第四章 対峙 二


 姿の変化した朧に対して、俺は精一杯の強がりを込めて応じる。

「俺を殺す? あんたが? どうやって?」

 朧の表情が怒りに歪むのが分かった。朧は自身の姿を吸血鬼だと言ったけど、どちらかと言えば獣化能力者や屍喰鬼に近い。そして、響子が言っていた通り、その状態だと思考が好戦的になるみたいだ。

「思い上がるなよ、ガキの分際でっ!」

 朧が吼えた。それと同時に地面を蹴り、一気に間合いを詰めてくる。

 旧地下鉄で遭遇した屍喰鬼とは比べものにならないほどの恐ろしい気迫だ。知性を持った獣が明確な殺意をもって襲いかかってくる恐怖は計り知れないものだ。

 俺は、即座に臨戦態勢を整える。朧の右腕による横凪の一閃、それを最小限の動きで後退し回避する。次いで放たれる左腕のアッパーを、上体を反らすことで避ける。

 確かに怖い。ただの一撃が致命傷になることは承知の上だ。だとしても、人狼と正面から対峙した昨日のことを思えば、比べることも虚しくなるほどに弱々しい恐怖だ。

「おい、この程度か? こんな物がお前の秘策か?」

 挑発しながら猛攻を避け続ける。それは現状いい方向に作用していた。

「ガキが。殺してやる!」

 朧が拳を固め、拳打を放つ。力に任せたあまりにもわかりやすい一撃。当たれば間違いなく必殺だろうが、そんなものに当たってやる義理はない。俺は左手の手刀で朧の拳打を受け流し、そのまま右手で拳を作り、勢いを殺しきれないまま前進する朧の顔面へと拳を叩き込む。

 朧が一瞬怯み、動きを止めた。その隙を逃さず、追撃の掌打をミゾオチへと放ちつつ、後退して一旦間合いを離す。部活で合気道をやってるとは言っても、まだ段位すらもとっていない素人だ。それでも、見え見えの大振りの攻撃を、避けたり受け流したりするぐらいのことは出来る。ましてや、挑発に乗って頭に血が上った相手攻撃など、例え素人であっても簡単に見切れる。

「貴様ァッ!」

 雄叫びをあげながら朧が再び攻撃してくる。手を広げ、腕を振り上げ、そして振り抜く。鋭い鍵爪による猛攻が、幾度と無く紙一重で空を切る。

 タイミングを見計らい……、今だ!

 勢いよく振り下ろされた朧の手首を掴む。そして、振り下ろしの勢いを利用し、朧の手首を捻り上げ関節を屈曲させる。

「小賢しいマネを」

 朧が呻く。

 例え身体能力が人間を遙かに上回る化け物だったとしても、やはり体の構造は人間と同じ様だ。関節を屈曲させたまま一歩踏み込むと同時に腕を勢いよく振り下ろし、投げる。

 ダンッ、という音と共に朧は、受け身をとることも出来ないまま、地面へと背中から叩きつけられた。俺は一旦朧から間合いを離して、用心深く構えながら問いかける。

「お前は最初から気が付いていたんじゃないのか? 人狼の正体が響子だということに。俺が、あいつの幼馴染みだってことに」

 やはりというか何というか、朧の頑丈さは相当のものだった。あれだけ強く体を打ち付けられたにも関わらず、倒れたままとはいえ普通に話すことが出来ている。

「証拠はどこにあるんだね? それに、仮に私が気付いていたとして、それが一体どんな問題がある?」

「大問題だな。少なくとも俺にとっては。多分あんたは最初、瞳を使って響子を殺すつもりだった。その上で、瞳を俺達の学校に転校させて、当分の間拠点として利用するつもりだった。瞳のための、血液供給の場として。だけど、偶然にも響子と知り合いの俺に会ったことでその計画を変更した」

 確証はないただの推論だけど、もしそうであるのなら辻褄が合う。朧は答えず、俺のことを見据えたまま沈黙を保っている。

「それは、学校で瞳の正体を隠し通すための共犯者として、俺を利用することだった。人狼を邪悪な存在だと俺に思い込ませ、俺と響子に決定的な破局を迎えさせようとした。『響子は邪悪な人狼であり、瞳は響子から俺を守るために行動している』という状況を演出することによって」

「ほう……」

「学校で月城さんが響子と戦った時、お前はわざと学校の中に屍喰鬼を招き入れ、響子がそれと戦うようにし向けた。そして響子が人狼になって屍喰鬼を迎え撃とうとした段階で、瞳と戦わせ、それを俺に目撃させた。瞳が俺の味方であり、そして獣化能力者である響子が敵であると認識させるために」

「答えろ朧。月城瞳は、お前の仲間か?」

 俺の問いに対し、朧は笑みを浮かべながらゆっくりと立ち上がり、自身の勝利を確信しているかのような口調で答えた。

「あの獣化能力者は邪魔なのだよ。全人類吸血鬼化のために、なんとしても排除する必要がある。地下鉄の屍喰鬼もだ。あの醜い失敗作どもは今すぐにでも抹消しなければならない」

 今までのことでよく分かったが、朧という男は、他人の心理状態を見透かしながら狡猾に罠を張るタイプみたいだし、そうでなければ一年近くも隠れて生活など出来るはずがない。

 こいつの言っていることは話半分くらいに聞いておくのが正しい。

 だけど同時に、全くのデタラメや無意味な発言はしない。

「それがあんたの目的か。そんなことが出来るって、本気で思っているのか?」

「無論だ。それこそが我が使命、我が果たすべき天命なのだ。誰にも、何にも邪魔をさせるものか」

 そう語る朧の瞳には、確かな狂気の光があった。

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