1999年8月20日 『家族』

 人の記憶とは意外と曖昧なもので、

時が経つにつれ、自身に都合よく

書き換えられることもある。

忘れたいことは忘れられず、

覚えなければならないことは覚えられず、

何とも、儘ならない不完全な機能だ。

それを昨夜は一人で痛感した。


 今日も少しだけ早めのランチをとり、

約束の時間に備えた。

普段通り、到達予想時間10分前に着くよう

家を出ると、幾つかの誘惑を振り切り、

病院へと辿り着いた。


「おやおやっ

 お早いですな」


「貴方こそ・・・

 ようこそおいでくださいました。

あっ・・・この子が恵梨守です」


「えぇ

 存じ上げておりますよ。

覚えておいでですか恵梨守さん」


「はい

 その節は・・・」


そう言うと、軽く俯いた。


「後は花音が来るのを待つだけ・・・」

「お待たせっ」


集合時間3分前に全員集合した。


「お久しぶりですっ・・・

 って程でもないですねっ」


「そうですな」


「みんな揃ったところで

 本題にはいりましょうか」


「えぇ」


「本題?」


花音君は好奇心交じりの眼差しで

優里阿さんを見据えた。

恵梨守さんは言葉こそ発しなかったが、

表情が一瞬曇ったように感じた。


「えぇ

 今日は、貴方達に逢わせたい人が居るの」


「もしかして、再婚相手とか?」


嫌悪のない表情で花音君が

優里阿さんを見た。


「え~っうそぉ~」


「ふふっ

 残念ながら違うわ」


そう言うと、全員を病院内へと促した。


「なぁ~んだっ」


「ボクらの知ってる人?」


「そうよ」


「だれだれっ」


「それは逢ってのお楽しみよ」


そう言ってはいるが、内心不安だろう。


「その人、ここに入院してるの?」


「えぇそうよ」


「病気?」


「えぇ」


「面会、大丈夫なんだ?」


「えぇ

 大分、良くなったから・・・」


「男の人?」


「そうよ」


恵梨守さんのさっきまでの弾んだ声が

少しトーンダウンした。

無理も無い。彼女はまだ、男性恐怖症を

克服できていないのだから・・・


「でも楽しみっ

 ボクらの知ってる人で

母さんがどうしても逢わせたい人って

誰だろう・・・」


「部屋はこの角を左に曲がって

 一番奥の突き当たりの部屋がそうよ」


廊下の角を曲がる1歩手前で

優里阿さんの表情が引き締まった。


「さぁ着いたっ

 あれっ

 名前が書いてないね・・・」


ここに着くまで、話を振られなくて

私はホッとしていた。

振られていたら確実に

挙動がおかしくなっていただろう。


「花音、恵梨守

 いらっしゃい」


そう言って、優里阿さんが

ノックをした後、ゆっくりと扉を開いた。

中から、入室を促す詩音の声が聞こえたが、

花音君も恵梨守さんも、

声に聞き覚えは無さそうで無反応だった。


「さぁ二人とも、こちらへ」


優里阿さんの声に導かれ、

遂に対面した3人の兄妹。

詩音君はかなり穏やかな表情で二人を迎え、

花音君は、興味深げに

まじまじと詩音君を見つめていた。

恵梨守さんは、何かを感じたようで

表情が少しだけ強張っていた。


「さぁ、皆ここに座ってちょうだい」


優里阿さんは、私ら3人に

予め用意していたパイプ椅子に

座るよう促した。

暗黙のまま座る二人。

少しだけ空気が張り詰めた。


「久しぶりだね。

 花音、恵梨守。

元気そうで良かった。

やっと逢えたね。

覚えて・・・はいないか・・・」


その言葉に、花音君も恵梨守さんも

戸惑っているのが目に見えて分かった。


「花音、恵梨守、彼は詩音。

 貴方達のお兄さんよ」


「兄貴・・・」

「お兄ちゃん・・・」


「えぇ

 花音、貴方と詩音は双子。

 貴方達は一卵性双生児の兄弟よ。

だから恵梨守、貴方には

二人のお兄さんが居るの。

二人とも、今まで黙っていて

ごめんなさいね。

私なりにタイミングを見ていたの。

詩音は、ずっと昏睡状態で

最近、目覚めたばかり。

10年振りに、しかも奇跡的に・・・」


花音君と恵梨守さんは

ただただ、詩音君を見つめ

優里阿さんの言葉に耳を傾けていた。


「10年・・・

 あの惨劇から、もう10年が経つ・・・

貴方達が知りたがっていた、

10年前の出来事を話すときが

ようやく訪れたわ」


「・・・」


詩音君は察してか黙している。

花音君と恵梨守さんは

いよいよな時に固唾を飲んでいるのか

ただまだ受け止められずに居るのか

私には見分けが付かなかった。


「10年前・・・

 貴方達二人が記憶を閉ざしたのは

貴方達も覚えている

あの火事が原因なの。

貴方達のお父さんは、精神疾患で

私の病院に入院していた。

晩年は入退院を繰り返していたわ。

あの晩も、お父さんは入院中で

私は勤務を終え貴方達3人と

自宅で何気ない日常を送っていた。

貴方達を寝かしつけて仕事を済ませ

私も寝ようとした時、

病院から電話が鳴ったの。

瞬時に胸騒ぎを覚え電話を取ると

お父さんが病室にも院内にも

見当たらないという内容だった。

この電話で目を覚ました詩音に

事情を説明して

なるべく早く帰ると告げ、

貴方達二人のことを任せて

病院へと車を走らせたの。

 病室に入り、一通り確認すると、

 ベッド横の机の引出しが

 少し空いてるのに気付いて、

 何気なく開いてみたら

 お父さんの手帳がそこにあった。

 手に取って自然と開いた頁に目をやると、

 7月のカレンダーの頁、

 そこのまさにその日の日付の欄に

 『詩音覚醒』と

 走り書きがあるのをみて、

 一瞬で心配と不安が芽生えたの。

 酷い胸騒ぎがして、

 自宅に電話を入れたのだけど、

 コール音が延々と続くだけだった。

 急いで自宅へと車を走らせたの。

 自宅に近づくにつれ、不安に比例して

 蒼闇の空が深紅へと染まっていった。

 私は貴方達3人の無事を祈りながら

 やっと自宅が見えた瞬間、

 悪夢の光景が目に飛び込んで来たの。

 すでに慌ただしい消火作業が始まっていて、

 燃え盛る家を前に

 呆然と立ち尽くす花音、貴方と

 泣き崩れる恵梨守、貴方の姿が見えた。

 私は直ぐに詩音の姿が無いことに気付いて、

炎を纏った家に飛び込もうとしたんだけど

 消防士の方に制止されてしまったの。

 振り解こうとしたけど、

 振り解くことが出来ずにいると、

 燃え盛る玄関から

 人影が飛び出して来たの。

 その人影は、

 腕の中に気を失った詩音を大切に抱えて、

 着いたばかりの救急隊員達に

 雪崩れ込んだ。

 一瞬の出来事だったのと

 詩音に気を取られていたせいで

 その方の顔を良く見れなかったの。

 私は無我夢中で詩音に走り寄り

 詩音の名前を呼んだんだけど

 反応がないまま救急車両へと運ばれ

 私も貴方達2人を連れ同乗した。

 ほっとした時、

 あの方のことを思い出して、

 確認したら、別の病院に向かってて

 命に別状はないとのことだったから、

 取り敢えずその方のことは

 そちらの病院にお任せして

 貴方達の事に専念した。

 私達は私の病院へ受け入れ要請をして

 向かってたんだけど、

その時もまだ詩音は意識が無かったの。

 外傷は軽い火傷が何箇所かあっただけで

 見た目には他は何ともなくて

 バイタルも安定していたから

 できる限りの応急措置は施した。

 花音、貴方も外傷はなかったんだけど

 疲れたのか私の膝の上で眠り込んで、

 恵梨守、貴方は恐怖のせいか、

 震えていたから左に抱き締めたまま

 病院へと到着した。

 自宅から病院までの15分が

 どんなにも長く感じたことか・・・

 着くなり、詩音だけ救命救急扱いで

 処置室へと運ばれたんだけど、

 やはり軽い火傷だけだった。

 他、外傷も無く、他の検査の結果、

 内臓にも損傷は無かったのにも関わらず、

 意識が戻らなかった。

そしてそのまま10年もの月日を費やし、

やっとこの間、奇跡的に目を覚ましたの。

 原因は未だに分からない。

これから色々調べては行くけど・・・

 その火事の翌日、

 さらに追い討ちをかける出来事が

 待ち受けていた。 

 花音、恵梨守、貴方達が目覚めた時に、

 二人とも火事は憶えていたんだけど、

 その前日から遡る丁度一年間だけの

 記憶を無くしていたの。

 もっと驚いたのは

 二人とも一年間の記憶に加え、

 詩音の記憶だけが一切無かったの。

 恵梨守、貴方に至っては、

 あれ以来、男性に異常な拒否反応を

 示すようになった。

 兄である花音ですら

 畏怖の対象になるほど・・・

 花音に至っては、お父さんと同じで

 『多重人格』の症状が悪化してて

 『カムイ』とは別に新たな人格が

 生まれたようだった・・・

 念のため3人とも

 私の病院に私が主治医として

 それぞれ別々の病室に入院させた。

 貴方達二人には6ヶ月かけて

 メンタルケアと投薬をして、

 ようやく落ち着いたんだけど

 二人に2つの記憶が戻る兆しは無かった。

 取り敢えず花音、貴方は

 私が連れて帰ることにして、

 恵梨守、貴方は

 男性恐怖症も克服出来ていなかったから、

よく懐いていた、

 私の双子の姉の真莉阿に託したの。

 入院している間に

 何度かあの夜の事を

 聞き出そうと試みたけど、

 貴方達二人とも異常な程に怯えたから、

 今の今まで聞けず終い。

 だから貴方達二人には、

 そのまま兄『詩音』の存在も

 伏せたままにすることにしたの。

これは私の独断・・・

正しかったのか、そうでなかったのか、

今も分からないわ。

 ただ、覚えているか分からないけど

お互いがどういう心の病気を

抱えているのかはちゃんと説明した。

あの頃の貴方達には難しいのを承知で。

 そして、お父さんは結局

あの夜以来、今も行方不明。

 あの恩人の方もあの日治療を終え、

 翌日退院したまま行方がわからないの。

 すぐに捜索願を出したんだけど、

 二人とも未だに見つからないわ。

 あの日、何が・・・

 不可解な点がいくつかあるの。

 お父さんの手帳にあった詩音覚醒・・・

 私には未だにこの意味が分からない。

 私が家を空けた30分程の間に起きた火事。

結局、放火ということだったけど

 犯人は未だに捕まっていないわ。

 そして、

 あんな時間に詩音を助け出し、

 行方を眩ましたあの方、

 病院を抜け出し失踪したお父さん、

 昏睡状態に陥った詩音、

 貴方達二人から失われた詩音の記憶、

 これは全て繋がりがあるはず・・・

 これだけいろいろあると、

 『何か』があるとしか思えなくて。

 『あの日』私達に起きた『真実』・・・

 私はあの日からずっと探してる。

気の遠くなるような月日も

貴方達が居てくれたから

私はここまで来れた。

 そして10年目の今、詩音が目覚めた。

これは偶然ではなく必然。

 やっと『何か』が動き出した。

 探していた答えがきっと見つかる・・・

 そう今確信しているの。

こんな話を急にして

お兄さんが居るとか

過去の火事やお父さんのこととか

すぐに受け入れられるとは思っていないわ。

ただ、これは事実。

その事実を知って欲しかったの。

私達に起きたこと、

未だに起きていること・・・

私達はまだ渦中、

今から何かが起きる。

貴方達には心構えする必要があるの。

理解できないまでも知る必要が」


「そん・・・な・・・

 急に・・・そんなこと言われても・・・」


「恵梨守・・・」


優里阿さんの言葉に反応したのは

恵梨守さんだった。

花音君は恵梨守さんを気遣うので

精一杯な様子だった。


「いつか・・・

 いつか思い出してくれると

嬉しい・・・

気長に待つよ。

お互いに焦らないようにしよう」


詩音君は優しく呟いた。


「ごめん・・・ちょっと疲れちゃった」


恵梨守さんのか細い声が

静まり返った病室に波紋を落とした。


「そうね、今後のことは

 また改めてお話しましょう。

今日はありがとう

恵梨守、花音・・・

花音、恵梨守を送ってもらえるかしら」


「勿論、送っていくよ」


「大丈夫だよお兄ちゃん・・・」


「今日は送らせてくれ

 なっ」


「わかった・・・ありがと」


「私も今日はお暇しましょうかね。

 私もちょっと頭の整理をしてみます」


「あっ

 今日はわざわざ、

ありがとうございました。

タクシーを呼びますね。

貴方達もタクシーでいいかしら?」


「恵梨守どうする?」


「私は歩いて帰りたい・・・」


「じゃ~ボクらは歩いて帰るから

 タクシーは山田さんだけで」


「いやいや

 私も景色をゆっくり眺めながら

歩いて帰りますのでお気遣い無く」


「そう・・・

 じゃ~外まで見送ってくるわね」


「あぁ

 そうして・・・」


「あっ

 母さん、ここでいいよ

傍に居てあげて」

「そうです

 居てあげてください」


「えっ」


「大丈夫だよっ

 3人とも子供じゃないしっ

ねっ山田さんっ」


「えぇ勿論ですっ」


「ありがとう

 じゃ~気をつけて・・・」


「では、また」

「母さん、また後でっ」


「また・・・」


そうして病室を後にした。

恵梨守さんの先程の様子からして

少し心配したが、彼女も立派な大人。

彼女なりに気持ちの整理をし始めている

そんな様子だった。

道中、詩音君の話題に誰も触れなかったが

一同、頭も心も詩音君で

いっぱいだったに違いない。

しかし、彼らと別れる際、

花音君もいつもな様子で

恵梨守さんも初めて会った

あのときの明るさと笑顔が戻っていた。

今日の5人それぞれが

心の整理ができたときに

自然とまた集まるだろう。

そして、また彼らは成長した家族として

再び一緒に暮らす日が来るだろう。

しかも、それはそう遠くない

そんな予感がしていた。

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