謎の老人

 今日も魔王は、せっせとトイレ掃除をしている。しかし、ここまで戻すのに、数週間程かかっていた。原因は、この前の詰まりのせいである。


 汚物や汚水が溢れ出たトイレを、ダンジョンのモンスター総動員で掃除をしていた。その中でも、精鋭達が率先して掃除をしまくっていた。1度汚物に塗れたので、今更汚物で汚れようと、関係なかったらしい。


 だが、精鋭達と魔王が動けるようになるにも、数日かかっていた。彼等は、しばらく寝込んでいたのだ。


 しかし、汚物や汚水等は、ヘドロナマズ達がやって来て、綺麗にしていた為、残りは細かな掃除だけであり、なんとかなっていた。


 そして魔王は、その原因となったトイレ掃除用洗剤『トイレ掃除の達人』を作った会社を、倒産させた。「不良品を売りつけるとは、何事だ!!」と怒鳴りつけ、文字通り建物ごと崩壊させたのだ。


 その後、いつも通りの綺麗さを取り戻したトイレを、魔王は以前にも増して、綺麗に掃除をしていた。


 しかしそこへ、サングラスをした謎の老人が、魔王が掃除をしているトイレへと入って来た。


「ほぉ……ここかね」


「んっ……?」


 その老人は人間の男性で、ハゲ頭ではない白髪をしていて、髪と同じ色の顎髭を生やし、どことなくただ者ではない雰囲気を漂わせていた。


 そんな老人が、魔王を見つけるや否や、付けているサングラスを外し、鋭い眼差しを向けてくる。


「お前さんか……ここのトイレ掃除を行っている者は」


「……如何にも」


 その老人は、魔王に対してかなり高圧的な態度を取ってくる。その態度に、魔王も若干不愉快になり、少し威圧している……が、老人は怯まない。


「お前さん、トイレ掃除をしだして、まだ日が浅いのだろう?」


「確かにそうだが、貴様は何者だ?」


「儂か? 儂はただの、人間の街のトイレ清掃員だ」


 街のトイレ清掃員が、なぜにサングラスをかけているのやら……服装はつなぎなので、トイレ清掃員で間違いないとは思う。

 しかし、そんなトイレ清掃員の老人が、ダンジョンのトイレになんの用なのだろうか?


「ほぉ……ここに何しに来た?」


「知れた事。お前さんの実力を見にじゃ」


「……なんだと?」


「トイレ清掃員と名乗る以上、生半可な覚悟では勤まらん」


 確かに、酷く汚れたトイレなどを掃除する事もあり、生半可な覚悟では出来ない事だろう。


「それこそ、その内億劫になり、掃除も手を抜くようになる……良いか、例えばじゃ……男子トイレの小便器。一見綺麗に掃除出来ておるが……そこの内側等は、モップブラシ等が届きにくく、ついつい掃除が疎かになりがちじゃ。どうせ貴様も……」


 そう言うと、老人は小便器の方に近付いて行き、そこを覗き込んだ。だが……その内側はピカピカに磨き上げられていた。


「…………ふん、まぁ良いだろう。そこそこの腕はあるようだ」


 そう言いながら、その老人は小便器から離れるが、少し戸惑った表情をしていた。


「しかしな……まだまだトイレはいくつもあるのじゃ。特に、大便器の内側等も……!」


 するとその老人は、今度は個室のトイレの方に向かい、そこの便器を覗き込む。だが……またしてもそこの内側は、綺麗に磨き上げられていた。


「な……なんじゃと?!」


「ふっ……余に死角はない。諦めよ」


「ぐぬぅ……これで勝ったと思うなよ」


 なぜか、いつの間にか変な勝負が始まっていたが、お互いプライドを賭けた戦い。表情は真剣である。


「ふっ……意外と盲点なのがな……洗面台の……」


「んっ?」


「排水口の周……りも綺麗!! 中も詰まってない!!」


 むしろ、洗面台はしっかりと綺麗にすると思うのだが、中にはそれが抜けているトイレもあったりもした。

 トイレ掃除を先にしてしまうと、それを終えた後に、油断したりしてしまい、そこの掃除が抜けていたりするのだろう。


「言っただろう? 余のトイレ掃除に死角はない。因縁を付けるなら、貴様の掃除したトイレも見せるが良い……」


 呆然とする老人に、魔王が腕を組みながらそう言った。

 確かに、魔王の言っている事ももっともであった。魔王の掃除したトイレばかり見ていては、勝負にはならない。よって、魔王は老人に対してそう言ったのだが、返ってきたのは意外な言葉だった。


「ふっ……儂の掃除したトイレ……か。残念じゃが、儂はこの前、トイレ清掃員をクビにされたのじゃ」


「……」


 なんと、老人は既にトイレ清掃員では無くなっていた。


「そこで、お前さんの噂を聞いての。居ても立ってもいられなくなったのじゃ」


「貴様……余にここまで言っておいて。貴様の方が……」


「おっと、勘違いせんとってくれい。儂の掃除能力が低い訳ではない。むしろ……逆じゃ」


「と言うと?」


「熱意を持って、徹底的に掃除をしておったがために、時間がかかりすぎてしまい、その分他の者に、残りのトイレ掃除をさせてしまっていたのじゃ……それで、迷惑だからとクビじゃ」


 老人はそう言うと、その場に座り込んでしまった。

 確かにどんな仕事でも、作業に時間がかかってしまっていては、意味がない。それはただの無能とされ、簡単にクビにされてしまうだろう。


「だがな……お前さんのトイレ掃除を見て、やはり儂は間違っていなかったと感じた」


「ご老人……」


 そして、魔王はゆっくりとその老人に近付いて行く。


「丁寧にやって時間がかかるより、効率よく掃除をして綺麗にすれば、時間はかからん。1つの事に時間をかけすぎてもだめだ」


「ぬぐっ……やはり、お前さんもそう言うか……だが……!」


 しかし、老人が反論する前に、魔王が先手を打った。


「床掃除をする前に、便器の方に洗剤を付けておいたら、床掃除をしている間、洗剤が汚れに浸透し、余計な力を使わずに落とせる。それこそ、時間短縮に繋がるのだ」


「なっ……!! そんな方法が……」


 その魔王の言葉に、老人は驚き言葉を失っていた。しかし、これは掃除の時間を短縮するための、基本中の基本でもあった。

 真剣に話しているが、他の者が聞けば、首を傾げるかも知れない。だが、2人はそんな事は考えていない。頭の中はトイレ掃除の事でいっぱいだ。


「貴様は、綺麗にする事しか頭にない。それではクビになって当然だ。状況を把握し、手際よく、全てのトイレを1人で掃除しきる勢いでやってこそ、真のトイレ清掃員と言えよう」


「な……なるほど」


 いつの間にやら、立場が逆転している。老人は、目から鱗でも落ちたのかと言う程に、感激していた。


「ふん……とにかく、貴様の用は済んだであろう。余は忙しいのだ。次のトイレに……」


 しかし、魔王がその場から立ち去ろうとした瞬間、老人は魔王にすがりつく。一応相手は魔王であり、こんな行動、いつ殺されてもおかしくないレベルであった。


 それでも、老人は魔王に向かって叫んだ。


「弟子にして下さい!!」


「……」


 そんな言葉をかけられても、魔王は表情を変えず、そして膝を折り、すがりつく老人の肩に手を置くと、こう言った。


「余の修行は、厳しいぞ」


「覚悟の上じゃ!」


「良かろう……」


 そして、魔王は満足そうな顔をして立ち上がると、その老人の手を取り、次のダンジョンのトイレに瞬間移動した。


 そこは……。


「では手始めに、ここからやって貰おうか」


「ひっ……!」


 森林ダンジョンの、虫モンスター生息エリア内のトイレであった。当然虫モンスターのエリアな為、そこのトイレには……様々な害虫モンスターが湧いていた。


「いや……流石の余も、この数を相手となると手こずってな。懲らしめても懲らしめても、次々と好き勝手して、しかも繁殖までしている。とにかく、他の者の助けが欲しかった所だ、助かっ……何を寝ておる?」


 そう、老人は魔王が説明する横で、気を失っていたのだ。それも仕方がない。トイレの床一面に、害虫がひしめいていたら、誰だって気絶してしまうだろうし、鳥肌が立ってしまう。


「むぅ……もう少し修行をさせてからか……」


 そう言うと、魔王はその老人の襟首を掴み、そのまま次のトイレへと連れて行った。


 とにかく、魔王は人間の駒……ではない、弟子を手に入れたのだった。

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