抵抗


 悲鳴。悲鳴は、環さんのものだった。

 二人には、魂となった僕も、黒ギャルの死神も、黒髪の死神の燃えカスも見えていないのだろう。


 部屋を出た僕を探して、自殺の名所にやってきたら、今まさに首に縄をまきつけて飛び降りようとしているところ。大方そんな認識に違いない。


 そしてそれは、実の父の自殺体を発見したであろう環さんを打ちのめすのに、十分な光景だった。


 悲鳴を上げてうずくまる環さん。そんな環さんをかばいながらも、光也くんは僕の身体に向かって声をかける。


「……なあ、頼むよ、話聞いてくれ。勝手に付き合って、婚約までして、お前が怒ってるんなら、俺のこと殴ったっていいんだ。だから、頼むから足を止めて話を聞いてくれよ!」


 精一杯の言葉なのだろうが。光也くんの態度など関係ない。

 僕の身体は生気の無い顔で梢の上を歩き続ける。あれは器だ。魂を持たぬ今、死にたいという僕の願いに引きずられるだけの器なのだ。


 僕はあのまま飛び降りて、縄で首の骨を折り、頚椎を圧迫してそのまま死ぬのだろう。

 環さんと光也くんの心に二度と消えない傷を残して。


 まるで自爆テロのごとく、僕は僕の人生が受け入れられない代償に、二人の幸せを巻き添えにして破滅するんだ。


 そう思ってみても、死神に抱かれた魂は、指一本も動かせない。


「だめだよ、光也くん……それは、抜け殻だ、言葉なんか、聞こえない。二人が悪いんじゃないんだよ……」


 言い訳じみた言葉が、途切れ途切れに口を突いて出る。

 死神が僕の両腕を抑え、乳房が潰れるほど体を強く押し付けてくる。

 マスカラで彩った蠱惑的な瞳が、僕の目を捉えて離さない。


「お優しいねー。でも二つの意味で無駄だよ。ひとつ、あいつらに魂の声は聞こえない。ふたつ、あいつらはあたしの獲物じゃない。半死人になるには、お互いに大切なものをきちんと認識しすぎてる。傷ついたって、痛みを分かち合って生きていけるのさ。お前と違って」


 婚約までした二人の絆。

そう、病めるときも健やかなるときも一緒なのが夫婦。環さんは光也くんと共に、僕の自殺という傷を、無事受け止めるのだろう。


 今悲痛そうに見えたって、どうせあいつらは幸せになるのだ。


「何度も言わせないでくれよ。安い情になんか流されるな。あんたは死んで私を手に入れる。それだけさ。そうだろう?」


 死神の言う通りだ。

 僕は死ぬ。死ぬと決めた。死んで目の前の女の子を手に入れる。

 いつも無聊ぶりょうを慰めてくれる、手軽な女の子とそっくりな、この死神を。


 でもあいつらは死なない。どうせ幸せになるのだ。僕と違って。

 それが、全て。


 本当に、それでいいのかな。


 背中にしずくが落ちたような感覚。心臓になにかが潜り込んでくるような感覚。


 僕が望むのは、なんなんだろう。


 一人の死神には、肉欲で死に誘われ。

 もう一人の死神には、情で生に誘われ。


 ただただ、周囲に引きずられるまま。

 生きようとしたり、死のうとしたりする僕は、一体なにを望んでいるんだ。


 勢い、なりゆきか。

 僕がしたこと。光也くんと、環さんを誘った。


 あの二人を、結び付けた。


 なぜそうしたんだ。それは――。


 楽しかったんだ。あの二人と居て。

 誰から命令されるわけでもなく。


 自尊心の満足とか、カスみたいなものも色々あったけど。


 海に行ったり、映画に行ったり、花火に行ったり、買い物に行ったり、論文のアンケート考えて、挙動不審になりながら街で知らない人に質問してみたり――。


 僕は嬉しかった。あいつらが楽しそうにしているのが。


 眼下では、僕の身体が枝の向こうへ乗り出していく。足元がかなり細っている。飛び降りなくても、枝がへし折れて死ぬかもしれない。


 環さんを抱き締めた光也くんは、金切り声に近い絶叫で、僕を止めようと必死だった。このまま目の前で僕が死んだら、その苦痛はどれほどだろう。


 いずれ、癒えるにしたって。

 苦しいものは苦しいに違いない。


 許されるのか。たかが僕の勝手、いや、もっとひどい、ただの欲望だけで。二人を傷つけ苦しめてしまうことが。


「……あん?」


 僕は死神の肩をつかんだ。そうっと引き離すと、穏やかに微笑んで見せる。


「悪いけど、やっぱり僕は生きるよ。君は魅力的だけど、だからって、そこまで冷たくなれない。負けた奴でもいい。負けたというなら、僕が選んだ負けだ」


 あるいは、こいつは本気で僕を欲しがっていたのかも知れない。だとすると、僕は生まれて初めて、女の子をふったことになる。いや、考えすぎか。


 見たこともない憤怒を浮かべるかと思ったが、黒ギャルは一瞬表情を失くした。ひいきめかも知れないが、どこか悲し気に見えた気もする。


 そう思ったときには、突き飛ばされていた。憎々しげな嘲笑と共に、死神が鎌を振りあげる。


「そうかよ……じゃあお前、もう童貞のまんまだなぁ!」


 大鎌が僕を両断するべく迫る。斬られれば血が吹き出て、はらわたが飛び出し、のたうち回ることになるだろう。苦痛の中で、こいつは僕を連れていくのだ。


「……改めるに、はばかることなかれ。やっぱり偉いわね、あなた」


 まるでさっきの再現だ。うずくまる僕の目の前で、大鎌が押しとどめられている。


 斬られたはずの、もう一人の死神。どくろと花びらの着物の少女が、僕を背中にかばっていた。

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