第六話 猿は迷走した。
猿は苦悩していた。
自分の書きたいことが何か、猿はすっかり分からなくなっていた。
*
初期の情景描写から脱却した猿は、次第に内面描写へとその表現手法を変えていた。
山の冬の厳しさを、仲間達の内面を掘り下げることで重層的に表現しようとした試みは、彼自身、
「これはこれでいい具合に仕上がっている」
と考えていたのだが、それに対する読者の反応は今一つだった。
「暗い。昔の心温まるような文章が見られなくなって残念だ」
「文章は上手だと思うが、これを読みたいと思う読者がどれだけいるのだろうか。読み手を置き去りにした作品は読まれなくて当然ではないか」
猿は衝撃を受けた。
「さらに上達するためには深く内面に入り込んだ描写が必要だ」と言われて実際にやってみたのに、今度は「これでは読者の興味を引かない」と言われたからだ。
そこで、猿は読者受けする要素を盛り込んだ。
メス猿との恋愛要素。
ボス猿とのバトル要素。
何をやっても駄目だった猿が、隠れ里に隠遁した猿の元で修業し、ついには山を支配する巨大な悪を倒して『最強』の称号を手に入れる。
序盤から手に汗握る展開を盛り込んだ猿の意欲作は、しかし、読者の関心を引かなかった。
「ありきたり。テンプレートは嫌いじゃないけど、やりすぎていてつまらない」
「なんだか最近面白くなくなった。大衆受けすることに必死な姿が見えて、正直うざい」
猿は更に衝撃を受けた。
「読者の興味を引くのが大切だ」と言われたので実際にやってみたのに、今度は「受け狙いはつまらない」と言われたからだ。
そこで猿は実験的な手法を取り入れてみた。
刺激的な言葉を書き連ね、そこから生じるイメージで物語を牽引してみる。
すべての行を同じ文字数に揃えてみる。
洗練されたレトリックを駆使し、ファッショナブルな文体で現代社会を表現してみる。
技巧の限りを尽くした文章は、しかし完全に読者から無視された。
どこからも声が聞こえてこない。
以前はたまにあった知り合いからの近況報告の書き込みすら、完全に途絶えていた。
猿は相変らずキーボードを叩き続けていたが、何のためにそんなことをしているのか分からなくなっていた。
ディスプレイに浮かぶ文章を読んで、自分でも何を言いたいのか分からなくなる。
ディスプレイに浮かぶ文章が、いつかどこかで書いた文章の焼き直しのように思われる。
なにより、読んで面白くない。自分には才能がないのだろうかと、猿は頭を抱えた。
試しにその気持ちを素直に表現してみる。
すると、久しぶりに声が届き始めた。
「お気持ちはよく分かります。作者の苦悩って読者に伝わり辛いんですよね」
「ありふれた作品ばかりが評価されて、本当にすごい作品が埋もれている現状は、何とかすべきだと思う」
それは猿の苦しみをいちいち代弁する声だった。
猿はさらに思うところを表現していった。
時には表現が激しすぎることもあったが、そのほうが読者の反応が良い。そのため、さらに猿の表現は過激になる。
「言い過ぎではないでしょうか。作者の一方的な意見ではなく、読者の立場も考えたほうがよいように思います」
そんな風に猿を諌める声もあったが、いまさら止められない。むしろ加速する。
そしてとうとう、その声が届いた。
「いい気になってるんじゃないよ。面白くないから読まれないんだろ。そんなのお前に才能がないからに決まっているじゃないか。見苦しいから、チラシの裏にでも書いてろ」
猿は心の折れる音を聞いた。
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