捜索

 光也くんと、環さん。


 二人とも文学部で、サークルには所属していない。そして二人とも、実家から大学に通っている。中学校から高校、そして大学と学部まで一緒だったが、特に話したことも無かったという。


「あいつ、本当にどこ行ったんだろう」


 軽自動車のハンドルを握りながら、そうつぶやいた光也くん。助手席の環さんは、車内の灰皿にタバコを落とした。


「何かの間違いなら、いいんだけどね」


 車は、夜の道路を進んでいく。二車線の、カーブの緩い道だ。深夜一時となっては、対向車もほとんどない。


 一見すると、奇妙な組み合わせに見えるかもしれない。


 光也くんは髪も染めておらず、長いのか短いのかもはっきりしない。体系は中肉中背、ありきたりで特徴がない。

 あまり自分から人に話しかけるほうじゃなくて、新入生歓迎会のときは、地方から出てきて、とりあえず誰でもいいから知り合いを作りたかった僕の役に立ってしまった。


 他方、環さんはというと、金色の髪に、蝶のイヤリングで一見いかつい雰囲気だ。けれどどこか優しげな瞳が目立つ。思い切って大学デビューしたかったらしいが、大人しい学生が多いうちの大学で、一気に金髪にしたら浮いて、こちらも新歓で右往左往していた。


 その様がいけそうだと思って、僕は光也くんをけしかけた。おかげでどうにか話しかけられる関係になって、でもそれ以上は進展もせず、ずるずるとあちこち遊んでいたら三年経ってしまった。


 もっとも、そう思っていたのは僕だけなんだろう。


 二人の指には、銀色の婚約指輪が光っているのだ。三人で車を持ち出すのは、それなりに楽しかったし、斜に構えてぼんやりしてたら、まんまとやられてしまったというわけだ。


 環さんが細い指でカーナビを操作する。次の煙草は取り出さない。関係ないけど、この子が煙草を吸うこと事体、僕は今日初めて知った。


「……次、白目山でいいの?」


「うん。紫蘇しそ線沿いは、山と川ばっかだけど、終点の達磨駅まで行くと、家が結構あるんだよ。あいつが本気だったら、白目山のてっぺんだと思う。聞いたことない? 高校のときだけど、自殺あったよ」


「……いや、その頃は、噂とかどころじゃなかったから」


 あからさまに雰囲気が暗くなる。一緒にあちこち行ったが、僕は環さんの過去を知らない。そういえば、光也くんの家に泊まったことはあったけれど。

環さんの家に行ったことはなかった。当たり前だと思ったが、ここでも光也くんとの差を感じる。


「ごめん」


「ううん」


 ふっと目を細めて、光也くんの足に触れる環さん。


 どす暗く、重たい過去がのぞく。でも深いつながりを感じさせる。


 少なくとも、この二人はSNSやまとめサイトに流れている、醜く簡単でカスみたいな関係じゃないのが分かる。


 肉体関係はあったとしても、なにかそういう、童貞だとかそうじゃないのかとか関係ない次元のつながりが、二人の間にあるんだろう。僕を笑う余裕なんてないくらいの。


「……今からよ?」


「分かってるよ」


 いらいらしながら、少女に答えた。


 そうでないほうが、まだよかった。僕は何も知らなかったんだ。何も知らず、この二人の手の平で転がされていたのだ。


 二人の方は、深夜にもかかわらず律儀に動く赤信号に止められたところだった。

 光也くんがカーナビの画面を見やる。


「もうすぐ白目駅か。どこに車止めよう」


「適当でいいよ。点数やばいならあたしが運転してたことにするから」


「そうだよね。うん、多分、居ないと思うけど。まさか、とは思うし」


 光也くんがそう言った瞬間、環さんが自分のスカートを握った。きっとにらんで、矢継ぎ早にまくしたてる。


「アパートの鍵が開けっぱで、アイフォンは部屋に放置で、私達の連絡全部無視で、おまけに破り捨てた履歴書と不合格の受験票を床に撒き散らしてたあいつが、風俗にでも行ってるだけだっていうの。大学三年ずっと、一緒に遊んでた私達が、婚約黙ってたことを知ったあいつが、傷ついてないっていうの?」


 その眼に涙が光っていた。面と向かって口には出さないが、環さんが僕の弱さを見抜いていることは知っていた。そういう子だから、もしかしたらと思っていたんだ。


 くそ、変わってない。僕が、僕が見込んだ『もしかしたら』という通りの子だった。それが、それはもう、光也くんの手に入ってしまった。


 漱石の『こころ』でいえば、僕はKのように自殺してもいいだろうか。そうやってこの二人を不幸に叩き込み、光也くんは『先生』のようにある日突然自殺するかも知れない。


 凶暴な考えを、静かな言葉がさえぎる。


「ごめん。そうだよ、おれだったら、嫌だ。しんどすぎてどうなるか分からない。でも、自分のこと知られても、おれ達のこと知らされても辛いと思う。あんな必死に勉強してたら絶対受かると自分で思うし、試験直前に教えて、気持ちを乱すのもだめだろ」


 やめろと叫びたくなった。なんでそんなに僕の心情が分かるんだろう。


 多分、僕と似てるからなんだ。だから、僕は同じように何もできそうにない光也くんに声をかけたんだ。こいつも、見立て通りの奴だっていうのかよ。


「けどっ……」


「だから来たんだ。おれは探す、徹底的に。いいよ、卒論くらい」


「それはだめ。一年延ばすなら私の方がいい」


「今年がぎりぎりなんだろ。奨学金のことあるんだから、無茶言うなよ」


 信号が青になった。光也くんが再び車をスタートさせる。

 車内は無言だ。お金か。確かに、環さんは卒論が本当に危うくなるまで、色々なバイトをしていたらしい。長期休みとか、かなり忙しくしていた。


 しばらくすると、明かりが近づいてきた。川の横を走る、細い二車線の国道沿い。白目駅までぽつぽつと続く街灯だった。


 軽自動車は明かりの下を駆け抜け、やがてロータリーとも呼べない、粗末な駅前のスペースに停車する。


 光也くんが先に下り、続いて環さんが降り立つ。街灯で照らされて分かったが、歩きにくそうなパンプスだ。おっとり刀ってやつか。よほど、僕が心配だったらしい。


 軽自動車の後部から懐中電灯を取り出すと、鍵を掛けて、僕がたどった道に入ってくる。


 僕が白目駅に着いたとき、時刻は深夜十二時半。山頂に着いたのは、一時前くらいだろうから、あの二人は二十分もすればここに来るに違いない。


 なるほど、あいつらが僕のことでここまで必死になるなんて、思ってもみなかった。

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