第三章 告白 三
三
人狼対吸血鬼という人智を超えた戦いを目撃した、その翌日の木曜日の朝。いつもの待ち合わせ場所で響子と会った次の瞬間俺は叫んだ。
「響子! その腕、どうしたんだ!?」
響子が、腕に包帯を巻いていたのだ。
「そんなに驚かないでよ。ちょっとドジっちゃってさ。料理してるときに手が滑って、包丁でね。まあ大した傷じゃなかったんだけど、一応さ」
響子は、身振り手振りを交えながら、そう説明した。
「そうか。大丈夫そうでよかった。でも気をつけろよ」
包丁で切った、か。
確かに、日常生活で刃物による怪我をするとすれば、包丁とかカッターナイフとかせいぜいそんなとこだろう。
……でも、いったいどんなドジをすれば、腕を包丁で切るというのだろうか。どう考えてもあり得ない。響子の手足は、包帯が巻かれたところ以外にも、うっすらと傷のようなものが見えた。そんな傷は昨日までは見えなかった。傷自体はもう、ほとんど治りかけてはいるが、それらは明らかに鋭利な刃物によって出来たものだった。
考えれば考えるほど、響子の言動からは不可解な点を多く見つけることになった。
この間だってそうだ。
響子の鞄や制服に付いていた動物の毛のような物。俺は、あれと同じ毛をした存在を目撃している。
「あら。おはよう、狗井さん、賀上君」
背後から不意に声をかけられた。駅の人混みの中にいたのは月城さんだった。彼女の態度は、昨日と全く変わらないものだった。彼女の正体が吸血鬼だということを忘れさせてしまうほどに。少なくとも、何か隠し事をしている、などと疑いの目を向けられるような態度ではなかった。
「え、あぁ……、おはよう、月城さん」
「腕、怪我してるみたいだけど、大丈夫?」
「う、うん。ぜんぜん大丈夫だよ。こ、こんなの、ただのかすり傷みたいなもんだし」
「そういえば、昨日の話だけど」
「き、昨日? えーっと、何の話だっけ?」
「このあたりで吸血鬼が現れたって話よ」
「あっ、あー、そうそう、吸血鬼ね。吸血鬼が出たって噂」
響子は明らかに動揺していた。それに対して月城さんは余裕と言うよりも、どこか挑発するようですらある口調で言った。
「私も少し調べてみたけれど、響子さんが話してくれた以上の話は見つけられなかったわ。ごめんなさいね、力になれなくて」
響子はいつもなら考えられないほどに、明らかに動揺していた。まるで、何かを隠しているかのように。
学校に着いてからも、響子の態度に変化はなかった。いや、それどころか、周りの視線に対して臆病ともいえるようなあの態度は、いつもの響子からは考えられなかった。とはいえ、そのことに違和感があるのは、どうやら俺ぐらいのようだ。誰もが平然と振る舞っていた。いつもと、何一つとして変わらない日常であるかのように。
でも、確実に変化している。
招かれざる非日常は、俺たちの背後へと忍び寄り牙を向いている。吸血鬼が、屍喰鬼が、そして人狼が、俺たちの日常の、そのすぐ近くまで迫っている。その事実に気が付いている者はあまりにも少ない。
×××
四限の終了を告げるチャイムと同時に弁当を食べ始め、数分で完食した俺は、そのまま隣のクラスへと向かった。すなわち、月城さんのいる教室だ。響子が周囲の人間を避けるような態度をとっていたのは、ある意味では好都合だった。今は響子のことを気にすることなく行動できる。
隣の教室へと顔を覗かせ、月城さんの姿を探した。彼女はすぐに見つかった。人とは異なる気配を放つ彼女のことだ、当然と言えば当然のことだが。
「少し話したいことが」
「……このあたりで人目に付かないところは?」
「案内します」
俺は月城さんをつれ、屋上の出入り口付近へと向かった。この場所は廊下からは死角になってるし、立ち入り禁止になっている。誰かに見つかるということはまずないだろう。俺は階段に腰掛けた。多少ホコリっぽいが気にするほどでもない。
「で、何の話かしら?」
いろいろ訊きたいことはあるが、まずは、とりあえず様子を探ることにしよう。
「昨日は、あの後何を?」
「屍喰鬼の気配を追いかけて外に行ったわ。でもそこにいたのは屍喰鬼じゃなくて人狼。そこにいるはずだった屍喰鬼は、最後の一体が人狼に倒されたところだった。人狼と一対一で戦うことになったけど、結局、逃げられてしまったわ。そこは、賀上君も見ていたでしょ?」
「俺に気付いていたのか」
「当然じゃない。あれで隠れているつもりだったの?」
まあ実際のところ月城さんに見つかることで何かマズいことになるわけでもないので、それほどまじめに隠れようとは思っていなかった。
「別にかまわないけど、あれでわかったでしょ? 私たちの戦いは、ただの人間でしかないあなたには危険よ。私は別にあなたが死んでも構わないけど、あなたは死にたくないんじゃない?」
「確かに、死にたくはないな」
『あなたが死んでも構わないけど』か。ドライというか何というか、まあ確かに、人ならざる存在の月城さんから見れば俺なんてその程度の存在なのかもしれない。
「なら、好奇心は抑えるべきね。臆病なぐらいがちょうどいいわ。話はそれだけかしら?」
「いや、もう一つあるんだ」
そう、もっと重要な訊くべきことがある。もとよりそのために呼んだのだ。
「俺、昨日月城さんに、血吸われたじゃん?」
「そうね、美味しくいただいたわ」
そうか、美味しかったのか。
「あれって、大丈夫なのか?」
「どういう意味かしら」
「よくあるじゃん、吸血鬼に血を吸われたら、吸われた人間も吸血鬼になるってやつ」
伝承や創作の中において吸血鬼が絶対的な恐怖の対象である理由の一つが、この『増殖』あるいは『感染』という能力にこそある。個体を殺し血縁を絶ったとしても、その課程で吸血鬼の毒牙に掛かった者がいれば、そこから再びネズミ講的に増えていくのだ。
「安心して。あのぐらいの吸血じゃ、あなたに害が及ぶことは無いわ」
「あのぐらい?」
「吸血鬼化するための条件は三種類あるの。一つ目は遺伝。自分の血縁の中に吸血鬼がいる場合、生まれながらにして吸血鬼になる可能性があるわ」
なるほど、確かにこれは納得できる。吸血鬼の能力が生物的な特性だというなら、遺伝によって吸血鬼が生まれるのも当然のことだ。
「二種類目は、『親』の吸血鬼の血液が体内へと一定量以上入ったとき。そうすることで『親』の吸血鬼は自分の魂の一部を相手に植え付け、精神の支配権を得ることができるわ。それと同時に対象を内側から変質させ、徐々に吸血鬼化させていくの」
「魂の、一部?」
「そう。厳密な定義は難しいし、私にも感覚的にしかわからないけど、生き物の体を構成するあらゆる物質には、その者の魂の一部が含まれているの。魂は、どこかにある物じゃなくて、生物の身体そのものなのよ」
「難しい話だな。まあ、言いたいことは何となくわかるが」
「何となくで構わないわ。それに今、明君にとって必要なのは、原理や理屈じゃなくて、何をしたら吸血鬼になってしまうのか、ということでしょ?」
その通りだ。何故そうなるのか、というのは兎も角、どうすればそうなるのか、何をしなければそうならないのか、という点が重要で、それさえわかっていれば、最悪の状況を回避することが出来る。
「最後に三種類目の条件。それは、吸血鬼に一定量以上の血を吸われること」
月城さんはそう言うと小さく笑みを浮かべた。吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼の眷属となる。それはもっとも有名な伝説だ。そして俺は昨日、月城さんに血を吸われている。
「私たちは吸血によって相手の血と同時に魂の一部を取り込むの。そうすることで自分の体を活性化させ『吸血鬼』としての本来の力を表に出すことが出来るし、自分の魂を補強する事で寿命を延ばすことが出来るわ。あるいは、大部分の魂を抜き取ることで、残された肉体とわずかな魂の支配権を得ることが出来る。それが吸血による眷属作りの仕組みよ」
「ちなみに、どれくらいの量なんだ? 相手を眷属にするために必要な血は」
「私にもよくわからないわ。ただ、あの程度じゃ全然足りないのはたしかね。せいぜい寿命が二、三分縮む程度よ」
「まあ、そのぐらいなら別に構わないけど」
月城さんに守ってもらえることになっているとはいえ、屍喰鬼等の驚異は俺の周囲に、常に存在するといっても言い。そうでなくても不慮の事故が常に人の命を奪う危険性を秘めていているのだ。その上、何の病気にもならずに天寿を全うできる者が一握りだというのなら、縮められた数分の寿命など誤差の範囲といってもいいのかもしれない。
「質問は終わりかしら? そろそろ教室に戻らないと、授業に遅れるわよ」
×××
人狼の正体には心当たりがあった。
それは俺のクラスメイト。
俺の幼なじみ。
……狗井響子だ。
認めたくはなかった。
何度も否定材料を探した。
だけど日を重ねるごとに、疑惑は深まり、今日になってついに限界を迎えた。
あの包帯と、月城さんに対する態度を見てしまえば、最早疑いの余地はなくなってしまった。
だがそれを朧に教えるということは、朧と月城さんに響子を殺させるということになる。
それは、俺が響子のことを殺すことと同じだ。
そんな現実を目の当たりにした時、俺は初めて後悔した。
元はといえば、俺が吸血鬼の正体を探ろうとしなければ、こんなことにはならなかったのだ。何も知らずにいれば、こんなことを引き起こすこともなかった。
だけど、余計なことに首を突っ込んだせいで、こんな事態を引き起こしてしまった。
俺が黙っていたとしても、いずれ月城さんや朧は人狼の正体が響子だということに気が付くだろう。
そして、そうなれば容赦なく響子のことを殺そうとするはずだ。
そんなことは絶対にさせたくない。
だけど一方で、朧は人狼の凶悪性を説明してくれた。
そんな存在を野放しにすればどうなるのかは、改めて考える間でもない。
もしこの世界のために、本当に正しいことをするのなら、例え幼なじみであったとしても、響子のことを殺さなければならないのかもしれない。
もしかすれば、俺自身の命が響子の手によって危険にさらされているかもしれないのだ。
なら、何をすればいいのかは明白なはず。
だけど……。
×××
授業が終わった。今日は部活動がないので、このまますぐに家に帰る、というわけにはいかなかった。やるべき事が一つある。
校門を出た俺は、ポケットから名刺と携帯電話を取り出した。今一度、あの男を頼る必要がある。
朧なら。
こういったことに対する専門知識を持ったあの男なら、何かいい解決策を知っているはずだ。
それに、響子は今も、こうやって普通に生活している、普通の人間と何ら変わりない。
それを人狼だから、獣化能力者だからと言って、問答無用で殺すはずないじゃないか。
そんなことを考え、名刺に記された番号を押そうとしたその直後、俺は背後に気配を感じ振り向いた。
「やあ、私に用かね?」
「……朧さん」
あの胡散臭く、同時に唯一の頼みの綱である男、朧と名乗るその人物が俺の背後にいた。
「どうして、ここに?」
「少し用事があってね。早い話が昨日の後始末だ。君の用事も、昨日のことに関する話かな?」
「前に朧さんの言っていた、人狼の正体についてです」
「何か、有益な情報が得られたのかね?」
俺には何が正しいこと化なんて分からない。
だけどこの人なら。
朧なら分かるのかもしれない。
人狼という獣化能力者に対して、どんな決断をすることが正しいのかを。
結局今の俺には何も出来ない。
できることと言えばせいぜい、状況を加速させるか、それとも遅延させるか、という選択をするくらいだ。
だからこそ俺は、自分の決断が正しいと信じて朧に告げた。
「人狼の正体は、……狗井響子です」
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