サリーとミラのグリーンハウス

おイモ

サリーとミラのグリーンハウス

 僕はコチョウラン。

 生まれた時からずっとこのミスター・フォードの温室にいる。どれくらい生きているのか自分でもよく分からない。ミスター・フォードがこの屋敷を建ててから間もなくミセス・フォードが種である僕を買ってきたらしい。(使用人のミラはそう言っていた)ミセス・フォードは植物に関する知識を全くと言っていいほどに持ち合わせておらず、買ってきた種のラインナップのほとんどが温室の必要なものばかりで、ミスター・フォードは仕方なく屋敷の広い庭園の一部を温室に作り変えた。今でもこうして僕が枯れずにいるということは彼がこの温室を気に入っているという証拠でもあるだろう。いつも難しい顔ばかりしているから実のことは分からない。そもそも彼はあまりこの温室にやってこない。最後に見たのはいつだろうか。

 サリーが生まれたのは、この温室がうまく動き始めて僕が植えられてそして花開いた頃だった。僕が顔を出し、サリーがミセス・フォードのお腹から顔を出して数時間後、ミセス・フォードは亡くなった。ミラはそのことについて「あの方は種となって生まれ変われるのです。きっとあなたみたいな綺麗な花を咲かせるのでしょうね」とよく言った。ミセス・フォードはまだこの温室にやって来ない。

 どれくらい生きているのか僕自身よく分からないと述べたけれど、考えたらサリーと僕は同い年じゃないか。だからサリーが十七歳で僕も十七歳ということになる。そしてミラは十七年間サリーと僕を育てたわけだ。

 サリーは小さな頃はミラにべったりだった。毎日のようにミラと温室にやってきては僕の鉢に水をやろうとして、ミラにいつも止められていた。ミラがいなかったら僕もミセス・フォードと同じようにまた種に戻るところだったかもしれない。サリーはミセス・フォードによく似て素敵な女の子に育った。華奢でいて十分生命力に溢れている元気な女の子だ。ミラの歳はミセス・フォードとほとんど違わない。そしてミセス・フォードに負けないくらい美しい女だった。とどまることを知らぬ清潔なオーラが彼女を包み込んでいて、淑女となった今でもそれは変わらない。ミスター・フォードが、ミセスが亡くなってから使用人として彼女を雇った。なぜ彼女がこのフォード家の使用人をしているのか僕にはよく分からない。それは彼女が僕に話さないからだ。ミスター・フォードは家庭的な人間とは程遠いらしい。僕は彼の素性をあまり知らない。この温室にやってこなければ彼が屋敷にいないということにはならないと思うけれど、多分彼は屋敷を空けることが多いのだろう。この屋敷はほとんどサリーとミラの二人だった。

 ミラは温室の世話の時間を自身の休憩時間としている。広い屋敷なのにわざわざこんなところで気を休めるなんて僕にはよく分からなかった。ガラスには常に無数の水滴が付いているくらいだから相当蒸しているはずだし、不気味な肉厚の葉を持つ僕の友達はなかなかの臭いを放つらしい。それでも彼女は柳のテーブル&チェアとティーセットでやってくる。彼女は相当ここが気に入っているようだった。彼女は僕らの世話をしながら、熱い紅茶を飲みながらいろんな話をした。昔はサリーもそこにいたが、学校というものに通うようになってからというものミラは一人でここを過ごすことが多くなった。彼女は独り言というより僕ら植物(もちろん他の生物もわんさかといる。でも彼らには彼らの仕事、責務を果たしている上でここにいるのだから僕の仲間である。時としてここを脅かす奴らがやってくるが、だいたいミラがやっつけてくれる。ミラ、いつもありがとう)に向かって語りかけているようだった。僕らはクチナシじゃないから何も返せない(もちろんクチナシにも口は無いわけだから、クチナシもしゃべることはできない。こうやってミラはいろんなジョークを教えてくれる)けれど、それでも彼女はただ僕らに語りかけていたんだ。僕の知っている世界はミラから仕入れた知識がほとんどである。サリーもミラの真似をして、僕らにいろんな話をしてくれるけれど、学校の話はコチョウランの僕にはいささか難しくてよく分からなかった。多分他のみんなも分かっていないと思う。とにかくミラやサリーが話さない事実は僕らの知ることのないものとなる。他の誰かがここにやって来ない限りは。

 この温室はここ十七年くらいあんまり変化していない。誰か仲間が他所の世界へ引っ越し(ミラはそう言っていたがイマイチ引っ越しがどういうものなのかよく分からない)して、空いたスペースに新しい仲間がやって来たり、本当に稀だけれど死んでしまうものもいたりするが、おおむねこんな具合に温室は十七年くらい続いていた。そして僕も病気一つすることなく生きている。

 だけど今年に入り始めて何かが変わり始めた。主にサリーとミラについて。

 もともとサリーは十六歳くらいからミラのことを避けるようになっていた。ミラがそう僕らに話した。サリーは決して僕らに対して興味を失ったわけじゃない。ミラがいないのを確認してから僕らに会いに来た。そしてミラの使ったティーセットをわざわざ持ち出してきては、ただ熱い紅茶を飲んでいた。彼女の顔には漠然とした煩いのようなものがあり、僕らはそんな病的な彼女を見守る他なかった。ミラもサリーも何も言わないんじゃ僕らは何も分からない。そんな春が過ぎた。

 夏になってもサリーの病的な様子は変わらなかった。むしろ顔色が忙しく変化しており、顔色だけで何かを想像するしかない僕らはますます彼女のことがよくわからなくなっていた。ミラの様子も次第におかしくなっていった。僕らに語りかける内容は僕らにとって理解し難いものとなっていった。僕らは何もできなかった。もどかしさと情けなさで、僕はミセス・フォードみたいに種になりたくなった。理由はよくわからないけれど、とにかく僕は生きているのが辛くなったんだ。生きているのが辛いから種になりたいなんておかしな話があっていいものか。僕は無駄に考えすぎたのだろう。ごめんね、ミセス。こんな僕を許しておくれ。どうやら僕は彼女らの憂いに満ちた空気を吸いすぎたのだ。

 秋がやってくると二人から陰鬱な香りが消えて、前みたいに二人分の紅茶の香りが蘇った。ニコニコと温室に顔を出し、僕らにいろんな話をしてくれるようになった。もう問題は解決しているようだった。すべてが元通りになるはずなのに、何かが違っていた。二人の距離は縮まっていた。物理的な距離だとそれは昔と変わらない。だけどそこにはただならぬ空気があった。僕はどう説明していいのかわからないんだ。ミラは教えてくれなかったから。

 冬になるとサリーとミラの距離はもっと縮まっていた。それはもうほとんど零距離で、もう前とはかなり違っていた。二人は小さな声で囁き合うから、僕らはその会話の内容を全然聞き取ることができないでいた。日が落ちてしばらくすると、二人は寄り添いながら屋敷へ戻っていった。僕はその後ろ姿を眺めていた。憂いに満ちた空気はもうとっくに消え去っていた。それでいて僕は未だに何故か悲しかった。昔みたいにあの二人に相手にされなくなったからではないと思う。確かに少しそれは寂しいことではあるが、僕だって大人にならなくちゃいけないから我慢するよ。でもね僕の寂しさ、悲しさはそんなことからじゃないんだ。うまく言葉にできないよ、ミラ。学校で教えてもらったのかい、サリー。

 僕とサリーが十八歳になり、ミセス・フォードが種になって十八年経ち、ある日の朝、僕の隣に新しい鉢がやってきた。綺麗な白いユリの花だった。僕はずっと待っていたよ。ミセス。

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