二人の死神
はず、だった。
「あれ……」
僕は地上の草むらにうずくまっていた。足はくじいてない。草が深かったせいか。
ロープは確かに首元にあるのに、肝心の枝と結ばれた方がすっぱり切られている。
「ちょっとさー、あんたもったいないんだけどー。死ぬつもりなら、命はもうちょっと有効に使ってよねー」
樹上から声がする。若い女の声だ。知性の無さそうな。
かさとも音を立てることなく、そいつは地面に降り立った。
チューブトップに黒のタイトミニ。同じく膝近くまであるブーツ。おまけに腕や首には、じゃらじゃらと色々な金属のアクセサリーが付いている。
昨日抜いたギャル系AVの女優にそっくりな、女の子だった。ただひとつ、樫の木を切り倒せそうなほどの大きな鎌を、軽々と背負ってることは除いて。
なんでこんな山の中に。いつから居たのか。僕の疑問を無視して、そいつは僕の方に近寄ってくる。大鎌は手元でぐんぐん縮み、手のひらサイズのアクセサリーのようになった。
「やー危機一髪だったよねー。魂無駄になる所だったわー。ほらそんな縄外しなよ。首吊りで死んだら苦しいよ?」
謎の女は小さくなった鎌を、イヤリングの輪に通してしまった。
こうなると、もうそのへんの黒ギャルだ。そのへんで見かけたことはあんまりないけど。
「……知ってるよ。だからなんなんだ」
「ま、そうだろね。あたしが反応できるの、あんたみたいなクズいのばっかだから。死ぬのは別にいいの。でもどうせなら、あたしに協力してくんないかなー?」
ふわ、と懐に入ってくる。染めた髪の毛が思いのほかゆるやかになびいている。
振り払うように、顔を背けた。
「協力って、いやだよ面倒くさい。ロープが短くなった、また結ばないと」
「あーそう。その死ぬって気持ちが強いのはすごくいいんだけどね。ちょっと別のやり方で死んでほしいなって思うんだー」
別の、やりかた。死ぬこと事体は、止めないというのか。
好奇心が沸いてしまった。
「……それは、どんな?」
僕がたずねると、女はにこりと笑った。
健康的で、頭が花畑で、じつに可愛らしい。数分の会話を経て性交に及ぶ、名前も知らない女の子たちと、完全に同じだった。
「簡単だよー。あたしに魂くれればいいの。ね、さくっと斬って終わり」
イヤリングを外すと、ひょいと放り投げる。
黒い煙を発して、一瞬で膨れ上がった鎌。再び肩に背負い、右手で支える。
「見て分かるだろーけど、あたし死神でさー。あんたみたいな若い魂、ポイントが高いのよねー。最近若い人の自殺が増えて、嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、多いからこそ、取りこぼしちゃダメっていうかさー」
腰を沈め、大鎌を後ろに持った女。にわかに、殺気がみなぎってきた。
肌で感じる。一流の武術家にでも相対したような気分だ。こいつはきっと本物の死神に違いない。麦でも刈り取るように、僕を魂ごと刈り取ってしまうのだろう。
「生きる気失せてるのはいいけど、自分で死なれちゃ、ダメなのよねー。ちゃんとあたしたち死神に魂をくれなきゃいけないわけだからー」
一旦ビビった僕だけど、作業のような物言いが鼻に着いた。
こいつ、なにか勘違いしていないだろうか。
「……僕に、なんかメリットはあるの?」
「は?」
「なんで僕が君のために、死んでやらなきゃいけないんだよ。ただ死にたいから自殺するんだ。誰かを助けたくて死ぬわけじゃない。死んでまで人の役に立つのは嫌なんだよ」
普段だったら、女の子に自分の意見なんて言えないと思う。
が、死ぬとなったら、捨て身になれる。
女は一瞬ぽかんとしたが、やがて何か合点がいったようだ。
「……ああー、まあそっかー。だよね! ん。じゃあ魂になったら童貞もらったげる。ついでにずーっと気持ちよくなってればいいじゃない。あたしが相手でよければだけど」
にこりと微笑み、大鎌を放り投げた女。細い指で、乳房を持ち上げて見せる。チューブトップから谷間がのぞき、わずかに汗ばんでいる。
僕は思わず手を伸ばした。女は驚いた様子も見せない。恐る恐る、震えながら近づき、いよいよ、と思ったところで。
指先が、身体を通り抜けた。匂いまで感じるのに、なんの感触もない。
「あっちゃー、ごめんねー。ちゃんと死んでくれなきゃ、あなたの意識に触れないのよ。ほら、死神って中途半端な存在だからさー」
なんてことだろう。
エロサイトの訪問中に宅急便が来たような気分で、僕は座り込んだ。
「分かったよ。とっととやれよ。騙してないだろうな」
といっても、もしも騙されていたとして、僕に抵抗の術なんかないのだ。
それでいい。べつに、駆け引きする気も起こらない。
ああ、きっと馬鹿で子供な顔をしてるのだろう。
歯を食いしばる僕を楽しむように、女が再び鎌を振り上げた。
「……大丈夫。がっかりはさせないよー、おきゃくさーん」
にこにこと微笑みながら、持ち上げるのは重厚な刃。
怖くなって、思わず顔を背け、強く目を閉じた。
斬られた感触は無い。でもこれが、魂を刈られるということなのかもしれない。
まあいい。これで僕は、無事死ねた上に、女に触れられるはずだ。
そう思って目を開けると、目の前には布が垂れ下がっていた。
白地に、黒で蝶を描いた、着物の生地。
なにか、そういう行為に向いた場所に連れてこられたのだろうか。
そう思って見まわした途端、僕は今度こそ腰を抜かした。
「あ、ああ、あれ……これ、どうなって」
僕の頭上で、二つの大鎌が交錯しているのだ。僕の首を目指した、黒ギャルの死神の鎌。交わっているのは、草刈り鎌を巨大化させたようなもう一つの肉厚な刃だ。
「うー、ん? 誰も呼んでないよね、あんたのこと」
声のトーンが下がる。細めた目で見つめたのは、鎌の持ち主だ。
見上げた僕の目に、その容姿が飛び込む。
長い黒髪、真っ白な肌、そして切れ長の目と、紅を引いた小さな唇。
無数のどくろと、舞い散る花びらが描かれた着物。胸元がささやかに膨らんでいる。
黒ギャルとは完全な好対照。田舎の旧家の庭で、毬でもついてそうな、小柄な少女だった。
少女は女を見上げて言った。
「この人も、あなたを呼んだわけではないと思うのだけれど」
女が眉を潜める。きりきり、と刃がこすれる音が響く。
斬られた周囲の草が、空に舞っている。
あの鎌、魂を刈るだけじゃないのか。
ただ自殺しようとしただけなのに、なんだかとんでもないことになってしまった。
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