第四章 対峙 三 side響子

三 side響子


 私は月城さんを拘束したまま廃工場の屋根を突き破った。直後、屋根を蹴ってさらに移動する。なるべく明から月城さんを引き離すために、獣の姿をした私は夜の闇の中を駆け抜ける。まあ、街灯やらネオンサイン、家から漏れる明かりのせいで、闇と言うほど闇ではないけど。

 何軒かの見ず知らずの家の屋根を蹴り、それなりの距離を移動したところで月城さんが言った。

「……そろそろ離してもらえないかしら」

「嫌だと言ったら?」

「力ずくでも」

 月城さんは本当に無理矢理私の手を引き剥がし、そのまま落下する。逃がすもんか。私も後を追い月城さんが降り立った近くへと着地する。場所は街のはずれにある自然公園だった。

「ここなら少しぐらい騒いでも迷惑がかからないんじゃないかしら?」

「最初からそのつもりだったとはね。それにしても、その体のどこにそんな力があるのやら」

 結構本気で掴んでいたつもりだった。今の私と月城さんの体格差は大人と子供くらいある。それは当然純粋な筋力の差に直結するはずだ。月城さん何か特別な体術を使ったわけじゃなく、単純に腕力だけで私のことをふりほどいた。

「改めて自己紹介といこうかしら。私の名前は月城瞳。朧は私のことを吸血鬼と呼んだわ」

 月城さんは優雅に芝居がかったやり方で一礼した。私もそれに応じる形でとりあえず自己紹介する。

「私は狗井響子。狼の性質を持った獣化能力者だよ。まあ、その呼び方についてはこの前明から聞いたんだけどさ」

 まあ別に、私は普通にいつも通りのやり方で言うけど。気取ったようなやり方は趣味じゃないし、この見た目でそんなことをするもの少々気持ちが悪い気がする。でも、吸血鬼、か。さっきの異常ともいえるような腕力も、多分吸血鬼としての能力なんだろう。

「ありがとう響子さん、わざわざそっちの方から出てきてくれて手間が省けたわ」

 月城さんは白銀の髪を見せつけるかのようにイジりながらそう言った。

「そりゃどーも」

 なんだそれは、自慢のつもりか? 正直少しうらやましいぞ。

「ねえ、響子さん、条件次第では見逃してあげないこともないわよ」

「余計なお世話だよ。どんな条件を出されても応じるつもりはないね」

 明とは色々と約束しちゃったし、もう今更引き返せないところまで来ている。そもそも月城さんはついさっき手加減なしで明へとナイフを振り下ろしたわけだし、それが無くても私へと明確な殺意を向けていた。私が狗井響子だと知った上で。そんな相手が持ち出した取引に、ハイそうですかと応じるわけにはいかない。

「そう、それは残念ね……。じゃあ、悪いけど死んでもらうわ」

 月城さんはそう言うと大振りのナイフを私へと向けて構えた。

 やっぱり本気だ。月城さんは、本気で私のことを殺そうとしてる。

 ナイフを振りかぶり、地面を蹴って、一気に私との間合いを詰めてくる。廃工場で見せたのと同じ様な、あるいは、学校で私を襲ったときのような、最短かつ最速の攻撃だ。常人の反応速度ならば決して避けることは出来ないだろう。人狼状態の私ですらこの前は、その不意打ちを避けられなかった。

 だけどそれは不意打ちに限った話だ。私は、月城さんがナイフを振り下ろす直前に一歩前進し、間合いの内側に入ることで攻撃を避けるのと同時に、肩から体当たりを行う。

 避けきれず月城さんが吹き飛ばされた。

 どんなに速い攻撃でも、それが来ると分かっているなら対処のしようはいくらでもある。ましてや、正面からとなれば素直にくらってあげる方が難しいくらいだ。思考が戦闘に特化するこの人狼状態なら、相手からの攻撃への対処はなのも考えなくても本能レベルで出来てしまう。

 月城さんは再びナイフを構えて突進してくる。

「無駄だよっ!」

 即座に左腕で庇い、刃を受け止める。

「痛っ」

 刃は骨へと到達することすら無く、高密度の筋繊維に阻まれて停止する。どうせすぐに再生するんだから、この程度のことに構っている場合じゃない。

 今は、相手の刃を無力化したという事実の方が重要だ。

 左腕を払いナイフによる反撃を防ぎつつ、無理矢理にボディーを開けさせながら、再び右拳による直突き。

 今度は避けられないはずだ。

「ったぁっ!」

 出来るなら説得、それが無理ならしばらくの間動けないぐらいのダメージを与えるのが今の私の目的だ。

「少し大人しくしてもらうよっ!」

 私はこの時点で、自分の攻撃が当たると確信していた。

 ……だけど。

 その予想は簡単に裏切られた。月城さんは仰向けの体勢から、勢いよく足を振り上げ、その反動で後転しつつ私の攻撃を回避した。

 吸血鬼としての身体能力によって可能になる技、というわけか。

 ……そういえば、自分に殺意を向けている相手に対してさん付けで呼ぶのは、何となくだけど少しおかしい感じがするかな。

「ねえ、一つ聞いてもいい? 瞳は、いったい何のために私を殺そうとしてるのかな?」

「いきなり呼び捨て? 随分と馴れ馴れしいのね」

 ……あっ、そうか。名前で呼び捨てにするのは、普通は親しい間柄じゃん。自分と敵対する相手に対しての呼び方としては確かに不適切だ。まあ、いっか。呼んじゃった以上引き下がったらいけない気がするし。

「そういう性格なんだ。こればっかりはどうしようもないよ」

 ……それにしても、この状況。一瞬でも油断すれば、その時は間違いなく致命傷を受けることになるわけだから、余計なことを考えてる場合じゃない。まあ、それは瞳にとっても同じことなんだけど。

「……朧が、そう望んだからよ」

「それだけなの?」

「それだけよ。私にはそれだければ十分だわ」

「差し支えがなければ、瞳とあの朧って男がどういう関係か聞かせてもらえるかな?」

「それを貴女が知る必要はないし、わざわざ話す義理もないわ。どうせ貴女は死ぬんですもの」

 そう言った直後、瞳はナイフを振るった。

「ちぃっ!」

 技術じゃない。

 純粋に強化された身体能力によって繰り出される瞳の攻撃は、大雑把で読みやすいけど確かな驚異だ。

 とっさに手を離し後退する。

 危なかった。後一歩で刺されていた。さすがに喉はマズい。対する瞳は悠然とナイフを構え、随分と余裕な様子だ。

「そもそも貴女と私では格が違う。腕力と体力だけが取り柄の獣化能力者ごときに私が負けるはず無いもの。そんなことすら理解していないなんて、貴女は本当に何も知らないのね」

「ああ、全く知らないね。そのおかげで、とんでもない失敗をしそうになったばっかりだよ」

 何も知らなかった。だから諦めかけていた。絶望していた。多分、明がああしてくれなければ、今の私はここにいない。

「じゃあ知らないついでに特別に教えてあげるわ、ワンコちゃん」

「ワンコちゃんっておい……」

 少なくともそんな呼び名が似合うほど可愛い見た目じゃない。

 それはともかく、次の瞬間、瞳がフワリと宙に浮いた。

 そして地上から五メートルほどの高さで制止し、そこから勝ち誇ったような顔で私のことを見下ろしている。

「空中浮遊か。なるほどね、随分と便利そうじゃん。ますます物語に出てくる吸血鬼みたいだ。ニンニクでも食べさせればダウンするかな?」

「中華料理は好きよ」

「そりゃ残念だ」

 日中は平然と歩いてるし、多分十字架も清水も効かないな。まあ、用意してきてあるわけじゃないから、そんな物が弱点でも逆に困るけど。

「さあ、諦めて地に伏し這い蹲りなさい。抵抗しなければ痛くしないであげるわ」

「生憎諦めが悪いんでね」

 地を蹴って跳躍し、強襲する。その程度の高さなら、問題なく私の射程圏内だ。振り下ろした腕が後少しで届く、その直前に、瞳はさらに上昇することで私の攻撃を回避した。そして即座に私のことを切りつける。

 それでもどうにか身を捻って致命傷を避ける。着地し、瞳がどこに行ったのか探そうとした直後、再び背後から斬撃が襲ってくる。

 急降下と共に切りつけ、再び急上昇。お手本のようなヒットアンドアウェイを繰り返されること数回、空中にと逃げる瞳に対して、有効な攻撃手段を持たない私は徐々にダメージを蓄積していく。

 まあ、だいたい予想通りだ。そう簡単に当てさせてくれるはずもない。でも、この程度ならそれほど問題はない。対抗策はすでに思いついている。

 私は上空へと逃げた瞳のことを探すのを止め、比較的大きな木の方を目指して走り出した。うまく私の死角に入ってるから姿は見えないけど、月城さんは確実に私の後を追ってきてる。逃げる私の背後から一撃を加える為に加速しているはずだ。

 私が木の下へと入れば枝が邪魔になり、瞳は上空からの攻撃が出来なくなる。さらに、私が木を背後にして戦えば、背後からの攻撃は不可能になる。瞳の持つ飛行能力という優位性は、その時点で消滅する。だから、その前に仕掛けて来るはずだ。最速で、最大の威力を持ち、逃げる相手の背後を追う場合にもっとも外す危険性の低い攻撃。それは突きだ。一撃による致命傷を与えるために、前傾姿勢の相手に対し背後から攻撃する。その場合、狙うは背中から心臓を一突き。

 攻撃のタイミングは…………今っ!

 即座に停止し、反転。

 同時に左手の手刀を振り下ろす。振り下ろした手刀は最高のタイミングで瞳の右腕をとらえた。ナイフを握り、私を刺し殺そうとしていた右腕を。そのまま瞳の右手首を握ると同時に、再び反転。さっきまでの進行方向へと再び向き直り、さらに前へと踏み込んだ。その先には大木の幹がある。瞳は突進の勢いを殺し切れていない。それを利用し、瞳の手首を握ったままの左腕を勢いよく振り抜く。

「くらえっ!」

 木の幹へと勢いよく瞳のことを叩きつける。相手の速度に自分の腕力を上乗せし、その全てを破壊力へと変換する。まだ終わりじゃない。瞳の体を木に押しつけ逃げ道を封じたまま、ナイフを握った右手首を捻り上げ関節を屈曲させる。こうなると人間の体の構造上、物を握り続けることは不可能になり、自然と手が開く。

 これで瞳は武器を失った。

 そのままさらに肩の関節へと負荷をかける。これで、瞳が前へと進もうとすれば、そのたびに自身の右腕に激痛を与え、無理をすれば筋や関節を破壊することになる。関節を捻りあげられる痛みは、打撃や斬撃とも性質が違う。瞬間ではなく断続的に続く痛みなのだ。焦って力を入れれば入れるほどさらにダメージを受け、体の自由を理不尽に封じられることは、何よりも精神に与える負荷が大きい。

 念には念を入れてだめ押し。

 右手で瞳の襟首を掴み、さらに木の幹へと強く押しつけながら、腕で胸骨を圧迫しつつ、左方向への脱出を力任せに封じる。服が延びるだの皺が出来るだの、そんな文句は後で聞いて、謝ることにする。

 これで、上下前後左右、全ての逃げ道は封じた。全ての抵抗はそのまま抵抗者の体を蝕む蜘蛛の糸と化す。相手の力を利用したり人体構造を利用して関節を屈曲させたりといった技は、腕力に劣る女性や老人であっても、体格的な優位性のある巨漢を一方的に戦闘不能に出来るものだ。

 それを腕力のみが取り柄の人狼がやればどうなるか、そんなことは今更考えるまでもない。それをやられるのが、戦闘能力はあっても戦闘技能のない相手ならどうなるかなんて尚更だ。そもそも、少し冷静に考えれば分かることだけど、瞳の浮遊能力は私を攻撃する上での優位性にはそれほど関係がない。射程外からの射撃が出来るなら兎も角、どうやら瞳にはそんな能力までは無かったようで、結局、攻撃の瞬間はナイフの間合いまで接近する必要がある。問題は、それがどこから来るのかが分からないことだけであって、どこから来るのかがわかっていれば、やはり対処のしようはいくらでもある。ナイフが届く間合いは、同時に私の攻撃が届く間合いなのだから。

「あぁあぁぁ……」

 両腕に力を込める度、瞳が悲痛な声を上げるけど。

「お互い様だよ、さんざん切り刻んでくれて。私だって結構痛かったんだから」

 おかげで服が血だらけだ。また新しく買ってこなきゃいけないじゃないか。そもそもこの状況に至る直前、瞳は私のことを刺し殺そうとしていたわけだから、このまま腕や骨の一本や二本へし折られたところで、まるっきり文句を言えるような立場にはないはずなんだよな。

 いや、私としてはなるべくそんなことはしたくないんだけど、万が一力が入りすぎるってことがないとは限らない。

「……くっ……ぅぅ……痛い……は、離して……」

 まあ自分の力に絶対の自身があるヤツは、それが通じなくなったときいとももたやすく心を折られるとか、そういうのはよく聞く話だけどさ。涙目になりながら懇願されても、本気なのか演技なのかが分からないのが瞳のやっかいなところなんだよな。何を考えてるのかまるで読めない。

「とりあえず抵抗しない方がいいよ。そうすればこれ以上痛くはならないはずだから。それに、私の役割は足止めと説得。まあ説得なんて今更感があるんだけど、明と約束しちゃったし仕方がないんだよね」

 尋問というか拷問というか、そんな感じになっちゃうのはハッキリいって不本意だし嫌なんだけど、でもこの際仕方がない。拘束したこのままの状態で、色々と聞かせてもらうとしよう。

「話してもらおうかな。まずは、あの朧って男が何者なのか。あいつは、いったい何を企んでいるのかを」

 わずかな沈黙の後、瞳は今迄からは考えられないような弱々しい口調で語り始めた。

「……朧は私に名前と、居場所と、存在の理由を与えてくれた。何も持たなかった私を、全てを捨ててしまった私を、『月城瞳』にしてくれたのは他でもない朧よ。だから、私は貴女を殺さなきゃいけない。この世界に楽園を作るために。朧に見いだしてもらった『月城瞳』は、ただそのためだけに存在するのよ」

「それが、瞳の理由なの?」

「……私はもう、何も望まない。私にはそんな資格なんて無いわ。朧は私に与えてくれた。この名前と、私の存在理由を。貴女にもいずれ分かるわ。親に捨てられ、世間から排除され、そして知るのよ。自分がこの世界にとって不要な存在だと、望まれざる異端者だと」

 思わず、瞳のことを拘束する手の力が緩んだ。瞳のその考え方が、理解できないわけじゃない。私も、ついこのあいだまではそんな風に考えていた。そんな風になることを恐れていた。だけど、今は違う。

「確かにそうかもね。でも、だからってそれは、誰かに自分の考えを預けていい理由にはならないんじゃないかな。この世界も、この力も、意外と捨てたもんじゃないって、そう思えるときがきっと来るよ」

「明のことかしら? こんな状況で、のろけ話なんて聞きたくないんだけど」

 思わず、瞳の事を拘束する手に力が入った。瞳が悲鳴を上げるが無視する。

 ……軽口が叩けるとは随分と余裕じゃないか。

「そんなんじゃないよ。でも、たまには自分の心に従って生きるのも悪くはないんじゃないかな? その結果どうなるかは知らないけど、それでも、そう言う生き方をする権利は誰にだってあるはずだよ。私にも、瞳にも」

 私はそれに気づかされたんだ。だから、瞳だって気づけるはずだ。

「私には、もう遅すぎるわ。今更そんな都合のいいことが出来る訳ないじゃない!」

「まだ間に合うよ。私や明がいるから。だから、まだ、間に合うんだよ」

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