梅雨の日のカビ退治

 今日の魔王は、鬼のような形相になり、いつものトイレ掃除を行っている。


「ぬぉぉぉお!!!!」


 そして両腕に力を入れ、必死にモップブラシで床を磨いている。それこそ一心不乱に。床にヒビが入っていても、一切気にせずに。


「取れぬ!!」


 魔王は戦っていた。


「全く取れぬ!!」


 その恐るべき相手と――


「ぬっ……そっちにもか?!」


 人間も苦戦するそれと――


「おのれ、おのれぇぇええ!!」


 ひたすら増殖しまくる黒いそれと――


「この、黒カビめぇぇえ!!」


 ――魔王は戦っていた。


 梅雨の時期になると、一部のダンジョンのトイレを除き、ほぼどのトイレにも、この黒カビが増殖していた。


 しかも、ただのカビではない。モンスターの力を浴び続け、人の街に存在するそれとは、常軌を逸したものとなっていた。

 生やした根が、しっかりと奥深くに突き刺さり、食い込んでいくのだ。だからこそ、魔王でもそれの除去には苦戦をしている。


「くっ、なんとしても……この忌々しき黒カビを、除去しなければ!!」


 そう、トイレの床のタイル一面、または岩っぽいデザインの隙間に、大量発生し、その床を一部黒く染めていた。

 しかし、掃除しても掃除しても、次々と増殖するその黒カビに、魔王は苛立ち始めていた。


「こうなったら余の魔法で……いや、駄目だな」


 そう言いながら、魔王は腕を組みながら唸る。因みに、魔王がやろうとしていた魔法は、対象の範囲のもの、その存在を全て消し飛ばしてしまうものである。下手したら、トイレの一部が崩壊してしまう。


「なんなんだこいつらは、こう見えて生きているだと! ふざけるな!」


 菌だからです。


「心臓も脳もないくせに、増殖などしてくるなんて!」


 菌糸で増えるのです。


 とにかく、魔王は度重なる黒カビの除去に、疲れ果てていた。しかも、普通のカビではない。完全に除去しないと、たった一日でまた大増殖しているからである。


 するとそこに……。


「魔王様! 完成しましたよ!!」


「おぉ! 待っていたぞ! ジャック!」


 カボチャをくり抜いて、怖そうな目と鼻の顔をした魔道士が現れた。彼の名はジャック・カンテラ。

 精鋭達の中でも、強力な魔力を持ち、水晶で遥か遠くのものを確認できる程である。


 そんな彼が、1番得意としているのは……。


「魔王様のご注文通り、黒カビを退治する薬液でございます!!」


 毒液や薬液など、様々なものを調合し、体力回復から毒殺、更には殺虫など、様々な薬を作ることであった。そして何を隠そう、魔王の使っているトイレ用洗剤も、この魔道士が作っていた。


「よ~し、貸せ! 今すぐ、この黒カビとの激戦に終止符をうってやる!」


 そして魔王が、カボチャ頭の魔道士ジャックから、ボトルに入った薬液を奪い取ると、早速その黒カビに垂らし始めた。


「おぉ……この粘度、素晴らしいぞ、これならこのカビの根本まで……」


「あっ……溶液なので、トイレの壁も溶けちゃいます」


 しかし、ジャックの言葉は遅かった。既に、壁に終止符が打たれた後だった。


魔王のモップがけデビル・モッピング!!」


「その技、懐かしみっ!!」


 だが、お尻にブッ刺すのではなく、ジャックの頭を手にしたモップで、野球をするかのようにして打っただけだった。

 おかけでその場には、白いTシャツを着た、頭のない人間が、突っ立てる状態になっていた。普通にホラーである。


 ―― ―― ――


「全く、魔王様……危うく調理室で煮込まれるところでしたよ」


「貴様が悪い」


 その後、そのトイレの壁を魔法で直した魔王は、頭を拾いに行って戻ってきたジャックを見ながら、そう言った。ただ、そのカボチャ頭は、少しばかりふやけて膨らんでる気がする。


「しかしそうは言っても、あの黒カビを除去する薬など、そうそう……」


 だが、ジャックがそう文句を言おうとした時、魔王がそれを遮るようにして、話してくる。


「何を言うか、あいつらも生きているなら、いくらでも対策出来るだろう」


「はぁ……まぁ、それは聞いてますが……虫みたいなものなのでしょうか?」


「むっ……少し違う気がするが、似たようなものだろうな」


 どちらも違っていた。しかし、モンスター達は人間とは違い、小さな存在をそこまで熱心に調べる事はしていなかった。


 何故なら、別にそれが自らの驚異になることは、なかったからだ。


 だがここに来て、トイレ掃除をしてピカピカにするという概念の中で、この存在が、最大の敵になることを、魔王は思い知らされたのだ。


 こんな存在が、自らを苦しめるなど、初めての経験だった。


「魔王様……そこまでしてトイレを綺麗にしなくても……」


「いいや、モンスターだけではない、冒険者達に、新設されたようなトイレで、気持ち良く用を足して貰う、その極みを、余は目指しているのだ」


 もはや魔王は、別の道へと進んでいる。正直、精鋭達もなんども止めようとしているが、如何せん他にやらせる事がないため、結局トイレを掃除を続けさせていた。


「そしてあの勇者に、余のピカピカにしたトイレを見せつけ、あいつが今までぐうたらしてきた事が、どれだけ惨めな事だったか、思い知らせてやるわ!!」


 しかし、ちゃっかり魔王らしい部分もあった。


「ぬぅぅ……とにかく、私達は勇者の息子を旅立たせるのに、必死なんです」


「それは構わん、早くしろ。そして、余のトイレを見せろ!!」


 本当に復讐はどこへやら……両手を広げて高笑いする、つなぎ姿の魔王を見て、ジャックは大きくため息をついた。


「しょうが無いですねぇ……もう一個、試しに作ったものもあります。使いますか?」


「それを早く言え」


 そして、ジャックが新たな薬液を出した瞬間、魔王はそれを奪い取ると、別のトイレへと走って行く。

 その姿は、果たして魔王と言えるのか……ジャックはその後ろ姿を見て、そう思ってしまった。


「ほぉ……なるほど、これなら確かに効きそうだ」


 そして、次のトイレに辿り着いた魔王は、そこでも大増殖をしている黒カビのところに向かい、先程ジャックから渡された薬液を、振り始めた。


 どうやら、良く振って使うらしい……というか、スプレーの様に見える。いや、スプレーだ。まさか、殺虫剤のようなものを作ったのだろうか?


「さぁ、滅せよ!!」


 そう言うと、魔王はスプレーの頭を押し込み、そこから凄い勢いで噴出してきた霧の様なものを、黒カビに当て始めた。三角座りで……。


「…………」


 そして空しく響く、スプレーの音。完全に、殺虫剤かなにかであった。


「……ジャックよ」


「あ~魔王様……これ、使い方が違います」


「んっ?」


「こうです」


 するとジャックが、くり抜かれた自らの口から、オレンジ色の炎を噴き出した。その瞬間……!!


「うぉおわっ!!」


「ぎゃぁぁぁあ!! ガスを間違えました~!!」


 大爆発を起こし、辺り一面吹き飛んでしまった。


 どうやら、薬剤を飛ばすためのガスを間違え、爆発するようなガスを、放り込んだらしい。

 そもそも、それで殺虫剤のようなスプレーを作れた事が、凄すぎる。ただ、それもジャックの能力であった。


 だけど彼はもう……見事なまでの焼きカボチャになっているだろう。


 遥か彼方に吹き飛んでしまった彼を、魔王は罰する事が出来なかった。


「…………余は、大掃除をするつもりはなかったのだがな……」


 そして、魔王は崩れた壁の向こうを眺めながら、そう呟いた。


 外では、数日前から続く大雨で、湿気の多い日が続いていた。皆様も、水回りの湿気にはご注意を。


 黒カビは、時として予期せぬ事を招きます。常々、掃除を忘れずに……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る