まだ、僕は運に見放されてはいないのかもしれない。
拓は覚悟を決めた。
「能力、遮断モード……解除」
《確認。切り替えを開始。能力開放モード起動。能力の補助機能をオンにします。変更がある場合は、口頭でお伝えください》
身体の緊張は痛みで和らぎ、拓はどうにか立ち上がった。
男を見据えれば、すでに人間の姿ではなかった。
背中には、拓をぶっ飛ばした腕が四本に増え、体の各部分が全て大きく肥大化していて、元の原型をとどめていない。
恐怖に耐え、反発するため睨みつける。
「エクステンション!」
拓は集中し能力を怪物に向けて使う。
力を使ったことで電気が走ったように、頭がしびれる。
「なんで、何も聞こえてこないんだ!」
だが、結果は残酷だった。
今まで、聞かなかった対象が無かったために、拓は困惑する。
理解できない拓の頭の中に化け物とは、別の情報が流れ込んでくる。
「……なんだ?」
ヘッドフォンのサポートを受けているからか、拓は近づいてくる人が鮮明に感じとれた。
その人間は高速で拓のほうへ向かってきている。
速度は人の走る速度では考えられない速い。
――次から次へと、一体なにが起きてるんだ!?
目の前では怪物は既に3メートルを超えようかというぐらいまで大きくなっていた。
大きな咆哮をあげ、化け物は姿勢を落とした。
巨体は拓に向かって速度を上げてきた。
このままひき殺すつもりだ。
拓は逃げようと走り出すが、予想よりも怪物の足は速かった。
「邪魔」
突然聞こえた声に反射的に従った拓は、横に身を投げた。
振り向くと信じられないものを見てしまった。
そこには片手で怪物を止めている少女の姿があった。
さっきの人は、女の子だったのだ。
少女は、拓を確認し、怪物に向けて回し蹴りを繰り出した。
巨体は数メートル吹き飛ばされ、コンクリートが氷のように割れた。
だが怪物は、何事もなかったかのように、背中の触手を使い起き上った。
黒色の制服に身を包み、手には納刀したままの刀を持っている女性は、何食わぬ顔で拓を見下ろしている。
〈ボロボロみたいだけど、生きてるようね。被害が出ないようにって言われてたけど、仕方ないか。〉
彼女の思考が拓の脳内に響く。
全身黒ずくめの少女は拓をにらみつけるように見ている。
「あなたは、そこから動かないで」
彼女は冷たく言い放った。拓の事をいいようには思っていないようだ。
圧の込められた言葉に拓は従うしかなく、出来るのは彼女を見つめ返すだけ。
だが彼女の顔を見た時に誰かに似ているような気がした。
彼女は、姿勢を低くしコンクリートにヒビが入るほどに強く蹴り、瞬間移動のように感じさせる速さで怪物の懐に潜り込んだ。
素早く抜刀し、一太刀を浴びせる。抵抗しようと向かってきた触手を左手の鞘で受け止め、身をひるがえし触手を叩き斬った。
化け物の腹は掻っ捌かれ、内臓が飛び散る。
だが、それは逆再生のように傷口は塞がった。
少女は動揺すらすることなく、追撃を加えていく。
怪物は悲鳴をあげながら反撃するが、彼女の速度が上回っている。
あっけなく腕もすべて切り落とされ、無残な姿に変わった。
足だけのダルマ。
只者ではないと分かっていたが、拓は唖然とした。
だが怪物は驚異的な治癒能力で、誰が見ても少女に不がある。
拓の体は自然と動いていた。
〈あの学生、動くなと言ったのに。面倒ごとを増やさないで欲しいわ〉
少女のボヤキが聞こえてくるが今は無視だ。
このままじゃ、埒が明かない。
悪あがきのつもりで拓は、もう一度能力を怪物に向かって使う。
すると先ほどとは違い、拓の目には怪物の胸の部分が赤く発光して見えた。
――もしかしたら、ヘッドフォンの補助で、視覚も強化されているのか?
「可能性に欠けるしか……!」
女性に向かって拓は叫んだ。
「右胸! そこを狙ってください!」
これに賭けるしかなかった。拓は彼女が信じてくれる事を切に願った。
〈何をいってるの? 私は私のやり方で倒すのよ〉
女性は、怪物に大振りの一撃を切り込むと距離をとり、拓の傍まで来た。
「あなた、いい加減にしなさい。私の邪魔をするのなら殺すわ」
息一つ上げていない少女は、拓の首に刀を当てた。
息が詰まる。
だが、この間にも化け物は再生していく。
拓は必死に口先を動かした。
「怪物の右胸の部分が僕には光って見えるんです。もしかしたらそこが弱点かもしれない」
「黙って」
その声は忠告されたときの声より低く、次は無いといわれているように感じた。
〈もう、いいわ。こいつが勝手に動いたとしても、私の責任じゃない。私は空喰離さえ殺せればいいんだもの〉
聞こえてきたワードの中に、【空喰離(からくり)】と言っている。
――怪物の事なんだろうか。
少女は拓に釘をさすだけ、さした後、怪物への攻撃を再開した。
怪物と合間見えている少女は、絶えず攻撃を続けている。攻撃は怪物からの反撃をさせないためか、どんどん早くなる。もはや普通の人間なら、目で追うことはできないかもしれない。
周囲に風が巻き起こる程の攻防が続く。
怪物の異常な治癒力で傷口がふさがる。
だが、怪物の挙動が遅くなっていた。それを感じたのか、少女は敵に向けて、制服の内側に忍ばせていた小型ナイフを敵に投擲する。
あっけなく振りはらわれるが、その少しだけの時間だけで少女は十分だった。
ポケットから小さなケースを取り出し、中に入っている注射を首筋に射した。
「つぅ……」
乱雑に注射器を投げ捨てた。
左手に持っていた鞘で、杖のようにして、身体を支えている。
少女は痛みに顔がゆがみ、心臓の鼓動は早くなっているのが拓に伝わる。
――興奮剤か?
痛みが落ち着いてきたのか、表情は和らいでいた。
ただそれとは別の彼女の感情の部分から、何かに対する憎しみが、拓に流れ込んできた。
拓の体は、この感情を受け入れきれず、身体が拒絶した。
頭痛と吐き気に襲われ、まずいと思い能力にセーフティをかけた。
「……能力遮断モード」
とたん、彼女の負の感情から逃れることができた。
その間に、彼女は敵に向けてまた小型のナイフを投擲していた。
先ほどよりも正確に敵の目へ。
脱力した彼女の体はふらりと揺れる。
再生していた四本の腕により、ナイフは振り払われた。
だが、その腕は地面に転がっていた。
無造作に振り上げられた刀は、空喰離に振り下ろされた。
「グォ、グギャアアアア」
真っ二つにされた怪物の叫び声が一帯に響きわたる。
怪物の血は噴水のように噴きだし、少女を濡らした。
怪物の半身は、トカゲの尻尾のように地面をのたうちまわっている。
断面から見える人の臓物。
その中で露出してまでなお鼓動を続ける心臓がだらしなく地面に転げる。
再生しようと、周囲の血液を吸い上げ、細い繊維が繋がっていく。
少女は何のためらいも無く心臓を踏み潰した。
すると怪物となってしまった男は元の姿に戻ったが、体は半分になったままだ。死体となった男には興味がなくなったのか、少女は刀をしまわずに拓の前まで歩いてきた。
ゆらり、ゆらりと。
少女は拓の喉下へ刀を押し当てた。首の皮がプツと切れた。
「あなたも、空喰離?」
少女の目は、月の明かりだけでもわかるほど、赤く、紅く、染まっていた。
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