傷跡



私はベットに倒れこんだ。

帰り道の風景は覚えていない。

布団と壁の隙間を見ているようで見ずにボーッとしていた。

さっきの出来事がフラッシュバックされていく。



…恋なんてしなければ良かった。

しなければこんな気持ちにはならなかったから。


…大人しく綴と帰っていれば良かった。

そしたらいつも通り幸せに笑えていたから。


いきなり大切にしていた”色”をごちゃごちゃに混ぜられた。しかも自分が信じていた人の手によって–––。



「リストバンドの手を振り解けば良かった」とも後悔していた。

客観的に見れば、松田の本性がわかって良かった所だろう。


だけど結局

「見せなければこんなことに…。」

という思いが大半を締める。

どんなに松田を悪く思おうとも、

「でも見せなければ」–––。


今 私は、自分を責めているのだ。

松田を責めれば楽なのに。

こんな時まで松田を責めることが出来ない。

そんな自分にも悔しさが隠せなかった。



同時に、「松田のことが誤解であれば…。」と願い、「誤解かもしれない」と思う自分もいた。



………今までのことが、傷一つで消えるわけないじゃないか。

あんなに楽しくデートした。色んな場所に行った。

「可愛い」と いつも褒めてくれた。


直接本人から何か言われた訳じゃないじゃない。

もしかしたら、ちょっと驚いただけなのかもしれない。


–––「好き」というのは、時に恐ろしいのである。



確かめるための理由は出来た。

私は確かめようと思った。

確かめなければ前に進めない。

すがる思いで携帯を手に取り、連絡先から”松田くん”にメッセージを送る。


(今日のことなんだけど…。)

(何?)

(私もね、好きなんだ。

ほらそれで今日大事な話があるって…。)

(あーごめん。好きな人できた。)


は………? ”好きな人”?


「好きなんだ。俺たちが初めて話した授業があるのが明日なんだ。だから明日、デュオが終わったら一緒に帰ろう。大事な話をするね。」と私に言っていたのに?


今日、キスをしたのに?



(それってやっぱりもしかして傷を見たから?)


とっさに返信ボタンを押し、躊躇わずメッセージを送信した。

ここまで来たなら、どうせならハッキリ言って欲しい。

情けがあるなら最後まで悟らせないで欲しい。


だって、まさか。


そのまさか。

松田は予想以上にクソだった。



(あの時の態度で分かるだろ?汚い傷跡のピアノやってるやつとは付き合えない!言わせないでよ。)


私は携帯を持っていた、右手をパタンと横に倒した。少しずつ涙が溢れてくる。


–––なんだったのだろう。なんだったのだろう。今までは。


私はそのまま泣き続けた。

おかしくなるんじゃないかというくらい、泣き続けた。




***



朝起きて鏡を見ると顔が青ざめていた。

気力を失ったような自分の姿に、笑いたくても笑えない。


心が空っぽなのだ。

ほとんど寝ていない。

「寝たら忘れる」という言葉。

危険にさらされてる時に、即座に寝れるのが凄いと思う。

そして起きたら忘れる、忘れなくても和らぐだなんて……。


目の前にライオンがいて、怖くて寝て朝起きたら忘れるんだろうか。

忘れてるのではなく、食べられてしまったかもしれないのに。


私は味のないコンビニのおにぎりを食べて、支度を済ませる。


そして左腕。この傷跡からは逃れられないのだ。

私は細い目で虚ろに傷を見つめ、リストバンドをした。



***




私は毎朝綴と登校している。

待ち合わせ場所は、パン屋の近く。

…早く綴の顔を見て安心したい。

私は駆け足で待ち合わせ場所に向かった。


今日も、私の方が先に着いた。

大体は私が先だ。

待ってる時、やっぱり昨日の出来事がフラッシュバックされる。

涙が出そうになって下を向いた。


私はこれからどうすればいいのだろう…。




「あれ、今日元気ないね。どうしたの?」


顔を上げるともう綴がいた。

もう気付いているというのに、まだ綴は私を鞄でツンツンしている。


綴は私をよくいつも何か近くにあるものでツンツンとしてくる。

その度に私は「やーめーてー」と笑って返す。


だけど今日は、そんな笑顔も返しもできるわけがない。

昨日の惨めなことも言えない。


……キスまでしてしまったし。

『キスくらい』と思うかもしれない。

しかし昨日は、私のファーストキスだったのだ。

だから『キスくらい』ではない。

松田もそれを知っていた。

最悪のファーストキスだ。



本当は綴に聞いて欲しい。

だけど綴を困らせたくない。

……それに傷のことも知られたくない。

一緒にデュオするたび、カーディガンを着てる真意を知られたくない。

綴なら「気にしないのに。」と言ったくれるだろうけど、

綴だって綺麗な腕のほうがいいはずだ。絶対そうだ。

綴にがっかりされたくない。



「な、何でもないよ。」


私の不自然な答えに、バレバレ…。と言いたそうな綴だったが、


「何かあったんならいつでも聞くからね。」

と知らないふりをしてくれた。


ごめんね、綴……。

私は綴の横顔を見て心の中で謝った。

この日は、綴の優しさを無視してしまった気がする。



***


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