僕の望み
ブチ切れた黒ギャルが、目を剥いて怒鳴り付ける。
「なんっ、だよ……なんなんだよ! お前、そんなにあたしの邪魔したいのか! 大体なんで戻って来られる、そこの奴らが呼んだお前は、斬って燃やしてやったんだ!」
着物の少女は動じない。大鎌同士をきしらせながら、静かに相手を見つめ返す。
「死にたい思いにあなたが反応するように。私は死ぬまで生きたい人の味方。今はこの人の願いに応えた」
この人という言葉と共に、振り返り、見下ろしたのは僕の方。ついさっき、僕は自分の意志で生きることを選んだ。それが、この子をもう一度呼ぶ願いになったのか。
さっきまでは、光也くんと環さんが僕をつなぎとめ。今度は僕自身が僕を生かそうとしているのか。
「ふざけるな……! こいつは死ぬんだ、あたしのものだ。渡してたまるかっ!」
叫んだ唇、比喩ではなく、グロスが燃え上がる。青白い炎は全身を取り巻き、膨張した空気が僕と少女を打ちすえた。
二人とも弾き飛ばされ、地上へと落下する。ぶつかるかと思ったが、僕も少女も光也くんと環さんを通り抜けた。やっぱり、僕たちは魂と死神、この世のものではないのだ。
「離れやがれえええっ!」
大木をも両断する勢いの薙ぎ払い。これも光也くんと環さんを通り抜け、うなりを上げて迫ってくる。
受け止めた少女の腕に、青白い炎がまとわりついた。しゅうしゅうと音を立てて、細い腕が薄くなっていく。
明確な破壊がないから分かりにくいけど、黒ギャルの力が増しているのだろう。
「焼き切ってやる、地獄みたいに、苦しみやがれ……!」
「生憎と、火傷の類には慣れているのよ……!」
強がってはいるが、押されているのは確かだ。
前斬られたとき、少女は僕の願いで甦った。恐らく、もう次はないはず。
心配する僕の方を振り向かず、少女が言った。
「時間がないわ。あなたは身体を目指しなさい。身体が死ねば、魂は現世に留まれない」
「分かった」
僕の身体。死の衝動に従い、級友の心に大傷を残そうと自殺するくそ野郎。いよいよ足元が危ない。
僕は木の幹に向かって駆けた。魂だからって、飛び上がることはできないらしい。身体に着くには、どうしたって樫の木を登るしかない。
「おいおい、逃がさねえから、なあぁっ!」
後ろで叫び声がしたと思ったら、僕の足に炎がまとわりついた。
青白いくせに、きちんと熱い。倒れそうになりながら、樫の幹につかまり、腕と上半身だけで、ひきずるように体を引き上げる。
下半身に力が入らない。痛い。苦しい。涙が、勝手に出てきた。体が、今は僕の魂が、これ以上動くなって言ってる気がする。
少しでも、こういう感覚になったときは、全部やめて休んできた僕だけど。
「負けるか。ここで、だけは……っ!」
文字通り、生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。僕の身体を取り戻したい。もう一度、光也くんと環さんに会いたい。
「伝える、ん、だ……」
死ぬつもりなんかない、心配かけてごめん。
二人に出会えてよかった、何度もあった長期休み、二人がいたから楽しかった。
きっとこの先も生きて見せるって。二人が困ったら絶対助けに行くって。
今まで無理をしなかったせいか、僕はゆっくりと、でも確実に体を前に進めた。
抜け殻の方も、今は足を止めている。原理はよく分からないけど、自殺を防いでくれているのだろう。
それはそうか、僕の器だ。僕自身が死にたくないのに、器が死ぬなんてできるわけがないじゃないか。
ずり落ちそうになりながら、蟻がはうように枝を伝う。下半身の感覚はほとんど失われているのに、痛覚だけが絶え間なく生きてる。魂にアドレナリンは効かないらしい。
勿論、気絶して痛みから逃げることだってできない。ただ、こっちは僕の有利に働いている。梢を踏みしめる、スニーカーのかかとが迫ってきた。
下を見れば、二人の死神が死闘を繰り広げる。
「クソッ! 飛べよ、死ねよ! なんでだよ、お前も!」
女が悪態をつきながら、次々に繰り出す無数の斬撃。狂った猛禽の口ばしのように、少女の防御を突き抜け、肩を打ち、腹を、胸をえぐった。そのたび青白い炎が広がり、少女の身体は透けていく。
だがまだ、少女は倒れない。
足元をよろめかせながらも、最後の一撃を放つべく、大上段に大鎌を振り上げた。
「あきらめ、なさい。あの人は、生を選んだ。ここから先を決めるのは、私達じゃない」
女もまた、炎をまとう大鎌を、右脇に大きく引いて構える。
「黙りやがれ。あいつは、私のものだ。やっと見つけた、私と同じくずだ。あいつじゃなきゃだめだ、欲しいんだよあいつがあああああっ!」
互いの剛腕が、凶器を一気に加速。
二本の武器が交錯する。
二人とも、お互いの攻撃を避けなかった。
少女の一撃は、女の右肩から入って、胴体を大きく貫いた。
女の一撃は、少女の左脇から入って、右脇まで突き通している。
女が目を歪め、絞り出すように言った。
「ちく、しょう。次だ、つ、ぎ」
少女は穏やかに微笑み、つぶやく。
「その、ようね……」
血の代わりに、青白い炎を口から吐いた二人。それは見る間にお互いを取り巻き、燃え上がりながら、二人の姿を夜空に溶かしていった。
一部始終を見守りながらも、僕は這いずり続け、とうとう自分の身体の足首に手をかけた。
見下ろしてくる、僕に向かって。首が折れるほど見上げて、絞り出す。
「いい、か。これから、生き直すんだ。やって、みるんだ。負けるかもしれないけど、生きられる間は、死ねない。光也くんと、環さんが、僕のこと、気にしてくれる人がいる間は、生きるんだよ……」
魂となった僕と、僕の身体に、言い聞かせる望み。
身体が首のロープを捨てた。器用にも梢にしゃがむと、僕の手を取った。
下半身の炎が、上半身へと回ってくる。それは僕の身体へも周り、火の中で僕と僕は溶け合っていく。
気が付くと、僕は樫の木の根元にしゃがみ込んでいた。
右腕と左腕には、それぞれ別々に僕にしがみついた、友達二人の姿がある。
「結婚、黙っててごめん……傷つけて、ごめん……」
「アイフォン、持っててくれよぉ……分かんないだろうが……もし、間に合わなかったら、おれ……」
同い年の二十二歳とは思えないほど、二人は泣いていた。
僕も同じだった。もうなんだか、誰と誰が結婚したとかセックスしたとか、どこに就職したとか、全部わけがわからなくなるほど、涙が出てくる。
「ごめん、ごめん……ごめん。ありがとう……」
僕も光也くんも環さんも。誰が誰だか分からないほど泣いた。
多分、それでよかったんだと思う。
死神は、僕の望みを叶えた。
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