1999年8月18日 『覚醒』

 朝、いつも通り目が覚めた。

ただ、昨日は気疲れしたせいか、

はたまた歳のせいか、日記の途中で

睡魔に襲われ寝てしまった。

いつもの日課をこなしたいところだが、

覚えているうちに昨日書けなかった

続きを認めておこう。


 あの話のあと、

詩音君の体調が心配だったこともあり、

話の続きは日を改めることにし、

二人でゆっくりと病院へと戻った。

途中、ユリアさんに電話を入れたが、

あの狼狽ぶりが嘘のように

冷静に受け止めている様子だった。

病院に着くと、案の定、ユリアさんは元より、

関係のあるスタッフ数名が

受け入れ体制を整え待ってくれていた。


「詩音・・・大丈夫?」


「大丈夫だよ、母さん。

 心配掛けてごめん・・・」


言葉こそ少なかったが、

およそ、10年振りとは思えない

ごく自然な親子のやりとりに心が和んだ。

シオン君として覚醒し、

行動していたとはいえ、やはり、

実体での行動は負担は大きかったようで

ベッドに入るなり寝息を立てた。


「今日は、本当にありがとうございました」


「いえいえ、こちらこそ

 連絡が遅くなってしまい

申し訳ございませんでした」


「とんでもございません。

 何となくですが、

貴方が連れ帰ってくれるような

そんな気がしてました」


「それはそれは・・・

 きっと、花音君やシオン君が

引き合わせてくれたのでしょう」


私は、彼との会話の内容を

漏れの無いよう慎重に記憶を辿り

ユリアさんへ報告した。

彼女も、聞き漏らさぬよう

口を挟むことなく静かに聞いていた。


「やはり、詩音がシオンという青年・・・」


「えぇ

 それは確かなようです。

3人の兄妹それぞれに3人の守り神、

こう言えば、聞こえはいいですが

本人達の心の内は

どうなんでしょうね・・・

守られたくて生み出されたのか、

守りたくて生まれ出たのか・・・

今はまだ、きっかけも目的も

何一つ分かりません」


「そうですね・・・

 この子が目覚めるのを

待つしかないようですね・・・」


普通に寝返りを打てるようになった

詩音君の髪をそっと撫でながら

幸せそうに微笑むユリアさんが

とても印象的だった。


「そう言えば、

 今日、花音君は?」


「今夜も仕事のはずですから

 今頃起きて食事をとっているか

シャワーを浴びてる頃だと思います」


「そうですか」


「花音と恵梨守・・・

 あの子達にも全てを打ち明ける日が

刻一刻と迫っている気がします」


「二人とも、きっと分かってくれます。

 あなたのお子さんだ、きっと大丈夫。

受け止められますよ」


「えぇ

 私がしっかりしなくてはいけませんね」


「まぁ~そう気負わずに」


「はい・・・」


「では、そろそろ私もお暇致します」


「今日は本当にありがとうございました。

 明日、詩音が目覚めたら

ご連絡致します」


「わかりました。

 お待ちしております。

おぉっとそのままそのまま。

詩音君の傍にいてあげてください」


「ありがとう・・・ございます」


見送ろうとしてくれたユリアさんを

部屋に残し、病院を後にした。

天気の良い昼下がり、日課の散歩がてら

ゆっくりと時間を掛けて家路に着いた。


 と・・・ここまでが昨日の『その後』だ。

今日は、詩音君次第だが、

まずは気にせず、日課をこなそう。

果報は寝て待て・・・の心境で、

心穏やかに過ごすとしよう。


 と、ペンを置くこと1時間あまり・・・

そろそろお昼の準備をと

冷蔵庫を覗いた途端、携帯が鳴った。


「もしもし?」


「もしもし、私です。

 ユリアです」


「これはこれはユリアさん。

 お待ちいたしておりましたよ」


「お昼時に申し訳ございません。

 詩音が目を覚ましました。

 体調も良いようです。

一応、ご報告までに・・・」


「おぉそれは良かった。

 差し出がましいようですが、

お見舞いに伺わせていただいても?」


「こちらは一向に構いませんけど、

 無理はなさらないでくださいね」


「私がお二人の顔を見たいだけです。

 では、お昼をとってから向かいますので

一時過ぎ位はいかがでしょう?」


「分かりました。

 では、詩音の病室で

お待ち申し上げております」


「ありがとう。

 では、後ほど・・・」


「はい・・・」


早速、ランチの準備に取り掛かった。

今日はホットサンドと紅茶。

私の定年後、天気の良い日には

ベランダの木陰に作った二人の特等席で

よくランチをとったものだ。

その時、ばあさんが

よくこさえてくれたものが、

ばあさんお得意のホットサンドだ。

何度か手伝ううちに、

自然と作り方を覚えてしまっていた。

変わらぬ味を懐かしみながら

木陰での独りランチを終えると、

ちょうどよい時間になっており、

準備を済ませ、早速病院へと向かった。

病院へ着くなりまっすぐに

詩音君の病室を目指した。


「どうぞ」


軽めのノックに

ユリアさんの返事が返ってきた。


「お待たせしました」


「こんにちは」

「こんにちは」


詩音君は、上半身を起し、楽な格好で

ユリアさんと話をしていた。


「わざわざお越し頂いて・・・

 どうぞ、こちらに・・・」


そう言って椅子を用意してくれた。


「ありがとう」


改めて、詩音君の顔色を見るに、

調子が良さそうで安心した。


「顔色がいいですね、詩音君」


「えぇお陰さまで」


「ユリアさん、本当に良かったですね」


「はい

 ありがとうございます。

あとは、ゆっくりと時間を掛けて

記憶と体力を取り戻せば

普通の生活が送れるようになると思います」


「そうですね、

 焦らず、ゆっくり・・・

きっと時間と共に回復します」


「えぇ」


「今までたくさん、心配掛けてごめん。

 そして、毎日、毎日・・・

 ありがとう・・・母さん」


「いいのよ。

 貴方が戻ってきてくれた・・・

 今はそれだけで充分よ」


「花音も恵梨守も、元気だけど、

 あの火事から前の記憶も

兄であるボクの存在の記憶も

今の二人には無いんだね」


「えぇ

 あの火事は当時のあなた達には

あまりにも衝撃的な出来事だったのね。

 だから、

代わりを引き受けてくれる人格が

それを封印してるんじゃないかしら。

近いうちに二人に貴方を紹介するわ。

兄として・・・」


「楽しみっ・・・

 だけど、大丈夫かな?

ボクに逢うことで、思い出したくない

過去の記憶が蘇ったりしないだろうか」


「どうかしら・・・

 何とも言えないわね。

でも、もうあの子らも大人。

ずっと黙っておくことは出来ないし、

いずれ言うなら、早い方がいい。

今、このタイミングが良いと思うの。

それに、自分の過去から逃げたら

きっと後悔する・・・私のように・・・」


「ユリアさん・・・」

「母さん・・・」


「とは言っても、

 一両日中にと言うわけにはいかないわね。

まずは詩音、貴方の回復が最優先」


「・・・わかった・・・」


「詩音君、一つ・・・聞いてもいいかね?」


「何でもどうぞっ」


「花音君の中に存在した

 キミの写し身である

シオン君は今・・・」


「彼は・・・旅立ちました」


「では、やはりあの日、

 願いが叶ったのですね?」


「えぇ・・・」


「そうでしたか・・・それは良かった。

 ただ、私はその肝心な部分の

記憶がないんです。

どうやって帰り着いたかすら

覚えていないんですよ」


「そうだったんですか」


「どんな願いを叶え、

 どこへと消えたのか・・・」



「エリシオン・・・」



「エリシオン?」

「エリシオン?」

「エリシオン?」


「えっ?

 みんな聞こえたんだ・・・」


「確かに、そう聞こえましたね・・・」


「私にも聞こえました。

 エリシオン・・・

ギリシア神話に登場する楽園の名。

日本で言う極楽浄土のような場所・・・

彼は・・・シオン君は

そこへと旅立ったのでしょうか・・・」


「なら・・・嬉しいのですが・・・

 ただ、ちゃんとお別れを言いたかった。

あの晩の、彼の顔が

はっきりと思い出せないんです・・・

私は漠然とあの場に居た・・・

その時が近いと知りながら

私は何の覚悟も責任感も持たず

ただ、そこに居ただけでした・・・

私は彼が確かに居たという証しを

私の中にしか刻めなかった」


「そんなことはないです。

 あなたのお陰で、私も詩音も

シオンという青年が

確かに存在したと確信できたのですから」


「ボクも彼にお別れは言えませんでした。

 気付いたら彼が居なかった。

と言うより、目が覚めたら

彼を感じることが出来なかった。

自分で創り上げたはずのシオンを・・・

たぶん彼は、自我に目覚め

自分の役割を担いつつ

自分の存在意義に疑問も持った・・・

その葛藤の中、自分なりに

見出せたのかもしれない。

ボクが創り出したシオンという

人格の一つとしてではなく

一人の人間としての存在理由を・・・

改めて考えてみると、

ボクは、自分勝手で傲慢以外の

何者でもない」


「しかし、彼は・・・シオン君は

少なくとも貴方を恨んでなど

いませんでしたよ。

口にこそ出しませんでしたが

そう確信します。

彼は、短い時間でしたが

充実した人生を過ごしたんだと

私は思います」


「そうね・・・

 そうであって欲しい」


「頭では分かっているつもりなんですけどね

 本当にそうであって欲しいです」


「これで、3人とも3人の守護者を

 保有していることになりましたね」


「えぇ」


「3人とも3人?

 どういうことですか・・・」


「母さん。

 ボクら3兄妹は、それぞれ

3人の守護者、つまり

基本的人格の他に

3人の人格が存在しているんだ。

分かっているだけでもね」


「あなたも・・・恵梨守も・・・

 結局、3人とも

 あの人と同じ解離性同一性障害・・・」


「あぁ

 でも、悲観しなくて大丈夫だよ。

 ボクも花音も受け入れているから。

ただ、恵梨守だけは、

それを知ってるのか分からない。

ボクと花音は知っているけど、それでも

2人までしか認識出来ていなくて、

3人目は名前しか分からないんだ。

もっと言えば4人目以降が居るのか

居ないのかまでは分からない。


あの火事の日、ボクは恵梨守も花音も

護ってあげられなかった。

ボク自身も、どうして助かったのか

それすら分からない・・・

ただ、ボクはどうしても

恵梨守を護らなければならないんだ。

大切な、たった一人の妹だから・・・

というだけじゃなく、

ボクの中の何かがそう思わせるんだ。

ボクはボクの体を離れることができない。

だからボクは、シオンを創り出して

花音を使って様子を見ることにした。

ところが、恵梨守は男性は元より

花音にすら心を開けなくなってると

花音の中に居た数人の人格の中の

セツラという人格に聞かされた。

シオンの存在意義を

見出せなくなったボクに

シオンはこう言ったんだ。

『後は任せろ』って・・・

その日からシオンは一人立ちした。

ボクの意識下にありながら

ボクの中のいち人格としてではなく、

ボクの影響を全く受けることの無い

完全な、孤立した意識体としてね。


これは想像でしかないけど、

その後、

シオンは恐らくセツラという人格と

コンタクトを取りつつ

方法を模索していたんじゃないかな。

それか、良い様に利用されていたか、

何かと契約でも交わしたか・・・

シオンが消えた今となっては

真実は分からないけどね・・・」


「なら、花音君の別人格である

 セツラという人格・・・

彼に逢えれば、もしかしたら

教えてくれるかもしれない・・・」


「そっか・・・

 その手があった・・・

でも、急がないと。

計画が成就されれば

皆、消滅してしまうっ」


「計画?」


「あぁ

 基本的人格に他の人格を

 統合しようと計画しているんだ。

花音の中にいるセツラという青年が。

だけど、そのセツラに指示をしている

人格がいる・・・

誰なのか今はまだわからないけど。


あぁそれと、

今回のセツラの計画には

シオンは含まれていなかったようです。

シオンはボクが花音に送り込んだ

ボクの思念から生まれた人格で

そもそも、他の人格との

存在理由が根本的に違うから。

ただ、誰かは分からないけど

時折、シオンに用事を頼んでいたみたいで

シオンが、ブツブツ言っていました」


途中、気になることがあったが、

私もユリアさんも黙って最後まで聞いた。


「ほぉ~あのクールなシオン君が・・・」


「えぇ」


「人格を統合する計画・・・

 基本的人格を護ろうとする本能はあっても

自分達が消え去るのを承知した上で

そういう行動をとるかしら・・・」


「確かに、不自然と言えば不自然だね」


「やはり、まずはセツラという人格、

 彼に逢うのが先決のようですね」


結局、自分らだけでは

明快な答えが出るはずも無く、

花音君の中のセツラ君へ逢うための

段取りを各々考えるということで

この日は解散した。

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