老爺の心配

今日も今日とて少女は元気に畑仕事をしていた。

最近は色々な思考を振り払う為でも有ったが、今では以前の様に楽しむ様子に戻っている。

それに季節的に色々と育てやすい時期でもあるのだから、何時までも呆けてられないのだ。


もう少ししたらまた寒い季節がやって来るが、今はまだまだそれなりに温かい。

寒くなる前に植えられる物を植え、寒くなってから植える物の準備もしておきたい。

という訳で耕運機が如く動く少女に、屋敷の傍の長椅子からぶなぶなと猫の応援が飛ぶ。


「今日も精が出るねぇ」


そんな張り切る少女の仕事っぷりを、はっはっはと笑いながら猫の隣で眺める老爺。

ただその眼には少し心配そうな光が宿っていて、何かしらを察している事が伺える。


勿論老爺は少女から何も聞いていないし、問い詰めるつもりも無い。

自分の役目はただ若者達の成長を見守り、どうしても困ったときだけ口を出す事。

少なくとも何時ぽっくり往くか解らない自分が、何時までも手助けをしていても仕方ない。


明日死んでも気がかりが無い様な、そんな状態にしておきたいと老爺は思っている。

ただ屋敷の主人である男を揶揄う目的であればその限りでは無いが。


「なんて言ったら、旦那様は不満そうな顔をするでしょうなぁ」


猫を撫でながら老爺はぽつりと呟く。

老爺としてはもう屋敷でやる事なぞ何も無い。そう思っている部分が有る。

自分がこの屋敷で仕事をするのはただの未練で、旦那様が自分を雇うのはただの同情だ。


そう思うからこそ、老爺は時々ふと我に返る。自分は一体をしているのだろうかと。

旦那様の敵を討つ事も出来ず、未だに割り切る事も出来ず、だらだらと働いている。

それは少女の角を見た時から、あの子が屋敷に来た時から余計に考えてしまう事柄だった。


「どうしても・・・思い出してしまうねぇ」


少女が悪い訳では無い。誰が悪いと言えば、一番悪いのは大旦那様なのだと解っている。

可愛い娘を化け物にした主人こそが、誰よりも非難されてしかるべきなのだ。

娘と妻の死に耐えられなかった弱い男が禁忌に手を出した事が、それが一番の間違いだと。


それでも世話になった人を殺した『化け物』に、以前のような優しい目を向けてやれない。

可愛がっていた覚えはある。懐かれていた覚えも有る。だけどそれとは別の話なのだ。

年を経るにつれ薄れつつあったそんな感情が、少女の角を見ている老爺の胸に渦巻いていた。


「・・・きっとこれは、あの子達が心配、なんでしょうな」


恨みは有る。警戒も有る。敵意も有る。お嬢様の見た目をした化け物が、と思った事も有る。

だけどどうしてもあの娘はお嬢様で、老爺に対して生前のまま接してくるのだ。

心の底からは恨めない。どうしても可愛いと思ってしまう。目の前の可愛らしい少女よりも。


「酷い大人は、私も同じ、か」


老爺は気が付いている。少女が来てから女がとても心安らかに生活している事を。

だからこそ少女の今の変化が女に影響を与える事を、男が悲しむ事を恐れていた。

老爺の心配は、少女の先に居る存在への心配。だからこそ、自分の汚さに嫌気も有る。


ぶなーんとひと際高く鳴いた猫に手を振る少女に、老爺は穏やかな笑顔の仮面を張り付けた。

けして自分が心配される側にならない様に。何も思う所は無いと見せる様に。


ただそんな老爺を見た少女は、困ったような顔を老爺に向けていた。

そしてその場でうーんと少し唸った後、パタパタと老爺の前まで走って来る。

老爺がそれを不思議そうに見守っていると、少女は老爺の頭を撫で始めた。


それはとても優しい手で、優しい目。自分の事でいっぱいいっぱいなどとは思えない笑顔。

だがそんな訳は無い。少女は何か悩んでいる事は確かなのだ。

それでも他者を想う心根の優しさを見せられる少女に、一層自分の醜さを理解してしまう老爺。

心配をしているようで、本人だけを心配している訳ではない老爺には、とても。


「元気がなさそうに見えたかい? 大丈夫だよ。ありがとう」


だから老爺はそう答えるしかない。それしか老爺の中に答えは存在しない。

まだ少し心配そうな目を向ける少女に対し、申し訳なく思いながら頭を撫で返す。

撫でられて猫の様に目を細める少女はとても可愛らしい。そう、可愛らしいのだ。

何時かのお嬢様を見ているようで、本当に、とても、可愛らしい。


だからこそ、この愚か者が余計な口出しをし過ぎるべきではないだろう。

自分の気持ちにすら上手く向き合えない老人は、ただ大人しく見守っているだけで良い。

老爺はそう思いながら、目の前の優しい少女に、心の中で謝っていた。

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