第一章 遭遇 二
二
「……ただ今Y線はH駅で発生した人身事故のため上下線とも運転を見合わせております。お急ぎのところ大変ご迷惑を……」
「まあ、しょうがない、か」
人身事故で電車が止まった。
俺にとってそれはちょっとした不幸であり、そしてそれ以上でもそれ以下でもなかった。電車通学をしてる人間にとっては、いつ起こってもおかしくない不幸だ。まあ、帰りでよかったと考えるべきだろう。
俺は多くの人が電車を待ち、そして当分電車の来る気配のないホームから、駅の外へと歩を進めることにした。
時刻は午後六時一二分。
日は落ち始めているけど、まだ真っ暗というわけじゃない。部活帰りで少々疲れてはいるけど、まだ十分に体力はある。いつも一緒に帰っている響子は、用事があるとかで一足先に帰ってしまった。偶然の不幸とちょっとした思い付きの結果、俺は電車で十分足らずの帰り道を歩いて帰ることにした。まあ、たまにはいいだろう。特に急ぎの用もないわけなので、散歩としゃれ込むことにした。
三十分ぐらいたっただろうか。俺はある場所へと視線を奪われ立ち尽くしていた。
そこは、すでに封鎖され廃墟となった工場だった。
針金が切れて落下した立ち入り禁止の看板と、開け放たれたままの門。その先の駐車場は不法投棄された挙句、部品を取られた車やバイクが放置されている。その奥のうっそうと茂った雑草のなかに、コンクリートの壁で囲われた何かの工場があった。
「おぉ、これはなかなか」
今どき珍しい、いかにも廃工場って感じの場所だ。心の内から、抑えることの出来ない好奇心がわき上がってきた。夕暮れに沈みゆく太陽と、登り始めた月。そんな神秘的な光に照らされた廃工場。歩いて帰ろうなんて思わなければ、この場所を知ることは無かっただろう。
そして、この使われていないはずの廃工場には奇妙なところがあった。まるで誰かが頻繁に出入りしていることを示すかのように、よく見ると無数の足跡が存在するのだ。堅く重そうな工場の扉は少しだけ開いており、中の様子をのぞき見ることが出来そうだった。
注意深く耳を澄ませると、工場の中から音が聞こえた。
「……中に、誰かいるのか?」
獣のような低いうなり声と足音。……この足音の感じだと二人はいるか。
俺は好奇心に突き動かされるままに、扉の隙間から工場の中を覗いた。
特に何かが見えると期待していたわけじゃない。その一方で、何か面白いものが見つけられるんじゃないかと期待していた。でも、俺の視線の先に在ったものは、俺の想像力を遥かに凌駕した存在だった。
――それは、一人の少女だった。
工場の天井に空いた穴から差し込む夕日が、まるでスポットライトのように彼女を照らしていた。
夕日の光を反射する銀の髪。
抜けるように白い肌。
右手に握られたナイフ。
返り血でベットリと濡れた白いワンピース。
彼女の足元に横たわる人間のような形をした、血まみれの『何か』。
そして、紅い光を放つ人ならざる瞳。
俺は声を発することもできずに、ただひたすらにその少女のことを見つめていた。
――彼女は、人間じゃない。
根拠なんて無いけど、本能的にそう思った。
最初に俺を襲った感情は恐怖だった。余りにも根源的な恐怖。多分、肉食動物に遭遇した被捕食動物はこんな風に感じているんだろう。思考ではなく本能によって、俺はこの場から逃げ出そうとした。だけど、もっとよく確かめたい、という好奇心が現れ、瞬く間に恐怖を押しのけた。
俺は昔から、常識を超えたような存在が実在することを信じていたんだ。それが目の前に現れたかもしれないこの千載一遇のチャンスを、逃すわけにはいかない。俺は、思い切って工場の扉を勢いよく開け放った。そして俺はその少女の姿と、彼女の足下に横たわりヒトのような何かをハッキリと見た。
少女と眼があった。
わずか一瞬の出来事だったけど、それはまるで永遠のように感じられた。まるで金縛りにあったみたいに俺が動けずにいる中、少女は足下に横たわる、『ヒトのような何か』を素早く担ぎ上げると、俺のことを一別し、そして一瞬にして俺の視界から姿を消した。
金縛りが溶けた俺は廃工場の中へと踏み込んで周りを見渡しかが、あの少女の姿は影も形も見あたらなかった。
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