第6話 ノートの受難

「ノート君。君の論文見せてもらったよ。実に君らしい切り口の論文だった」

「恐縮です、博士」

「魔物と人間の違いについて、文化の構築という観点から書かれた興味深いものだった。人間とは違うが、オークなどの亜人類も独自の文化を築いているという点で、魔獣とはまた違う」

「博士にとっては稚拙に見える内容かと…」

「いや、胸を張っていい。君は魔獣学においても非常に優秀だよ」


─────


 ノートは魔獣ペンギラーの姿になって二回目の朝を迎えた。

 放心状態となりそのまま王の寝室の床で力尽きて寝てしまったのだと彼は認知した。寝起きで鈍い働きの頭はすぐに覚醒する。ノートは自分の手(羽先)を見て自嘲した。傷はもう治っている。

『ペンギラーの治癒力も、便利なところがあるものだ』

 神学者ノートは神術式の他に、魔獣学の高等学位も修得している。彼は、「魔獣ペンギラーは最も下等な魔物の一種だが、非常に優れた治癒力を持つ」という知識も持っている。


『ハルト、すまない。俺は行くよ』

 魔物となった身に行く当てなどあろうはずもないが、今は友が身を挺して守った国王が気がかりだ。ノートはまず国王、そして、付き添っているであろう騎士見習いメリルの足跡を追うことを自らの目的とした。


 *


 神学者ノート、改め魔獣ペンギラーノートは人気の失われた王宮を後にした。

『弔いも十分にできず、すまない』

 王宮には多数の死体が残されていた。その大半は、王宮暮らしのノートの顔見知りだった。一人一人を丁重に葬ることが神学者の本分であろうが、今のノートにその余裕はない。心にひっかかりを残しながらも、焼け落ちた城下を行く。


 ノートの旅の装いは非常に簡素なものだった。

 人間だった時に身に着けていた革のベルトを右肩からたすき掛けに巻き付け、きつめに締め上げる。そして、背中側に愛用していた神杖をベルトに差し込む。これだけだ。人間に置き換えればベルト一丁のヌードではあるものの、体に合う服を仕立てている余裕はない。ベルトは、「最低限文化的に見えるだろう」という、ノートの最大限の抵抗であった。


 ノートは歩みを進め、城下を後にする。

『メリルが国王をお守りしながら行きそうなところは…』

 ノートには心当たりがあった。ノートやハルトの生まれ故郷、シーレ村。グランディアナ王国の中ではド田舎もいいところだが、村人の皆の気心も知れていて、メリルの父親が村長をしている。シーレ村なら、一時でも安全に国王を匿っておくことができる。仮に、ノートがメリルの立場であったとしても同じように考えたことだろう。


 *


 城下を抜け、街道を行くノート。こんなにも長い道のりだっただろうか。ノートは、子どもの時、親に内緒でハルトやメリル、他数人の悪童たちと村を抜け出してグランディアナの城下町に行った時のことを思い出していた。

『あの時は、途中で日が暮れて泣き出してしまったっけ』

 泣き出したいのは今も一緒だった。道端の手頃な石の上に腰を下ろし、短い足をぷらぷらとさせて体を休めた。空を見上げると、雲は城下町から目的地の方へ動いている。

『せめて空が飛べたら楽だったんだけどな…』

 ノートの独り言に、お腹がぐうと鳴って返事をした。ノートは手羽先を器用に動かし、道端の雑草をぶちぶちと引き抜き、ぽいと口…ばしの中に放り込む。ペンギラーの食性は草食。人里では畑の農作物を荒らすこともしばしばだ。故に、農家のみなさんからは目の敵にされている。

『こんな体になっても雑草はうまいもんじゃないな…』

 しかし空腹の足しにはなる。近くの雑草がきれいに処理されるころにはお腹いっぱいになった。


「あーっ!ペンギラーだーっ!」

 ノートが食休みをしていると、街道の向こうから子どもたちがやってきた。子どもたちのその手には、なんかいい感じの棒が握られている。

「おうこくせいきしたい!魔物をやっつけろ!」

 聖騎士ごっごか…俺にもこんな時代があったなぁ。ノートはとてもほほえましい気持ちになった。


 ポカリ!


 ノートが孫を見るような気持ちでほんわかしていると、先頭の子どもが手にしたなんかいい感じの棒を振り下ろし、ノートを殴りつけた。

「みんな!集中攻撃だ!」

 ノートはぼけっとしていて、自分が魔物の姿であることを忘れていた。我に返った時には子どもたちに取り囲まれてしまっている。

『やめろ少年たち!俺は人間だ!』

 ノートは制止の声をあげる。しかし…

「鳴いたぞこいつ!」

「グワーグワーうるせえ!」

 子どもたちにその叫びは届かない。魔獣の言葉は人間には鳴き声にしか聞こえないのだ。ノートはまたも泣き出したくなった。

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