解らない気持ち。

「そろそろ涼しくなって来たねぇ」


虎少年は少女を抱えながら、庭でぼんやりと空を眺めつつ小さく呟いた。

少女は虎少年の腕を揉みながら音のズレた鼻歌を歌い、その膝では猫がぶなぶなと鳴いている。

暑い日も終わりつつある昼頃、屋敷での和やかな庭の風景がそこにあった。


というか最近の虎少年は、最早完全に屋敷の住人と化している。

男も女も特に何も言わないし、使用人達も特に疑問を口にする事も無い。

そして少女はと言えば、むしろそこに居るのが当たり前と言わんばかりであった。


「・・・過ごし易いんだけど、不安になるなぁ」


虎少年は屋敷での生活をとても心地良いと感じている。

感じているからこそ、最近少し不安でもあった。

自分は余りにもこの屋敷の人達を身近に感じつつあると。


それだけならばまだ良い。だけどそのせいで枷になっている事を虎少年は自覚している。

今の自分は屋敷の住人達を余りに身近に考え過ぎていると。

一番優先すべき人を優先出来ない判断基準が、虎少年の中に増えてしまっているのだ。


そのせいも有るのか、自分の中に在った何かが段々と鈍っている事も感じていた。

ゆっくりと、確実に、胸の奥の張りつめた物が無くなって行く感覚。


それは普通に考えれば喜ばしい事で、だけど先の事を考えれば危機感を持たなければいけない。

自分は何が起こるか解らない子を助ける為に居るのだから。

虎少年はここ最近、そんな風に悩み続けていた。


「一旦帰った方が良いのかもしれないな」


金を稼ぐ事には執着が無い。むしろ生きて行く為だけならもう働かずとも良い。

だがこうやってのんびりとして頭を働かせない日々を過ごすのは、いざという時の自分を使い物にならなくする行為だ。

そう、感じている。感じているのに、どうしてもここから離れようと思えないのだ。


「あっ、いや、今すぐにって話じゃないからね?」


虎少年の先程の呟きが耳に入っていたのだろう。

少女が少し悲しそうな顔を向けている事に気がつき、虎少年は慌てて言い訳をしてしまった。

それで良いはずが無いと心の中で思いながら、やはり屋敷に残る理由を作ってしまったのだ。


だけど残るという答えにニパーッと笑う少女を見ると、どちらが正解なのか解らなくもなる。

自分は少女の為に来た。ならば少女が喜ぶのならばそれで良いのではと。

そんな風にグルグルと思考がループし、最近は本気で良く解らなくなっていた。


いや、違う。そこで虎少年は自分の思考を否定する。


一番の問題はそこじゃない。少女の笑顔の為だけに居る訳じゃないから問題なのだと。

自分の心に少女以外の人間が住み着き始めている。その事が問題なのだと。


「今日も仲が良いわね。飲み物持って来てあげたわよ」


複眼がお盆を手に飲み物を持って来て、少女と虎少年に手渡して来た。

少女はわーいと喜んで受け取り、ありがとうとペコリを頭を下げる。

そしてニコーッと笑って複眼を顔を見合わせ、虎少年にも顔を向けた。


「あ、ありがとうございます」


虎少年はほんの少し裏返った声で受け取り、少し恥ずかしそうに目を伏せる。

その様子を見て複眼はくすっと笑うが、特に何を言うでもなくその場を去って行った。


「・・・はあ」


本当に、今の自分が、今の自分の気持ちが自分で理解出来ない。

虎少年は去って行く複眼の背中を見ながらそんな風に考え、自分の感情を持て余していた。

心を落ち着けようと飲み物を口に含む虎少年の様子をみて、少女が心配そうに首を傾げている。

その事に気が付くのが遅れる程に、今の虎少年は冷静さを欠いているのだった。








「賭けはあたしの勝ちかな、これは」

「うーん、天使ちゃん一筋だと思ったのに。裏切り者だ」


その様子をこそっと見ていた彼女と羊角。どうやら虎少年の恋路を賭けていたようである。

羊角の発言が若干危ないが、人の心の移り変わりは致し方ない事だろう。

とはいえまだまだ不確定な事柄も多いので、この賭けの決着はまだ先の話である。


「誰が、どうなる、賭けだって?」

「・・・あ、あはは、誰だろうねー。反対方向に向かったのに何でこっちに居るのー?」

「私悪くない。持ちかけて来たのこっちこっち」

「あ、卑怯! 乗ったじゃん! あんた乗ったじゃん!」


二人の背後にいつの間にか複眼が立っており、賭けの行方は消えてしまった様だが。

その更に後ろには、ごめんねとジャスチャーをする単眼が居たそうな。

因みに単眼は賭けていないが、可愛い恋路に胸をほんわかさせてはいる様だ。

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