1999年9月1日 『決意』
昨夜8時過ぎに、
花音君より連絡が入った。
明日、つまり今日の午後1時に
いつもの病院入り口に集合とのことだった。
いつものように早めに家を出て
待ち合わせ場所に着いたが、
やはり、二人は既に来ていた。
「こんにちは
花音君に恵梨守さん」
「こんにちは」
「こんにちは」
「お待たせしましたかな」
「いいえ、ボクらも今来たとこです」
「そうでしたか。
では早速、参りましょうか」
「えぇ」
「はい」
二人とも笑顔だったが
若干、緊張しているようだった。
無理もない。
彼らにとって、
一大決心には違いないのだから。
「きっと総てが上手くいきますよ」
「そう・・・ですよね
ありがとうございます」
「はいっ」
見え見えの慰めだったが、二人とも素直に
受け取ってくれていたようだった。
詩音君の病室に向かう途中で
ゆりあさんも合流した。
病室に着くまでの少しの間、
皆で軽く談笑しながら歩いていたが、
いざ病室前に着くと、
皆それぞれに表情が軽く引き締まった。
しかし、それは、
緊張からくるものと言うより、
決意からのものだろう。
ほんの一種の間の後、花音君がノックした。
「どうぞ~」
中からは、シオン君の声が聞こえた。
「おじゃましま~す」
「やあ、よく来たねっみんなっ
その辺の椅子に適当に座ってくれるかい」
気づくと、ゆりあさんと恵梨守さんは
誰に言われるでもなくお茶の準備をしていた。
私と花音君はベッドの左手側に椅子を並べ、
右手側にはゆりあさんと恵梨守さん用に
椅子を並べた。
5分程で、お茶独特の爽やかな香りが
部屋にすっと立ち込め、
その香りに私は勿論、
一同リラックス出来たようだった。
世間話で盛り上がる中、
不意に本題に触れたのは花音君だった。
「正直、こないだ
いきなり双子の兄がいると言われて
普通に頭の中が混乱したよ。
受け入れる、受け入れない以前に
青天の霹靂は初体験だった。
言葉も出ないとは正にあのことだね。
どんな顔して、どう接したらいいのか
ボク自身、未だに分からないけど
恵梨守とも話をして
ゆっくり自分ららしく向き合おうって
そう決めたんだ。
なっ恵梨守」
「うん・・・」
「そう・・・」
「そっか・・・
それじゃ、改めてよろしく」
「よろしく」
「よろしく・・・お願いします」
まずは第一歩を無事踏み出せたようだ。
記憶云々は別にして、
もともと家族だった彼らが、
どのようにして再び家族としての
絆を取り戻していくのか、非常に興味深い。
複雑な環境や事情を抱え、向き合いながら
家族として構築されてゆく様を
流れゆく時間とともに見守ることにしよう。
「いざ、話そうとしても
なかなか気の利いた言葉が
見つからないもんだね」
詩音君が照れ笑いしながら場を和ませた。
「考えなくていいのよ。
思ったこと、感じたことを
自分のやり方で、自分の言葉で
相手に伝えればいいの。
間違えたら訂正すればいい。
好かれようと思う気持ちが大き過ぎると
時に自分を覆い隠してしまうけれど、
あなた達は紛れもない兄妹、
飾らない自分で向き合えばいいのよ」
ゆりあさんの言葉は、
私の胸にもスッと溶け込んだ。
簡単なようでかなり難しいことだが
他人ではない分、コツさえ掴めば
お互いを認識できていたあの頃に戻れるのも
そう遠い未来ではないだろう。
そう考えていた矢先、
それを見透かしたかのように
詩音君がそっと口を開いた。
「ボクを詩音として認識していた
10年前までのキミらと
ボクの存在すら知らないで過ごした
その後の10年間のキミら、
そして、
強制的とは言え
ボクが詩音という兄だと
突きつけられた今のキミら・・・
どれもこれも変えられない現実。
ただ、言えるのは
未来があるのは今のボクらだということ。
今この瞬間も、
ボクらは自分の未来を切り拓いている。
それは当たり前のことだけど
素晴らしいことだとは思わないかい」
誰に言うでもなく発せられたその言の葉は
草原に舞う風のように心地よく
その場にいた皆の背中をそっと押した。
そんな気がした。
「そう・・・だよね」
そう口にしたのは、
意外にも恵梨守さんだった。
肝要な場面で度胸が据わるのは
女性特有の気質なのだろうか。
この一言のお陰で
その場の空気がまた軽くなった。
「未来を切り拓くか・・・
10年前までのことは覚えていないけど、
ボクの場合、10歳でそういうこと
考えてたとも思えないし。
考えてみれば、その後、今に至るまで
未来を切り拓くなんて
真剣に考えたこと無かったなぁ」
「・・・」
誰も相槌を打たないとこを見ると
その言葉に自分を顧みているのか、
それとも
皆はそれぞれ考えたことがあるのか。
何れにせよ、改めて自分と向き合う
いい機会にはなったようだ。
「ただ毎日を漠然とまではいかないまでも
明確な目標も無いまま、
淡々と過ごしてたのは事実だし。
毎日の繰り返しに疑問を抱きながらも
変えようともしなかったし。
勿論、
それで良いとは思っていなかったけど、
いつか・・・なんて先延ばしにしてた。
ある日、突然、何かが
ボクの人生を変えてくれるんじゃないか
なんて他力本願な空想をしたりしてね。
そんな現実逃避していても、
何も変わりはしないのにね。
自分から動かなきゃ
何も変わりはしない。
ただ、ボクにも、ちょっとだけ
他人と違うとこがあった。
それは一種の病気とされているけど
ボクにはそれが普通だった。
他の皆と同じように兄妹がいる。
それが、他と違うのは、
その兄妹の何人かが
ボクの中にいるということ。
ボクは、そう理解することにしていた。
いつの間にか増えた
ボクじゃないボクらという兄妹の存在。
なかなか、意思疎通は難しいけど
確かに存在するボク以外のボク。
これがきっかけで
ボクは山田さんや詩音、そして
もう一人のシオンと出逢うことができた。
恵梨守ともこうして逢える機会が増えた。
ここまで、
ボクがボクであり続けられたのは、
間違いなく母さんのお陰だよ。
ありがとう、母さん」
「花音・・・」
「おにいちゃん・・・」
「そして、めでたくというべきか、
こんなボクにも目標が見いだせた。
これは紛れもなく山田さんのお陰です。
赤の他人のボクらのことを信じ、
真正面から向き合い、
我儘にここまで付き合ってくださった。
ありがとうございます、山田さん」
「花音君・・・」
思わず、私も言葉に詰まってしまった。
「お母さん・・・
私、帰ってきてもいいかな?」
「恵梨守?あなた・・・」
「勿論だよ恵梨守。
お前の部屋は、
お前がいつ帰ってきてもいいように
母さんがよく掃除しるから」
「お母さん・・・
今までごめんね。
心配かけて・・・ごねんね」
「恵梨守・・・花音、そして詩音も・・・
謝るのは私の方よ。
あなた達の心に
大きな傷を背負わせてしまった・・・
私は・・・」
「母さん、言っただろ。
ボクらは自分を不幸だなんて
微塵も思ってやしないよ」
「そうだよお母さん」
「母さん・・・」
詩音君だけは他の二人とは
少々違う想いを感じていたようだった。
「良かったですね、ゆりあさん。
あなたのお子さんたちは
立派な大人に成長していらっしゃる」
「えぇ・・・
こんなにまっすぐに育ってくれて・・・」
ゆりあさんの頬を伝う涙は
きっと安堵の涙だったのだろう。
今までの様々な想いが通じていたのだと
分かったのだから。
その後、シオン君の件を皆で話し合った。
シオン君は、詩音君が花音君に託したこと。
途中から、彼が目的を持ち自立したこと。
そしてその目的を成就した為なのか
消滅したらしいこと。
さらに、それを知る人格
『セツラ』という青年の存在のこと。
そのセツラという青年にシオン君の
目的と最後の瞬間を聞こうとしてること。
ただ、問題となったのは、
そのセツラという青年と
どうコンタクトを取るかということだ。
取り敢えず、
花音君が色々試してみるとのことで
今日の話を終えようとしたとき、
詩音君がゆりあさんに向かって口を開いた。
「最終的には、
行方不明の父さんと、おじいさん、
二人のことも調べなくちゃだね」
「詩音・・・
そうね。
ありがとう・・・」
「そうだね。
絶対に見つけ出そう」
「・・・」
恵梨守さんは黙って頷いていた。
皆がそれぞれに目的を共有できた
記念すべき日になるであろう。
家族の再出発に相応しい日に。
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